一揆のあとに
さて、ハミ・クルエの肖像画はいくつか残っているが、その中で最も信憑性高く、芸術的価値も高いのはタイタ寺に保管されていたものであろう。
クルエとその夫シュトラが対になった二枚組みの絵であり、それを見る限りではクルエは機能性と動きやすさを重視した服装をしていたようだ。
史料によるとクルエは質素な生活を好んでおり、政務にも熱心さを見せていた。生真面目な為政者であったといえよう。
趣味といえば、学問や武芸など、これまた為政者として必要だからやっているに過ぎないものであった。
特に勉学の時間は、即位後どんどんと増え、激務の合間を縫って政治や軍事に関する本を読み続けていた。
「陛下は御無理を為さっておいででは」
と家臣達が言ったのも無理は無い。
だが、結婚すると政務の量は減った。シュトラが代行するものが出てきたのだ。最終的な決済はクルエがやるのは体裁としてあるのだが。
シュトラはともすれば共同統治と取られかねない所を、あくまで代理という形をとったり、クルエの意見を尊重したり、そうならないように務めているようであった。
だが、エキル家の存在感は増さざるを得ない。外戚なので仕方の無いことだとクルエは言った。
「しかし、それも加減というものがあります」とシュトラ。
「左様、夫君の仰せの通り、特にハミ家は一門の力が皆無に等しい。陛下お一人のみでありますから」
モリスは頷く。
結局、シュトラの叔父ダイスはシュトラの館で預かることとなった。
危機感を覚えなくも無いのはモリスである。
あのままパラマ城に帰って欲しかったのだ。マサエドに居つかれれば、どんな暗躍をするか分かったものではない。
「やはりハミの欠点といえば直轄の兵がそこまで多くないということでしょうな」
シュトラは言う。
「確かに、ハミ国中からみれば第一に近い勢力はありまする。ですが、領主が連合を組めばたちまち劣勢になりましょう。それにこの第一の勢力というのはダガーロワにある兵力も合わせてですからな。マサエドの直轄軍だけでは」
これでも、ダガール軍を取り込み、兵力という視点からいけばかなりの強化がされたはずである。ただ、まだ兵同士ではわだかまりがあり、度々諍いが起きており、フクサマやカワデの苦労もしのばれた。
「シュトラ、あなたに二人を手伝ってもらおうかしら」
クルエがぽつりと呟いた。
「結束力に不安があるというのなら、むしろわたくしは邪魔なだけでしょう」
シュトラは答えた。
「二人に任せておいて大丈夫と存じます。あの兵はハミ家の家臣が統率してこそ意味があるのです」
「しかし、フクサマもカワデも、陛下の代理人に過ぎませぬ。兵権は全て陛下に帰結するのです」
モリスは言った。
「それも、このハミ国中全ての兵権がです。領主や豪族ですら、陛下に許されて領地を治め、兵を抱えている。その大前提をお忘れになってはなりませぬ」
クルエは笑った。
「兵を率いて戦をするのは、もうやりたくないわ。これからは家臣や領主豪族に任せたいと思う」
シュトラとモリスはクルエを見た。
「疲れるの」
クルエは息をついた。
そんな中、クルエを驚愕させる事件が起きた。
天領調査に反発した民達が、徒党を組んで反抗したのである。
調査においては、田畑の検地、人口の把握、地形の調査、などが行われたのだが、隠し畑を発見されまいとしたり、役人や豪族の強引さに抵抗したりして、ついには民が殺害される事態が発生してしまったのだ。それは民達の怒りに火をつけ、まるで焼き尽くす業火のように燃え広がった。
村々から、役人や兵を追い出し、または夜闇に応じて是を殺害し、村々に柵を敷き詰めた。結果散発的な戦闘が発生し、今はなんとか押さえ込んでいる状況であるという。
最初、モリスからその報告を聞いたクルエは、一瞬固まったかと思うと、青ざめた。
