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ハミ太平記  作者: おしどりカラス
第一章
4/73

ハミの山城

 にわかに騒がしくなってきた。

 クルエも町に流れる噂の一つや二つ聞いていたし、少しは警戒して屋敷の中にいるようになった。

 一つ目の噂としてはハミ家の生き残りが生きていること。

 そして二つ目はその娘が娼婦として生業を立てているらしいこと。

 自分のことだ。クルエはそう思った。


「ワーズ。どう思う?」

「世間は勝手なことを言うものだ。しかし……気をつける必要がある。お前がここにいることが分かれば……」

 彼は重々しく言った。

「そうね……。でもどうして娼婦なのかしら」

「それは……」ワーズは少し沈黙して答えた。

「もしかすれば敵の流した噂かも……」

「というと?」

 クルエは身を乗り出した。

「既に生きているという話は広まっている。あれだけ大々的に探したのだ」

 クルエの表情に陰りが見えた。

「だからこそ、死んだという噂を流して静めるよりも、下流の人間となったという話を広げることでクルエへの畏敬を失わせる策かもしれない」

 ふうん、クルエは頷いた。

「こちらから打って出る?」

「どういうことだ?」

「つまり」

 クルエは茶をすすった。

「こちらも何か噂を流す」

 ワーズはちょっと驚いた。と同時に焦った。彼女はまだまだ未熟だ。積極的に動くつもりなら厄介だ。今は大人しく学んでいく時だ。

「例えば……遠い果ての地で祭り上げられ女王となった……」

 クルエはにっこりと笑った。

「……。悪くないが……」

「そう?」

「しかし……お前はまだ姫としての自覚をしてから日が浅い。自重することも必要……」

「ワーズ。それは分かってる。それは分かる。でも、時が経てば手遅れになる」

 クルエは真剣な目でワーズに訴えかける。

 彼女がこれほど真剣な目をしたのをワーズはお目にかかったことがなかった。

 彼は折れた。

「ああ……他の連中にも話してみる」

「頼んだわよ」

 クルエは微笑んだ。

「でも、外は寒いから気をつけて」

 この日は風が強く。肌寒い一日だった。


 そう日も経たない頃だった。

 ワーズが戻って来てクルエに報告した。

「既にサカヒが流していたよ。似たような噂を」

 クルエは笑った。

「本当に頼りになる」

「サカヒを中心に何人かで噂を広めたらしい。これがどう転ぶか見ものだな」

「一度私に関しての噂が広まっているのだから、それとは違う内容の噂なら余計広まりやすいと思うのだけど」

 ワーズは頷いた。 

 またしばらく日が経った。

 12月の3日のことである。

 サカヒらが流した噂の効果が見えてきた。

「姫様」

 サカヒがその日はクルエに会いに来ていた。

「街中ではハミ家の生き残りは北の方で女王となっているという噂で持ちきりでございます」

「そう、それはサカヒの狙い通りね」

 クルエは微笑んだ。

「ご苦労様。働きに報いることもままならない今の私を許して」

「滅相も無きことにございます!」

 サカヒは頭を下げた。

「姫様がいずれ立つ日も近うございます。その日までは姫様及び家臣一同皆皆耐え忍ぶののみなり!」

 クルエは笑った。

「耐えなきゃね」

 

