ダガーロワ総督
コレニヤン・ワーズがタカラ・エーリの訪問を受けたのは、1月のことである。
エーリは恭しく、椅子に腰掛けた。
「こうやって、面向かいで話すのも、久しぶりでございますね」
彼女は微笑んだ。
ワーズは頷く。
一度、タカラ・オムの居城で会っている。
彼の城を接収しに来た際、応対したのが彼女であった。
この娘は、タカラ・オムという裏切り癖のある男の娘、用心に越したことはなかった。
ダガールとの一連の戦いでも、マサエド軍から密かに離脱するなど、その保身と裏切りをワーズは軽蔑していた。
クルエとは年近く、どうやら気に入られている節があった。
まさか、この娘がいるから、タカラ家はお咎めなしであったのか。
はきはきとした感じの娘であり、育ちのよさを感じさせた。
ワーズは邪推して、その考えを振り払った。
「何用あって参った?」
尋ねた。
「申し上げてよろしいでしょうか?」
エーリは言った。
「構わぬ」
「では、申し上げます。姫様におかれましては、旧オーエン領の新たな盟主と御成りになるのは当然でございます」
「左様、もはやそれ以外に道はあるまい」
「なれば、女王と御成りになるのですが、その際、姫様は何の大義名分を以て即位なさいますの?」
ワーズは身構えた。
「大義名分など要らぬであろう。姫様のお力を以てすれば、反対する豪族などはいくらでも潰せる」
「わたくしが申し上げているのは、そういう点ではありません。姫様が即位するのは、オーエン王朝の再興という形をとってなのか、それとも全く新たなハミ王朝をお作りになる、ということなのか。どちらでございましょうか?」
エーリは身を乗り出していた。
(何を企んでいる?)
「それは姫様次第であるし、皆がどう望むかにもよるだろう。オーエン王朝の再興を望むのなら、前者であるし、そうでなければ後者であろう」
「姫様はどうお望みでいらっしゃるのでしょうか?」
ワーズは首を振る。
「そもそも、姫様はあまり乗り気ではないのだ。あくまでハミ家再興とは、マサエドで領主として返り咲いた後どう繁栄させるか、といった程度でしかなかったようだ」
「先君夫妻は領主であらせられたですものね。もはやハミ家再興とは、かつての栄光を取り戻すという枠を遥かに越えようとしているのですから、戸惑いになるのも分かります」
エーリはしんみりとした口調だった。
「領主や豪族連中も、姫様を盟主に押し上げようとする動きはあるようだ。仕方の無いことだが、トクワ不在の今、一刻も早く盟主が必要なのだ。柱が無ければ均衡は崩れ、互いに倒れあうのみだ」
ワーズの言葉にエーリは頷く。
「既にシュトラ殿に取り入ろうとする者が後を絶たないようですわね」
エーリがそう言うと、場の空気が一気に張り詰めた。
とっくに懸念していたことだが、はっきり言葉にされると、冷や汗をかいてしまう。
「まあ構わぬ。誰が敵が分かりやすいではないか」
ワーズは吐き捨てた。
「シュトラ殿は、まさに知勇兼備で非の打ち所の見当たらない方です。姫様もお認めでしたが、この戦いに勝利し得たのも、シュトラ殿のおかげといって過言ではないですわ」
「手ごわい相手だというのは認識している」
エーリは心配げな表情を浮かべた。
「姫様は、取り込もうとなさっておいでなのでしょうか」
ワーズは唸った。
「分からぬ。戦うより御した方が、良いかもしれぬ。だが、エキル家が諾々と従うだろうか。姫様を傀儡となし、国政を壟断しようと企んでいるのではなかろうか」
「姫様にも申し上げておく必要がありますわね」
ワーズは頷いた。
姫様とエキル・シュトラの婚姻は、まだ公式に決まったわけではないが、既成事実となりつつあるのではないか。昨今ではもう決定事項のようにされている。
それは、姫様自体が、強く否定しようとしないこともあるし、エキル家の方では既に準備にかかっていると聞く。
「どうかお願いがあるのです」
エーリは畏まって言った。
「姫様をどうかお支えになってください。姫様のお側にこれまでおられた貴方様だけが、姫様をお諌め出来ると存じます」
いつかそんな日が来るのだろうか。
ワーズは気が重くなった。
これまで、クルエは大きな間違いを犯してはいない。まさか何者かの傀儡に成り下がってしまうことなど有り得るのだろうか。
どこかでワーズは、シュトラ家など自分が手を出さずともクルエが始末をつけると思い込んでいた。
助言もした、意見もした、だが、自分の主君そのものには信頼しかなかった。
エーリは頭を下げた。
「ご無礼の段、お許し下さい。ですが、こんなことを頼めるのは貴方様しかいなくて」
ワーズは頷いた。
「ご案じめされるな。私は死ぬまで姫様を支えていくつもりだ。タカラ家とも、懇意に出来れば良いと思っている」
エーリはワーズの部屋を辞した。
コレニヤン・ワーズは姫様の忠臣といっていい存在だ。
彼ならば、姫様に近づく不逞の輩と戦うことが出来るだろう。
彼がいる限り、政は壟断されることもあるまい。
だが。
エーリはお供と再会し、外に出る。
もし彼自身が、壟断する奸臣と成り果てたとしたら。
姫様にそれを排除する決意が出来るだろうか。
「エーリ様」
従者が不思議そうに尋ねる。
「厳しい顔をなさっておいででした」
「気にしないで」
エーリは笑う。
(姫様、どうか私を失望させないで下さい。旧オーエン領の行く末を貴女に委ねたからこそ、私は姫様の行く末を気にかけております)
