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ハミ太平記  作者: おしどりカラス
第一章
37/73

心晴れぬ勝利

 マサエド軍にヴァイレンの書状が届いたのは、26日であった。

 一人の兵が馬を走らせワーズにまず届けた。

 ワーズは書状を開き、目を走らせると、蒼白になった。

「ご苦労であった!」

 書状を元のように丸めると、そのまま馬に乗り、駆け出していった。

 こんな内容、自分以外に伝えられる者がいるだろうか。

 恐ろしかった。

 姫様にこれをお伝えすることが。

 ワーズはクルエの寝所に駆け込んだ。

「ワーズでございます!」

「何用?」

 中から声がした。

「火急の用件です!」

「入りなさい!」


 クルエはフレーに背中を支えられ、上半身だけ起こしていた。

 血色もよくなっている。

「火急とは?」

 真剣な表情になる。

 ワーズはヴァイレンからの書状を恭しくクルエに手渡す。

 クルエは一気に広げて目を通し始めた。

 すぐさま、顔色が変わった。

 よかった血色も一気に白くなり、書状を持つ手が震えている。

「こ、これは、確かな筋?本物の……ヴァイレンからの?」

 声も震えていた。

「罠かもしれませぬが……」

 とワーズが答えた時、伝令が寝所の外で報告をした。

「ダガーロワ城開城のよし!ダガーレン・ヴァイレンが僅かな共を連れて、姫様に面会を求めておりまする!」

 クルエとワーズはお互いを見やった。

『マサエド領主にしてハミ家当主であらせられるハミ・クルエ殿、不肖なるダガーレン・ヴァイレンが申し上げます。

 我が父、トクワと、兄、オンダは蒙昧にも領主様に歯向かい、世を乱しておりました。わたくしとてダガール家の者ですが、民や兵が傷つくは心苦しく、かかる仕儀と相成りました。

 此度、わたくしはトクワとオンダを討ち取り、領主様とマサエド軍に頭を垂れ申す所存。領主様にはトクワとオンダの首級を献上したく存じます。領主様には、ぜひわたくしに謁見の機会をお許し頂きたく候』

 クルエは何度も読み返していた。

 そして、唖然としたように俯いてしまった。

「ひ、姫様!」

 フレーの呼びかけにも応じようとしない。

 ワーズは慌てて、外の伝令に言った。

「役目大義!下がってよし!」

「はっ」

 クルエは書状をワーズに差し出した。

 ワーズは立ち上がり、受け取った。

「トクワが死んだ……?首が届く?討ち取ったのはトクワの息子……?」

 クルエはぶつぶつ言った。

「姫様!気を確かに!」

 フレーが叫ぶ。

「姫様、なんにせよ、ダガールは滅びたのです。先君夫妻の仇は討てたのです」

 ワーズも言った。

 クルエは二人の顔を空ろな目で見た。

 そしてぼろぼろと泣き出した。

 ワーズとフレーはどうしていいか分からない。

「そうね……、これでダガールへの敵討ちは出来たのよね。全てを失い絶望していた私が、すがったのはダガールとの戦いと、ハミ家復興。その一つがなった。なったのだけれど……、なんというか……」

 クルエの口調は非常にたどたどしかった。そしてワーズは気付いたが、いやワーズにしか分からなかったが、声の調子や雰囲気が、佇まいが、かつての少女であったクルエを思い起こさせた。

 まだ当主ですらなかった、まだ何も知らなかった少女。

そんな彼女が現れたように感じた。

「でも、全然嬉しくない……、何か心からすっぽり抜けてしまったような……」

 クルエは涙を拭い、上を見上げた。

「トクワと一度会ってみたかった。彼が何を考えていたのか、何故ハミ家を滅ぼしたのか、でもそれはもう叶わない。実の息子によって彼は殺された……」

「これ以上無様な死に方を私は知りません」

 とワーズ。

「因果応報でございましょう。運命でもあったのです」

「そうね、一生かけて築き上げてものが、息子によって壊される」

 クルエは苦笑した。

「私とて、そうならないとは断言出来ないわ。息子じゃないにしても例えば自分自身によってとか……」

「姫様」

 ワーズは困惑した。

「いったい、私は何の為に……。いや、分かってはいるんだけど、それに何の意味があるのかって考えちゃった」

 その微笑が寂しげなものに変わる。

 生きる目的の一つを失い、そのうえ他の一つの目的ですら、危うい砂上の楼閣でしかない。それを知った時、絶望へと変わってしまうのだろうか。そもそも自分達が戦ってきた理由自体が不確定な目的なのだ。