 クルエはサカヒが下がった後、マソを呼んだ。

 マソは戸を開けて入ってきた。

 クルエは卓の椅子に座るよう促す。

 マソはこうしないと座らないのだ。

「はい、姫様」

 マソは顔を上げた。

「マソ。そろそろ私もここを発つかもしれない」

 マソは重い表情をしていた。

「姫様……」

「いざ、発つ時はお別れも言わず発つかもしれない」

 そして窓の方へ向かった。

 木窓を開けて外を見る。

「マソにはマソの人生がある。私には私の宿命がある」

 クルエはぱっと振り向いて微笑んだ。

「貴女には感謝しているわ」

 マソはやっとのことで言う。

「姫様……私は……姫様と……」

「マソ」

 クルエがこまった顔をする。

「貴女のお父上や商館の皆の為にも、残るべき」

「ですが……!」

「貴女が私の仲間になれば彼らに危害が及ぶのよ」

 クルエはそう言うと、窓の方を向いたきり、マソを見ようとしなかった。


 数日後、ワーズはクルエに向かって言った。

「そろそろここを出る」

 クルエはそれを聞いて目を細めてしばらく黙った。

「…………そう」

「行先は北だ」

「北でいいの?噂通りだけど」

 ワーズは頷いた。

「ああ、噂の通り北にせず、まったく別の方角に向かってそこを本拠地にするのも有りだ。だが、ここはあえて本拠地の方角の噂を流した」

「どうせ動けば居場所は見つかるしね。……ということはある程度人数は集まるの?」

 ワーズはちょっと驚いた。

「ああ、小規模なのは間違いないが、戦を起こせるくらいの人数はある」

「それに……噂を現実にすれば、さらに噂が効果的に働くわね。さらにあることないことついていってどんどん大きくなればこれ勿怪の幸いだけど」

 クルエはふうとため息をついた。

「ダガールの動静はどう?」

「お前を探そうとやっきになっている。もうここを出ないとここの商館の皆が危ない」

「いつ出る?」

「今すぐにでも」


 二人はこっそりと荷物をまとめ、部屋を出た。

 すると、部屋の外でマソが立っていた。

 クルエは彼女を見つめた。

 マソは泣いていた。

 マソは何か言おうとしているらしかった。だが、言葉を紡ぐことが出来ないようだった。

 クルエは茫然とした。

 彼女自身何て言えばいいのか分からなかった。

「先に外へ出てるぞ」

 ワーズはそう言うとマソを横切って廊下を歩いて行った。

 二人はじっとその場に立ったまま向かい合っていた。

 クルエは自分の運命を恨んだ。

 もし自分が普通の出自なら彼女と何の分け隔てもなく付き合えただろう。それが出来なかったのはひとえに自分が姫だからであった。

「姫様……ご達者で……」

 マソは絞り出すように言った。

「う……うん」

 クルエは大げさに頷いて見せた。

「いずれ……機会があったら……」

「その時は……姫様が真に当主とおなり遊ばす時にございましょう……!」

 マソは泣きながら笑った。

 クルエは思わず涙をこぼした。

「落ち着いたら……あなたの安全を約束出来るようになったら……」

「はい……!」

 マソはくしゃくしゃの顔で答えた。 

クルエは商館の裏口から出てきた。

「よし、行くぞ」

 ワーズはそっけなく言った。 

クルエは馬に飛び乗った。

 彼女は顔を掌で拭いた。

 ワーズはその様子を見ていた。

「ええ、行くわ」

 クルエはぱっと顔を上げた。

 二人の馬が歩きだした。

 馬は散々練習した。彼女には自信があった。

 街中を通り過ぎていく。

マソのことは親友だと思った。

だが、長く付き合えば付き合う程、自分と彼女の隔たりを感じずにはいられなかった。

マソのことが好きだった。

実直で、誠実で、あんな素晴らしい友に出会えてよかったのだ。

そうでなくては孤独で押しつぶされていたかもしれなかった。

たとえ隔たりがあろうとも、最近はああいう友情の形もあるのかもしれないと思うようになった。

それが分かっただけで良かったのだ。

クルエはぐすぐすと泣きだした。

 ワーズはクルエをぱっと見たが、すぐに視線を元に戻した。

 

 雪が激しくなってきた。

 クルエとワーズは馬を引きながら歩いた。

 この時期なら敵も追ってこまいと考えたのだが、逆にこっちが参ってしまいそうだった。

「ワーズ!やっぱり時期が悪かったんじゃ?」

 クルエが洞穴内で暖に当たりながらワーズに語気強く言った。

「元気があるじゃないか」

 ワーズは皮肉気に笑った。

「だが、北の方面には敵の予防線が張ってあることもあり得る。だからこそこんな時期に出かけた方がいいのだ」

「そは申せどもそちの見込み違いは明白なり!」

 クルエはどこか気分が高揚しているらしかった。

 少し心が参ってきたことの裏返しか?とワーズは疑いもした。

 クルエはくすっと笑って、顔を覆った。

 そして横になった。

「寝たら死ぬらしいぞ」

「死・・」

 ワーズはため息をついた。

 彼は自らの上着を彼女に被せた。

「…………私が死んだら……どうするの……」

「お前がここで死ぬとは思えない……」

 クルエはワーズを見る。

「お前はハミ家を必ず再興させるはず。俺は信じている」

「……」 


 

