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ハミ太平記  作者: おしどりカラス
第一章
35/73

ダガーロワ包囲戦2

 10月22日。

 総大将のハミ・クルエは平野とダガーロワを見下ろせる山に本陣を張っていた。

 戦況を知らせる報告は次々と入ってきて、分かったのは戦いが膠着状態に陥っているということだった。

「さしものトクワも大人しいですな」

 サカヒが言った。

 この老人は、当然のことだが最近大人しい。

 政策や戦いにもあまり口を挟まなくなった。

 はてはクルエの勘気を本気で恐れているのか。それとも周囲の目を気にしているのか。

 少なくとも、以前程良い立場ではないことは確かであった。

「トクワも老年です。先の戦いとそれからの逃亡により疲労していても不思議ではありませぬ」

 ワーズが言った。

「そうね。軍神と謳われた彼にとってあのような敗北は、心身ともに大きな傷となったでしょう」

 クルエが淡々と呟いた。

 そこに少しばかりの同情があったのをその場の皆が感じ取った。

「だが、それならば好都合。ダガールが積極策に出てこないのも納得です」

 クルエは頷いた。


 クルエは考えた。

 ダガーレン家の立場になってみれば、ハミ・クルエという人物はどう映るだろう。

 一族を滅ぼされ、逃げ延び隠れ住んだ村も滅ぼされ、今まさにダガール最大の敵である娘。そんな娘が一族の本拠地ダガーロワを包囲し攻め続けている。

 生い立ちを見ればダガーロワ家に復讐心を抱くのは当然であり、ダガールによって一族皆殺しにされた彼女に、ダガーロワ家の者が許しを乞う資格などあるのだろうか。

 ハミ・クルエにはダガーロワ家を皆殺しにする理由があるのだ。

 例え武装を解き城を明け渡しても、一族は処刑を免れまい。

 ならば、残された道は城を枕に討ち死にすることだけだ。

 クルエは慄然とした。

 自分が逆の立場でも、同じであったかもしれない。

 もしマサエドが攻められることがあったとすれば、ハミ家とその家臣団は最後の一兵が討ち死にするまで降伏しないのではないか。

 ダガールは決してハミ家を許すことは無い。

 よって降伏は無意味であり、戦い続けて武門の誉れとするのだ。

 今のダガーロワ城内でも同じ空気が流れているのではないか。

 この、ハミ・クルエという人物は復讐鬼として恐れられ、ダガーロワの誰もその慈悲を期待していない。

 今、自分は、ダガーロワ城内全ての人間の命を奪う者なのか。

 このままでは、ハミ・クルエという殺戮者は、あの豊かな都市を灰燼に帰した上で復讐を達するのだ。

 自分はもう後戻りも出来ぬし、多くの血を流してきた。

 それでも、最悪の結果だけは防ぐ権利があるはずだ。


「包囲を一部解き、逃げたいものは逃がしましょう」

 クルエは軍議が始まる早々言った。

 シュトラは頷いた。

「確かに、そろそろ頃合でしょう。全て包囲されて逃げ場なしでは死に物狂いになりましょうから。ですが燻りつつある民や雑兵の不満と恐怖に逃げ場を与えてやるのです」 

「さすが姫様よ」

 フクサマが言う。

「だが、それに紛れて誰が逃げ出すか分からんぞ」

 隣でカワデが囁く。

「それに、民が城を出れば兵糧は兵だけの分で済みまするから、より粘ってくるやもしれん」

 とサカヒ。

「逃げたいものが逃げ、後に残るは忠誠心高き者達になりましょうな。混じり気のない忠義者だけの軍は逆に脅威になるやも。雑多な大軍より、純度の高い小勢の方が厄介だと聞きます」

 ワーズも懸念を呈した。

「それよりも、このまま敵内部での不満と疲弊を高め、内部分裂を待ち、敵のほうから降伏を願い出させるのです。さすれば、確実です」

「内部分裂を待つか。我らの方が先に根を挙げてしまわないか?」

 クルエの言葉にワーズは首を振った。

「兵糧のご心配なら必要ありませぬ。領主や豪族が徴収してくるでしょう」

「兵糧をわざわざ領地から徴収してまでも、この戦に加わる大義があると彼らが認めてくれればよいが」

 クルエは努めて穏やかな口調で話した。

「逃げるものは命を奪わず捕虜とする。そして戦が終われば命は助けよう」

「それでよろしいと存じまする」

 シュトラが援護射撃をした。

「……捕虜を養う兵糧は」

「このまま長期に渡って包囲するのに必要な兵糧と、それよりも短期で済む包囲戦で捕虜をも養う分の兵糧と、どっちが多いかしら?」

 ワーズは答える。

「場合によりましょう。包囲戦がより長期に渡れば前者、捕虜の数が多ければ後者、でございましょう」

「ワーズ貴様!姫様の意を愚弄するか!」

 フクサマがワーズを指差す。

 不仲なワーズを牽制しようという政治的な打算から生まれたものではなく、純粋にクルエの賛同していた故の行動であった。それは周りから見ても分かりやすく、そういう裏表の無さも彼の特徴であった。