「陛下、その地を担当していたのはオヤビーという豪族です。いずれ責を問いますか」
モリスのその言葉に、クルエは一瞬顔を歪めた。
「そんなこと……、原因究明の後に、誰が罰を負うべきか決めなきゃ駄目でしょ……」
クルエの声は震えていた。その中に隠しようも無い苛立ちが感じ取れた。
前は、豪族潰しの良い機会だと言わんばかりであったのに、いざ事が起こるとそう来るとは。
モリスは呆気にとられた。
「左様……でございますな」
「早速、手の者を派遣し、事態収拾に務めるように。なるべき平和裏に」
「はっ」
モリスは恭しく一礼した。
彼は主君の弱さを見た気がした。
自分の政が原因で、戦や乱が起き、血が流れる。確かに失敗があったのかもしれない。だがそれを許容しなくては偉大なるハミの千年王朝は為し得ないのではないか。
些細な掛け違いは、所詮些細な事なのだ。
クルエのもとをシュトラが訪れた。
「シュトラ」
シュトラは微笑んだ。
クルエの顔が余りにも、情けなかったからだ。
「陛下、お気に為さることはありません。此度の一揆は小さく、領主や豪族達も付け入る隙はないでしょう。天領調査をする時から分かりきっていた事です。必ず起こる物なのです。それは陛下の過ちではありません。
奥の物を取ろうとする際に、伸ばした手が触れ、前の物が動いてしまう、その程度のことです」
「でも、村の人々の命は……兵士の命は……?」
クルエの声は弱々しかった。
「もう戦争は終わったはずなのに、私はまだ、流血を……」
「陛下」
シュトラは真剣な表情で言った。
「陛下は既に、大勢の人々を死なせています。わたくしもそうです。兵だけでなく、民達も大勢死なせています。ですが一人で殺したわけではありません。ハミ家当主として、マサエド軍総大将として、わたくしはシュトラ家当主として、マサエド豪族連合軍大将として、死なせたのです。陛下はお一人で殺したのではありません。
此度の事は不幸な出来事だったのです」
クルエのもとに一揆沈静化の知らせが届くのは、一週間後であった。
オヤビーと共に行動していた、デリル・ケンチという壮年の豪族が、民達の元に武器も持たず単身赴き、「この調査は税の軽減と公正化をもたらすものであり、結果的にお前達の為になるのだ」などど根気強く説得した為、双方矛を収める結果となったのだ。
「かなりの人物ですね」
シュトラが言った。
「わたくしとしても、殲滅しかないと思うておりましたが、丸く収まったものです」
笑いながら続ける。
クルエはぽつりと口を開いた。
「あなたなら、そうしたの?」
「ええ」シュトラは即答した。
「民というのは、強かなもので、誰が首謀者か分からないようにするのですよ。ですので、止むを得ない時は、そうするでしょうし、そうした事もあります」
「そう」
クルエは彼から目線を下に向け、何も乗っていない机を見た。
3342年12月のことである。クルエの侍女フレーは、クルエの元へ新たな酒を持って行った。
「陛下、お持ちしました」
フレーが入ると、クルエは微笑んで「ありがとう」と言った。
「まったく、酒が過ぎまする」
クルエは小さく声を出して笑った。
しかし次の瞬間、口元を押さえた。
「陛下!」
フレーは慌てて、背中をさすりながらクルエを連れ出す。
「もうお飲みに!?」
クルエが首を振った。
いや、待て。
フレーがとある可能性にぶち当たった。その瞬間身体の奥底から形容しがたい感情の爆発が起きるのを感じた。
フレーは走った。
一刻も早く伝えねば。
騒ぎを感じ取り、守衛室から駆けつけてきたオントとばったり会った。
フレーの口走った言葉は、威風堂々のオントの体躯をぐらつかせるに充分だった。
「御懐妊です!」
フレーは息を整えて言い直す。
「陛下、御懐妊の由にございますっ!」




