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ハミ太平記  作者: おしどりカラス
第一章
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女王ばんざい!

 記暦3341年2月17日、ハミ・クルエを総大将としたマサエド軍は、 ワーズ率いる二万の大軍を残し、ダガーロワを後にした。

 それに先立ち、昨年の11月頃から徐々に、民の帰還事業が行われていた。パラマ城にとどめ置かれ飽和状態に達していた民達が解放されたのだ。

しかしただ解放されただけでは、無事に帰りつけないかもしれない。そこで多くの兵達が護衛に割かれた訳だが、結果として武勲を立て損ねた彼らの間では不満が高まったという。

 しかし時期が冬でもあったので、非常に漸進的であった。シュトラの弟エキル・アキリの巧みな指揮によって大きな混乱はなかったと言っていい。

 戸籍のはっきりしない者も多く、身体につけた紐によってパラマ城にやってくる前にいた村を判別するしかなかった。

 自分の故郷に帰ってきた人々は、運がよければ被害もなく済んだ故郷と再会した。だがそうでない者は、焼き払われたり、畑も荒らされていたり、レイン川の氾濫によって村や畑が流されてしまっている現状を目の当たりにするのだった。

 まだダガーロワにいたクルエから、此度の戦役で被害を被った村からは税を徴収しないとの達しがあったのがまだ救いではあったのだが。

 しかし、基本その被害の程度は申告制であり、役人や武人達の中には、収入源のなくなるのを防ぐため、被害を過小に報告したり、被害そのものがなかったかのように偽ったりした者もいたという。

 

 マサエド軍がマサエドに帰還を遂げたのは、2月28日であった。

 クルエ麾下の軍勢はマサエド城内を凱旋した。

 マサエドの民衆は最優先で帰還事業の対象となっており、既に街は活気を取り戻していた。

 これはアキリの配慮であったというのが有力な説である。クルエ自身は帰還事業に対して優先順位を示したことはなかったようである。

 凱旋を終えると、クルエは鎧を外し、何より先に城の奥の中庭に作られた墓地へ向かい、そこでしばらく一人になった。

 周囲を兵が護衛しているものの、遠目に見ることすら憚られ、クルエは一人精神世界に埋没するのであった。


 

 マサエド城に留め置かれたダガーレン・アンミは何も知らされぬまま無為の時を不安と共に過ごした。

 なんとなく察しはついていた。

 世話係の女官達の自分への態度が、変わったのだ。

 表面的には何も変わっていないように見えるが、そうではない。

 本当にただの直感以外の何物でもないのだが、「ダガールは滅んだ」と悟った。

「ありがとう」

 食事を運んできた女官にそう微笑みかけてみると、狼狽した様子で礼をして去っていった。

 アレスは今どうしているだろうか。

 自分と共にマサエドへ送られた家臣。自分程の待遇は受けてはいまい。もしや地下牢に閉じ込められていやしまいか。

 このまま自害出来れば幸せであろうに。彼は自分を残して死を選ぶことはない。

「私が先に自害せねば、奴も殉死は出来まい……」

 ぼそっと呟いた。

 心を、絶望と、厭世が、包みつつある。

 かく生き残ってどうするというのだろう。

 ハミ・クルエが帰還すれば自分達の処遇は自ずと決まる。

 部屋は調度品も豪華で、寝所も柔らかい心地、食事もなかなかで、世話係からの扱いも悪くない。

 だが、死ねそうな刃物もなく、窓も閉め切ってあり、自害なんて出来ようも無かった。

 そしてついに、正式に知らせがあった。

 兵士は部屋に入ってくるなり、言った。

「アンミ殿に、ご報告がございます」

 アンミは頷いた。

「マサエド軍がダガーロワを占領しました」

 兵士は淡々と言った。

「父上と兄上は?」

 アンミは身を乗り出した。

 訊かぬとも分かるのに何故訊くのか。自分が不思議でなかった。

 恐らくもはや処刑されてしまっただろう……。

 兵士は表情を変えない。

「ではお答え致しますが。どうかお願いがございます。努めて平静であって頂きたい」

「もう覚悟は出来ておる」

 アンミは重々しく言った。

 兵士は口を開いた。

「ダガーレン・トクワとオンダがヴァイレンの手によって殺害されました。ヴァイレンはその首級を持って姫様に降伏、ですが姫様はその卑劣をお許しになりませんでした。ヴァイレンはその場で死を賜った次第」

