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ハミ太平記  作者: おしどりカラス
第一章
3/73

ハミ家の生き残り

 マサエドと呼ばれる地域があった。

 そこにはハミ家という豪族がおり、元をたどれば不毛の土地であったこの地域をハミ家の祖先が開拓したということのようである。

 記歴3321年四月、勢力を拡大し続けていたダガール国の大軍によってマサエドが占領される。ハミ家は軽く小競り合いを起こした程度で、全面的に戦うこともせずダガールに降った。

 まともに戦えば一族全滅も免れず、かつ領民に多大な被害が及ぶことは避けようもない。

 苦渋の決断であった。

 当時ハミ家の当主であった、ハミ・ワコムは主戦派を追放し、自らの首を差し出す覚悟でダガール軍に投降した。

 しかしダガール王トクワはハミ・ワコムを含むハミ一族を捕え、一斉に処刑した。

 ワコムの訴えは聞き遂げられることはなかったのである。

 彼としては一族の存続、あわよくば臣従する代わりに統治を継続出来ればという思いもあった。

 しかし結局代わりにダガールから派遣された武官がマサエドを統治するという形で決着がついたのである。

 もとよりダガール国としてはそのつもりであった。

 ハミ一族は元はと言えばダガール建国以前からあったオーエン国に臣従しており、ダガールがオーエンを倒して建国しようとした際、数ある豪族と共にダガールを攻撃したという経緯がある。

 そしてハミ一族はオーエン王族の流れを汲むとあって、特に厳しい処置が下されたのである。

 その年の五月までの出来事であった。

 

 時は経ち、3335年12月。

 その村の名前はキロといった。

 雪の降り積もる寒い日であった。

クルエは薪拾いの為、森の中雪を踏みならしながら歩いていた。

しかし彼女は周りを見渡すとゆっくりとしゃがみ、雪を掴んで丸めながら辺りを窺った。

「よし!今だ!」

 物陰からばっと少年が飛び出したかと思うと、それに向けてクルエが雪玉を投げつけた。

 彼の顔面に直撃する。

 しかし少年はめげずクルエに向かって雪玉をぶつけてきた。

「わっ」

 クルエは手で顔を覆いそれを防いだ。

「やっぱりやるなあ。まるで獣みたいな鼻のよさ」

 少年が笑いながら降りてくる。

「あいにく、この寒さで鼻が麻痺してる」

 クルエは薪を担ぎながら微笑んだ。

 彼女は小柄ではあったが活発な少女であった。黒髪で肩まで長さなのは動きやすいという理由からであった。

 少年もまた、薪を担いでいる。

 名をマブといった。

「ケスカやキリアが探してたぞ」

「そう、ありがとう。知らせてくれて」

 クルエは走り出した。

「ちょっと待って!」

 少年が彼女を呼び止める。

「何でわかった?」

 クルエがばっと振り返る。

「少し身体が見えてた!」

 彼女は走り出した。

 雪の降る寒い日であっても薪を手に入れるのは一苦労である。薪の火無しで過ごす日の方が多いくらいだ。 

 今日は運よく多くの薪が手に入った。

 

 火のついた薪がぱちぱちいっている。

「おばあちゃん、無理しないで」

 クルエは祖母を椅子に座らせた。

 彼女はクルエの育ての親であった。

 クルエは自分の両親がどんな人であったか、聞いたことがある。

 しかし、祖母はいつもそれに答えることはしなかった。

 いつしかクルエも聞いてはならぬことだと気付き、ここ数年その話題はせずにいる。

「寒くなったねえ……」

「そうだね」

 クルエは頷いた。

 家はかやぶきの屋根で壁も土を塗り固めたものであり、ここ一帯ではありふれた家であった。

 食事を終えると祖母はクルエを座らせた。彼女とは向かい合う形である。

 暖炉の火が灯っていた。

「そろそろ……話そうかと思っている」

 祖母は重々しく言った。

 クルエにもただごとでないと分かった。

「…………何を……?」

 祖母は口を開こうとする。

「いや……今は時期でないかもしれぬ。話して何になる……」

 彼女はひとりごとのように呟いた。

「え?……何なの……」

「クルエ。今日はもう寝なさい」

 有無を言わせぬ物言いであった。

 クルエは何も言えずじっと黙るしかなかった。

 

