夢
記暦3340年9月25日、マサエド軍はマサエドとダガール領との境をさしたる抵抗も受けず越えた。
とはいうものの、まだ豪族の領地を横断することとなる。
だがダガール領内に残る兵力はせいぜい2万程度だとマサエド軍は既に掴んでいた。これではダガーロワへの侵攻は止められまい。それにダガーロワ城の防衛もせねばならんのだ。
この日、ダガーレン・トクワがダガーロワに無事帰還したことをクルエ達は知った。
「よくもまあしぶとい……」
フクサマが呟いた。
「さすがは軍神、そう易々とは……」
とカワデ。
「だが、ダガールは既に風前の灯、レイン川で討ち取られていた方が、いっそましだったと思うことだろう」
ワーズが冷たい口調で言った。
クルエは彼らの会話をじっと聞いていた。
「姫様」
ワーズが不思議そうな声を出す。
「ここまで来ましたぞ。ようやく姫様の御苦労も報われるというものです」
「そうね……」
クルエは頷く。
まさかここまで来れるとは。
ハミ家再興は自分の悲願、そして皆の夢であり願いだ。
それと同じくらいダガールへの仇討ちも目標だった。出来る限りのことはやるつもりだったが、それらに眼前に手が届く範囲まで来れるとは思わなかった。
しかし嬉しさをあまり実感出来ない。むしろ何とも形容しがたい不快なものが胸に去来しているようだった。
「お主達もよくここまで尽くしてくれた。お主達がいればこそ」
「いえいえ姫様がおられればこそ……」
彼らはクルエに跪いた。
「ですが、まだ油断はせぬよう。ここはより慎重に事を運びましょう」
ワーズが顔を上げる。
そうだ、まだまだ何が起こるか分からない。
最後まで油断せずにいなければ。
クルエは辞去した。
寝室に入りベッドの上に横になる。
なんだか、疲れが今になって来た様だ。
クルエは気がつくと暗闇の中にいた。
「ここは……」
目が慣れてくると見覚えのある場所だった。
雪が積もっており、凍えるような外気。自分は穴に身を潜め、目の前に一人の少年が背を見せていた。
後姿で誰だかすぐに分かった。
「マブ……!マブなの!?」
かつて自分の生まれ育った村、キロ村が襲われたとき、命を呈して自分を守った少年。それが何故か目の前にいる。
次に広がった光景は思い出したくもない光景であった。マブの方で鈍い音がしたかと思うと、彼が倒れこんだ。
「マ……ブ……」
そうだ思い出した。声を出すと見つかるのだ。彼は自ら囮に……。
クルエは口元を必死で押さえる。
しばらくそうしていると、マブがくいっと上半身だけ起こした。
ゆっくりとクルエの方へと振り返る。
クルエは悲鳴を上げた。
血だらけの彼が彼女を睨みつけていた。
「俺は君を助けるために……死んだのに……」
這いながら迫ってきた。
「君は俺をそのままにして逃げた。村の皆も……」
「あ……あ……」
「そのせいで皆は犬や鳥に食われ跡形もなくなってしまった」
クルエは身体の震えを止めようとする。
腕をがしっと掴まれる。
「……っ!!」
「どうして!?ひどい!皆は君のせいで死んだのに!」
クルエは必死で振り払う。
何とか立ち上がりよろよろと逃げ出す。
だが、足を思いっきり掴まれ倒れこんだ。
振り向くと、大勢いた。
マブだけではない。友達のケスカやキリア、村の人々。皆血の涙を流している。それにクルエの育ての親ゴダダが憤怒の顔で迫ってくる。
「ひいっ……」
クルエは手を伸ばし助けを求める。でも誰に?
さらに見知った顔が現れる。
「タ……タダキ……」
クルエを守って死んだ勇将タダキ。彼もまたクルエに剣を向けている。
「姫さんはやはり当主の器じゃねえ」
他にも死んでいった兵士達だ。
「俺達はあんたの為に死んだのか?あんたみたいな娘一人の為に!」
大勢の怨念がクルエに襲い掛かった。
クルエを揉みくちゃにし、持ち上げる。
そして運ぶ。
「やめて!離して!」
クルエは叫んだ。
行く先には、暗い、暗い大きな穴。
よく見れば、蠢いていた。
何が?
