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ハミ太平記  作者: おしどりカラス
第二章
42/73

新たな執事

 記暦3341年3月29日、マサエドでは春のきざしもだいぶ見え始め、朗らかな陽気に包まれている。昨年の情勢が幻のかなたへ追いやられているかのようでもあった。

 というのも、新王朝の新女王が、まるで遥か昔から女王であったかと錯覚させる程堂々としていた為でもあったろう。

 だがこれはあくまで、マサエドという一地方での話であって、滅ぼされたダガールの元首都ダガーロワでは全く違う見解を抱く者がいたかもしれない。

 ハミ王国女王が最初にしたのは、ハミ家臣サカヒ・ダイに隠居を命じることだった。

 サカヒはこれ異常なく恭しい感じでそれを受けた。

 当主の意向を聞かず勝手に、当主の婚姻を進めた罰である。

 クルエが家臣に対して、ここまで厳しい態度に出たのはこれが始めてである。

 広間には重々しい空気が流れていた。

 だが、次の瞬間、ハミ家臣団は女王の言葉に驚愕した。

「サカヒ、お前の息子、サカヒ・モリスに執事の座を譲れ」

「はっ」

 答えて、サカヒは驚いた様子で当主を見やる。

 家臣団はざわついた。

 執事というのは、家中において万事を管轄し、当主の補佐役にあたる役職である。

 これまではサカヒ・ダイが務めており、クルエ不在時のハミ家を統率していた。

 だが、この新王朝においてその役職は、単なる補佐役で修まるだろうか。

「サカヒはこれまでこのクルエをよく補佐し、家中をまとめてきた。その功に免じて、独断の罪を許そう」

「加恩なるお言葉、このサカヒ・ダイ、これまで陛下にお遣え申しあげたこと、末代までの誇りと致しまする」

 サカヒは跪いた。

「うむ、モリスここへ参れ」

 クルエの言葉にモリスは戸惑いながらも前に出た。そして恭しく跪く。

 サカヒと違い、線が細い青年であった。父が野心家じみた所があると、息子はその逆になるのだろうか。

「この若輩に、執事の座が務まるでしょうか?我が身には重き職責と存じます」

「務めたこともないのに、よく言うものだ。かく言うクルエも、未だに女王の座は身に余ると震えておる」

 クルエは笑った。

「滅相も……」

 モリスは震えて言った。

 ここで同調するのはよくない、と思った。

(陛下もお人が悪い……)

 心の中で毒付きながら、モリスは礼をした。

「御意、謹んで拝命仕りまする」



 マサエドの大商人の娘オポ・マソがクルエを訪問したのは4月に入ってからである。

 マソがクルエの部屋に呼ばれたのは夜になってからだった。

「陛下におかれましては、この度のご即位、めでたい限りでございます」

 マソは恭しく言った。

 クルエは頷いた。

「マソも」

「はい」

 マソは気恥ずかしそうに答えた。

「父上のもとで幼い頃から働いてこられた方ですし、私もかなり親しくしておりまして……」

「婿養子なのね?」

「はい」

「とりあえず飲む?」

「ああ、ぜひ、いえ!わたくしが……」 

 マソが立ち上がろうとするのをクルエは制した。

「そうか……結婚か」

 クルエは呟いた。

「そうよね、もう私達ぐらいの年になれば、結婚して子もいたって不思議じゃない。むしろ遅いくらいじゃないかしら」

 マソは苦笑した。

「そんなことはありません陛下。ただ父上は私を立派な殿方に嫁がせようとじっくり選んでくださっただけです。それに陛下こそ、その年にして馬上で天下を取りになったではありませんか。そう考えればまだまだ若うございますよ」

 クルエは笑った。

「誕生祝に出てね」

「はい、ぜひ」

 二人の前に杯が置かれた。

「陛下と、マソの商館で共に暮らしたことが昨日の事の様に思い出されます」

 マソはしみじみとした様子で言った。

「そうね。二人でよく街に繰り出したっけ」

 クルエは遠くを見るような目をした。

「陛下は、よく傷をお作りになって、街の人から不審がられないかと不安で」

「いいえ、むしろ気づいて欲しかったわね。ワーズがどれだけ私を痛めつけたかということを」

 腕組みをしながらクルエは言った。

「ワーズ様は陛下のことを思えばこそ、心の鬼にしておられたのですよ」

 マソはワーズを庇った。

 クルエは苦笑いした。

「陛下は、剣を抜こうとして転んだりもしておりましたね」

 マソはいたずらっぽく言う。

「ハミ王列伝、なるものが書かれる時はまっさきに省かれそう」

 クルエはくすくすと笑った。

「きっと私は、剣の一振りで数万の兵を蹴散らしたとか、口から火を吹いたとか、書かれるのよ」

「いつの時代の歴史書ですか」

「歴史書っていうより、御伽噺の類かも。ねえ知ってる?ダガーレン・トクワの話」

 マソは首を傾げた。

 クルエは杯を掴んだまま話し続ける。

「彼がダガーロワを港街として開発した祝いの席でね、太陽を雲が覆い隠したと。それを見たトクワはむんずと立ち上がり、剣を抜いた。そして一刀のもとに雲を斬り裂いたそうよ」

 マソは「ああ……」と答えた。

 そういう類の話か。

「トクワにそういう逸話が作られるなら、私にはどんな逸話が……」

「それは彼自身が流したのでは?」

「それも有り得る」

 クルエははっきりと答えた。

「陛下も、ご自分でお作りにならないのですか?この新王朝にも正史が必要でしょうし」

 マソは思い切って訊いてみた。

「ハミ王朝の正当性をお示しになる必要もあるのでは?」

 クルエは目を細めて笑った。

「今のところはそんなつもりはないわ。どうせ後の人間が記すでしょうし。その時、私と私の王朝を正当化し、ダガールを悪逆非道の権化として記そうとも、それは後世の人間のすることであって、私のすることではない」