 翌日、クルエは村の中を何かをするというのでもなく、ぶらぶらと歩いていた。

 昨晩のことが気がかりである。

 いったい祖母は何を伝えようとしたのか。

 時期とは何のことなのか。

 このことが、彼女の頭の中を駆け巡ってはいたが、気持ちを切り替えることにした。

 いずれ聞けるのだ。

 今何か考えても意味はない。

「クルエー!」

 彼女を呼ぶ声がした。

 ケスカとキリアであった。

「おーい!」

 クルエも手を振って返した。

 彼女ら二人はクルエの昔からの友人であった。

 事あるごとにつるみ、そして遊びまわった。

 しかし最近は子供っぽいと思い、身体を動かすよりも話すことを楽しんだ。

「あのさー、ワイムがさあ」

 ケスカが愚痴る。

 ワイムとはケスカに最近出来た彼氏である。

 クルエら二人はケスカをなだめ、励ました。

 その他にも三人は冗談を言って笑いあったりするのが常であった。


 数日たったある日のことである。

不穏な噂というものは得てして速く伝播するものである。

 村中に不穏な噂が飛び交い始めた。

クルエの住む村の近くの村にダガールの兵がやってきて村中で何かを探し回ったというのだ。

村人たちは恐怖した。

近くの村ということはいずれこの村にもダガールの兵がやってきて荒らしまわるであろう…と。

クルエもその噂を耳にし、他の村人と同じように恐怖した一人であった。

ただ、彼女は実際にダガールの兵に対してあまり実感したこともなく、他の同年代の友と同じようにダガール軍を忘れもしない記憶として留めているわけではなかった。

つまり物心ついてからダガール軍を見たことがないのである。

 大人たちが恐ろしそうに話しているのをクルエたちは実感がわかないながらも、むしろわかないが故により恐怖した。

 クルエら三人も集まって話をした。

「ねえ、ケスカ、キリア。この村にも来るのかなあ」

 クルエは言った。

「来るかも……家に隠れといた方が……」

 ケスカは怯えたように周りを見渡す。

「ワイムはどうするんだろう…」

「じっとしてれば何もされないって」

 キリアは微笑んだ。

「来たら来たでその時なんだから」

 クルエは何とも形容しがたい胸のざわめきを覚えていた。

 それが何に由来するものなのか。兵隊が来るという話に怯えているのだと自身、そう思った。


 午後になると村人はかなりの数が家にこもった。

 クルエは家の中でじっと出来ず歩きまわっていた。祖母は椅子に座って悠然としていた。

 夕方近くになると外が騒がしくなった。クルエはちらりと外を覗くと、大人が数人走って行った。

 その後ろからゆっくりと村長が歩いて行く。

「どうやら本当に……こっちに向かっているみたいだね」

 クルエはぱっと後ろを向いた。

 祖母は神妙な表情でクルエを見つめていた。

「来るって……ダガール軍が?」

 クルエは自分の声が震えているのに気付いた。

「そうさ。ダガールの兵が来る」

「何で?そんなことが分かるの?」

 祖母はうつむいた。

 しばらくすると、馬の足音、鎧のこすれる音がどんどんと大きくなっていった。

 クルエには何の音かも分からなかったが、恐怖が、何かが近づいてくるという恐怖が大きくなっていった。

 外で悲鳴が上がり始めた。

「逃げなさい!」

「……え?」

 祖母は静かながらも威圧しクルエを睨みつけた。

「逃げなさい!クルエを追ってきているんだよ!」

 クルエは困惑した。恐怖と訳の分からなさでどうかなりそうだった。

「あんたは希望なんだ!」

 祖母は立ち上がり、杖でクルエを叩き始めた。

「……!やめて!……やめて!」

「さっさと出てお行き!裏口から逃げて山に逃げ込むんだ!」

 クルエは裏口から家を追い出されてしまった。

 外では怒号が飛び交っていた。

 クルエは家の裏からそっと覗く。

 ちょうどその時、村人の一人がダガール軍に一突きされて殺されるのを彼女は見た。

「……ひっ……!」

 クルエは尻もちをつきながら手足をばたつかせ後ろに後退しようとした。

 その瞬間、彼女の手を握ったものがあった。

「……!」

 クルエは叫びそうになったが、すぐに口を押さえこまれる。

「俺だ……!マブだ!」

 クルエは冷静さを取り戻そうと努力した。

 とにかく、彼はマブで、敵ではないということを。

マブはクルエを立ち上がらせる。

「逃げるんだ……うちの近所のおじいさんも殺された……!やつら村の皆を殺す気だ!」

 マブがクルエの手を引く。

「裏山に逃げよう!」

 クルエは頷いた。

二人は走った。

 かろうじてまだ兵隊には見つかっていないようだった。

 クルエが後ろを振り返ると、いつもは静かで幸福な時間が流れていた村が、今や悲鳴や怒号が飛び、村の全てが、壊されようとしている。

 クルエは悲しみとか、辛さとか、はたまた怒りのような訳のわからぬ感情に襲われた。

 訳のわからぬまま走った。


 夜になるとダガール軍は山狩りを始めた。

 クルエとマブの二人は山のちょっとした穴に隠れた。

「いったい何でなんだよ……!どうしてうちの村が……!」

 マブは震えながら言った。泣いているのかもしれなかった。

 クルエをここまで連れてきて、緊張の糸が切れたのかもしれない。

 彼女はマブの手をしっかりと握った。

「大丈夫……私と逃げよう!」

 マブは頷いた。

 山のあちこちで兵が叫んでいるのが聞こえる。

 クルエはそれがとても恐ろしく感じた。

「大丈夫……大丈夫だよ……」

 クルエはマブと自分にそう言い聞かせた。

 だんだんと兵の足音が迫ってくるのが分かった。

「いたか!?」

 兵が叫んでいる。

 二人は身体を小さくして、見つからないように祈った。

 兵士は彼らの近くにいる。

 近くにいて、辺りを探し回っている。

 クルエは早く兵士が向こうに行ってくれることを願った。

が、その願いは打ち砕かれることになる。

「おい!あそこに誰かいるぞ!」

 兵士が叫んだ。

 クルエは背筋が凍りついた気がした。

「こっちだ!この中に誰かいる!」

 見つかった……!

(私たちは殺されるんだ……!)

