母子
ダガーロワでマサエド軍がまず行ったのは、ダガーレン家の子女の確保であった。
トクワの長男ヤイルは男色の気があったとされ、(ロア・ギビーがヤイルを殺害に及んだのも、痴情のもつれからであったと不名誉な噂もあるのだが)子供はいなかった。
オンダも性関係は淡白で、子供はいないとされる。
ヴァイレンの場合は、公式には子供はいないとされた。だが、隠し子と思しき男子が発見された。
クルエの元に母と共に彼は連れてこられた。
ダガーロワ城の広間に通され、玉座に座るクルエと謁見するのだ。
当初、クルエはあまり気分の良いものではなかった。
――「ここが……」
クルエは見回す。
杖をつき、フレーに支えられている。
豪奢な彫刻が部屋中に彫られ、床も綺麗に磨かれておりその上に立つ者の姿を反射している。
そして奥には金銀で彩られた見事な玉座が鎮座していた。
クルエは息を飲んだ。
マサエドのとはえらい違いである。あれはまだ質素で慎ましやかであった。
(マサエドの方が好みかな)
「成り上がり者らしい趣味ですな」
兵の一人が呟いた。
いや、自分が思ったのはそういうことではない。と思った。
あの玉座もあれはあれで、見事な芸術的であろう。おそらくはダガールの芸術の粋を集めた志向の一品なのだ。
だが、自分なら落ち着かないだろう。
「姫様にはしばらくあそこにお座りになって頂きます」
ワーズが言った。
「政治的にも、姫様があの玉座に座る意味は大きいのです。ダガールを征したという事を示し、そのうえ引見する時諸将達にも特別な印象を与えるでしょう」
クルエは眉を顰めた。そして口を緩める。
「やはり、領主留まりにはさせてくれないのね」
「わたくしがするのではありませぬ。これは天命なのです」―
まだ幼児であり、不安そうに彼の母親に抱きついていた。
母親はヴァイレンの侍女であった者で、子が出来るとひっそりと匿われていたという。
母親は子をしっかりと抱き寄せ、あらん限りの憎しみの目をクルエに向けていた。
クルエはたじろいだ
「そなたが、ヴァイレンとの間に子を産んだというのは事実か?」
ワーズが尋ねる。
母親は黙ったままクルエを睨みつける。
「答えぬか!」
「領主様と直答をお許し頂きとう存じます」
ワーズはクルエを見る。
クルエは頷いた。
「許す!」
母親は一礼した。
「では申し上げます。領主様は何故あって、我らを呼ばれたのです?」
「父のように」
クルエは目を瞑りながら言った。
問いには答えなかった。
「その子供も同じ運命を辿るかもしれん。それは分かっていような?」
「分かっております!」
子供が大声で泣き出した。
異様な雰囲気が怖くて仕方がなかったのであろう。
母親は必死でなだめた。
「殺すならわたくしをどうか。この子に罪はありませぬ」
「罪はないが」
ワーズは割って入った。
「いずれ乱を起こすやもしれぬ。災いの芽を断つ権利と義務が我々にはある」
母親がワーズを睨みつけた。
「武門とは何と罪深いものでありましょう。こんな幼子を殺すのすら正当化するのですか」
「ダガールが何故滅んだかお分かりか。ここにおわす姫様自体が、トクワの殺し損ねた幼子であられた」
二人は睨みあった。
母の子を守ろうとする強さは尊い。だがそれに負ける訳にはいかぬ。
「もし最初から殺す気であるなら、捕らえ次第殺させていた」クルエの声が響いた。
まだ一人で歩けもせず、痛みもあろうに、それを感じさせない。
クルエは母親に向かって言った。
母親は懐疑的な表情を浮かべる。
だが、さっきの言葉は嘘だ。
最初から殺す気であっても、捕えてすぐという訳でもなかろう。捕えた上で公開処刑という道もあるのだから。
ただ、母親を安心させようとしたのだろう。
「いけませぬ姫様」
また割って入った者がいた。
諸将達が注目する。
ハミ家臣団は怨嗟の目を向けた。
サカヒ・ダイであった。
「情けは無用です。ダガールの男子は根絶やしにせねば」
クルエは困った顔をした。
考え込んでる。
「その通り、男子は根絶やしにせねば、捲土重来を図られるかもしれぬ。だが問題がある」
サカヒは眉を顰める。
「何が問題なのでございましょう?」
「本当にこれはこのクルエの迂闊としか言いよう無いが、この間まで連れてきて謁見までさせたのだから、ただでは殺せまい。こういう形で会った人間を、処刑などということをすれば、しかも、この子供、ダガーレン・ヴァイレンの子供だという確たる証拠がない。そんな者を恐れていたとあっては、器量が問われるとは思わんか?」