 12月の25日ごろ、ようやく目的地についた。

 二人は相当疲労していて、急いで部屋をあてがわれ、休まされた。

 山城の中はやけに暖かく、クルエは布団の中に潜り込んだ。

 

 二人が回復して、城にいた浪人達へと引きあわされたのは年明けて3337年の1月の3日のことであった。

 浪人達は大きな部屋に集まり、規則正しく立ち並んでいた。

 サカヒが口を開いた。

「姫様御登城なれば、礼を尽くしてお迎えもうす!皆皆、構えて!粗相のなきよう!」

 浪人達はおーっと声を上げた。

 待ちわびた人物がようやく出てくるのだ。

 浪人達が並び、その前方に彼らとは離れて左右に数人ずつ並んでいた。

 そのうちサカヒ、タダキは姫と会っている。

 ワーズも彼らとともに並んでいた。

「姫様のおなりです!」

 と一声掛った。

 場の空気が静まり返った。

 戸が開けられた。

出てきたのは一人の少女だった。だが、どこにでもいそうな感じとは言えず、どこか威圧感のようなものがあった。

 ただ、そのたち振る舞いは高貴の者とはとても言えなかった。練習はしていようが、どこか不慣れで緊張している様子だった。

 彼女は上座に据えられた粗末な木製の椅子に座った。

 場の全員が頭を下げ、一向に上げようとしなかった。

「顔を上げて」

 彼女の声が静まり返った部屋に響いた。

 彼らはゆっくりと窺うように頭を上げた。

 彼女は場の全員をゆっくりと見渡した。

「皆みっ……」

 彼女は口を開くも大きな咳をした。

 ワーズは顔をしかめる。

「さて……。あなた方には多大の苦労をかけました。この忠節にはいずれ報いたいと思います」

 彼女は大きく息を吸った。

「ダガールにより我がハミ家は風前の灯なれど、忠義の者達の不断の功により何とかこれまで参った。

 敵の容赦なき追跡の前によく当家をお守りくださった」

 彼女は目を閉じた。

「このご恩に報いんが為、このクルエ、お家再興に身命を以てこれに当たる所存、何とぞお力添えを承らんことを平に希い奉る」

 クルエはゆっくりと頭を下げた。

 皆が彼女に見入っていた。

 浪人達はおーっと声を荒げた。

「姫様万歳!姫様万歳!」

 皆が一斉になって叫んだ。

 ワーズもタダキもサカヒも例外ではなかった。

クルエ一人、戸惑った様子だった。


 ふうとクルエはため息をついた。

 部屋の中には彼女の他にワーズ、タダキ、サカヒの三人がいた。

「姫様、ひとまず、あれでよろしゅうございます」

 とサカヒ。

 この老人はいつもこんな感じでクルエに接する。

「姫様……!ちょっと構えすぎだったんじゃねえか?」

 タダキは笑う。

「まあ、上出来だと思うぞ。」

 とワーズ。

 クルエは同じ机に座る彼らを見回した。

「家臣の統率これまで御苦労だったわね」

 ふん、とワーズ。

「これからはお前のもとでより結束していくだろう」

「さて、ハミ家再興の為にすべきこととは?」

 クルエは三人を見渡す。

「恐れながら」

 サカヒが一礼する。

「しかるべき権勢と、所領と、そしてお世継ぎなど、やるべきことは多々ございます」

「まず、ダガールとは敵対すると家臣の前で言ったようなものだけど、あれでいいの?」

「よろしゅうございます」

「ダガールを敵に回し、勝算はありやなしや?」

 クルエはサカヒを睨みつける。

「それは姫様次第」

 クルエは次にワーズを睨みつける。

「このクルエ、ダガールに遺恨これあり」

「ああ」

「さて、どうする?」

「お恨みばかり先行なさっては冷静さをお欠きになるやもしれず、ここは我らの意見にもお耳をお傾けなさること心がけて頂きたい」

 サカヒが言う。

「分かった」

 クルエは頷いた。

 