 クルエはそう思った。

 思った矢先のことである。

 クルエの口をマブがばっと押さえた。

「…………っ!」

 彼は小声で「決して声を出すな……俺に任せろ……うまく逃げろよ……」そう言うと、叫び声を上げて飛び出して行った。

「うおおおおおおお!」

「何だお前は!?」

 兵士たちが慌てる。

 だが、ぶすりと鈍い音がしたかと思うと、どすんと倒れる音がした。

「何だよこいつは?」

「まあいいや、行こうぜ。もう他には誰もいないみたいだ」

 兵士たちの足音が遠ざかっていく。

 クルエは急いでマブの所へ駆け寄る。

「何で……何で……何で?」

 マブは息絶え絶えながらも言った。

「俺は……お前が好きだったんだ……。やっと言えたぜ……。無事で……な……」

「……マブ!マブ……!しっかりして……!」

 クルエは何度も彼に呼びかけ、すがりついた。

 だが、彼は答えない。

 クルエには薄々、彼が死んでしまったと気付いていた。

 彼女ははっと兵士たちの声に気付き、急いで身を潜める。

 だが、こちらには近づいてこない。

 クルエは泣きながらも歯ぎしりしていた。

 意味が分からない。

 どうして、村の皆が殺され、マブまでも殺されなければならないのか。

 彼女は祖母の言葉を思い出していた。

 自分を兵士たちは追っているのだと。

 しかし、クルエにはそれは認め難かった。

 自分のせいで村の皆が死んだということなのである。


 一晩経ち、クルエは昼近くまでずっとその場に身を潜めていた。

 冬の寒さは非常にこたえた。

 彼女は一晩中震え続けた。

 しかしそれは寒さによる震えだけではなかった。

明るくなったのでマブの死体が目の前によく見える。

 兵士たちの声も足音ももうしない。

 村の様子を確認したかったが、兵士に見つかる危険もある。

 だが、あまりここにいるわけにもいかないし、山にいればいずれ見つかるかもしれない。彼女はそう思った。

 ゆっくりと立ち上がり、歩きだした。

「…………マブ……」

 しかししばらく歩いたところで、クルエは馬の足音を聞いた。

(ど……どこかに……隠れないと……!)

 クルエは隠れられそうな場所を探した。

 彼女は急いで木陰に隠れた。

 馬の足音が近づいてきた。

 クルエは身体を震わせながら身体を丸くする。

 やってきたのは、馬に乗った旅人のようであった。

「この辺りで人影があったはず……」

 その男は言いながら周りを見回していた。

(どうか……どうか……向こうへ行きますように……!)

 クルエは祈った。

「おい!そこにいるのか!」

 男は声を張り上げた。

「…………!」

 男は馬を降りて近づいてきた。

 クルエは立ち上がって走ろうとする。が、がしと腕を掴まれ、木陰から引っ張り出された。

「殺さないで殺さないで……」

 クルエは必死に懇願した。

 男は手を離した。

 クルエは男から離れようとしながらも男の人となりを凝視した。

 髭を少し生やしていて、美丈夫といった感じの男だった。

 男は苦笑した。

「安心しろ。君を殺すつもりはない」

 クルエはなおも男から後ずさりをする。

「君の両親から、君を託された」

「え……?」

 男は手を差し出した。

 クルエは目の前の男を信用すべきか図りかねていた。

「じゃ……じゃあ、私の両親の名前言える?」

「君は両親の名前を知らんだろう」

 クルエははっとして口ごもった。

「だが、君の育て親の名なら知っている。ゴダダというだろう?」

「何で……知って……」

 男はクルエをじっと見つめた。

「俺の親父が君をゴダダに託した」

 クルエは口を手で覆った。

 まさか、という思いだったのだ。

「じゃあ……あなたは……」

「だが、俺と君は家族ではない」

 クルエは手を降ろす。

「とにかく、俺は君を助けに来た。早く行くぞ」

 男はクルエを引っ張って無理やり馬に乗せると自分も跨った。

「え……?ちょっと待って……」

「待てない。村にはまだダガール兵がいるし、山狩りも昨日の分が終わっただけだ」

「え……」

「君の友人知人を弔う暇はないってことだ」

 クルエは男にしっかりと掴まった。

はっと声を上げ、男は馬を走らせ始めた。

 

