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ハミ太平記  作者: おしどりカラス
第二章
45/73

事件、そして……

 ダガーロワ総督となったコレニヤン・ワーズは、治安の維持には気を遣ったが、民衆の営みを邪魔することは極力避けた。

 経済活動もこれまで通り行わせ、人々の暮らしは以前の様子を取り戻しつつあった。

 また、彼の主君クルエがこの街を占領した時からの方針である、兵士による乱暴狼藉の禁止も徹底した。それこそ彼の主君以上に。破った者の公開処刑も大々的に行ったりしたので、ダガーロワの民衆達の間には、徐々に新たな支配者に対する安心感も生まれていった。

 こうして、彼は穏健ともいえる手法で、ダガーロワ総督としての務めを果たし始めたが、そんな彼が穏健ならざる事件もあったのである。

 ネジン・ライリー事件である。

 ネジンとは、ダガールの元代表的文官であり、ダガール国王トクワの右腕として活躍した男である。

 以前、クルエは彼を家臣にしようと申し出たが、加齢による体調不良を理由に彼は辞退した。

 しかし10月、ネジンが一人買い物をしているのを咎め、連行に及んだ。

曰く、「出仕の命を拒否したは体調の不良によるものだが、その際立っているのも辛いと言った。が、こうして買い物に勤しむ程の体力はあるのだから妙な話である」と言うのである。

 ネジンはワーズの前に鎖に繋がれた上で、召しだされた。

 老人はワーズをじっと眺める。

「何故あってわたくしをお捕えになったのです」

 ワーズは彼を睨み付けた。

「お主は、陛下に忠誠の心無く、今も尚ダガーレン・トクワを主と見なしている」

「なんと……!」

 ネジンは目を丸くした。

「お主が、事あるごとに一人で街に繰り出していたことは知っておる。老体にあって意気軒昂にも関わらず、陛下の御前では病人の振りをし、陛下の申し出を事もあろうに辞退した」

 ネジンは口をぱくぱくさせた。

 相手の言いがかりの甚だしさに呆れかえったのであろうか。それとも言いがかりではなく事実を言い当てているので狼狽したのであろうか。

「さらにお主は、ハミ家滅亡の際の事柄を陛下から尋ねられた際、言葉を濁し、責任の所在をあやふやにした。覚えておらぬなどど虚偽を申してな」

「ワーズ様!いえ、総督閣下!」

 ネジンは首を振った。

「聞く耳持たん!」

 ワーズは語気強く言った。

「お主のような不埒者の一族には、然るべき罰を与えねばならん」

「そんな……」

 ネジンは一歩歩み出ようとした。

「わたくしお一人をお裁き下さい……!どうか……!」

 ワーズは首を振った。

「かような老人一人罰したところで何にもならん」

「ハミ家の事をお恨みなら、全てわたくしの責任です!家族は……!」

 ネジンは兵士に制されながら、訴えた。

「ハミ家への恨みかと申すか!なら先君夫妻とその一族が辿った道をお前の一族にも味合わせてやろうか!」

 ワーズは立ち上がった。

「ここで、お前とその一族に謀反の疑いをかけてもよいのだぞ!証拠など必要ないし、あっても簡単に作れるのだ」

 ネジンは項垂れた。

 惨めな老人に見えた。

 相手にすがるしか、他に方法の無い老人だ。かつてはダガール国の重鎮として辣腕を振るえた彼だというに。

 ワーズは先程とは打って変わって、柔和な表情になる。

 だが、口を開いて出た言葉は、決して軽い物ではなかった。

「お主ら、ネジン家の財産は没収する。その上でダガーロワから追放する。これが決定事項だ」

 ネジンは「ご慈悲に感謝します」と弱々しい声で答えた。

 この老人の言った通り、これは復讐であるかもしれなかった。

 だがワーズにとっては、そう断ぜられることなど、痛くも痒くもなかった。

 当時まだ幼くて何も覚えていないクルエなら、復讐の心が薄くても仕方ないといえよう。だが、その蛮行を目の当たりにした者ならば、ハミ家の家臣なら誰でも、ダガールに対しては復讐鬼と化そう。ただ、彼らの主君が殊更復讐心を満たそうとしなかった為に、彼らもそうならなかった。

