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ハミ太平記  作者: おしどりカラス
第一章
36/73

ダガールは倒れた

 運命の日は突然訪れるというが、何かしら起こるのではないかという予感はあったという。

 何かが起こる日は、神の思し召しなどという者達もいるが、人々の行動の積み重ねの結果として現れるものだ。そこには神の意思など関係ない、だが人は時として自分が想定していた以上の結果を招くのでそれを神の御業と呼ぶのだが、それを別の観点から言い換えると、「彼の者の勝利は歴史の必然であり、敗者の敗北もまた歴史の必然」という運命論になる。

 このマサエド軍とダガール軍の戦いも、勝敗は歴史の必然であったろうか。

 それが如実に現れたのが記暦3340年10月25日という日であり、とくに日付が25日に変わった深夜こそがその象徴的な事件の舞台であった、という者もいる。



 正確な役割分担は不明ながら、名だけは分かっているデンダー・ロイレンとアジ・フエンが作戦の決行日として選んだのは10月25日であった。捕虜として潜入し、ハミ・クルエを暗殺するよう彼らに命じたのはダガーレン・オンダであった。

 上手く捕虜として紛れ込んだ二人は、捕虜の中から義勇兵としてマサエド軍に鞍替えする者達が続出していることに乗じ、それに紛れてクルエに近づくことが出来た。

 クルエが夜半眠りについている時に見張りをする兵は一定時間ごとに交代する、これは予想通りという以前に当然あり得ることであったので、これは当初からの計画を遂行するのみである。

 何度も場所を移動しては、そこに前々からいるかのような仕草をし、周囲の兵達の目をごまかした。多勢になってしまったが故に、いちいち兵の顔など誰も見ないのだった。

二人は非常に巧みに、かつ周到にクルエの陣所に近づいていった。

「あそこだ」

 二人は木を骨組みとした四方や天井を布で覆っている簡素な寝所を発見した。その大きさからいって上位武将のものといえたし、見張りの兵士もいる。

 何より布の向こうのかすかな火のともし火に照らされた女の影が見えた。

 もしかしたら、あれは別の誰かが戦場に女を連れてきているのかもしれなかった。

 だが二人は賭けてみることにした。

 しばらく待った。

 明かりが消え、寝所が真っ暗になるまで決行はしない。

 数時間もの間、木陰に隠れつつ時を待った……。


 

 クルエはふと目を覚ました。

 目を開け、暗闇に目を慣らす。

 寝所の出口の方から何か動く影のようなものが見えた。

 クルエは胸が一瞬で締め付けられるような恐怖に襲われた。

 あれの気配で目を覚ましたのだ、と確信した。

 実のところクルエの確信は当たっていたとは限らない。相手はクルエの暗殺を任された程の人物であり、気配で相手を起こすだろうことは考えにくいからだ。しかしそれは暗殺者への過大評価ともいえるかもしれないし、普通に物音を立てて気付かれた、のかもしれない。

 クルエは寝転びながら腕を伸ばし「うーん」と声を上げた。

 相手は明らかに警戒した様子で、逃げ道を一瞬確認してたのをクルエはちらりと見た。

 そして伸ばした手で枕元を探る。

 手に感触があった。

 クルエが寝るときにいつも枕元に置いている呼び鈴であった。

 それを掴み、相手に思いっきり投げ付ける。

 綺麗な音を激しく立て、呼び鈴は相手の側頭部に直撃した。

(よし!)