 夜になって、彼らは宿屋を見つけたのでそこに泊まることにした。

 クルエは部屋の寝床に座って茫然としていた。

「疲れてるだろ。早く寝ろ」

 男から見てもクルエの憔悴ぶりは明らかだった。

 無理もなかった。あれだけ苛烈な出来事が少女の身に降りかかったのだ。

 見た目はまだあどけない一人の少女なのだ。

「ねえ……」

 クルエが口を開いた。

「ん……?」

「名前は何……?」

「俺か……」

 男は笑った。

「俺はコレニヤン・ワーズだ」

「コレニヤン……さん?」

「いや、ワーズでいい」

 クルエはくすっと笑った。

 良かったとワーズは思った。

 少し落ち着いたようだ。

「とりあえず寝た方がいい」

 クルエが頷いた。


 翌朝、クルエが目を覚ますとワーズの姿が見えなかった。

 荷物はそこに置いてあった。

 とりあえずほっとする。

「おい、食え」

 ワーズが肉の干し物をクルエに手渡した。

「腹減ったろう。うまいぞ」

 ワーズがかぶりついて食い始めた。

 クルエもそれを見て食べ始める。

 ワーズはそれを見て微笑んだ。

「これを食ったら出るぞ」

 ワーズとクルエは宿を後にし、馬を走らせた。

 クルエは自分がどこに連れて行かれるのか少し不安であった。

 しかし聞きだそうにも自分にはついに、その勇気が出なかった。

 だからこそ機会を見つけて尋ねてみようとクルエは思った。

 馬は山中の川沿いを走り続ける。

 雪が積もり、川は凍っていた。


 何度か休憩を挟んでその日の三時頃には大きな町に辿り着いた。

 ワーズが馬を預けてくると言ってクルエの側をしばし離れた。

 彼女は一人取り残されてしまった。

クルエはちょっとした不安と恐怖に襲われながらも、落ち着こうと心に決めた。

 今頼れるのは彼しかいないのだ。

 彼女はその場に留まっておくことにした。

 町は賑やかで、人々が行きかっている。

 どことなく、クルエとは別世界のことのように思われた。

 ワーズが戻ってきた。

 クルエは彼を見つけるとほっと息をつく。

「この町の豪商のもとでお世話になろう。俺の知り合いだ。安心しろ」

 ゴースは言った。

 二人は町でも一際大きな館の前に着いた。

 クルエは館を見上げる。

 こんな大きな家というものをクルエは見たことがなかった。

「入るぞ」

 ワーズが引き戸を開けると、一人の恰幅のよい男が出てきた。

「これは、ワーズ」

「しばらく、オポ」

 オポと呼ばれた男はクルエの方をじっと眺めた。

「そちらは?」

「後で話す」

 ワーズは館の中にずんずんと入って行った。

「おい、お前も」

 ワーズに促されたので、クルエも一緒に彼について行く。

 とある部屋に通された。

「娘を後で遣わしますので」

 オポは部屋から出て行った。

 クルエはとりあえず椅子に座った。

 ワーズも同様であった。

「お前はここでしばらく暮らす。いいな?」

 クルエは頷いた。

「でも……どうして?私はどうして……」

 ワーズが真剣な表情になった。

 クルエはぞくりとする。

「心配するな。怒っているのではない。ただ、お前は非常に重い宿命を背負っている。その覚悟はあるか?」

「え……」

 クルエには何のことか分からず、まったくと言っていいほど実感がわかなかった。

「今話そう……。お前を待ち望んでいる人々がいるんだ」

 ワーズがクルエにじっと睨みつけるような視線を向けた。

「お前は……ハミ家の最後の生き残りだ」

 クルエは首を傾げた。

「ハミ家……?あの偉い……」

「そう。ここら一帯を支配していた豪族ハミ家の忘れ形見なのだ」

「何言って……」

「大真面目だ。いいか、先代の当主ご夫妻は子であるお前を俺の父セダリ・キールに託した。そして俺と親父は侍女のゴダダにある程度成長するまで預けておいた。そしてハミ・ワコムは降伏したがハミ家は結局お前を除いて皆殺しにされたのだ」

 クルエはふっと笑った。

「ちょっと……ワーズ冗談でしょ……?だって私がそんなお姫様だなんて」

「いいか。俺の話を信じるかはお前の自由だ。敵は間違いなくお前を殺そうとするだろう。自分の殺される理由も知らず庶民として死ぬのと、ハミ家の姫として敵と戦うのとどちらがましかは分かるだろう?」

 クルエにもそれくらいは分かるつもりだった。

「おばあちゃんは私は狙われているって言ってた」

「彼女がゴダダだ。とにかくお前が生きているとダガールにとっては困りものに違いない。ただ豪族であり王族ではない為本腰は入れていないらしい」

 本気で探してないのに村の人たちを殺す?

「どうして……!?」

 クルエは声を荒げた。

「私に何が出来るっていうの?こんな小娘一人に!ほっといてくれれば良かったのに!」

 ワーズはじっと彼女を見つめていた。

「……俺たちはハミ復興を願っている。以前のハミの家臣たちは皆困窮にあえぎ、死の危険が常に伴っている。

 彼らはハミ家の者が再び戻ってきて欲しかったのだ」

 ワーズは言い終わるとクルエから目線を外した。

「え?」

 彼女には思わず声に出していた。

「つまり……私一人じゃ何も出来ないけど、あなたたちとなら出来るってこと?」

「そうだ」

 クルエはそのつづきを言えなかった。

 では、村の皆が殺されたのはワーズたちがいたからなのではと。

 同時にそう考えてしまった自分も嫌になった。

「我々にも責任の一端はあるかもしれん。村の人間が死んだのはその村を利用した我々のせいでもある」

 ワーズは重々しく言いきった。

 クルエの考えを見抜いたからであろう。

 いや、そうでなくともこの律儀な男は言ったかもしれなかった。

 戸を叩く音がした。

「入ってくれ」

 戸が開いて入ってきたのはクルエと同年齢くらいの少女だった。

「マソと申します」

 マソと名乗った少女は頭を下げた。

 クルエも頭を下げる。

「そんな……!姫様にそんなこと……!」

 マソは驚き戸惑ったようだった。

「姫様は毅然となさっていてください」

「でも」

 クルエは言う。

「お世話になるわけだし。私は姫として育てられてはいないし……」

「いえ、しかし」

「だが、これからはハミの正当な後継者としてふさわしい人間になってもらいたい」

 とワーズ。

 クルエは彼をちらりと見てすぐにマソの方に向き直った。

 ワーズが立ち上がった。

「俺はちょっと仲間にお前の到着を知らせに行く。数日はかかると思う」

「え……?」

 クルエは思わず声に出した。

「心配は無用だ。こちらも色々と準備があるのだ」

「うん……分かった」

 ワーズは部屋を出て行った。

 マソも頭を下げるとそそくさと出て行った。

 クルエは一人部屋に残された。

 

 数日後、ワーズは戻ってきた。

 その間というもの、クルエはマソとは他人行儀な付き合いしか出来ず、打ち解けられたとは言えなかった。

 これは双方に原因があるといっていい。

 マソは相手が姫だと思うあまり委縮し、クルエはクルエで踏み込んでいく勇気がなかったし、数日ずっと部屋で横になり、じっとし続けていた。

 ワーズは荷物を抱えていた。

 彼が布に包まれた荷物を机の上に置くと本の山が出てきた。

 クルエは言う。

「これは……?」

「これからお前には勉学、武芸に励んでもらわねばならん。これらは伝記。偉大な先人から学ぶのは良いことだ。そしてこれは兵法書、またこれはハミ家の歴史について、などなど」