サカヒはあっけに取られた様子だった。
「そのようなことをお気になさるとは」
殺し方などいくらでもある。処刑などせずともこっそり毒を盛るなど。
そして病死したことにするのだ。そうすれば疑惑を生むこともあろうが証拠さえ残さなければ誰も断言出来ない。
そもそも本物か偽者か、どうだっていいのだ。
災いの芽は断つ。
それが、今必要なことであるはずだ。
「謁見した者共をお許しになるも命を奪うも姫様の器量です。ハミ家預かりとしては?」
とサカヒ。
ここでは、助命したうえでハミ家の預かることとし、後にこっそり殺そうなどとは決して言えない。
さすがにサカヒの悪辣にも限度があった。病死や事故死に見せかけて殺されることを伝えておきながら、助命した振りに付き合えなどと言う事は出来なかった。
「では助命してもよいな……」
クルエは深刻そうな口調で言う。
二人の会話を聞いていた母親がほっとした様に息をつく。
「だが」
場の空気が変わった。
皆ぴりぴりとしたものを感じる。
「二人は寺院へやろう。俗世を離れて暮らさせる。ハミ家預かりという訳にはいかん。そもそも隠し子かどうかすら怪しいものだ。公に実子とされているならまだしも、そんな者を引き取れん」
母親は深々と一礼した。
「そういうことになった。お主達は、一緒の寺に入るがいい。ハミ家預かりより気が楽だろう」
「ありがとうございまする……」
母親は震えていた。
ワーズはサカヒを見た。
すると老人は、苦笑いした。
「姫様にしてやられましたな」
ワーズは言った。
寺にやられては殺しにくい。
それに、謁見の間に呼んだ時から、姫様の全ての策は始まっていたのだ。
ワーズも勘付いていない訳でもなかったし、邪魔しようとは思わなかった。
「あそこまでされては、あの母子も姫様に復讐心どころか感謝すらするじゃろう」
そうかもしれぬが、そうではないかもしれぬ。
だが、慈悲をかけられた手前、反旗も翻しづらかろうことは確かだ。
「姫様」
ワーズは言う。
「この二人を寺院に送る際、共をつけては如何でしょう?」
クルエは彼を向いた。
「宗教というのも御しにくいものです。世話人と銘打って監視と牽制役を送り込めば、あの親子と寺院双方の動きを抑えることが出来るでしょう」
「うん」
クルエは執務室で蝋燭の火を頼りに、接収した書類を見ていた。
「で、どこに送ろうか?」
「お考えではなかったのですか?」
彼女は笑う。
「私は、やっぱり甘い?」
「甘すぎまするな」
断言した。
「ですが、その甘さは無軌道な甘さではございませぬ。節度ある甘さでございます」
「なんだか、おいしそうじゃない」
「いえ、無責任な甘さではないと言いたいのでございます」
クルエは息をついた。
「……私は、あの子の父親を殺した。あの子にとっては仇だ」
それが分かっていながら生かしたのか。
「そこでですが、あの母子を送る先というのは『パソウ院』がよろしいでしょう」
クルエは頷いた。
オーエン旧領において信仰されているのは、キト教と呼ばれるもので、土着性が強い宗教でもあった。
多神教であり、オーエンにおいては絶大な影響力を持つ。
だが、オーエン王国末期の混乱や、ダガールの勃興などにより、著しく減退した。
そのキト教の、最大の流派の寺院がパソウ院なのである。
古くから、政治にも介入してくる一派であり、ダガールによって激しい弾圧を受ける結果を招いた。
そこにハミが救いの手を差し伸べれば、掌握も可能であろう。
母子はハミの手の者数十と共に、パソウ院に入れられた。
公式記録では、この子供はダガールの血筋とは認められてなどいない。
名目上は「ハミとパソウ院のよしみを深める為」実態上は「明らかな政治介入」であった。
その一団の中に母子がいるに過ぎない。
ダガーロワ陥落の際城から発見された莫大な金銀や財宝などは分配され、当面恩賞の代わりとされた。
マサエド軍諸将には改めて、功に報いられるだけの恩賞を与えることになっている。
クルエは諸将達を改めて引見した。
初めて引見する将も大勢いた。
実質、旧オーエンの全ての領主、豪族が彼女に平伏した事になる。だが、クルエはあくまで領主以上の地位にはない。