ワーズがクルエに呼ばれたのはその晩のことであった。
クルエはワーズを席に座らせ、卓の上に麦酒や果実酒を置いた。
「どうなされましたか」
クルエは笑った。
「とりあえず、飲みましょ。どちらがいい?」
「ここはわたくしが」
「いいのよ。どっちがいい?」
「果実酒でお願いします」
クルエは麦酒であった。
「あなたに話があるの」
神妙な顔でクルエが口を開いた時は、既に数杯飲み干していた。
「はっ」
ワーズは身構えた。
「そろそろマサエドに帰らなければならないと思う」
「左様でございますな」
クルエはぐいっと飲む。
何だか言い難そうな事を言うつもりらしい。
「そしてマサエドで即位する必要がある」
ワーズは思わず身を乗り出した。
「ついにご決断なされましたか!」
「それはいい」
クルエは手をひらひらさせた。
「もう一つあるの」
「何でございましょう」
クルエはしばらく黙った。
そして居住まいを整えた。
「このダガーロワに人を残していかなければならない。私がダガーロワを空けるということは、この豊かな強い街を誰かに委ねることになる」
ワーズは口を挟まなかった。
「海運が発達していて商業の中心地で、城も難攻不落、常駐出来る兵も多い。さらには旧ダガール領であるから睨みを常に利かす必要有り。そんなところを委ねるのは信頼に値する人物でなければならない」
彼にはクルエの言わんとするところが分かってきたような気がした。だがまさか。それに自分を過大評価もしたくなかった。
「コレニヤン・ワーズ。あなたにはダガーロワ総督を命じる」
クルエは力強く言った。
ワーズは慄然として、返す言葉を当初思いつかなかった。
「お願いできるわね?」
「しかし姫様!」
ワーズは思わず立ち上がっていた。
「わたくしは姫様のお側でずっとお支えしていきとうございます!」
よりにもよって、エーリに姫様を託された日の晩に、そんな命を下されるとは。
「即位の議は如何致すのですか?」
「もちろんあなたにも出席してもらう」
「エキル家が姫様をどう思っているかご存知ですか?」
「シュトラ殿が当主である限り、ハミ家は懇意に出来るでしょう」
「わたくしには荷が重うございます……」
ワーズは腰を下ろす。
「その時は、別の者を任じればよいことだわ」
クルエは微笑んだ。
だが、すぐに寂しげな表情を浮かべる。
そして笑った。
「あなたは大丈夫よ。絶対上手くやれる。行政能力も申し分なし。ただ、締め付けを厳しくしすぎて反発されないようにね」
はは、と小さく笑っている。
「問題なのは、私の……」
途中で言葉を止めた。
「姫様?」
「いや、いいの」
クルエは杯を掴み、ぐいっと飲み干す。
「姫様」
ワーズは言った。
「わたくしがいなくても、酒はお控えくださいまするな?」
「ええ」
頷いた。
「とくにご懐妊の折は、酒は絶対駄目です」
「分かってる。というか、気が早いというか、そういうのは女に言われたい」
「侍女達も言うでしょうが……」
ワーズは呟いた。
「という訳で、受けてくれるわね?」
「心は決まりました。ですがお待ちを、ハミ家臣団や諸将の前で、改めて議論の後に決しましょう」
クルエは頷いた。
「そうね」
数日後、3341年1月28日、ハミ家臣団、豪族、領主らが一斉に集った。
クルエの姿を認めると、皆一礼した。
「方々、よく集まって頂いた。感謝する」
クルエは口を開いた。
「2月中にこのダガーロワを私は発つ。ついては、このダガーロワを任せる者が必要だ」
場はざわついた。
ダガーロワを任せられるのは誰か。
この時、エキル・シュトラではないかと思った者が多くいたが、それ以上に、どうせハミ家臣から選出されるであろう、と考える者もいた。
とくにハミ家臣団の動揺は激しかった。
「まさか、姫様はまた独断で」
カワデは横のフクサマに呟いた。
「我ら家臣に何の相談も無く……」
フクサマは困惑した様子だった。
「私は、今から名を呼ぶ者にそれを託したいと思う」
場は静まり返った。
「コレニヤン・ワーズ!」
ワーズは戸惑った様子を見せた。
ハミ家臣団は皆彼を見ていた。
「近うよれ」
ワーズは歩み出て、跪いた。
「お言葉ですが姫様」
「何だ申せ」
「わたくしは、辞退致しとう存じます」
「何故だ」
クルエは言った。
「わたくしは、姫様のお側にお仕え申し上げる事こそ、至高と致しておりましたのに、何故そのような……」
ワーズは訴えた。
「このダガーロワを誰が治むるかは重要なのだ。お主でなければ出来ぬ」
クルエは微笑んだ。
「ともかく命じたぞ。ダガーロワ総督にお主を任じる」
ワーズは恭しく頭を下げた。
フクサマはこの様子に濁飲した。
いけ好かないワーズがざまあないと思えこそすれ、どこか哀れに感じた。
カワデを見ると、微妙な顔をしていた。
「これでワーズは多くの兵権を得るのだが」
「そういえばそうだな」
フクサマははっとした。
「だが、あいつが姫様に反旗を翻すとも思えん」
実はこれは、クルエとワーズの芝居であったのだが、二人は気付かなかった。
ハミ家臣団からのワーズへの反発を抑え、そのうえクルエの絶対性を高めようとしたのである。
結果として、領主や豪族からも反発もなく、ダガーロワ総督は任命された。後に、権限を大きく制限され、ダガーロワ奉行と名を改めるのはまだ先のことである。