 ワーズがクルエを見つめる。

「お前、読み書きは出来るか?」

「うん……おばあちゃんに教わった」

「ダガガはやはり抜かりがないな。ハミ家の当主たるもの教養がなくてはいかん」

 クルエは積まれた本の山を見る。

 そしてため息をつく。



 有能な主君足り得るには何が必要か。

 まずは有能な部下が揃っていることである。極論本人は無能でも部下の進言を受け入れる寛容ささえあればよい。

 次に本人がどれだけ旗でいられるかである。その者がいれば皆が結束するという人物であるべきである。

 第三に予想しない状況への対処としての最終決定を冷静に下せる者であること。

クルエは本を閉じた。

 天井を見上げる。

 彼女はしばらく考え続けていた。

 こんなことになって自分は何をしたいのか。

(確かにおばあちゃんや、マブ、ケスカ、キリア、村の皆を殺したダガールは憎い)

 事実、日が経つにつれて何とも憤懣遣るかたない思いが大きくなっているのを感じた。胸に激しい痛みが時より起こった。

 しかしその痛みはむしろ自分に対する怒りでもあると自覚していた。

 自分さえあそこにいなければ彼らは死なずに済んだのである。

(マブは私を生かすために死んだ)

 しかし自分にそこまでして生きる価値があるものなのかと自問自答した。

(お父さんも、お母さんも死んだ)

 クルエはふと思った。

 自分は一人っ子だったろうか。

 気になったのでワーズにその夜尋ねてみた。

「兄君と弟君がいた。二人とも幼かったが」

 とワーズは答えた。

「そう……」

 クルエは自分がより、孤独であるように思えた。


 

 ワーズはクルエをはっとして見た。

「あまり背負い込むな、ただでさえあんなことがあったんだ。気持ちの整理がついていないのは分かる。だが、何もかも抱えるというのは……」

 まだ早い。というつもりであった。

 彼女は見た目はまだあどけない少女なのだ。ハミ家としての気品と持ってこそはいて、その片鱗はあるがまだいかんせん子供だ。

「違う!」

 クルエは声を荒げた。

「分かってる……!それは分かってるけど……。でも私は死ぬべきだったのを何人もの人の命を犠牲にして生きながらえた身。だから……!」

 クルエはもどかしいと言わんばかりに部屋を歩き回った。

 ワーズは何も言わなかった。クルエがその続きを言うのを見守った。

「何か……しないと……!」

 クルエは悲痛な表情で言った。

 ワーズはそれを聞いて口を開く。

「お前の部下になる者と会っておくか?」 

 

