国王の帰還
進発したクルエ率いるマサエド軍は「ダガール記」という軍記物によれば40万を越す大軍とある。だが、残存した史料を検証すると、6万を越す程度であったのは確実である。
例え6万でも大軍であるのには間違いなく、ある程度の国なら間違いなく滅ぼせる大軍勢である。
国王率いる8万の大軍が敗北し、国王は行方知れず、王女アンミは捕えられ、さらに6万の大軍勢が首都ダガーロワを目指して進軍中という戦慄すべき報がもたらされたのは9月20日になってからである。
ダガーロワの民達は恐慌状態に陥った。
しかしそれを抑えるべき兵達も機能しないありさまだった。
ダガーレン・ヴァイレンは動転のあまり、兄の元を訪れた。
第2王子ダガーレン・オンダは茶を啜っていた。
「焦ったところで、どうにもならんだろう」
「ですが、兄上!」
ヴァイレンは椅子から腰を浮かし机をどんと叩いた。
オンダはじっとヴァイレンを見つめている。
「ダガール国始まって以来の危機ですぞ!このように悠長に構えていてどうするつもりですか!」
「もう少し落ち着いたらどうだ」
「兄上これが落ち着いていられますか。ハミ・クルエは間違いなく我らを殺すつもりでしょう。このまま手を拱いていれば、ダガーロワは灰燼に帰すのです」
ヴァイレンは立ち上がった。
オンダは彼の動きを静かに追っていた。
「兄上、今こそダガーレン家の誇りを示す時です」
「とはいうものの、どうするというのかね」
オンダの声の響きは空疎に響いた。いや、ヴァイレンのそれも同じであった。
「兄上には総大将となって頂き、マサエド軍を迎え撃ちましょう。わたくしが参謀として支えまする」
「ヴァイレン」
オンダは静かに言った。
「総大将にはお前がなればよかろう。私は頼りないと皆から思われている」
「兄上、わたくしが策謀を巡らせてきたはひとえに宮中闘争の為という情けないものでした。故にわたくしを恨むものは大勢いるのです」
ヴァイレンは泣き落としにかかった。
「兄上、兄上ならば納得するでしょう。兄上を嫌う者などおりませぬ。そのうえ道理からいっても次兄である兄上こそふさわしゅうございます」
オンダは困った顔をした。
「それは分かるが……」
彼は思わず立ち上がり部屋を歩き回る。
「私は総大将にはむかん。そもそもこの戦いに勝ち目はあるのか?父上がおられるならまだしも……。その父上とアンミを破って勢いにのる相手に勝てるとは思えん・・」
「兄上……勝てるか勝てないかではありません。生きるか死ぬかです!例え戦わず降伏したところで、クルエが我々ダガーレン一族への復讐の機会を逃すはずがないのです。かつてクルエの一族ハミ家は多少小競り合ったにせよ、降伏したに関わらず皆殺しにあったのです。
それに比ぶれば、ダガーレン家とクルエの因縁は遥かに深く重いものです。我々は、とくに男子は斬首を免れぬでしょう……」
オンダは頭を抱えた。
その様子をヴァイレンは眺める。
「しかし……戦えば大勢の命が失われる……勝てば良いが、負けるはずの戦いに兵や民を死なせるのか・・?」
「兄上!アンミは敵の手にあります!戦わなければアンミとて……!」
オンダは、はっとした様子だった。
「女子という言い訳は通用しないでしょう。自ら兵を率い、あれ程クルエと争ったのです。当然……このままでは……」
ヴァイレンは首を振った。
オンダは頷いた。
「ああ、分かった。私を支えてくれ」
「はっ」
ヴァイレンはオンダの才覚など期待してはいなかった。だが、総大将の役が必要だったのだ。
ダガールの人間がクルエへ手土産を持参するのなら、それはより価値のあるものが良い。
そしてそれはダガーレン・ヴァイレン以外であるべきだ。
ダガーロワ防衛の大将がオンダに決まった翌日、9月22日に一人の男が数人の従者を連れて帰還した。
その人物の帰還にダガーロワは驚嘆し、歓喜に震えた。
ダガール王トクワであった。
それは午前7時ごろであったという。一人の門番が、門に近づく集団を発見した。