 だが、主君から裁量権を任されたとあっては、彼自身の意向も働くというものである。

 特に目の前にいる老人は、ハミ家虐殺の主犯の可能性の高い人物である。

 ワーズにとっては、例え主君が許そうと、機会があれば復讐を果たそうと思っていたし、その主君の慈悲すら、嘲弄するが如き行いをしたこの老人の所業を許す訳にはいなかった。

 

 ネジン一族が追放されると、ワーズは諸豪族や諸領主に、ネジン一族の者の出仕を拒むよう要請した。

 ワーズはこの事件を秘匿したので、クルエがこの事を知るのはもっと後の事である。


 ダガーロワ陥落の際にマサエド軍の手に落ちたダガーレン一族の財産は、金銀財宝のきらめきが語り草となる程であったが、その多くは国庫に治められ、ダガーロワに残ったのはその一部に過ぎない。それを総督が管理しているのだ。

 その総督は、急に大きくなった権限と権力に戸惑いながらも、その責務を果たそうとしている。

 少しばかり、自分の主君の苦悩が分かったような気がした。

 ただ最近は、この手に入れた力をどう使うべきか思案ばかりしている。自分の為にではない。陛下とこの国の為にである。

 兵権も得た。六人衆の班列にも加わった。ある程度の自由に動ける身であり、これまたある程度自由に動ける勢力を率いている。

 だが、あまり勝手に動き過ぎれば、後々このダガーロワは王朝に害をなそうとする野心家達の根城になるかもしれない。それもその野心家が総督自身であるかもしれないのだ。

 ダガーロワ総督という地位は、あくまで、権限を委ねられた、陛下の代理人としてあるべきだ。

 

 

 彼は再びタカラ・エーリの訪問を受けた。

 彼女はにっこり笑って示された椅子に座った。

「思い切ったことをなさいましたね」

「弁解するつもりはない」

 そっけなく答えた。

「いえ、別に非難している訳ではありませんわ。むしろここまで行動力のあるお方だとは思いませんでしたので」

 ワーズはばつの悪い顔をした。

「お主の父をどうにかしようなどとは思うてはおらん」

 エーリの父は幾度もハミ家を裏切り、変節を重ねた男である。おめおめとハミ家の傘下に収まったのを批判する声は確かにある。

 タカラ家は今、ワーズと共にダガーロワにあり、彼の配下に今は落ち着いている。

「タカラ・オムを裁くことになれば、他の変節漢共も裁かねば道理に合わん。陛下がどう思われるか」

「貴方様はそれを行いたいのでしょう?」

 エーリは言った。

「陛下だって、反対は為さらないのでは?ハミ家を磐石にする為に、必要なことだと思いますが」

 ワーズは首を振った。

「粛清を続けて、有用な人材を失っては元も子もない。それに粛清後の空白を埋める人物をどう選定するのか?ハミ家臣か?」

「あら、ワーズ様は領主や豪族を弱体化させるつもりだと伺いましたが」

 エーリは淡々とした口調であった。

「それはその通りだが、以前の罪を問うより、これから犯した罪を裁くべきだ」

 ワーズは答えた。

 これは彼の主君の受け売りのようなものであった。

「しかし此度のは復讐のように思われましたが。かつてのハミ家に対する行いへの」

 エーリはなんでもないように言った。

「左様、しかしそれと、変節の豪族や領主達への扱いは別だ。あくまでダガールへ復讐心があるだけだ」

エーリは微笑んだ。

「父に聞かせてやりたいですわ」

 ワーズには娘の前で父親の悪口を言うのを憚れた。

「今までの罪は問わず、これからの罪を問う。陛下は、旧ダガール家臣に対してもその枠組みでお考えになったが、この私がそうとは限らん」

「ワーズ様には、それを行う権利と、力があります。どうぞお好きに。ただし」 

「ああ、今は少しでも多く、陛下の味方が必要なのだ」

 二人の間にちょっとした沈黙が訪れた。

 改めて、ハミ一門は現在、ハミ・クルエその人意外存命ではないのだという事実を思い起こしたのだった。

「ワーズ様は、家臣すらあまり信用なさるべきではないと、お考えですか?」

「お主はそうなのであろう」

 エーリは頷いた。

「その通りです。サカヒ・ダイが本当はどんな人物かは関係なく、彼の今の立場は豪族寄りとしか言えません。彼とエキル家の蜜月が、ハミ王朝に何をもたらすか、注視しなければなりませんわ。それに他の家臣達もダガール亡き今、共通の敵が有って団結していたのが、堕落と腐敗に陥る可能性もあります」

