レイン川の戦い1
レイン川の決壊によって南北に分断され混乱の極地にあったダガール軍は、山側からの怒号に慄いた。
クルエ率いるマサエド軍が斜面をかけおり攻めかかろうとしている。
ダガール国王ダガーレン・トクワは歯軋りした。諜報は不充分であった。あんなところに敵が隠れていようとは。
川の決壊もそうだ。何故勘付けなかったのか。
これには諸説あり、ダガール軍は実は諜報を重んじていなかったとか、軍の拙速な進軍が仇となり諜報が疎かになったとか、またまたマサエド軍が巧妙に潜めていたのだとも言われている。
とある歴史家は諜報の不充分さを攻めるのは酷であり、後からなら何とでも言えるのであり、後世の無責任な『未来人の視点による批判』であると主張している。
ともかくダガール軍は攻められるばかりの形となった。
マサエド軍との戦闘に入ったのは8月27日午前10時のことである。
トクワは立て直そうと躍起になったが、軍神と称えられた彼であっても、時を要した。
ダガール本軍はともかく、付き従っていた豪族諸将達が言うことをきかない。
トクワは本隊を中心からマサエド軍との前線付近の豪族の背後まで動かした。
発破と圧力の意味を込めていた。
やられるばかりであった豪族もトクワが背後まで迫ったことにより態勢を立て直しやり返そうと試みた。
だがその時である。クルエ率いるマサエド軍との前線がある東側とは反対の、西側からさらに轟音が響き近づくのを戦場の者は感じた。
それはエキル・シュトラ率いるマサエド軍別働隊であった。別働隊とはいえ総大将のクルエが率いるマサエド軍の数倍もの兵力を有している。
そんな大軍が土煙を上げながら一気にダガール軍に襲い掛かった。
大軍の突撃に豪族などはひとたまりもなかった。
何人もの豪族が討ち取られたり、もしくは四散したり、兵達の抵抗もまばらですぐに突破された。
あろうことか敵軍が突破していくのを黙って見守り動きもしなかった豪族もいるのであった。
「お逃げください!」
兵士が必死の言上をした。
トクワは悔しげに唸る。
「ここはわたくしが」
名乗り上げたのはゴーラン・ハイトという壮年の将であった。
トクワの信任厚い男で、武勇に優れた勇猛果敢な武将である。
「ハイト」
「陛下、わたくしが殿を務めます故、陛下はお逃げください」
「何を言うのだ。わしに恥をかけと?」
「生きてさえいれば再戦の機会は訪れましょう。一時の恥をしのげばこそ……」
トクワは地団駄を踏んだ。
「おのれい」
そしてハイトをじっと見る。
「頼むぞ」
「はっ」
トクワは僅かな兵とともに密かに戦場を抜け出すために駆け始めた。
それを見やりゴーラン・ハイトは馬に乗る。
「陛下、姫様、ご覧あれ。妻よ子よ父の勇姿を見るがよい。このゴーランの最後の戦働きじゃ!」
「ハイト様」
次々と兵士や武将が彼に馬で駆け寄ったり走り寄ったりした。
「お供いたします」
「かような名誉ある働き、それがしも参加しとうございます」
「殿とは言わず敵を撃滅しましょうぞ」
「トンリ、サイガ、プーロン……」
ハイトは見回した。
ダガールもまだ捨てたものではない。忠義に厚き者、勇猛な者、信義ある者、大勢いる。ダガールは滅びぬ。必ずや力を盛り返し、敵を滅ぼし繁栄を誇るであろう。
晴れやかな気分だった。
身体も軽い。
風が心地いい。
馬もどこか今までよりずっと言うことを聞いてくれている感じがする。
(お前も共にするか)
「我こそは、ダガール軍ゴーラン・ハイトである!いざ御覧ぜよ!」
ハイトの戦いぶりはマサエド軍を恐れさせた。
これまで有象無象ぶりを見せ付けていた敵軍とは訳の違う相手が出てきたのだ。
クルエは後方からその様子を眺め、一時引くよう命じた。
「態勢を立て直し、あの敵将めがけて再突撃を掛けよ」
ハイトはダガール軍を率い、強靭な抵抗を示した。
クルエとシュトラがそれぞれ波状攻撃を仕掛けても頑強に抵抗した。
それはハイトもそうだがダガール軍そのものの士気の高さにあるといえた。主君を逃がそうと殿を務める彼らは必死に戦った。
それは夕方まで続いた。
一人また一人と兵が減っていき、ついには包囲されたが最期に突撃をかけた。
「ハミ・クルエー!!覚悟ぉー!」
しかしそれは届かなかった。
ハイトは横から弓でこめかみを撃たれ馬から転落した。
レイン川の北側でダガール軍の惨状を目の当たりにしていたアンミは衝撃のあまり茫然自失となった。
「父上……」
やっと出た言葉がそれであった。
「必ずや陛下はご無事です」
サライが力強く言った。
「陛下はいくつもの危機的状況を乗り越えてこられました。このようなことだって何度もございました。しかしその度に陛下は必ず最後は勝ったのです」
アレスとソレイは頷いた。
「姫様、姫様が元気をなくしては兵士達にも動揺が広がります。信じましょう」
とアレス。
「このソレイが、クルエとかいう女狐が首を持ち帰って見せまする」
ソレイが笑った。
アンミ以上にトクワを信じるサライ、冷静なアレス、粗野だが元気付けようとするソレイ。
アンミは胸元に手をやり強く握り締めた。
クルエは軍勢を整え、簡素な陣に陣取った。
ダガール軍は川の北側には健在なれど南側はほぼ壊滅したと言ってよかった。
ダガールに付き従っていた豪族達は四散したりもしくは降伏を願い出ていた。
クルエの返答は「ならばレイン川の北にいるダガールを討ち滅しめよ」とのそっけないものだった。
逃亡したダガーレン・トクワの捜索にはサカヒが口を出した。
「サカヒ」
「サカヒ!貴様は口を慎んでおれ!お主に資格などない!」
フクサマが吼えた。
「ご尤も!」
カワデが頷く。
「よいではありませんか。訊くだけ聞いてみても」
シュトラが微笑みながら言う。
この様子はシュトラとサカヒの関係の蜜月を思わせたがクルエは頷いた。
「申せ」
「トクワ捜索は降伏してきた豪族共にさせるのです。さすれば我等は兵を割かれずに済みまするし、豪族共も躍起になって探すでしょう」
「うむ」
クルエは言った。
「姫様、なりませぬ。サカヒの策など取り入れては!」
フクサマは言った。
これでは、前と同じである。
「フクサマ、よいものは取り入れなければ。どうせサカヒには戦後詰問があるのだから。この決定はサカヒがいくら武勲を挙げようと覆らないものよ」
クルエはよかろう、とサカヒの言を取り入れた。