 タダキがやってきたのは3336年の1月15日であった。

 クルエはマソの手伝いで荷物を運んでいた。

 マソは当初は嫌がっていたが、とうとう陥落しもうここ数日クルエは色々な手伝いをするようになった。

 それ以外にも勉学、武芸に勤しむ必要があるのだから大変である。

 ただ、武芸の方はあまり熱心ではなかった。

「よう、来たぜ!」

 戸が開け放たれて一人の男が入ってきた。

「おう、御苦労だったな」

 ワーズがにこにこしながら出迎える。

 クルエはその男を見た。

 眼光が強烈で、濃い顔立ちをしていた。ワーズとは違う強靭さがあった。

「よう、クルエ!」

 男は言った。

 クルエはお辞儀をする。

「俺はタダキだ!ホンカ・タダキだこれから姫さんの下で働くぜ」

「……よろしくお願いします」

 タダキは笑った。

「おいおい、人の上に立とうとする者がそれじゃ駄目だぜ。もっと堂々することだぜ」

 クルエは戸惑った。

「でも……私あんまり実感が……」

 事実、彼女は戸惑うに決まっていたのだ。

 自分が普通ではなく、ハミ家の当主で、こうして自分の部下だという男が訪ねてきたのだ。 

タダキは神妙な顔をした。

「姫さん……」

「それでも、私は……生かされた意味があるのなら、頑張っていきたいと思う」

 クルエはそう言いながら真剣な顔をした。

 タダキは微笑んで言う。

「俺だって生きる意味がある男だぜ。何かしら人は生きる意味を探しちゃいるが俺はとっくに決まっている。……俺の大事に思う連中のために生きるのさ」

 クルエはふっと笑った。

「それいいわね」

 その後、ワーズとタダキは二人でどこかへ行ってしまい、クルエは一人部屋で本を読んでいた。

 クルエが学ぶべきものはたくさんあった。

 ワーズが言うには実際にやりながら学ぶというのもあるとのこと。色々な人間を率いるのは知識が多いだけの人間ではない。

 果たして自分が人の上に立っていい人間なのだろうか。クルエはそういう悩みをこの頃持ち始めていた。

 特にタダキが来た時、クルエははっきり自覚した。自分は上に立たなければならない人間なのだと。

 それにふさわしい人間になる必要があるのだろう。

 クルエはこれから来るべき苦難を思った。

 そして彼らを率いて自分は何をするのだろう。

 クルエは自分の運命が動き始めたのを感じる。

 その運命とは、想像もし得ないものなのだ。はっきりとそう思った。


 その年の秋のこと。

 クルエはマソと出かけていた。

 クルエは時々こうして気晴らしに町に出ることが多かった。

 マソは彼女に付き合って一緒に出かけるのである。

 大抵クルエは町をぶらぶらと歩き、親しくなった町の人々と挨拶を交わし、会話をしたりしていた。

 その日は天気もよく暖かい一日であった。

 その頃にはクルエとマソはだいぶ打ち解けていた。

 同年代の相手が他にいないのだから当然であった。

「クルエ様」

 マソはクルエのことをそう呼んだ。

 人前で姫様と呼ばせるわけにもいかない。それにクルエ自身がその呼び名を嫌った。

「何?」

 クルエは空を見上げていた。

「あの……」

 マソは思っていたことを言った。

「クルエ様は重き宿命を背負っていらっしゃいます。それなのにこんな所で、この私と一緒にいていいのでしょうか?」

 クルエは振り返って不思議そうな顔をした。

「あなたはこの世界で何かを為そうとしている人です。いったいいつまで、私と共に……店の手伝いや町の人間とお話をなさっている…」

 クルエはマソをじっと見つめていたが、ふっと微笑んだ。

「私一人じゃ何も出来ないのよ?」

「いえ、あなた様は……!」

 マソは語気を強めた。

「その呼び方はやめて。普通にクルエでいいのに」

「普通は姫様を呼び捨てになど致しません!」

 クルエは考え込むように腕組みをした。

「姫は家来がいてこそじゃない」

「違います血筋です!」

 クルエとマソは向かい合ってしばらく見つめあった。

 するとクルエが苦笑いした。

「そうね、マソの言う通り。でも、ならお姫様の言うこと聞いてくれる?」

「そんな……」

 マソが困惑の表情を浮かべる。

「………。冗談よ、話しやすいと思う方でいいわ」

 クルエは歩きだした。


 マソの父であるオポの館が見える位置まで差し掛かった時、あることが起きた。

 二人の前を数人の男が取り囲んだのである。

 男達はごろつきの様であった。

「お前、オポの娘だろ」

 そのうちの一人が言った。

 マソははっとした。

「見覚えが……?」

 クルエがぼそっと言った。

 マソは頷く。

 以前、彼女の父に物を持ちこんで売ろうとした男だった。

「あの時のことは忘れたことがねえ」

 その男はマソを睨みつけた。

「……盗品は扱うことが出来ないんです!……説明したと……思いますが……」

 マソはうつむいて背中を丸くした。

「どうしてくれようか」

「おい、二人ともなかなかだぜ」

 男達は二人をじろじろと眺めた。

 中心のその男はクルエの方を見た。

 マソは大変驚いた。

 クルエは男をじっと見つめていたのである。

「特に……この友達の方は……」

 男はにやにやと笑った。

 二人は既に路地に追い込まれていた。

 だが、男は続きを言おうとはしなかった。

 クルエの視線に思わず目を逸らした。

「あなたはものを知らないわけではないでしょう?」

 クルエは静かに言った。

「盗品を扱えないというのはまっとうにして、理にかなった理由。それをあまつさえ商人の娘に対して恨みを晴らさんとするは実に身勝手極まりない。もしあなたにまだ人道の心あるのなら、ここは気持ちを静めて立ち去ってください」

 男達はお互いを見合って、再びクルエを見た。

 男は苦虫を噛み潰した顔をした。

 その後すぐに怒りを表情に表し、クルエをきっと睨みつけた。

 彼女は視線を外さない。

 マソはクルエの手が震えているのに気付いた。

「いいだろう。こいつは許す。……だが、お前は一緒に来てもらう」

 クルエとマソは驚いた表情を浮かべお互いを見合った。

 しかしクルエはすぐに男に視線を戻した。

「…………ええ」

 マソはぞくっとした。

「クルエ様!」

 クルエがマソの方を振り向いた。

「私は大丈夫」彼女はゆっくりと頷いた。

 マソは首を振った。

 クルエは彼女の背中をぽんぽんと叩き、マソを家に帰らせた。

 