あれは……人だ。
大勢の人間だ。
自分が起こした戦で死んでいった兵や民達だ。
敵味方関係なくあそこにはいるのだ。
マサエドの兵達や人々だけではない、ダガールの兵士達もいた。
クルエに向かって叫んでいる。
地の底から怨嗟の声を上げているのだ。
そこに向かって、放り投げる。
落ちる。
落ちる。
落ちる。
落ち……。
クルエは、はっとした。
上半身を起こす。
ひゅー、ひゅー、と激しく息が乱れていた。しかしクルエにはそれを実感する余裕すらなかった。
「かはっ……はーっはっー」
想像を絶する恐怖がクルエを襲っていた。
胸に手をやり震えを止めようとする。
夢か……。
周りを見渡すと、遠征中に立ち寄っている豪族の居城に自分はいるのを思い出した。
豪奢という程ではないが、上品な調度品の揃った部屋である。
息を整えようと部屋の調度品を鑑賞する。
ふと、扉を見る。
扉一枚隔てた向こうには兵士が待機しているはずだった。
クルエはふっと笑った。
自分は悲鳴は上げなかったようだ。
気づくと汗だくだった。
クルエはよろっと起き上がると窓へ向かう。開けて外を見る。
外の空気に触れれば気持ちが落ち着くと思ったのだ。
あの、暗い穴の中で凍えながら過ごした一晩を、生涯忘れることはないのであろう。
クルエにはその穴の暗闇の中から亡者達が、手を伸ばして自分を引きずり込もうとしている想像に襲われた。
ふと下を覗く。
クルエの部屋は2階であり、その真下の庭にワミ諸部族とオイ族長にて、ワミ諸部族を束ねるオイロンミが陣取っていた。
そこにちょっかいをかけてきた兵士達がいた。
「おい、そこの蛮族!」
「よくもいっちょまえに!」
酒に酔っているらしく、悪態をついた。
ワミの部族兵が立ちはだかる。
何か言い合いをした後、殴り合いの喧嘩となった。
「ちょっとやめなさい!」
クルエは呼びかけた。
兵士達はクルエの方を見た。
笑い出した。
「どこぞの姫君か?いやここの姫君か知らんが、口出しするな!」
「大人しく、刺繍でもしてるがよい!」
おやおや、自分は威厳がないものだな。
クルエは思わず口角が上がるのを感じた。
肩書きなど無ければこんなものなのだ。徒手空拳の状態で後光が差す自分ではないのだ。
すると、兵士の中の一人がごにょごにょとし出し、兵士達は愕然とした表情で彼女を眺めやった。
その場で跪き地面に頭を思いっきり押し付けた。
喧嘩中に2階から呼びかけてきた若い娘が、自分らが付き従うハミ・クルエだと気づいたのであろう。
ただでは済むまい。自分らの主君が頭を垂れる相手に暴言を吐いたのだ。自分達が罰せられるならまだしも、主君にも何らかの責が課せられるであろう。栄達の見込みがなくなったり、後々の立場への悪影響もあり得る。
彼らがそこまで思い立ったかは定かではない。
「おい、ハミの領主様」
クルエが声の主を探ると木の枝に座り込んで笑っている。
「この場であの者共を八つ裂きにしても構わんか?」
オイロンミだった。
クルエは首を横に振る。
「帰してやりなさい。彼らは今縮みあがっているわ。生きた心地はしないでしょう。充分報いは受けたと思うけど」
「このオイロンミに遠慮しているのなら、そうはっきり言えば良い」
ふてくされたように彼女は言った。
ここで事を荒立てればオイロンミも両成敗の憂き目に遭う。ただでさえ蛮族と侮られているのに、誰がワミ側に立とうか。
「マサエド領主殿」
オイロンミの相手への呼称は一定しない。呼び方を探っているのだろう。
「迷うのも結構、だが、皆同じく迷っていることも忘れるな。罪科も皆が背負っている。殺し殺される世ならば当然だ。自分ひとり背負っているつもりではなかろうか?」
クルエはふっと微笑んだ。
「ありがとう」
オイロンミは木から飛び降りて、まだ震え上がっている兵士達の元へ歩み寄っていった。
マサエド軍は翌日城を出た。
ダガーロワ攻城戦の戦端はまもなく開かれようとしていた。