 翌日、紛糾した。

 ワーズの責任を問う声が上がったのである。

 家臣一同会し、ワーズは目を閉じ批判を聞いていた。

「姫様が御無事であったからよかったものを……お前は姫様を粗略に扱いしこと甚だしい!」

 そう怒号を上げたのはフクサマ・アリという男であった。

 ワーズを睨みつけ、心の底から非難しているようだった。

「何とか答えぬか!」

「……」

「こんな雪の中強行軍を実施し、姫様がどうかなりにでもしたらどうするつもりだったのだ!」

 実は普段からワーズとフクサマは反りが合わず、仲は芳しくなかった。

 フクサマは顔を震わせながらワーズを睨みつけた。

 しかしワーズが何も答えないので、ふん、と鼻を鳴らしながらその場を後にした。

 部屋を出る途中で壁を蹴り飛ばしていった。

 他の面々もワーズに怒号を浴びせた。

「言い訳はしない……。姫様を危険に遭わせたのはこのワーズ……」

 ワーズはぽつりと言った。

 だが、それ以降何も言わない。

 とうとう、彼らは業を煮やして怒りながら彼のもとを去って行った。


「姫様」

 クルエは窓の外の雪を見ていたが、その声に振り向いた。

 呼んだのは侍女の一人のアーキであった。

 クルエとは母親ほどに年が離れていて、何かと世話焼きのようである。

「姫様、お加減はいかがでございましょう?」

「心配ないわ。もうだいぶ気分は良くなった」

 クルエは微笑んだ。

「そうでございますか。いえ、わたくし姫様がこの城に御登城の際、非常に心配いたしましたのですよ?これあ、今やここまで元気になられて……」

 アーキは涙ぐんだ。

「姫様は……もしやお亡くなり遊ばしたのかと……」

「はあ……」

 クルエは道中の苦労を偲んだ。

 吹雪の中進み、周りは何も見えず、風の音うるさく、ワーズを見失ったことは何度もあった。

 その度に彼の名を叫んだ。

 正直何度も死ぬと思った。

 結局、彼に担がれてこの城までやってきたのだ。

「さて、ワーズ様ですよ」

 アーキは心配そうに言った。

「家臣皆姫様にかかる苦労を与えたるワーズ様に大変ご立腹なのですよ。それで詰問に及ぶと……」

「詰問……!?」

 クルエは椅子から立ち上がった。

「ワーズはこの私の命の恩人……」

「しかしながらこの雪の中の行軍は無謀としか思えませぬ」

 クルエはため息をついた。

「でも……!」

 アーキはクルエをじっと見て言った。

「おわかりですか?姫様の命は姫様一人の者ではございませぬ。ハミ家の当主としての命にございますよ?」

 クルエはアーキを不満そうな目で見た。

「それは分かってる!」

 アーキは少したじろいだ。

「……とにかく、ワーズを呼んで!」


 コレニヤン・ワーズは粛々とした様子でクルエの部屋に通された。

「お呼びでしょうか」

「今は腹を割って話がしたい」

 クルエはじっと彼を見つめた。

「……分かった……」

 ワーズは頷く。

「あなたの忠節は真のものである、と私は思う」

 クルエは言う。

 ワーズは黙っている。

「仲間にはちゃんと理由を話した?どうして雪の中を進まなければならなかったのかを」

「……」

「予防線を各地に敵が張ってある以上、雪山を通ることが得策と考えたから……でしょ」

「ああ……」

「それを説明すれば皆納得せざるを得ないと思うけれど……」

 ワーズはクルエを見つめた。

「言い訳はしなかった」

「うん、そうよ。下手なことは……」

 クルエは信じられないといった表情を浮かべた。

「何も?」

「何も……。姫様を危険に遭わせたのは事実……」

 クルエは頭を抱えた。

「もしお望みなら、このワーズ死ねと言われれば死ぬ所存」

「冗談よして」

 クルエはひらひらと掌を振った。

 ワーズは部屋を出て行った。

 確かにワーズには融通が利かぬ所があるとは思っていたが、これは自分の教育の為、仕方なく厳しくしているのだと思っていた。

 だが、どうやら違っていたようだ。

 クルエは頭を抱えた。


「姫様!」

 サカヒが飛び込んできた。

「何?」

「ワーズの奴め、姫様にいらぬお悩みを抱えさせる段、一体何をしておるのだ!」

 老人は顔を真っ赤にして激怒していた。

「待って」

 サカヒはクルエの近くへ走り寄った。

「ワーズめにはこのサカヒがよく言い聞かせますので……!」

「ええ……、よく言い聞かせて・・」

「全く忠誠心は人一倍じゃが、あやつは……」

