波濤
コレニヤン・ワーズはほっとした思いだった。
ダガーレン・アンミを捕らえたのはハミの兵達だった。これでハミの面目も立ったというわけだ。もしもそれすらシュトラの功となっていようものなら、想像するだけでぞっとした。
捕えられたアンミは食事と寝床を与えられ、敬意を以て扱われている。
彼女を守っていたアレスも同様であった。
しかし本命のダガール王、ダガーレン・トクワは未だ見つからない。
恐らくはお供を連れているであろうが、一旦発見すれば何の問題にもならない。
だがこのままダガーロワに帰還でもされれば、また態勢を立て直してくる可能性も否めない。
「しかし、これほどの敗北を喫すれば、しばらくはダガールも攻めては来ないでしょう」
とクルエは言った。
レイン川から東へ一時間程の場所に寺院があった。豪族達が一同に介しクルエは上座にいる。
「だが、トクワは捕えなければならない」
戦勝の席だというのに、重々しい空気が漂っている。無理もない。ダガールを途中で裏切った豪族達も大勢集っているのだ。そのうえダガール王の行方が知れぬというのだから、決まりが悪い。
「それにしても、今回勝ち戦になり得たのはあなた方のおかげである。戦勝を祝おうぞ!」
クルエは微笑みながら杯を持ち上げた。
一人だけで明るく振舞うというのはなかなか辛いものがある。
クルエに改めて豪族達が挨拶をしにきた。もう既に一度目通りは戦の直後行っているのだ。戦の生き残りにとどめをさしていたまさにその時、豪族達とクルエは会っていた。
「さすがはハミ家ご当主にして、マサエド領主。ダガールごとき僭称王など敵ではありませんでしたな」
パンサール・アイガという領主が笑いながら言った。
彼はダガール不利とみるやマサエドに寝返った者の一人である。
やや年配で食えない感じのする男である。
「いや、私など大したものではない。皆の協力あってこそダガールに勝利せしめたのだ」
「領主様、御謙遜なさるな。皆貴女様に集ったのです」
「そうだったわね」
「わたくしとて、領主様の御為に……」
と恭しく言う。
「お主はこちらが勝っているとみて、途中で鞍替えしたのであろう?」
クルエがあまりにさらっと言うので面食らったようであった。
「まあ、ここにはそういう者たちは多い。何の心配もいらない」
「そのようでございますな……。領主様は寛大であらせられる」
調子を崩されたように目を丸くして答える。
「パンサール殿、お主も領主ではないか。何をそこまで謙る?」
クルエがくすくすと笑う。
「……いずれ、女王陛下へとおなりになるからです」
クルエは笑うのを止めた。
「ダガールに代わるハミ王家を領主様はお作りになるのです。いえ、もはや作られつつあるのです」
パンサールが不適な笑みを浮かべる。
「ダガールを滅ぼした後に王家不在では、領主や豪族がまとまることが出来ません。王朝を作るものは自分の欲によってではなく、大抵の場合必要に迫られて作るのです。そして建国者としてあがめられる英雄は大抵がそうです」
「そう……?」
「これは歴史が証明しております。貴女が例えそうはなりたくなかろうと、周りが、世界が、時代が、貴女を女王にします」
クルエは神妙な顔をして言った。
「パンサール殿、古来より王となれるのはオーエン王家の者のみ、この私に、ダガーレン・トクワのように王を僭称せよと使嗾しておられるのかな?」
相手は困った顔をしていた。
「領主様、確かに我ら領主達は在りし日のオーエン王家の威光を知っておりますし未だに畏敬を覚えもします。ですが、オーエン王家は滅亡したのです」
「パンサール殿」
横からワーズが割って入った。
「後が控えております。またの機会の時までお待ちなされ」
「お許しくだされ、私とてお主達とは仲間であるつもりだ。共にダガールを撃退せしめた……」
「もったいなきお言葉」
パンサールは恭しく頭を下げて、別の席に移動していった。
「ごめんなさい……」
クルエは俯いた。
「つい、むしゃくしゃして」
「分かりまする」
ワーズは囁くように答えた。
いや、本当は分かったつもりではなかった。ただ、想像は出来た。
豪族達のあまりの無節操振りにほとほと呆れたのであろう。だが、仕方のないことだ。勝ち馬につくのは当然のことだ。生き残るためには仕方なかろう。
だが、ワーズにとっては清々しているのだ。むしろやり易くなった。ハミ家一人勝ち状態を作り出すには相手に非がある方がいい。この前とは違って豪族達に遠慮する必要はないだろう。
それにさっきので、ただの担ぎ上げられた小娘という認識は崩壊したであろう。
問題は、日に日に存在感を増し続けるエキル・シュトラだか……。
宴は終わり、トクワの探索も続けられたまま、マサエド軍は勢いのままにダガーロワを攻めることとなった。
これ以上の機はそうそう訪れないであろうし、このまま軍を解散など出来るような状況ではなかった。
大軍の有する波濤は大将といえど止める事は出来ない。
豪族達も武功を挙げる機会を得たがっていたし、マサエド軍自体がこの勢いを活かしたがっていた。
それに、トクワがダガーロワに帰還し、態勢を整える恐れもある。
機を逃してはならない。
それが誰しもが抱いた思いであった。
クルエは諸将の前に歩み出た。
「皆の言う通り、今こそ好機と思う。かつてダガールはオーエン王家を弑逆し王国を滅亡せしめた。だが今やダガーレン・トクワは大逆の罪を贖う時が来ている。
このハミ・クルエはオーエン王家の血を受け継ぐ者として、トクワに贖わせる責務がある。そしてその機会が巡ってきた。
だが、私に無理に協力してくれとは言わん。図らずもハミに味方した方々もおろう」
諸将はざわっとした。
「そういう者は去ってくれても構わん。自らの主君に忠義を尽くす者は敵であろうと私は賞賛する」
しばらくの沈黙。クルエは見回した。そして口を開く。
「どうか、方々、私に命を預けてくれるか?」
クルエは訴えるように言った。
「何を迷うか!?わしは領主様に従う!」
立ち上がったのはパンサールであった。
すると諸将が次々と立ち上がって歓声を上げた。
「マサエド領主様万歳!オーエン万歳!」
ダガーロワへの進発は記暦3340年9月15日のことである。
ダガール王トクワの娘ダガーレン・アンミとその臣下アレスは一足早くマサエドへ移送された。




