所領
ハミ王朝において所領安堵は、王の裁量で行うというのが建前である。
実質そうであった面もあるが、あまり無理を通すと反発を食らい王権自体が揺るぎかねない。
そんな危ない橋を渡るのは建国直後には避けたいところであった。
ダガール王国ですら、中央集権を果たせず滅んでしまったのである。旧オーエン領において、領主や豪族の力は強い。
しかしそれでも、王への権力集中を果たし、領主等の力を削いでいくのか。それとも連合政権とし、彼らと上手く付き合っていくのを選ぶのか。選択を迫られていた。
ことに王朝初期である今、ここでどの道を選択するかによって、王朝の辿る歴史が決まるといっていい。後々名君が現れ大改革を断行し、歴史的大転換をするのなら話は別だが、なかなかそんなに上手くいくものではない。凡君ならば初代から続いて制度疲労を起こした王国の状況に苦悩するだろうし、暗君ならば、それをさらに悪化させるであろう。
とにもかくにも、クルエの選択次第であった。
そのクルエの、所領安堵案に噛み付いたのがタイラン・ブシンである。彼はダガーロワの最大実力者であり、ダガーロワの領主豪族の代表的立場でもある。
丸っこい体つきをしており、壮年で頭髪は真白であった。
大きな卓にワーズ以外の六人衆が座って、上座にクルエがいる。
「これはダガーロワを狙い打ちにしたものではございませぬか?」
彼は問い質すように言った。
先の戦争でクルエに貢献した者を優先的に、所領を安堵しようという彼女の策(実際はモリスの献策であるが)に対して真っ先に意見したのだ。
「ダガーロワはダガールのお膝元であったが故に、領主や豪族同士で争わせるという策謀があったのです。その為境界がはっきりしない土地がそのままに多く残っております」
「それは知っておる」
クルエは淡々と言った。
「だからこそ、陛下のおっしゃりようはダガーロワの領主や豪族を、ないがしろにせしものと存じます」
ブシンの言葉にモリスが口を開いた。
「ブシン殿はそうおっしゃるが、ダガーロワの領主や豪族達はレイン川での戦いの後、与した者が大勢、最も厳しい待遇なのも仕方ないとは思わんか?」
ブシンはばっとモリスを見た。
「わしはダガーロワの代表じゃ。ダガーロワが冷遇されるというなら、それなりの覚悟がある」
「そのお言葉、謀反の意有りと受け止めてよろしいか」
「そんなものはない。しかしだ……」
「ブシン殿」
クルエは言った。
「ならば戦を以て所領を確保するがよろしかろう。空白地帯も、そうやって手に入れるがよい。それでもよいか」
ブシンは目をぎょっとさせた。
クルエの言葉は非常に厳しいものであったからだ。
空白地帯も、という言い方をした以上、全ての所領を自分は安堵しないと言っているのと同じだ。
さっさと戦を起こせ。滅ぼして所領を全て奪ってやる。そう言ったも同然なのだ。
「陛下、お戯れを……。裁判を行う手もありまする。そうなさることを我らは望んでおるのです」
恭しく頭を下げた。
アイキ・ロダがじろりとブシンを睨みつける。彼は最年長であり、長い髭を蓄えている。
同じくマサエドの豪族のエキル・シュトラは黙りこくっていた。
「式目を知らん訳でもなかったのだな」
ロダが口を開いた。
「私闘を禁じておる。あれはハミ王国中でも適用してもよいはずだ」
「そうね。正式に発布するわ」
クルエは言った。
「ブシン殿、裁判を提案したのは素晴らしいと思う。だが、お主らは一度我々と戦った身であることを忘れるな。本来なら敵として処断されてももおかしくはなかった」
ロダは厳しい口調でまくし立てた。
「まあ、ロダ殿、そこまで言うこともあるまい」
クルエは笑った。
「マサエドにだって裏切り者はたくさんいた。この事はただ、私への忠誠心の度合いで決めようとしただけで、ダガーロワを狙い打ちにした訳ではない。たまたまダガーロワに不確定の所領が多かっただけ」
白々しいとはこの事である。
「ブシン殿、式目を守ろうというそなたの意思、私は尊重しようと思う。とりあえず裁判で所領を確定させましょう。その後に正式な安堵も行うわ」
「有難き幸せ」
ブシンは息を吐くように言った。
これ程の屈辱を受けたのは始めてである。
ブシンは気分が悪くなるほど、怒りに震えた。
あのような小娘にあそこまで侮辱されようとは。さらに他の六人衆も既にクルエの息がかかっていると見た。
最終的に、自分が式目を認めたという政治的効果も彼らは得たのだ。
もしや自分だけが、除け者ではないかという思いになる。
六人衆なんて名ばかりで、実質はクルエの手下が牛耳っている。自分はただ単にダガーロワ代表として名前が載っているに過ぎないのか。
ブシンは、政治的立場と、自尊心の両面から、憎しみや焦りが滲み出るのを感じた。
レアール・ワザールもブシンと似たような立場であったが、彼の違って矢面に立たなかっただけ幸運であったと納得した。