 男達はクルエを連れて桟橋の下までやってきた。

「おい、こいつをどうするんだよ」

 一人が言った。

 男はふっと笑った。

 この男が仲間を仕切っているようだった。

「そうだな……」

 クルエは男の様子をじっと見る。

 男達は話しあっていた。

「娼窟に売り飛ばすのももったいないな」

「じゃあ、どうするんだよ?」

「俺達で楽しむのもいいんじゃね」

 しばらくすると「決めた!」と男が言った。

「俺はこいつを試し切りの相手にしたいね」

 男がそう言うと、皆が賛同した。

 口々に面白そうだ。と言った。

 クルエは内から上がってくる重い塊のようなものを感じ取り、吐き気がした。これは恐怖によるものなのだとクルエは思った。

 彼らは間違いなく言っていることを実行するに違いないのだ。

 クルエは震えを隠しきれなかった。

 男が剣をゆっくりと抜くと、クルエに歩み寄ってきた。

「……っ」

 クルエは思わず尻もちをつき、がくがく震えながら後ずさりした。

「ははは、怖がらなくてもすぐ終わるよ」

 男は笑っていた。

 だが次の瞬間、一喝するような声がした。

「この無礼者めが!」

 男達はばっとその方向を見た。

 クルエも見た。

 そこには堂々と立つワーズがいた。

 彼は男達に向かって近寄りながら声を張り上げた。

「かような如き輩はこのワーズ成敗仕る!」

 男達は剣を抜き、ワーズに近寄って行った。

 だが、ワーズは目の前の一人を斬り伏せ、即座にもう一人横にぶった斬った。

 さらに、一人、もう一人。

 最後にはあの男だけが残った。

 マソと因縁ある男、である。

 男はがくがく震えながらワーズの下にひれ伏した。

「悪い……!悪かった……許してくれ……お願いだ……!」

 ワーズはずっとその男を見下ろしていた。

 剣をその男の喉元に突きつけていた。

「いや、許さん」

 次の瞬間、血しぶきが飛び散り、男がばさっと倒れこんだ。

彼は絶命した。

 ワーズは血しぶきを払って剣を納めるとクルエの方を向き直った。

「あ……ありがとう……」

 クルエは震えを止めることが出来ず、立とうとしても身体に力が入らなかった。

「あれ……?あれ……?」

 ワーズがクルエに手を差し出し彼女はそれに掴まりようやく立ちあがった。

「ありがとう……」

「ありがとうじゃないっ!」

 ワーズはクルエを怒鳴りつけた。

 クルエはばっとワーズの顔を見た。

 彼は苦々しい顔をしていた。

「お前は……馬鹿なことをした!……死んでいたかもしれない!分かっているのか!」

 クルエは自嘲の思いで笑みを浮かべる。

「…………死ぬなんて……怖くないって……思ってたけど……ははは……」

 クルエはワーズに支えられながらゆっくり歩き出す。

「やっぱり死ぬのって怖いんだね」

「……あれは無駄な死だ。あんなことで死ぬべきではない」

 ワーズは静かに、そして諭すようにクルエに言った。


 あとでクルエが知ったことは彼女が連れ去られたのをマソがいち早くワーズや、店の仲間に知らせていたことだった。

 ワーズが彼女を見つけたのは運が良かったとしか言いようがない。

「お前……マソが俺達に知らせてくれるとでも思っていたんだろ」

 ワーズが呆れたように言った。

 クルエは茶をすすった。

 そして苦笑した。

「賭けだけど……そんな希望もなかった訳ではないけれど……」

「あんな馬鹿な真似はこれ以降控えて欲しい」

「うん、分かった。約束する」

 ワーズは顔をしかめた。

 

 十月五日、クルエの元にワーズ、タダキ、さらにはワーズいわく最長老というサカヒ・ダイがやって来ていた。

「姫様におかれましてはますますご勉学、武芸に励んでおられると聞き及んでおります」

 サカヒが頭を下げた。 

四人はテーブルに座っており、少々の食事が運び込まれていた。

 クルエは頭を下げた。

「クルエは姫なのだから頭を下げる必要はない。これからお前は俺たちを率いるのだから」

 ワーズがちくりと言った。

 クルエは彼の方を向く。

「何言ってるの。一介の姫なのだから重臣に礼の心を持つのは必要でしょう?」

「ははは!姫さんは謙虚なお方だ!」

 タダキが大笑いした。

 ワーズがタダキを睨みつける。

「さて」

 サカヒが口を開いた。しわの刻まれた風格ある顔であった。

「ワーズ、タダキ、姫様を当主の器たるものにしなければならんぞ。無論、姫様もそれ相応の努力を心がけ頂きたい」

 三人は頷いた。

「では、姫様の兵法や武芸の師となるはワーズとタダキがよろしかろう。わしが教えるのは教養の部分じゃ」

 ワーズ、タダキ、サカヒの三人はクルエを名実ともに主君としての器のある人物に育て上げようとしていた。決して、ただの傀儡に仕立て上げようとしていたのではなかった。女であるクルエを、そうやって祭り上げ実際は自分たちで取り仕切るという手もあったはずだ。

 しかし彼らは忠義者であった。

 ハミ家の当主であるクルエをないがしろにするなど考えられないことであったのだ。

 こうしてクルエを育て上げていく土壌は整った。

   

 クルエは地面に尻もちをついた。

 しかしこの程度で根を上げたら叱られる。

 すぐに立ち上がる必要があった。

「さあ!どうした!」

 ワーズが声を張り上げる。

 クルエは木刀を杖のようにして立ち上がる。

 彼女はぜえぜえと息をしていた。

「その辺にしといたらどうだい」

 タダキが茶を飲みながら言った。

「そうだな……」

 ワーズが呟く。

 クルエは即座に木刀を置き椅子に座った。

 その速さにワーズとタダキは苦笑して顔を見合わせる。

 三人は中庭で武芸の稽古を行っていた。

 クルエは椅子に寄りかかり疲れきっている。

 彼女は武芸だけでなく、ありとあらゆるものを吸収しなければならない。その為この稽古が終った後は学問を学ぶのである。

 しゃべる気力すら無かった。

 こんな日々が続いている。

 クルエはため息をついた。

「……ゆっくり休むことだ」

 ワーズはそう言うと中庭からいなくなった。

 彼は色々とそっけない。

 だが、彼女を気にかけているし、大事に思っているのは確かだとクルエにも感じられた。

「ははあ、ワーズの奴も厳しいものじゃのう」

 サカヒはげらげらと笑った。

 クルエの傷だらけの腕や顔をこの好々爺はじろじろと眺める。

「…………」

 笑いごとではない、とクルエは思った。

「わしは直接ワーズに言ってくれましょうぞ、将たるもの必ずしもその剣の扱いの上手下手で決まるものではなかろうて。兵の采配、謀略、これもまた重要なり。……なれど姫様」

 サカヒは静かに諭すように言う。

「姫様がどうお育ちになるか……は、姫様次第でありましょう。我々は貴女様の家臣でございます。全身全霊を以て姫様を支える所存でありますゆえ、どうかお忘れなきようお願い奉る」