 影はよろめく。

 昔から、命中力にだけは自信があったのだ。あまり遠くには飛ばせないものの、雪合戦では頼りにされたものだ。

 感傷に浸る間もなく、クルエは起き上がり、机を持ち上げた。

 持ち運びが容易な小さな机で、簡素な木造りであったが、盾代わりにはなるはずだ。

 思いっきり敵に突進する。ごつい音を立てて、手ごたえもかなりのものがあった。

 やはり机の上に置いていた剣はなくなっていた。敵が奪ったか、この寝所のどこかに落ちているのか。

 クルエは足で探る。

 なかなか見つからない。

 クルエの視線の先では黒い影が倒れて呻いていた。

 このまま声を上げて兵を呼ぼう。クルエは決断した。


……背後に気配を感じた。

 思わず振り返る。

 影が動き、剣で寝所の布が切り裂かれた。

 間近に相手の姿が見えた。

 影などではなく、マサエド軍の鎧を来た兵士であった。

 その者は剣を振り上げた。

 クルエは寸前で防ぐのに間に合った。

 だが、勢いは殺すことは出来ない。

 思いっきり机ごと倒れこんだ。

 その時背中とを強打し、机の脚が一瞬だけであったにせよ彼女の身体に圧し掛かった。

 クルエは激痛に襲われながらも、敵から目を離すまいとした。

 兵士は直も剣を振り下ろそうとしている。

 声を上げるのだ。

 声を。

 だが、あまりの痛みに声が出ない。

 掠れる様な息をするので精一杯だった。

(こんなところで、こんな形で、死ぬの?)

 皆に申し訳ない気持ちがこみ上げてきた。

 死の恐怖より、死への無念さの方が、強烈だった。

 

 その時外が騒がしくなった。

 薄れゆく意識の中で、クルエは耳を傾けた。

 兵士達が騒ぎを聞きつけてやってきたのだ。

 もしかしたら寝所の布が切り裂かれているのに不審を抱いたのかもしれない。

 二人の刺客は、驚いてクルエの前から逃げ出した。

 一人は走って逃げた。もう一人はよろよろと逃げようとした。なのであっさりと捕まってしまったようだった。


「姫様!」

 駆けつけてきたのはワーズであった。

 クルエは抱きかかえられた。

「ワーズ……、穴堀りの差配で忙しいんじゃ……」

 声の弱々しさと、痛々しい様子に、ワーズは衝撃を受けた。

「いえ、穴はもうすぐつながるでしょう。姫様の命があればすぐにでも突撃出来ます」

 兵士達がクルエを寝所の上に運び入れた。

 すぐに医術師が呼ばれた。

 クルエは剣で斬られたり、刺されたりした傷はないものの、背中を大きな擦り傷を作っており、腹や手足に机の脚が押し当てられた青あざがあった。

 骨は折れてはいないものの、ひびが入っていてもおかしくないとの見立てであった。

 

 逃げたもう一人の刺客もあっさり捕まった。

 これだけ大勢のマサエド兵が屯する場所から逃げおおす事自体が、無理難題といわざるを得ない。むしろ最初から逃げ切る気がなかったかもしれないが。

 クルエは痛みに耐えながらも、頭は冷徹だった。あそこで彼らは止めを刺すべきだったのだ。どうせ逃げられるはずがないのに、最後の最後で動転してしまったのだろうか。

 生き延びるつもりだったか、折を見て再挑戦のつもりだったか、分からないが、兵士がやってくる前に充分止めを差す時間はあったはずだ。

 その相手の判断の誤りにほっとせざるを得ない。

 クルエは、まだ天が自分を見放していないのだと思った。



 一方、ダガーロワでも暗殺計画が実行されていた。

 こちらの主犯はダガーレン・ヴァイレン、トクワ国王の三男である。

 その標的の一人であるダガーレン・オンダは一人執務室にいた。

 今夜もしくは明日が決行日であろう。

 上手くいく確証などどこにもないが、成功しさえすれば大逆転もあり得る。ハミ・クルエを失ったマサエド軍は瓦解の一途を辿り、豪族達も再びダガールの元へ戻ってくる。さすればこの戦いは勝利だ。

 しかし上手くいかなければ……。

 オンダは苦笑した。

「やれやれ、柄にも無い」

 政や戦争などは父上と兄上にお任せして、自分は好きに生きようと思っていたのに。

 妻こそいるが子供はまだない。いや、居なくて良かったのかもしれない。

 もし実の父が、最後の最後になってようやく本気になっている姿を見たら 恥ずかしく思うのではないか。

 どうして父上は、今までさぼっていたのですか?その結果がこれではないのですか?