 サカヒはため息をついた。

 クルエもため息をついた。


 さてクルエだが、やるべきことは多かった。

 家臣の掌握は今のところ問題無きというところ。

 これまでクルエがいない間、家臣をまとめていたのがサカヒであった。

 これをクルエに権力移譲するのか、それともサカヒは今まで通り仕切り、クルエは補佐役としてサカヒを任じるか、またはクルエが全くの傀儡となるか。

 クルエとサカヒ、ワーズの考えではクルエの補佐役としてサカヒを任じるというもの。

 これは存外上手くいった。

 次に行うべきは軍規の制定であった。

 一応、あるにはあったのだが、クルエのことを前提に置いての改正が行われた。

 その際、ひと悶着あった。

 異を唱えたのが、フクサマであった。

「待て!この改正はワーズが己の権勢を高めんとせんが為なり!その証拠にその方らで既に草案は出来ておるではないか!」

「そうだ!そうだ!」

 他の家臣達からも上がる。

「これは我ら皆で、建策すべきものなり!」

 フクサマは上座の椅子に座っているクルエを懇願するように見た。

「ええ、皆で考えましょう……」

 クルエはふうとため息をついた。

「これから、大事を決める際は、家臣同士の話し合いで決めるのが肝要と心得る。故に皆忌憚なく意見を述べられよ」

 クルエは正直しんどいと思った。

 だが、ある意味分かりやすくていいかも、とも思った。


 だいたい、これらが済んだのは春先になった頃だった。

 春ともなれば雪は溶け、暖かい日和である。

 この城に住む面々は普段は山を降りて作物を耕していた。

 その為、クルエが山の上から望むと、下の方で畑仕事をしているのが見える。

「さて、ワーズ」

「はっ」

「蓄えは皆の自給自足?」

「いえ、足りぬ場合は街まで行って手に入れてきます」

 クルエはワーズの方を向いた。

「お金は?」

「皆が持ち寄ったものや……」

「何?もったいぶらないで……」

「サカヒ殿の……蓄えし金銀なり」

 ワーズは小声で言った。

 クルエは驚いた。

「姫様が為、サカヒ殿が蓄えておいでだったものだ」

「へえ~」

 クルエは後ろを振り向くとサカヒがやってきた。

「姫様」

「ん?」

「戦をなさるならば、資金が必要でございます」

 サカヒは突然こう言った。

「え?戦をするの!?」

 クルエは思わず大きな声を上げた。

 サカヒは小声で話す。

「姫様がハミ家再興を願うならば、戦もやむを得ぬ場合もございます」

「はあ……」

 クルエは立ちくらみがした。

「実はその件でございます」

「う……うん」

「然るべき商人と手を結ぶのがよろしいかと心得まする」

「そうね。でも、探しても見つかるの?そんな商人」

「まずは、名をおあげ下さりませんと、金を貸す商人はとても現れませぬ」

「うん、つまり、何か武勇を示せと」

「そうでござりまする」

「それは……もう……後で……」

 クルエはサカヒに弱弱しく言った。

「戦をするとは言っても相手は?」

「はて、誰でもようござりまするな」

 サカヒはすっとぼけたように言った。

「誰でも……?」

 クルエは彼をいぶかしんだ。

「ええ……誰を敵と致すかは姫様の御存念次第」

「サカヒ殿!」

 ワーズが苦々しい顔で言った。

「我らが敵はダガールなり!こは不倶戴天の敵なるぞ!」

「そうじゃな」

 サカヒは頷いた。

「ダガールを仇し、倒すことを優先するか、お家再興を優先するかは姫様がお決めくださりませ・・」

 クルエは後ずさりした。

「何を言ってるの……?ハミ家の為ならダガールに降れと?」

 サカヒはにっこりと笑った。

「降った後に身の振り方を考えるもよし。裏切るも自由にございまする」

「ははは……」

 クルエは笑った。

「今、ダガールはキュエトと交戦中と聞くわね……」

「左様でございますな」

「しかし!」

 クルエは口調強く言った。

「そは今思案すべきことにあらず!とにかく今はいかにして、ダガールに対抗していくか!家臣もまとまっていない状況で、裏切りも何もない!」

 そう言うとクルエは足をどんどんと踏みながら去って行った。

 ワーズはサカヒをちらっと見た。


 クルエは一人、夜風に当たっていた。

 まだ少し肌寒い。

 夜空を見上げる。

 曇っていた為星は見えなかった。

 ふうとため息をついた。

「ねえ……やっぱりおばあちゃんもダガールと戦って欲しかったの?」

 クルエはしばらく佇んだ。


