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ハミ太平記  作者: おしどりカラス
第一章
39/73

英雄の次

 ダガールの上級武将は捕えられるか、自害した。官僚も同じであった。

 しかし、対マサエド強硬派はレイン川で悉く討ち死にしており、残りはダガーロワ城防衛が第一の目標であったに過ぎない者達であるといえた。

 しかしその中でも、オンダに付き従った将軍ワンズ・イルは家族共々命を絶ったし、参謀の位置にいたエイ・ルウは捕えられ、斬首されている。

 一般兵の場合はマサエド軍に組み込まれるか、鎧や剣を捨て民草に戻るよう命が下ったのだが、地位の高い将は、自ら死を選ぶか、処刑か、俗世を捨て信仰の道に生きるか、有用だとされた者はマサエド軍に鞍替えを行うこととなったのであった。


 記暦3340年12月、ダガーレン・トクワ、オンダ、ヴァイレンの葬儀は、粛々と行われ、墓はある程度の敬意を以て建てられた。

 ヤイルの墓も側にあり、むしろヤイルの墓の側に建てられたといってよかった。

 これはハミ・クルエの慈悲であったと皆は見た。

 事実、その通りであったのだが、民衆の墓参りを禁じ、墓のある寺の僧に管理を任せた為に、ハミ家を慮った僧によって朽ちるに任せることとなったのは、皮肉であったろう。



 ネジン・ライリーがクルエに呼ばれたのは、12月もなかば、14日のことである。

 病がちなのは変わらずだが、その日は調子がよかったという。

 ダガールの代表的文官で、トクワの信任厚きその有能さはつとに知られていた。

 トクワの武と、ネジンの文、この二つが合わさりあって、ダガールは強大になったとまで言われている。

 ヴァイレンの死後、マサエド軍のダガーロワ占領後、軟禁を解かれていた。

「麗しきご尊顔を排し、恐悦至極……」

 ネジンは恭しく一礼した。

「うむ、そなたも体調が良さそうだ」

 クルエは微笑んだ。

「恐れながら」

 ネジンは困惑気味に言った。

「何故、わたくしめをお呼びになったのです。この老体、もはや何の役にも立ちますまいに」

 クルエは微笑を崩さす目を細めた。

「お主は、ヴァイレンによって、最近まで不当な扱いを受けていたと聞く」

「は、左様で。しかしながら殿下の立場になってみれば、王位を望むというごく当たり前の野望を果たすため、僅かながら乱暴になっていただけでござりましょう。あれで素直な方でした」

 ネジンは遠くを見るような目をした。

「お主の様な者は、然るべき地位にいて、然るべき待遇を受けるべきだ。私ならそれを果たせると思うが、いかに」

 クルエは身を乗り出した。

 横には、コレニヤン・ワーズが品定めをするような目で立っている。

「お言葉ながら、領主様、わたくしは病がちで、もはや満足にお役に立てますまい。この老体をどうか労わって頂きたく……」

 ネジンは恭しく頭を下げた。

「そうか……」

 クルエは呟いた。

 ネジンは頭を上げた。

「なにぶん、立っているのも辛うございますもので……」

「椅子を用意してやれ」

「はっ」

 ワーズは椅子を持ってくるよう兵に命じた。

 椅子にゆっくりと座ったネジンは、ふうと息をついていた。

「済まぬな。だがまだ訊きたい事があるのだ」

 クルエは言った。

「は、何でございましょう?」

 戸惑った様子だった。

「お主は、私がハミ・クルエだと知っていよう?」

「無論でございます。貴女様が我らダガールの滅ぼした一族の忘れ形見だということは、皆が知っておりました」

「何故、滅ぼした?」

 クルエの声には刺々しさがなく、何となく訊いたといった感じだった。それが逆に恐ろしくその場の者には思われた。

「は、正直なことを申し上げますと、我々はダガールを磐石にする為に、オーエン王国の残滓を全て消す必要があると、考えました。ですから、オーエンの血を持つ者は悉く殺すこととなったのです」

 ネジンは言った。

「それで、ハミ家もその対象であったので、一族は皆処刑したのです」

「ハミ家が降伏を願い出ていたとしても、同じであったと?」

「その通りでございます」

 クルエの表情にどす黒いものが表れつつあることをワーズは悟った。

 だがそれは、まだクルエの顔の表面には達していない。

「そしてそれは、皆の総意でございました」

 ネジンは俯いた。

 この老人は、トクワ一人に責任を押し付けまいとしているのだ。

 そして、クルエから死を賜ることも覚悟の上なのだ。

 ワーズは口を挟まぬことにした。

「トクワ陛下の覇気は、戦場で合間見えた領主様ならお分かりでしょう。その覇気がオーエンの血を絶やすという方向に走ったのです。結果それが間違っていたかどうか分かりませぬ。もし領主様の一族が健在なら、領主様の覇気も大きな味方を得ていたのではありませんか?」