 この方は、自己正当化と、自己神格化に拒否感を持っているのだ。今のところ。

 マソは杯を眺めた。

 駄目だ。『今のところ』なんて、エーリの考え方に影響され過ぎだ。

「私が作らなくとも、ワーズなら作ったかも」

 とクルエ。

 顔を上げてマソは頷く。

「左様でございましょうね」

「うん……そうね、私、ワーズをダガーロワ総督に任じたでしょ、するとね、私ここ最近になって凄く不安になっちゃってね」

 マソは思わぬことを聞いた気がした。

「よくよく考えれば、ワーズにかなり頼った面があった気がする。それが無くなった今私は自分で色々決断しなきゃならない。ああ、この事はワーズには言わないでね……」

「しかし陛下、ワーズ様の進言を拒否してご自分でお決めになったことだって何度もお有りだと伺いましたが……」

 クルエは寂しげに微笑んだ。

「陛下なら、大丈夫でございます。ご不安なら、新たに有用な人材を側に控えさせたらよろしいのでは?」

 マソは思わず身を乗り出していた。

「陛下は先頃、モリス殿を執事に任じられたとか……」

「ええ」

「それが有用な人材ということでしょうか?しかし、あのサカヒ・ダイの息子ですよ?エキル家ともかなり近い関係にあること疑いございません。それにあの野心家の……」

「ええ、サカヒが野心家かどうかはまだ……。これまではよく忠義を尽くしてくれたし、これからも尽くしてくれるかもしれない。でも、エキル家と関係がある以上、その嫡男はこちらに引きずり込みたい。まあ、恩を売る形になったけどね」

 マソは息を飲んだ。

 その昔、共に遊んだ時とはもう決定的に違う面を、今のクルエは持っているのだ。

 

 しばらく飲むと、クルエは机に突っ伏して寝息を立て始めてしまった。

 マソは起こさぬようにゆっくりと立ち上がる。

 マソは扉を音を立てないようにして開けると、クルエの侍女フレーが立っていた。

「申し訳ございません。お止めすれば良かったのですが」

 頭を下げる。

「いいんですよ」

 フレーが微笑んだ。

「でも、酔ってお休みになるなんて、わたくしも初めて見ます」

 そして中に入って、毛布をクルエに優しくかけていた。

 マソはそれを見届けてから、場を後にする。



 サカヒ・モリスは執事としての職務を果たすつもりでいる。

 無論、陛下から直々の任命である以上、果たさなければ不忠というものである。

 父、サカヒ・ダイの元へ、エキル・シュトラが来訪したのは夜のことであった。

 何か離れに篭って話していたかと思うと、シュトラは離れを後にし、モリスの部屋の前へやって来た。

「エキル・シュトラ様です」

「お通ししろ!」

 シュトラはにこやかに入って来た。

「お父上にはお世話になっております。この度は執事就任おめでとうございます」

「ありがとうございます……」

 二人は恭しく礼をした。

 モリスは椅子に促す。

「こんな夜分に申し訳ない」

「いえ、わたくしも話がしてみたいと思っておりました」

 シュトラは微笑んだ。

「早速ですが」

「はい」

「貴方は貴方の望む通りになさってよろしいのですよ。わたくしも微力ながらお手伝いさせて頂きます」

 モリスは頭をがんと殴られた感じだった。

「シュトラ殿、わたくしの望みとは?」

「これは失礼、ご自分でおっしゃってしまっては意味がありませんものね」

「ええ……それとなく悟らせる方が、慎ましい類のものですからね」

 シュトラは微笑み、モリスは厳しい表情をしていた。

 ちょっとの間沈黙が流れる。

「貴方は、お父上と同じように豪族や領主の弱体化と、ハミ家の集権化を目論んでいる」

 モリスはその内容以上に別の所に引っ掛かった。

「父上が!?」

「当然でしょう。お父上はまだ陛下が、領主であった頃には既に志向しておいででしたよ。そしてお父上も、貴方も、特にエキル家を狙っておいでだ」

 シュトラは出されたお茶を啜る。

「エキル家は確かに、ハミ家を圧迫し、権力を壟断しようと企んでいる。まあそれが壟断かはわたくしが陛下の視点に立っているからこそなのですが」

 モリスは冷や汗と震えが止まらない。

 目の前のこの男は何を企んでいるのだ?

「でも、気持ちも理解できるのです。陛下が天下を取れたのもエキル家の功績によるところ大ですからね。ですから、この歪は、いずれどんどん大きくなるでしょうな」

「無論です。シュトラ殿はこのままいけば陛下の夫、エキル家は外戚ですから」

「しかし、わたくしは、陛下もエキル家も守りたい。故に、貴方の助力を頼みたいのです」

 シュトラは頭を下げた。

 モリスは、最大の仮想敵にしていた男から、予想外の申し出を受け、頭を巡らせた。

 結論として、承諾することとした。

「ええ、分かりました。しかし完全に貴方を信じきっている訳ではありません。ですが、貴方が陛下やハミ王朝の為になさる事については、微力ながら手伝わせて頂きます」

「感謝致します」

 二人の会見は終了した。


 

 記暦3341年4月、新王朝が誕生して日は浅いが、既に暗闘は始まっている。


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