 ダガールへの復讐、これは良いとしても。

 ハミ家の再興、果たして再興とはいったい何を指して再興と言うのか。かつての繁栄を取り戻すことか。だがそれは不可能だろう。時は流れ世界は変わっていく。かつてと同じようにハミ家があり続けることなど出来はしない。たとえ繁栄を取り戻したとしても、それはかつてと同じような繁栄ではない。オーエン王国が存在し、その庇護の下でマサエドに繁栄したハミ家だが、オーエン王国が存在しない今、どう繁栄すれば良いのだろう。 先君夫妻は領主として生きた。しかし姫様は領主で収まりはしないだろう。ではそのうえで再興とは何を意味するのか。

 ダガールのように一時的な隆盛を極めることか。

 それとも、オーエン王国のような長期王朝を築き上げることか。

 そのオーエン王国ですら、悲惨な最期であった。

 ワーズは考えを頭から振り払った。 

 くだらないことだ。

 人は精一杯生きるのみ。目的に向かって一心に進むのみ。

 それがどんな最期を迎えようと、後悔せぬ生き方をすべきなのだ。

 ワーズは改めて、クルエを見る。

 もしや姫様はそういったことを考えているのだろうか。

「姫様、要らぬ心配でございます。我々と共に歩んだこの道が、無駄だったはずがございません。だからこそ天命が味方し、勝利を得たのです」

 ワーズは力強く言った。

 その言葉にクルエは、笑った。

 そしてワーズを呼び寄せ、彼の手を強く握る。

 目をしっかり合わせて言った。

「私をこれからも支えてね」

「当然でございます」

「まだ、私にはやるべきことが山程ある」

「左様でございます」

「もし……、私が道を誤ったら、あなたが頼りよ」

 心の底から訴えるような目であった。

 ワーズは強く握り返す。

 そして微笑んだ。

「ご安心を。家臣はその為にいるのです」

 クルエは目をそらさずに口元を緩ませた。



 ヴァイレンは年にしてクルエと同じ20歳であった。

 そんな二人が歴史的会談を行ったのは26日も午後になってからであった。

 クルエの容態を見るに、ヴァイレンと会うことなど不可能と思われた。

「会うわ」

 当然のように言うのだった。

「いけません、まだ起きてはなりません!」

 フレーが言うも、首を振った。

 ワーズも頷いた。

「ヴァイレンが如き、姫様が出向くまでもありますまい。我々家臣で充分でしょう」

「それは駄目よ。彼はダガール王国第三王子、亡国の王子とはいえ、私が会わなければ……」

「何故ですか!?」

 ワーズは思わず声を荒げる。

 姫様は奴を憎んでいたのではなかったか。あの暴挙をお許しになったのか。

「ワーズ、私は会ってみたいの」

 クルエは言った。

「あなた達は、首級を彼から受け取った後、彼を捕えるでしょう?そうなればダガールの彼ではなく、虜囚となった彼と会わなければならない。それでは意味が無い」

 ワーズはクルエの言うことに合点はいった。

「つまり、私の人生にとってダガールとは大きい存在。それが消えてしまう前に自分の目で見てみたいの。いや、見なければ……。ヴァイレンという男と、そして彼が持ってくる首級を……」

 クルエは言葉を継げなかった。

 唇を噛み締め、黙った。

 一区切りつけたいのだろう。とワーズは思った。

 我々が、後でヴァイレンに会わせても無意味なのだろう。首級だって、たとえば自分が運んで持ってきたって意味が無い。

 ヴァイレンが来たところに会うのが大事で、首級も彼が自分で持ってくるのを見るのが大事なのだ。

「捕えるのですか?」

 フレーが驚いたように言う。

 ワーズは頷いた。

「奴は、姫様のご慈悲にすがりたいのだろうが、我々家臣団には通用せん」

「ひ、姫様は?如何なさるおつもりで……」

 クルエはその問いには答えず腕を差し出した。

 二人の支えで何とか立ち上がる。

 

 

 ヴァイレンは共を連れることを許されず一人で諸将の前に現れた。

 彼の横には二つの木箱があった。

「麗しきご尊顔を排し奉り、恐悦の極みに存じます」

 ヴァイレンは恭しく跪いていた。

「挨拶はいい。首級を」

 クルエはそっけなく言った。

 マサエドの兵士達が木箱を取り、まかれた布を解いていった。

 クルエは思わず息を飲む。

 痛みなど忘れそうであった。

 布が解かれると、彼女の眼前には二つの生首があった。

「おおっ」と声が上がった。

 老人と、30代くらいの男。

 顔には無論生気はなく、生首特有の脱力した感じが、顔に表れていた。

 背筋を寒いものが走った。

 死体や生首などは見慣れているはずだった。

 クルエは諸将を見回す。

 豪族の一人が答えた。

「間違いございません。トクワとオンダです」

 クルエは頷く。

 そして二つの生首を見やる。

 生気もなく、覇気もない。父や母や兄や弟、自分を除いた一族を悉く殺し、自分をこんな人生に叩き込んでおきながら、こんな姿で現れようとは。

「そちが斬ったのか?」

 ヴァイレンは答えた。

「はっ」

 まるでハミ家臣であるかのような振る舞いをする。

 嫌悪感がぞわぞわと這い上がってきた。

 曲がりなりにもダガールの第三王子ではなかったか。

 クルエはヴァイレンを見据えた。


 