彼は頭を下げた。

 クルエはふっと笑った。

 サカヒぽかんとした。

 この老人の堅苦しい言葉遣いが面白かったのだろうか。

「はい……。心得ました」

 クルエは頭を下げた。

 何だかクルエはおかしかった。何というかおかしかったのだ。

 だが暖かいものが胸に込み上げてくるのであった。



 その頃、である。

 ダガール王国は海を挟んでキュエト国と戦争状態であった。

 ワーズがこう暗躍出来たのもダガールの目がそちらに向いているというのもある。

 ダガール首都ダガーロワ。

ダガール王トクワは献上品であるキュエト産の果物ハブーを食していた。

 白いあごひげと漂う気品はその老人が只者でないとこを示していた。

「トクワ陛下」

 戸を叩く者があった。

「入れ」

 トクワは言った。

 入ってきたのはボーザといいマサエドを任された武官であった。この時彼はキュエト関係でダガーレングロルにやって来ていたのであった。

「何用じゃ」

 トクワは食べる手を止めない。

「まあ座れ」

「はっ」

ボーザは一礼してからトクワと反対側の椅子に座る。

「マサエドで不穏な動きがあるとの報告を受け参った次第でございます」

 トクワは頷いているが食べ続ける。

「どうやら……何か裏で暗躍している者がおるとの話……」

「それを何とする」

「はっ、捜索隊を送りまして探らせております」

「とりあえずはそれで良い。じゃが全て申せ」

「はあ……」

 ボーザが困惑した表情を浮かべる。

 トクワが顔を上げた。

「この儂に報告とは穏やかにあらず、只事ではないのであろう?」

「はっ」

 ボーザは頭を下げる。

「ハミ家という一族がおりましたことは私の記憶にも新しいことでございますが、その生き残りがいるという噂があるのです」

 ボーザはハブーを口に入れる。

「男か女か?」

「確か、娘であったかと。ハミ滅亡の際は赤ん坊だったらしく、内密に扱われていたとのことで」

「マサエドの民にしてみれば、ハミ家の生き残りがいるという話を語りたがるのは分かる。歴史が証明しているように非業の死を遂げた者が実は生きていた、という物語を民衆は信じたがるのは世の常なり」

「では、いかがなさいましょう」

「この果物はな……ハブーという」

 トクワは指差す。

「はい存じております」

「キュエト産でな、こうやってキュエト国を食す!という訳じゃ」

 ボーザは笑った。

「で、噂の話について……だが」

 トクワは静かに言った。

「噂を否定するのはかえってまずいであろう。捜索は結構結構、続けるがよい。じゃが、噂には噂じゃ」

「はあ……実は死んでいたという噂を流すのですね」

「いや、それはまずい。ダガールがやっきになって否定したがっていると思われるのはよろしからず。ここはハミ家の生き残りはその後流浪の身となり娼窟に身をやつしたと噂を流すように」

「はっ、そのように」

 ボーザは部屋を出て行った。

 トクワの息子はキュエトとの戦いに出払っており、戦力も割かれているが今のところは問題ないであろうと彼は考えた。

 もし本当にハミ家の生き残りが反旗を翻しダガールと敵対したとしても、手段を間違えさえしなければ脅威にはならない。

 しかしあのオーエン王族の血筋のものはほぼいないといっていいなか、オーエンの流れを組むハミの信望は注視すべであるのは確かだが。

トクワは出来れば軍を動かさずにすめばいいと思った。

 ダガールとしてはキュルト方面でより多くの軍を展開したかった。

 よって戦をせずに潰せるのなら上等である。


 そもそもダガールが何故ハミ家を有無言わさず処刑するに及んだかについてはいくつかの理由があるといっていい。

 一つとして、オーエン王国の遠縁で、ダガールと敵対した過去があることは先ほど触れた。オーエンの流れをくむというのはダガールにとっても厄介なのである。

 次に家臣同士の対立があったというものもある。ハミ家の除名を嘆願していた重臣と対立していた一派がそれに対抗する形として処刑を強行に主張した、というものである。

 トクワとしてもそれだけあれば充分理由たり得た。

 そして最終的に講和にやってきた振りをしたハミ家の当主ハミ・ワコムが相対したトクワに隙を狙って襲いかかったということで一族郎党処刑されることとなった。


 トクワには特に自慢の息子と娘がいた。

 この兄妹は二人とも優秀でトクワにとっても誇りであった。

 兄であるダガーレン・ヤイルはキュルトとの戦いで多大な功績を上げ続けており、常勝皇太子として名を馳せていた。

 妹のダガーレン・アンミも敵対勢力との戦いで武勲を上げ、小部族の制圧に乗り出していた。

 小さき国は滅ぼされ、大きき国も強権なきは滅びる。

 そして後継に恵まれなければ滅びる。

 トクワの理想通りの二人だった。

 その他にも何人も子がいる。

彼らも一族を盛りたてる為に必要だ

ダガーレン家の興隆や繁栄こそ、泰平のためにも必要なことだとトクワは考えていた。


 このトクワという男、元は貧農の出であったらしいのだが、オーエン軍に参加し武勲を積み重ね出世していった。しかしそれをよく思わない者もいて、オーエン国を二分しての戦いが行われた。しかしトクワは敗退を余儀なくされ、当時アパールと呼ばれた地域まで落ち延びた。しかし彼はここで終わる人物ではなく、再び大軍を指揮してついにはオーエン国を占領することに成功した。そしてそこで彼は王族をことごとく処刑し、貴族を取り込みダガール国の建国を果たすのである。

オーエンの王都は徹底的に破壊され、街を燃やす火は幾日にも渡って燃え続けた。

彼が再挙兵した場所が首都ダガーロワとなる。トクワはアパールにおいて都市開発をし、都市や法律を整備し軍を整えていた。よってその移行は容易なものであった。

 とどのつまり彼は一代の梟雄なのであった。


 クルエは床につきながら天井を見上げた。

不意に自分の暮らした村の皆のことが思い出され涙が流れた。

サカヒの言葉のせいだ。

彼女はそう思った。

理由はないが確信した。

あの時心が暖かくなった。

でもよく考えればおかしい。

どうしてあの言葉で暖かい気持ちになるのだ。

「姫様」

 部屋の外で声がした。

「入って」

 戸が開けられ入ってきたのはマソであった。

 彼女は机の上に菓子を置いた。

 小麦か米をすりつぶして焼いたもののようだ。

「これは……?」

 クルエは不思議に思った。

 いつもはこんな時間に菓子が出ることなどなかったのだ。

 マソはほほ笑んだ。

「ワーズ様ですよ」

「え……」

「では……」

 マソが出ていくと、クルエはじっとその菓子を眺める。

 そして口の中に入れて頬張った。

 思いのほかおいしかった。

 そしてまた涙が溢れた。

「ずるいや……ずるいや……二人とも……」

 クルエはあっという間に平らげて再び天井を仰ぐ。

 そして空になった皿の上を眺めた。


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