「このフクサマは、姫様の策こそ上々と考える!」

「つまりワーズ、こと兵糧を問題にするなら私の策を否定することは出来そうにないみたい」

 ワーズは「ならば」と答え、引き下がった。

 それを端で見ていたサカヒは難しい顔をして若き家臣仲間を迎えた。


 

 マサエド軍が一部包囲を解いたことにダガーロワは騒然となった。

そこにダガーロワに対して呼びかけがあったのだ。

 降伏すれば命まではとらぬ事。降伏者には食事の心配はいらぬこと。民も兵も問わず受け入れるということ。このまま城に篭れば命の保障は出来ぬこと……。

 当初は、怖がって誰も求めに応じようとはしなかった。

 だが、一部の兵士達が武器を捨て逃げ出したのを皮切りに民衆や兵がこぞって逃げ出した。それには雑兵だけではなく、名の通ってある程度の地位のあった武将までもがいた。

 捕虜になろうとする兵士への斬刑という名の懲罰もあったがあまり効果が無く、陣を抜け出して敵に降りる兵士を罰しようとしても、とても追いつかなかった。

 それで、とうとう兵士による壁を作って、逃げ出したい人々を威圧して押さえ込むことにした。本来周囲を取り囲む敵に対して向けられるべき兵を、内の味方に対して向けることになったのだ。

 皮肉なことに、ワーズの構想にあった内部分裂の誘発を、クルエの策が招くこととなった。

 捕虜達は丁重に扱われた。もし乱暴を働こうとする者が現れれば、その場で斬り捨てて良いとの命も下っていた。

 

 

 こうして慈悲深さを見せ付ければ、ダガーロワの民や兵達のマサエド軍に対する印象も変わるであろう。殺戮と略奪を恐れればこそ、人々は城に篭る。

 だが、もしかしたら助かるかも知れぬ、といった思いを抱かすことが出来れば、敵の戦意も落ち、ダガーレン一族と一部のダガール軍は孤立する。

 後は打って出て来よう。勝ち目なしと分かれば死に花を咲かせる為に、野戦を仕掛けてくるはずだ。

 さすれば大軍を以て封じ込めるだけであるし、もし城に篭るようなら、再び矢を集めて、火矢を射ち込み、消火にあたる人数の著しく減ったダガーロワを炎上させることも出来る。

 この姫は、そこまで考えていたのだろうか。

 ならば我が妻としても申し分ないどころか、我がエキル家の者共が煙たがる程である。

 かつて家臣団や一族を説得して、ハミ・クルエに味方しダガールと矛を交えると決断したのは間違っていなかった。

 この姫ならば、いずれ女王となろう。

 そして女王の傍らで、歴史の担い手として自分はどう働こうか。一族は権勢を振るいたがるし、振るう為にハミ・クルエに味方した。自分にもその意思がないとはいえない。だが実際彼女と会ってみて、彼らがいうように実権を握るか、または力を蓄え打倒しようなどど思えなくなった。

 自分は補佐人として生きていければ、それで充分のような気がしてきた。

シュトラはふと、そうした思慮の海に沈んだ。だが人は実際その立場になったり、またはその状況に直面してみなければどう転ぶか分からない生き物である。今もまさに対立の芽が育ちつつあるし、クルエやシュトラのような立場の人間は本人の意思で敵と味方とを決めるのは容易ではなかった。



 ダガーロワ内部では、ヴァイレンが部下に作戦を伝え終わり、後は実行に移すのみとなっていた。

兵や民が逃げ出し始めた状況はヴァイレンにとっては好機であるともいえた。クルエに媚を売るためには、強硬派の首が必要であり、強硬派の首魁に仕立て上げるにもってこいの人物がいる。いや、既に仕立て上げている。

 ダガーレン・オンダ。

 あのお人よしで、家族思いの彼は、凡庸な人物としてではなく最後までクルエに抗った気骨の者として死ねるだろう。

 そして何よりも大事なのは、クルエがもっとも欲しい男の首だ。

 ダガーレン・トクワ。

 一代の英雄にして梟雄、彼もまた滅びの美学の体現として、栄枯盛衰の象徴として歴史に名を残すであろう。

 そして自分は、涙を飲んで父と兄を殺し、戦を終結させ民を救った者として。

 ヴァイレンは震えが止まらなかった。

 決行の前の緊張によるものか。それとも高揚か。

 いずれにしても、失敗は許されない。


 記暦3340年10月25日、日付が変わったその夜は、空気が澄んでおり、星が美しいまばゆきを漆黒の深遠から血と骸に彩られた地上を照らしていた。


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