置かれた状況もあり、さっそく弓で威嚇しようとした際その集団が叫んだ。
「ここにおわすはダガール国王トクワ陛下なるぞ!開門せよ!」
門周辺は大騒ぎとなった。
兵士達はそれが本物の国王だと確認し、慌てて門を開けた。
だが、入ってきたのは馬に寄りかかり弱りきった老人の姿であった。
国王帰還の報にすぐさま駆けつけたのは第2王子オンダ、第3王子ヴァイレンである。
「ご無事で何より!」
ベッドに横たわり、医師の診察を受けるトクワに対して二人はこれ以上ない安堵の声を聞かせた。
「おお、情けない限りじゃ……」
「何を仰せですか」
オンダが言う。
「まだ、ハミはダガーロワを攻めてはおらんだな。じゃが時間の問題だ」
弱弱しいながらもはっきりとした口調だった。
「ええ、ですから我々も迎撃態勢をとろうというのです。兄上を総大将にしておりましたが……」
とヴァイレン。
「やはりここは父上にお返し致します」
オンダも言う。
「わしには無理じゃ……すっかり身体も弱ってしまって……」
「ですが父上でなければ誰が指揮を執るというのです?」
オンダが首を振る。
「こうなれば……潔く散ろうではないかの……」
「父上の言葉とも思われません」
ヴァイレンが言う。
「軍神と崇められた父上ならば、必ずや敵を殲滅せしめん!敵の根拠地ならいざ知らず、ここは我らの国です。所詮烏合の衆、負けるはずがありません」
トクワは笑った。
「勇ましいことよの……じゃがわしは、二人も子供を失ってしまったのだ。ヤイルはわしが登用した者によって討たれ、アンミはわしが敵の罠に掛かったせいで囚われの身じゃ……」
「まだです父上!」
「まだ逆転の芽はあるはずです!」
二人の息子は自らを鼓舞するように言った。
そもそも、オーエン国の一軍人に過ぎなかったダガーレン・トクワが起ったのは自らを滅ぼそうとする者達に対する自衛の為であった。だが運命のいたずらか、彼には軍事的才能と英雄的資質があった。それがついにはオーエン王国を滅ぼしダガール王国誕生となるのだが、彼にもし武運がなければ一反乱として鎮められていたに違いない。
そうなればオーエン朝も延命を図れたはずだ。だが歴史はそうならなかった。ダガールという新たな王朝が誕生した。記暦3318年10月10日ダガーレン・トクワが即位の儀を執り行ったのを王朝の始まりと見る説が主流である。この時はまだオーエン王家を滅亡させておらず、周辺豪族を斬り従えた訳でもなかった。オーエン朝最後の王オーエン・サイル5世がダガーレン・トクワに禅譲する形での即位で、この一年後にオーエン家は一族皆殺しとなっている。
そのダガールもついには統治能力を失い戦乱が巻き起こっている。
二人の息子は、トクワに恭しく一礼するとその部屋を出た。
そしてそのまま宮殿の広場を見下ろすバルコニーに出た。
広場には大勢の兵士が集っていた。
「ダガール万歳!」
「国王陛下万歳!」
まるで祭典を行うかのような騒ぎであった。
「皆の者!」
オンダは精一杯声を張り上げた。
慣れない演説をする。
「よくここに集まってくれた。陛下もご帰還なされた。まだ我らには天運がついておるのだ!ここは我々の国だ!我々の城だ!敵がどうして我々に勝てよう!
敵はせいぜい6万超えの烏合の衆、我らの土地でどうして戦えようか。勝手知らぬ土地で右往左往している相手に負ける道理など無い!
我らが築いたこの国を、我らに守れぬはずはないのだ!
そして必ずや敵を撃滅し、ダガールの栄光を誇ろうではないか!
ダガール万歳!」
「ダガール万歳!」
歓呼の声が広場中に響いた。
一世一代の表舞台をオンダが体験している。そんな兄を弟ヴァイレンは含み笑いをしながら眺めていた。
歓呼の声は何度も上がり、そのうねりは広場から遠く離れた所まで聞こえた。
だが一歩広場の外を出ると、そこには民衆達がその様子を冷めた様子で『空元気だ』などと呼んで冷笑している姿があった、という記録も残されている。