「やはり御一門で要職を占められれば良いが……。果たして何十年後の話になるのやら」

「しかし、同じ一門でも、危険は危険です。何故なら、同じハミ家の者は最大の仮想敵になり得るからです」

 ワーズはふうと息をついた。

「だが何よりも、まずは陛下には跡取りを御生み頂くことだ」

 ワーズは真剣な表情になった。

「なら、まずはご結婚なさらねば」

 エーリが言ったが、その言葉にワーズは顔をしかめた。

「ですがわたくしは思うのです」

 エーリは身を乗り出した。

「一族を優遇すれば、一族の中に危険な者も現れ、相争う骨肉の戦乱も起り得ます。家臣を優遇すれば奸臣の専横もしくは簒奪も招き、領主や豪族を優遇すれば反乱と簒奪を招きます。

 かといって、国王に権力を集めれば、暗君が立った時国に大いなる災いを呼び、国王が定まらない状態が訪れれば、その権力の空白は大きなものとなります」

 ワーズは首を振った。

「もう止めにしよう」

 エーリは苦笑いした。

「こんな事を話しても、詮無き事だ」

「そうですね。何十年後に植える葡萄の話をしても、物笑いの種になるだけですわ」

 

 


 ワーズとエーリの期待と不安の対象となったクルエは、中庭でシュトラと茶をしていた。

 二人は談笑をしばらく続けた。

「ご多忙な中、よくわたくしめのお相手を」

「いいえ、気晴らしにもなるし、私も楽しい」

 クルエは朗らかな笑顔で言った。

 シュトラは頬が紅潮していまいか、気になった。

「わたくしも楽しゅうございます」

 周囲には兵が配置され、近くには侍女が二人の命を聞くために待機している。

 目の前にいる女王は、まだ若く、こうして話してみると、彼の周りにいる女性達とそこまで違わないように思える。

 だが間違いなく、この眼前の女性は、ハミ王朝の始祖にして、ハミ王国の女王なのだ。旧オーエン領を武で束ね、王朝を打ち立てたのが彼女なのだと誰が信じるだろう。

 クルエはよく近くに控えた侍女に話し掛け笑っていた。フレーとかいう侍女も朗らかな顔で相手をしている。

 シュトラは一時の平穏が、このまま続けば良いのにと思った。

 彼女の為にも。

 だがシュトラは思う。

 彼はずっと考えていた。

 クルエが軍事力を行使したのは、あくまでダガールが攻めて来たからであって、それに対抗する必要があったからだ。自分から攻め滅ぼしにいったのではなく、逆に滅ぼし返した形だ。