 アンミは胸をがんと殴られたかのような感覚を覚えた。

「ご……ご苦労……」

 兵士は去っていった。

 アンミはベッドに向かい、その上に蹲る。

「かくも……かくも……無様な滅び方をするとは……」

 嗚咽した。

 いっそのこと、一族総出でクルエに特攻をかけた方がマシであった。

 勇名を誇り、旧弊を滅びし、栄光を極めたダガールが、滅びの美学を体現するどころか醜い保身に彩られた最期を遂げたというのか。

 そんなことは許されない。

 認めるわけにはいかない。



 3月、ダガーレン・アンミとアレスの処遇は決した。

 アンミは寺院に入ることとなり、助命された。一方彼女の家臣アレスは斬首となった。

 アレスは処刑を聞かされた時も、刑の執行の際も堂々としていた。

「何か申すことは無いか」

 ハミ家家臣カワデが尋ねる。

 アレスは笑った。

「ただ武運つたなく敗れ去ったのみ、悔いは無い」

 自分の代わりに死んだのだと、アンミは思った。

 アンミは俗世を去ったが、すぐさま筆と紙を手にした。

 寺の隅の離れで、修行に勤しみながら、書くべきものがあったのだ。

 後にそれは、一級史料としても扱われる『アンミ将軍記』と呼ばれるものであった。

 ダガールの施策や戦についてや、王宮の内情などが事細かに記されている。

 序文にこうある。

「祈りと鎮魂を込めて、これを記す。世の人々に忘れらるることは辛きものなり。よって忘れられゆく事柄を、記す必要があると思われた」


 

 クルエが、ダガーロワ総督ワーズとその麾下を除いた、ハミ家臣団と協議に及んだのは3月17日である。

 主な議題は即位の議についてと、人事についてであった。

 来るべき新王朝において、要職は全部とはいかぬとも、ある程度はハミ家臣で占めておかねばならない。

 サカヒは処遇も決まっておらず現在蟄居を命じられており、ワーズもダガーロワにいる今、クルエに意見出来る者は少ない。

 もはやエキル・シュトラが最もクルエに意見出来る者ではなかろうか。

「それはよくない」

 カワデは口にしたことがあった。

「近臣の言に耳を傾ける姫様ではあるが、肝心の我々が言えぬ」

「なら、申し上げればよかろう。何を恐れることやあらん」

 とフクサマ。

「我ら二人というより、それ以外の者共よ。余りにも意気地が無いのではないか」

 ふん、とフクサマは鼻を鳴らした。

「サカヒとワーズが姫様の側にべったりとしておった結果よ。何時の間にやら、一部の者しか姫様に意見出来ぬ風潮が出来上がったのだ」

 だが、今回の協議ではこの二人がクルエに意見を出した。

 前述の事である。

「承知しておる。まだ時間はあるのだし、この辺りは即位後行う統治体制作りの時にでも考えればよかろう」 

クルエはそう言った。

 結局、即位の議についての段取りの確認が協議での最大の収穫となった。




 記暦3341年3月24日、マサエド城の質素な広間を、旧オーエン領中の領主、豪族が埋め尽くした。

 歴史的な瞬間を目撃せんが為、息を潜めていた。集まった当初は世間話に興じていた彼らも、その時が近づくに従って無口になっていった。

 永きに渡って続いたオーエン王朝が滅び、滅ぼしたダガール王朝も滅んだ。そしてまた新たな王朝が誕生しようとしているのだ。

「この、不安と高揚感に圧された時代の雰囲気は、当時の者しか分かるまい」

 後にそう記された、まさにその日である。

 人々は息を飲んだ。

 ハミ・クルエが優雅な足取りで現れたのである。

 ある者は畏怖し、ある者は見定めようとしていた。

 だが、誰もが認めざるを得なかった。

 黒髪を肩まで伸ばし、白いマントを靡かせる彼女の華麗さは、まるで叙事詩の一節を思わせた。広間の中央を歩き、壇上に上がり、玉座に置かれた光り輝く王冠を自ら手に取って、頭に被せた。

マントを翻し、広間の者達に向き直った。

「女王ばんざい」の声が上がったかと思うと、広間全体にそれは波及した。人々の様々な思惑も、想いも、圧するかの如く。

 ハミ王朝の始まりである。


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