 数日後、クルエは上座に座ると家臣を見渡した。

 そしてしばらく沈黙した後言った。

「このクルエ、ダガールを敵と致すものなり」

おおーっと声が上がった。

「よくぞ申された!」

 家臣の一人、カワデ・チリが言った。

 彼はフクサマと仲良いようで、フクサマは眼光鋭く、狂犬のようだが、彼は髭を蓄えた凛々しい男だった。

「姫様に置かれましては!まさに我らが悲願と心得るものなり!」

 フクサマも嬉しそうに言った。

「まさに御憧憬の至り!」

 タダキが笑った。

 ワーズの方を見ると彼はうんうんと頷いていた。

 サカヒは目をじっと閉じていた。

「では、そち達に問う。ダガールと敵対致し、勝つ術やいかに」

 クルエは彼らを見回した。

 彼女はぎろりとしていたという方が近い。

「恐れながら」

 カワデが口を開いた。

「同盟を結び、味方を増やすがよろしいかと」

「それは当然のことである。では、カワデ。誰が良いか。思う所を申せ」

 クルエは目を細めて彼を見つめた。

「は、それならば、オイロンというものがおります」

「オイロン?」

「はっ。オイロンとは西方の部族長でして、このカワデとも親しく……」

「恐れながら!」

 サカヒが割って入った。

「オイロンという男、ダガールの武官とも御昵懇なれば、味方に引き入れるは難しきかと心得まする」

 カワデがサカヒを睨みつけた。

「どうしても無理なの?」

 クルエはサカヒを見る。

「は、信用おけぬものでございます」

 クルエは椅子の肘かけに寄りかかった。

「はて、戦における強さとは何ぞや」

 彼女の放った質問に場は騒然となり、がやがやし始めた。

「恐れながら!」

 タダキが大きな声で言った。

「タダキ!申してみよ!」

「戦の強さとは、これすなわち兵の強さなり!一兵卒に至るまで、鍛えに鍛え、百戦錬磨の兵とならば、まさに負けるのが不思議でございます!」

 クルエは微笑んだ。

「うん、他には?」

「恐れながら!」

 サカヒであった。

「戦の強さというものは、兵の強さで決まるのみにあらず。謀略を以て、戦うものなり。故に相手を欺くことが出来る者もこれまた強し」

「うん、他には」

「他と申しますと……」

 サカヒは答えに詰まった。

「このフクサマ申しとうございます!」

 フクサマが力強く言った。

「うん」

「戦とはおおよそ、駆け引きにございます。兵の強さ、謀略、これも大事なれど、戦場では思いもよらぬこと起こること多々あり。その時、いかに対応せしめるかも重要。ならば敵との駆け引きをいかに上手く演じて見せるかが強さの秘訣なり」

 クルエはうんうんと頷いた。

「この私に思いも寄らぬことを皆よく教えてくれた」

「まだございます!」

 すると突然ワーズが口を開いた。

 皆の視線が彼に集まる。

「怨敵ダガールの強さこれ、商売、交易、貨幣、全て握っていることに他ならず。商人の町、港町ことごとくダガールの手中に落ちているものなり。故に大軍を動かせしめ兵糧を無尽蔵に送ること可能なり。これこそ強さの秘訣なり」

「はっはっはっはっ……」

 フクサマが高笑いをする。

「何を申すかと思えば、戯けたことを!」

 クルエは考え込んでいた。

「ワーズ」

 ワーズは頭を下げる。

「サカヒの話を聞いていたので分かった」

 クルエはワーズに笑いかけた。

「彼の申す事少しも間違いにあらず。むしろその慧眼を称えたい。おおよそ戦には資金が必要である。ならば資金をいかにして得るかを考えるのも大事なり」

「仰せの赴き、ごもっともにござりまするな」

 サカヒが言った。

「さて、彼らの申す事、全て戦に勝つために大事なものであるとこのクルエ心得る!」

 クルエは立ちあがりながら意気揚々と言った。


 

 3337年6月17日のことである。

 クルエの放った矢が的に命中した。

「お見事!」

 近くを通りかかったフクサマが声を上げる。

 クルエは微笑んだ。

「あはは、ありがと!」

「勿体なきお言葉!」

 お付きの兵に弓を預けるとフクサマの方に歩み寄った。

「何か?」

 フクサマはいぶかしんだ。

「私の見るところ……、ワーズと仲が良くないみたい……」

 クルエは彼をじっと見つめた。

「悪いのはあ奴です!」

 フクサマは声を荒げた。

「仲良く出来ないの?」

 クルエは頼み込むように言った。

「向こうから言ってこなければどだい無理な話でございます!