 と非難されるかもしれない。

 いや、既に妻にはそう思われていることだろう。

 その時、扉を叩く音が聞こえた。

「殿下」

 噂をすればだ……。

「入れ」

 扉が開き、妻グレーデンデが入ってくる。

「なんだ、こんな時間に」

 妻は微笑みながら近づいてくる。

「ちょっと来て下さいな」

 手を引っ張る。

「その剣は置いてね。私剣は嫌いよ」

 オンダは苦笑しながら腰に刺さった剣を机の上に置いた。

 妻に手を引かれ彼は部屋の外に出る。

 彼は廊下で立ち止まった。

「何だこれは」

 剣を抜いた兵達がオンダを取り囲む。

 するっと手を離した妻が微笑みながら兵士の後ろに下がる。

「あなた、皆の為に死んで頂戴」

 グレーデンデの声は氷の様であった。

 オンダは唖然としていた。

 だが合点がいった。

「……そうか、ヴァイレンだな?あいつの差し金か!」

 妻グレーデンデは頷いた。

「あなたみたいなつまらない男……」

 オンダはふうと息をつき、苦笑する。

「俺を殺して気が済むなら、殺すが良い。だが、それで正道は得られんぞ。特にお前のような女が、謀略を以てして何になる。必ず悔やむ日が来る。

 それでも良いというなら、このダガーレン・オンダの首を土産とするがよい」

 オンダは床にどすんと座り込み、目を瞑った。

「やりなさい!」

 グレーデンデの金切り声が聞こえる。

 哀れな女だ。

 さて、自分は先に兄上の元に参ろう。どうせ後に続くのは大勢いるのだ。寂しがることはない。

 しかし、本当に子供がいなくて良かった……。

 



 オンダが凶行に倒れた頃、ヴァイレンも行動に移っていた。

 兵士達の手引きもあり、父の部屋の前にはすんなり近づくことが出来た。

 彼には10人程の兵がつき従っていた。

 そのうえ、警護の兵ですら、ヴァイレンを黙認している。

やはり皆死にたくないのだ。

 それを考えればむしろ自分の行いこそが、正義といえるのはないか。

 扉を開けると兵達と共に一斉に躍り出た。

 父は、ダガール国王は、執務席から立ち上がり、険しい表情で彼らを眺めた。

「何事ぞ」

 威厳ある声だった。揺るぎの無い、ヴァイレンが知っている英傑としての父だった。

「父上、お分かりでしょう」

 ヴァイレンはにやりと笑ってみせる。

 トクワはふん、と鼻を鳴らした。

「分かっておる」

「陛下はこれまで失態を犯し過ぎました。その為、家臣領民がどれ程苦しんだか、お分かりでしょうか?あれ程権勢を誇ったダガールが今や風前の灯、これは誰の罪でしょうか?誰あろう父上の罪でございます。父上は、近視眼にも兵を死なせ、兄上を死なせ、我が妹を敵の虜囚と為し、ダガーロワを焦土と化そうとしておられる、そのうえまだ、玉座におすがりになりますか?」