ただ、あまり好きではないブシンのあの様を見れて気分が良かった。
目つきの悪い顔をにやつかせ、頬を撫でた。
ブシンとワザールはダガール時代からの付き合いだが、ブシンの方が格上であり、待遇も良かった。
不満が燻っていたのだ。そこにダガール滅亡とハミ王朝の誕生だ。そしてそのうえブシンと同格の六人衆就任。人生何が起るか分かったものではない。
「陛下、よろしかったので?あれで」
モリスが執務室で言った。
「ええ、まあ、あまり反発されても面倒だし、王朝が誕生してすぐ戦ってのもね……」
クルエは答えた。
モリスには予想通りの答えだった。
「それでよろしいと存じます」と言っておいた。
クルエは苦笑した。
「ごめんなさい」
モリスは突然謝った主君に唖然とした。
「私、ダガールみたいに強硬にいきたくないの」
クルエは苦笑しながら続けた。
いや、ダガールのあれは。モリスは思う。強硬過ぎたのは問題かもしれない。だがそれはちょっと違うのではないか。
強硬過ぎたのが悪いのではない。やり方を間違えたのだ。
「ところで、オイロンミはどう致しまするか?」
モリスは話題を変えた。
「どうするって?」
とクルエ。
「オイ族にも所領安堵なさったら如何ですか?形式だけでも良いでしょう。オイ族には安堵するとかされるとか、そんな概念は無いかもしれませぬが、形だけやってみるのも」
「そして形だけといって、後々それを大義名分にして領地を奪い取る腹ね」
「それは後世の者達が考えることです。わたくしにはそこまでするつもりはありません」
クルエは笑った。
「するつもりはなくても、後世の者にさせるつもりではあるのでしょ?」
モリスは苦笑いした。
クルエは考え込んだ。
「彼らは、放っておいても大丈夫でしょう。今私達が、所領を安堵するとかしないとか、そんな政治的策謀を働かせなくてもいいわ、後世においては後世の情勢があり、その時代の人々が行動するのだから」
そしてそう答えた。
ダガーロワにおける所領問題の裁判は、次の年の記暦3342年から数年かけて行われている。
裁判官は、ハミ家臣から選ばれた者がほとんどであったが、それなりの公正と公平さは維持されていたと見られる。
ダガーロワ以外の地域でも所領問題は多数存在した。結局それらも裁判がダガーロワのと平行して行われ決着された。
裁判に先立ち、8月3日、「マサエド式目」と呼ばれる式目は、一部改正され旧オーエン領全てで適用するとの発布がされた。
ハミ王家への忠誠。
領主や豪族の私闘の禁止。
土地占有について。
財産などの相続について。
などなど、領主や豪族の間での取り決めを明文化したのは従来のと変わらなかったが、罰則として、改易もしくは除封、また所領を減らす厳封といった、明確で厳しいものが含まれているのが新しいところであった。
基本的に自力救済を否定しているものであって、ダガール王国も同様の施策をとっていた。その流れを汲むものといっていい。
それ以前のオーエン王朝は、自力救済のカバーニュ法のもとにあり、それが元で領主や豪族の争いごとが絶えなかったのだが、その度に介入して漁夫の利を得るというのが、長らくとられた手法であった。
この、マサエド式目がダガールのものと違う点といえば、領主や豪族への締め付けが緩やかな傾向があったという点であろう。
また、改易の手段も、武力に限らなかった。
先ほどのダガーロワやその他地方での裁判では、決定に納得のいかない豪族が反旗を翻そうとしたが、「女王や六人衆に便宜を図れ」とハミ政権の手の者に指示され、「それならば」と兵を起こす前にマサエドに出向いたり、または国に帰らず留まっていたところを軟禁された。そのうえ国許には兵を送り込まれて主君不在のまま、ろくな抵抗も出来ずに城が明け渡された。
また、そうやって別の豪族の城を接収しに行くように命じられ、仕事を果たすと、その隙に自分の城も接収されている。そんなこともあったのであった。
こうして、策略の限りを尽くされ、豪族や領主は自分の支配する土地を奪われた。そしてそこには別の者が収まるのである。
だがこの改易劇は、政治的思惑というより、ただ単純に式目違反だから、といった理由で行われたものであった。
クルエは、意図的に式目を破らざるを得ない状況に相手を追い込むということも、反乱を無理やり起こさせたり、嫌疑をでっち上げたり、といったこともしなかった。この点はこの時期のハミ王朝において救いの一つであったし、六人衆の間でも政治的暗闘の入る余地がなかった理由でもあろう。
記暦3341年、9月上旬、クルエはマサエドのハミ家直轄地を「天領」と定め、天領の検地を命じた。
それを元に、税収の管理と、土地と税の不均衡を正すというのである。
また、町や村の調査も行われ、「天領」の実態の把握が進められていくこととなった。