 あの……したり顔が!

 あの態度が!

 腹にすえかねてならぬのです!」

 フクサマは怒りを身体全体で表現するように身ぶり手ぶりをした。

「そう……」

 クルエは苦笑いした。

「全く……ワーズは融通が利かないから……」

「融通が利かぬだけではありませぬ!」

 フクサマは首を振る。

「私もね……ワーズのことを何度も憎く思った」

 クルエは笑いながら歩きだす。

「いつか見返してやるぞって何度も思った。

 本当に憎らしいのよ彼」

「はあ……」

「私が一年余りとある商館で修業したのは知ってるわね?その時のワーズのしごきよう。

 時々夢に……見る」

「左様でございますか……」

 フクサマは呆気に取られた様子でクルエを見た。

「という訳で!」

 クルエはフクサマの方を向く。

「ワーズにも問題あり!」

 そして彼女は笑いだした。

 フクサマは唖然とした様子で引きつった笑いをした。


「ワーズ……」

 クルエはワーズを呼びだした。

「どうして私がこんなことにまで気を遣わなければならないの?」

「ならば、ほっといて結構」

 ワーズはそっけなく言う。

「ほっとく訳にはいかない」

 クルエはワーズを見つめた。

「家臣の揉め事はいずれ大きな亀裂となり、崩壊に向かうかもしれない」

「そうは思いませぬ」

 ワーズも返す。

「憎まれ役が必要なのです」

「はあ……憎まれ役……?」

「俺が嫌われているのは自分でも分かる。だが、別に何とも思わない。俺は当然のことをしているまで……。正しきことをしているなら、非難される謂われはない。

 俺は正しいことをして嫌われるならそれで結構と思う。それでハミ家の為に尽くせるのならこれに勝る誉れなし」

「はあ……」

 クルエは返す言葉が無い。

「俺は家臣皆の結束の為に嫌われ者が必要というなら、俺は喜んで嫌われ者になろう」

「…………」

 クルエはお茶をすする。


 この翌日、クルエは家臣を集めた。

 彼女は大きく息をした。

「ハミ家再興の為、まずなすべきは何か?そち達に思う所あれば忌憚なく述べよ」

「は、このサカヒに考えあり」

 老人は言った。

「サカヒ、申してみよ」

「ハミ家に足りぬもの、それは一族が姫様一人であることと心得申す。故に一族を増やすが肝要」

「一族を増やす……?」

 クルエはよく分からないといった風に言った。

「一族を増やすこれは、姫様のお子を、おつくり遊ばすことに他なりませぬ。つまり、豪族の子息などと、めおとにおなり遊ばすか、もしくは養子をお取りになるということでございます」

「結婚……」

 クルエは弱弱しく不安そうに呟いた。

「そうでございます。ハミ家再興と、姫様の勢力拡大は同じにして、同じにあらず。一代で帝国を気付き上げし者も後継の問題で滅ぶことこれ歴史の証明する所なり」

「サカヒ殿の申す事至極最も」

 ワーズが言う。

 クルエは家臣を見渡す。

「他には……?」

「ダガールを打ち破ることにございます!」

 タダキが威勢よく言った。

「タダキ殿の言う通り!」

 フクサマが笑いだす。

「そは申せども、ダガールは手ごわき敵……。如何にして倒す?」

 カワデが声を上げる。

「そんなもの後よ!」

 フクサマは強く言う。

「さて、ダガールを倒すには何を為すべきか?」

 クルエは家臣に問うた。

 彼らはしばらく押し黙った。

「やはり……味方をお増やしになるべきでございます」

 サカヒが一人口を開く。

「しかし、味方となる者がいようか?」

 クルエは尋ねる。

「只今、ダガーレン・トクワが娘の一人、ダガーレン・アンミが小部族を掃討せんが為に兵を動かしており申す。そこで、その小部族を味方にお付けになるという方法もございます」