 トクワは口をあんぐり開けていた。

「それで貴様が次は玉座に座ろうというのか」

 ヴァイレンは笑った。

「父上、哀れですな。この機に及んでどうして、ダガールに王が立つのです?ダガール朝は滅びるのですよ!」

「貴様はダガールを滅ぼそうというのか……」

 トクワの声は怒りに震えていた。

 ヴァイレンは首を振る。

「違います父上、ダガールを滅ぼしたのは父上です。ダガールを建国したのが父上なら、滅ぼすのも父上でございました」

 トクワは剣を抜く。

「貴様がわしを殺すというのなら構わん、じゃがただでは死なん。ヴァイレン!お前がわしを討ち取って見せよ!」

 ヴァイレンは後ろに下がる。剣を受け止めたのは兵士だった。

「父上!ダガールの為に御首級頂戴仕りますぞ!」

 トクワは老いたにも関わらず、兵士4人を斬り殺し、ヴァイレンは思わず部屋の外に出た。だが、最期には四方から斬られ、突かれ、ついに床に倒れた。

 ヴァイレンは恐る恐る近づく。

 トクワは弱っていたが、眼光は鋭いままだった。

「ヴァイレン……、自ら討ち取らんとは恥知らずめ……、お前の兄も恥じておるぞ……」

「父上、これから死にゆく者にとやかく言う権利などございません。この世は生者のものです」

 トクワはヴァイレンの足首をがっと掴む。

「ぎいいいい」

 歯軋りをしている。

 だが、そう時も経たずヴァイレンの足首を掴んでいる力も弱まった。

 ヴァイレンは思わず振り払う。

 彼は自分の息が荒いのを自覚した。

 目の前の父を見る。

 もはや動くことも無い父はを眺めやる。

 ヴァイレンは非常に空しい気持ちに襲われた。

 やはり父は父、それも彼を疎んじたという訳でもない父。

 英傑の死としては如何なものであろうか。

「御首級を」

 兵士達はヴァイレンの言葉に従い、トクワの遺骸の首元に刀を向けた。



 10月25日の朝、クルエの侍女フレーは、青い顔をして彼女の主君を見守った。

「なに、ちょっと痛いだけよ。体力も充分だし、意気も軒昂……」

 顔をしかめて呻いた。

「ちょっとどころじゃ……」

 フレーは困惑した。

 クルエが苦笑いをする。

「だいぶ痛いかな……」

 こんなに弱った姫様を見るのは初めてだ。実際のところ、ハミ家臣が潜伏していた山城に到着してきたときも相当弱っていたらしいがフレーは見ていない。

 そして姫様をここまで弱らせた暗殺者二人は既に、隠し持っていた短刀で自害してしまっていた。


 クルエをワーズやサカヒ、フクサマ、カワデなどが見舞った。

 ワーズやサカヒは淡々としていた。

「この度は、姫様をお守り申し上げることならず、申し訳次第もござりませぬ。刺客の侵入を見抜けぬは、ただただ我らの落ち度なり」

 みたいな事を恭しく言った。

 そして、姫様の周囲の警備を厳しくすることを明言した。

最後に「姫様にはどうか、お心を安んじてお休み下さいませ」と付け加え、一礼して差って行った。

 二人が出て行くのをクルエは奇妙な顔で見つめていたので、フレーは少し慄いてしまった。

 それに気づいたのか、クルエがにっこり笑う。

「馬鹿ね、あの二人ったら、私がサカヒを疑うわけないじゃない。ねー?」

「は、はい」

 フレーは思わず頭を下げた。

「恐らく下手人は、ダガールの手の者で、捕虜に化けて侵入したんでしょ。まあワーズの方はそれで私に気を遣ったのかもしれないわね」

 クルエは苦笑いをした。 

 フクサマは激怒していた。

「姫様にかような傷を負わせるとは許せぬ!あまつさえ暗殺とは!」

「もともと、姫様を亡き者にするつもりだったのさ」

 とカワデ。

「そう、それで運よくこの程度の傷で済んだというわけ」

 クルエは笑った。

「それに姫様!」

 フクサマが言った。

「シュトラ殿ですら色を失っておりましたぞ。だがあ奴姫様が無事と聞いた瞬間涼しい表情になって……」

「まあ、マサエド豪族連合の長殿は姫様の家臣ではないからな」

「傷を負われたかどうかすら気にせぬ様子なのだ」

 フクサマは吐き捨てた。



 ハミ・クルエは助かりダガーレン・トクワとダガーレン・オンダは死んだ。

 同じように暗殺者に狙われていながら片方は助かった事実に、後世の好事家達は胸を熱くしている。

 もし亡くなっていたのがクルエだけであったなら、どうなっていたのであろうか。ダガールが挽回していただろうか。いや、もし、双方の暗殺計画が成功していたとしたら……。

 だが現実はかくの如しである。


 ダガーレン・ヴァイレンは城を占領し、マサエド軍に対して降伏の意を伝えた。

 そしてハミ・クルエに『謁見』を求めたいと。

 この時点を以て、ダガール王国はこの世から消えた。


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