 ネジンはクルエを見据えて言った。

「それは違う」

 クルエは目線を逸らし答えた。

「私が領主の娘として、普通に育っていれば、私は普通の領主の娘として、平凡な生き方をしたであろう。

 今のハミ・クルエを生み出したのは、そなた達だ」

 ネジンは苦い笑みを浮かべた。

「ネジン殿、トクワという王をどう思う?」

「英雄的資質の持ち主でございました。覇気も野心も備わっており、人々を惹きつける風格がありました。しかし、ここ最近その覇気が衰え始めたのは、わたくしも感じておりました。しかしかような結果を招くとは……」

 クルエは神妙に聞いていた。

「ですが、陛下も精一杯生きたのです。無念も後悔もありましたでしょう。しかしわたくしはあの方の人生は朗らかであったと思うのです」

「どういうこと?」

 クルエは思わず首を傾げた。

「英雄としては、悪くない死に方だと思いまする。むしろあの方らしい剛の死に方だと。

名も無い庶民だったのが、武勲を立て、数百年続いた王朝を滅ぼし、王になり、英雄と称えられ、最期には刺客を何人も討ち取った。あの方は、後世においても輝き続けるでしょう」

 ネジンは朗らかな笑顔になった。

「わたくしが残酷だとお思いでしょう。確かに悲しうございます。しかし考え方を返れば、そういう見方もあるということです。

 後世の人間はむしろ、わたくしこそ惨めな晩年であったと考えるでしょう。王の下を去らざるを得ず、そのご子息には軟禁され、仕えた国が滅ぶのを見ているしかなかった……」

 悲しみを堪える様な声であった。

「領主様、お分かり頂けるなら、どうかこの老体の心を、これ以上傷つけない道をお選びください……」

 ネジンは頭を下げた。

 クルエは頷いた。

「分かった。済まぬことをした」

 ネジンは元気なく微笑んだ。

「さて、そろそろネジン殿もお帰りだ。お見送りを致せ」

 クルエはワーズの方を向いて言った。


 ネジンとの対談を終え、クルエは物思いに耽っている様子だった。

 もしかしたら、自分にとって最大の仇の内の一人であるネジンをそのまま帰したのだ。

 彼こそが、元凶であったかもしれないのだ。 

 今となっては、もう分からないかもしれない。

 当のネジンも覚えていないのかもしれない。

「ワーズ、今はあくまで、これまでの一連の戦いで対立した者達をどう処するかであって、過去の事で罰するつもりはないの」

 クルエは呟くように言った。

「もはや誰が関わっていたかなんて、詮無いことよ。もうきっとあの老人にも分からないのよ」

 ワーズは頷いた。

 自分に言い聞かせているように聞こえた。

 

 

 記暦3341年1月1日、領主や豪族が集まり、クルエに新年の挨拶を述べた。

 ほんの一年前は同じ広間でダガーレン・トクワが挨拶を聞いていたのだ。

 クルエと謁見した者の誰もが、在りし日のトクワを思い起こさずにはいられなかった。

 目の前の娘は、まだ若い。

 マサエド領主だというが、女である。しかも未婚だ。

 こんな若い娘一人の出現で、ダガールは滅んだのか。

 あの娘がダガールを滅ぼしたのか。

 いや、むしろあのような娘だからこそ、神がかりが起きたのではなかろうか。

 自分達は、あの娘だからこそ、付き従ったのだ。

「だが、それはあくまで戦場でのことだ」

 豪族の一人、ラムダ・タイは豪語した。

「私はあの娘に忠誠を誓うのは気が進まん。たかだか領主ではないか。しかもあの若さで女だ。不安だらけではないか。本当にあれに旧オーエン領の行く末を委ねてよいものか?」

 豪族達は頷いた。

「例え女王になろうと、私は信頼せんぞ。トクワですら倒れた。あの娘もいずれ取って代わられるだろう。注視しておいた方が良いぞ」


 謁見はシュトラの番になった。

「領主様におかれましては、ますます意気軒昂なこと、この上なく……」

「そなたも変わりははないようだな」

 皆が注目した。

 ハミ・クルエと婚姻を結ぶならあの男である。あの男こそが、次の覇者ではないか。

「そなたのこれまでの働きがなくば、今日はない」

「有難きお言葉」

 謁見そのものは、当たり障り無く終了した。


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