 ヴァイレンはクルエの答えを待った。

「うむ、子女と兵士と民に危害は加えぬ。兵達にも徹底させよう」

 クルエは頷いた。

「有難き幸せ」

 ヴァイレンは大仰な語気で答えた。

 ヴァイレンはほっとした。

 彼はこれで何とか目的も達することが出来たのだ。

 やはり、ハミ・クルエは敵にも寛大なのだ。予想出来てはいたが、かなりの不安が付き纏った。そんなに甘くはないのではないかと。

 何事もやってみるべきなのだ。

「では、ヴァイレン殿は」

 とワーズが言った。

 その場の誰もが、クルエを注視していた。

 ヴァイレンもである。

 クルエは冷淡な表情で右手を首元に持っていった。

 その右手で、首を斬る動作をした、

「はっ」

 兵士が一斉にヴァイレンを取り囲む。

「お、お待ちを!」

 ヴァイレンはマサエド領主に訴えた。

「領主様、何かの間違いです!」

 クルエは突き刺すような目でヴァイレンを見つめる。

「どういうことでございまするか!」

 ヴァイレンは声を荒げた。

 クルエは息をつく。

「口で言わなければ分からんか?そちは実の父と兄を手土産に保身を図ろうとしている。かような行いを求めた覚えは無い」

 ヴァイレンは土に手をついた。

「ほ……保身?」

「保身ではないのなら、父も兄も死んだのだ。そちも自害せよ」

 クルエの突き放すような声がヴァイレンを震えさせた。

「や、約束を違えるとはあまりに無慈悲でござりまする……」

「命を助けるなどと、約束してはおらん」

 クルエは吐き捨てた。

「そ、そんな……、ご、ご慈悲を……」

 ヴァイレンは頭を地面にこすりつけた。

「さらにある!」

 ヴァイレンは顔を上げた。

 クルエの顔をまともに見れない。 

 小娘と侮っていた相手だが、それは直に会っていなかったからなのだ。

 父のように、兄オンダのように、姉アンミのように、戦ってすらいなかった。ただひたすらに権勢を求め、保身を志向していた。第三王子という立場を笠に着て、政治ごっこに興じていただけなのだ。オンダもアンミも自分の行いを鼻で笑っていたに違いない。

 生死を賭けた本当の戦いをやってきた彼らなら、クルエを見据えたであろう。

 だが自分は、目の前の娘に骨の髄まで気圧されてしまっている。

「そちはこのクルエに刺客を送り込み、これを殺害に及ばんとした。それなのに図々しくも慈悲を乞うか!」

「……!滅相も無い!身に覚えがございません!」

 ヴァイレンは声を荒げた。全く以て寝耳に水であった。

 本当に身に覚えがなかった。

 だが、はっとした。

 刺客を送り込むとしたら、一人しかいないではないか。

 オンダだ。

 ヴァイレンは愕然とした。

 まさかこんなところで奴にやられるとは。

 そしてクルエは、犯人なんかどうでもよいのだ。ただ、相手を殺す名分を一つでも多くしたいだけなのだ……。

 

 クルエは兵士達に目配せをする。

 兵士達が一斉に槍を突きたて、鈍い音と悲鳴が響いた。

 

 

 同じ日、マサエド軍がダガーロワを占領した。その二日後の記暦3340年10月28日、ハミ・クルエもダガーロワに入っている。 

 ダガール兵は武装解除され、マサエド軍に対しては乱暴狼藉の類の禁止が厳命された。

 窃盗や略奪、暴行や殺し、といったものが禁じられた。

クルエの印が入った書状がまず諸将に配られ、お触れは少し後になってから出された。

 クルエに対してご機嫌取りをしたい豪族達は必死にそれを守ろうとし、命に背いた者は誅罰され、もしくは秘密裏に始末されたりした。



 ヴァイレンを好意的に評価すれば、戦を早期終結させ民を戦乱から救ったといえるだろう。だがヴァイレンは特別それを意識していた訳ではないし、基本保身を図っていただけであろう。そもそもマサエド軍が、粗暴な軍であったなら、クルエが民など戦利品としか考えていなかったとしたら、全く無意味なことだ。

 しかし、ただ言える事は、この時をもって男系的にダガーレン家は滅亡したということだ。

 女系的にいえばアンミが無事だが、もし仮に赦され生き永らえたとしても、彼女がこの先ダガール家を名乗れるかどうか知る者はいない。


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