 この間の式目でも、元々不文律であったのを明文化する必要からだし、さらに改易など厳しい罰を付加したのも、式目違反を罰する為に必要であったからだ。

 クルエは、自らの果断な決断と行動とによって、時代を変革させるというより、時代に流されつつも、自分の有利なように事を運べる人物なのだ。

 良く言えば「時代に愛された」「臨機応変」であり、悪く言えば「時代に流された」「消極的」であろう。

 そもそも立ったのも、ダガールに潜伏した村を襲撃され、家臣達の求めに応じねば生きていけなかったからだ。

 そんな彼女が、我がエキル家の壟断に直面した時、家臣同士が揉め始めた時、どうするのだろうか。

 果断で冷徹な人物なら、無用な方を切り捨てるであろう。だが、クルエにそんな決断が出来るだろうか。

 いや、出来なくては。

 シュトラは首を振る。

「どうしたの?」とクルエ。

 シュトラは何でもない、と答えた。

 出来なくては、外戚となろうエキル家は、ハミ王朝に嵐を巻き起こす。ハミ家もエキル家も、不幸な結果に終わるだろう。

 それは避けたい。

「陛下」

 クルエがぱっと真剣な表情で頷く。

「陛下は、もし、家臣が謀反を起こしたらどうなさいますか?」

 その問いにクルエは首を振った。

「今はそんなこと想像もつかない」

「では、もし貴女様の親しい者同士が、相争う事になった時は、如何致しますか?」

 クルエは笑った。

「二つの問いとも、正誤をしっかり見極めて対処していこうとは思ってる。でも、まさかそんな事が……」

 首を振る。

 シュトラは一礼した。

「無遠慮な問いをしました」

「いえ、いいのよ」

 クルエは茶を口に運んだ。

「でも、わたし……」

 微笑む。

「本当は求婚されるかと思った」

 シュトラは呆然とした。

 クルエの思わぬ言葉に、どう答えればいいか分からなかった。思考がちょっとの間停止した。

「陛下」

 シュトラはやっとの事で口を開く。

「わたくしめは、陛下の臣でございます。ならば、わたくしが陛下に求婚するなど無礼の極み」

「そう……。育った村では、村娘達は男の告白を待ち兼ねていたものだけど」

 言い終わったクルエの顔には陰るものがあった。

 それは、村での色恋沙汰に過ぎないだろう。

 我らのような立場の者は、そんな事で結ばれるなど滅多にない。

 しかしこの女王は、自分の事をどう思っているのだろうか。

 シュトラは思う。

 言ってしまえば、政略結婚だ。ハミ家とエキル家の安泰を図り、マサエドの戦乱の芽を摘み、王朝を安定化する。それが目的だ。

 であるから、恋愛とは全く別の次元のお話なのだ。

 女王にとって、自分とは、どういう存在なのだろう。

「陛下、わたくしにお命じ下さい。さすれば喜んで引き受け致します」

 シュトラは言った。

 不思議なものだ。

 大抵、政略結婚なるものは、当人よりも年配の一族の者達が話をつけるものだ。だが、クルエには他に一族もいない。

 当人達で、政略結婚の申し込みを行うとは。

 これは喜劇か、それとも悲劇か。

 時代の流れは、我々をどう踊らすつもりか。

 クルエは口を開いた。

 しかし言葉は出ない。

 また閉じ、二回目に開けた時に、口からその言葉は出た。

「エキル・シュトラ殿、私と結婚して下さい」

「はっ、喜んで。わたくしでよろしければ」

 シュトラは頭を下げる。

 

 ハミ王国女王クルエと、六人衆エキル・シュトラの結婚が公式に決定したことは、それほどの衝撃を齎さなかった。

 むしろ、ついに来た、といった反応である。

 だが、これでエキル家が外戚となる事も正式に決まり、エキル家の更なる栄達が予想されるとあって、エキル家と懇意にしていた者はこれを好意的に受け取り、そうでない者は警戒した。

 結局、シュトラはサカヒ・ダイの養子にならずに、エキル家の者としてクルエの夫となる事を選んだ。これは彼にとって大いなる挫折であり、より良い予想が外れたとあって、シュトラを信じた事を後悔しつつあった。

 その胸の内を息子に話している。

「わしは、奴がエキル家の抑えとして働いてくれるかもしれんと思った。じゃがそれは誤りであった」

 と言うのである。なので息子が答えるには。

「父上は、ハミ家の外戚の座を狙ったのではなかったのですか?それが第一で、その後にエキル家への抑えを期待したというだけでしょう。何故なら、そんな確証は無いからです」

 父は疲れ切った様子であった。

「陛下とシュトラの結婚が必要だったのは確かだ。ハミ家の未来の為に」

「それは分かります。父上はその為にその地位を犠牲にされた」

 息子のモリスは、老いた父に同情した。

「父上、ご安心下さい。エキル家と対峙するのは私の役目です。領主や豪族を弱体させ、ハミ家を強大にしてみせます」

 父は笑った。

「ダガーロワ総督、コレニヤン・ワーズとも懇意にしておけ。彼も心を同じくしていよう。いざという時は味方になってくれる」

「分かりました」

 モリスは頷いた。


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