「うん」

 クルエは頷いた。

「まともにダガールに挑んでも負けは必至、ならば力をつけなければ」

「さて、姫様、我々の考えております所といいますのは」

「ん?何」

 クルエはサカヒに尋ねた。

「小部族を味方につけるにも名が必要なり」

「はあ……」

「つまり、一度姫様の名を轟かせる必要があるやもしれませぬ」

「そは申せども、小部族も助けは欲しいはず」

「いえ、そうとは限りませぬ」

 サカヒが首を振った。

「小部族これ一枚岩にあらず」

「え?」

「小部族はいくつもございます。姫様にはより多くの小部族を味方にお付けになる必要があると心得まする。さすれば、その前に何かしら事を起こさねば」

「えーと、ハミ家の忘れ形見ってだけじゃ駄目なの?」

「小部族とハミ家は縁これまでなく、彼らはオーエン国とも関わりを持たなかった部族でございます。どうしてハミ家の名が役立ちましょうや?」

「うん……そうね」

 クルエは考え込む。

「では、何をすべき?」

「ダガール軍を一度撃滅すべし」

「えっ」

「とにかく、ダガール軍を打ち破る必要がござります」

「サカヒ」

 クルエは彼を見つめる。

「このことは一度、家臣皆で考えるべきこと」

「そうでござりまするな」

 サカヒはにやにや笑った。

「その通りでございます!サカヒ殿、ダガールを打ち破るは至難の業なるぞ!何か考えが御有りなのかな?」

 カワデがサカヒを見ながら言う。

「いや……そう言われると……」

 サカヒは困ったような声で答える。

「姫様……ダガールと戦うお気持ちがおありなら、この老体の心も汲みとってくださいませ」

「んーっ」

 クルエは椅子に寄りかかり天井を見上げる。

「皆はどう思う?」

「サカヒ殿に賛同つかまつるわ!」

 フクサマが威勢よく立ちあがった。

「我ら、もう辛抱出来ぬ!早くダガールを撃つ機会をと、諸将皆皆いきり立っておりまする!」

「その通りじゃ!」

 タダキが笑いながら言う。

 一同皆声を上げて笑いだす。

 サカヒがにやにやと笑っているのをクルエは見ていた。

「サカヒ……皆、あなたの意見に賛成しているみたいよ?」

「は、勿体なき誉にございまする」

 サカヒは頭を下げた。

 クルエは腕組みをする。

「で、ダガールを打ち破るとは如何に?」

 彼女がそう言うと、家臣一同黙りこんでしまった。

「策はないの?」

 誰も答えない。

「はっ、ここはひとまずダガール軍の動向を探る他ございませぬ」

 とサカヒが口を開いた。

「機会を……待つ……」

「はっ」

 サカヒが頭を下げる。

「いずれ……お立ちになるべき日がございましょう」

「その時まで、待つと」

「左様にございます」 

 

 クルエは山城に墓を立てさせていた。

 彼女が住んでいたキロ村の人々の墓であった。

 たびたびクルエは墓を訪れた。

 大きな石を並べただけの簡素なもので、彼らの骸すら回収出来ていないし、それどころか死んだことすら確認していない。

 それぞれの墓を回るとしばらく、墓場の近くにある石の上に座り込みじっとそれらを見つめるのだ。

(おばあちゃんに、ケスカに、キリに、マブに、皆に……)

 殺したのはダガールなのだと、そして……自分なのだと……クルエは心が引き裂かれるような思いに駆られる度、死にたくなった。

 クルエは墓場の奥にある巨石を見つめた。

 クルエの父や母や、兄や弟、その他彼女の一族を祀ったもので、常に花が供えられていた。

 彼女は立ちあがった。

 自分は何をすべきなのか、今何をしなければならないのか。

 クルエは自分の意思以上の力を持つ運命の波をひしひしと感じていた。

これは運命なのだ。

 ハミ家を復興させること。

 ダガールに復讐をすること。

 クルエ自身そういう考えは持っていない訳ではなかった。

 今でもどうしようもなく怒りに駆られることが度々ある。

 しかしそれ以上に、抗いようのない力によって自分の為すべきことが決定づけられているかのようだった。


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