恐るべき第一打
サカヒの部下は不満を抱えていた。
此度の戦には参加できるであろう、だがろくな役目を与えられまい。手柄を立てるなど夢のまた夢だ。
それどころか、後々まで日陰者としての扱いを強いられるのではないか。当主クルエの心証を悪くしてしまったという不安が、彼らをいっそう支配した。それは重苦しい霧のようにまとわりついている。
当主クルエを恨む者、自分達の上司サカヒを恨む者、果ては運命そのものを恨みをぶつける者、様々だった。奇しくもそのバラバラさが暴発を防いだのかもしれない。
クルエはそんなサカヒの部下の様子を知らされていた。が、特に手を打とうとはしなかった。とりあえずこの事は保留にしたいという彼女の意思ははっきりしていた。
しかしこうした燻りは全体で見れば小さなものであって、マサエド軍はよくまとまっていた。
クルエは自分が思っている以上にカリスマになっていたし、シュトラの軍事的政治的卓越も大きな信望を集めている。
この二人がどちらかでも死ねばマサエド軍は崩壊の道を辿るだろう。
クルエが死ねば主柱が失われハミ家崩壊、マサエド軍も離散するであろう。シュトラが死んでもマサエド軍は戦線を維持出来なくなる。
当主が死ねば崩壊するのはダガール軍とて同じこと。
二頭体制じみているマサエド軍に対して、ダガールはトクワという一人の超新星を中心に渦となって巨大な勢力を築きだしている。
だがトクワは高齢であったし、弔い合戦という枷を自らに科している。
これが不利に働くかどうかはまだ誰にも分からない。
ダガーレン・アンミはハミ・クルエと違って味方であるはずの者の中にはっきりとした敵がいる。
これは王家というものの悲しい性で、同族間の争いは常に起りえる。至上の権力は人を惑わすのだろうか。無論権力欲を刺激されるだろうし、疑心暗鬼も心に生まれる。野心という積極的な理由で平地に乱を起こす者もいれば、臆病故に相手を滅ぼさねばならぬという強迫観念に囚われ乱を起こす者もいる。
また、ちょっとした待遇の違いもかなりの不満となる。民衆ならぐっと堪えてしまうような身内内での扱いの違いも、そこに自分が自由に動かせる兵がいるとなれば話は別である……。
ダガールははやくもそんな時期に来ているようだ。
ダガーレン・トクワという偉丈夫がいる限りにはそんなこと起りえず、皆彼に従うのみ。そう思っていた者も大勢いた。
だが、彼の死後はどうだろう。嫡男ヤイルを亡くして以降、ダガールは将来への多大な不安と不透明さに殺気立っている。
トクワの死が訪れてしまえば一気に噴出してしまうだろう。その時ダガールは滅亡の道を辿ることなく延命出来るだろうか。そんな恐怖が霧のようにまとわりつく。
ダガーレン・トクワ自身がそれに似た焦りを覚えていた。
だからこそ、今眼前にあるマサエドの脅威を、叩き潰す必要があるのだ。
ダガール軍は怒涛の速さで進軍を続けた。
あらゆる方向に少数の調査部隊を派遣し情報を収集しつつ兵を進める。
マサエド軍が姿を消してしまったとはいえ、潜伏できるのは城や要塞しかない。そして潜伏しそうな場所といえば限られている。
8月18日、トマール山脈に差し掛かる。
「恐らくこの山を越えたのだろう」
という話がダガール軍から聞こえた。
「敵は越えてきたあたりで待ち伏せているのではないか?」
「我等が弱ったところを叩くつもりでは?」
兵士達はそう囁いた。
ダガール上層部の意見は決していた。
トマール山脈を越えていく。
諜報から山脈の向こうに敵はいない、との報告を待たずとも考えは決まっていた。
これはダガーレン・トクワの将としての才覚が決断させたのであった。
ダガール軍は8月21日にこれを突破した。
マサエド軍はどこに潜伏しているのか。
アンミは部下に意見を訊くことにした。
ソレイが口を開いた。
「どこかに篭城しているのでしょう。愚かな。後詰もなかろうし、援軍もないでしょう。このまま一気にクルエめの首を討ち取れましょう」
アレスは考え込んでいた。
「それかもしくは、どこからか奇襲を仕掛けてくるやもしれません。地の利は奴らの方にあるのです。このあたりは我々は明るくないですし」
「ふむ」
アレスは腕組をした。
「しかし諜報部隊を四方八方に飛ばしているのだし、奇襲で心配するのは唯一つ、敵の予想外の出没ではなく敵が出没してから動揺せずに対処できるかだ。その辺は心配なかろう。我らは一枚岩だ。敵はそうではないがな」
アンミはにやりと笑った。
「むしろ、敵への奇襲の機会が巡ってくるやもしれん。もしその時このアンミが大役を任されれば、お主達を頼りにするぞ」
「は、必ずやご期待に沿いまする!」
「姫様の恩為、身命を賭す覚悟!」
ソレイとアレスは恭しく答えた。
アンミと家臣達の結束はこれまでよりずっと強いものとなっていた。
これこそ、ダガールの強さの根源だとアンミは思う。鉄のように固い結束力がありさえすれば、あのマサエドの女狐など敵ではないだろう。
所詮、終わった権威にしがみつきし輩だ。ちょっとつついてやれば脆くも崩れ去るであろう。兵は蜘蛛の子を散らすように四散し、味方は裏切り、最終的には孤立する。
失われた権威は二度と蘇りはしない。それは歴史が証明しているではないか。そんな権威を振りかざしたとて、本当の意味で人々を集めはしない。
過去の亡霊が『今』を掻き乱し、乱を起こすなど許されないことだ。
「過去の亡霊はそのまま寝ていて欲しいものだ。無用な血を流すなど」
そしてアンミは苦笑した。
ちょっとした休憩の後に、8月23日ダガール軍は兵を動かした。
不慣れな土地を、諜報部隊に先回りさせながら進む。
この頃になるとマサエド軍がどこに篭っているか大体の見当がつき始めていた。
「エキル・シュトラのパラマ城」
というのが、軍議の場での予想であった。
「このまま、パラマ城を一気に攻め滅ぼしましょう」
「いや、待て、罠かもしれぬ」
ダガールに与する豪族はダガーレン・トクワの最終決定を欲していた。
トクワは考える様子もなく即答した。
「このまま兵を進める。威風堂々と兵を進め、奴らを畏怖させる。目指すは無論パラマ城」
「はっ!!」
後数日のうちに着くものと思われた。
だが、8月25日、ダガールは先発部隊からの知らせに歯軋りをすることとなった。
川の決壊であった。
レイン川というその大河の決壊は人為的なものであるのは明らかだった。恐らくは土嚢でも積んで決壊させ水を一気に流したのであろう。
「おのれ!時間稼ぎのつもりか!」
トクワはマサエド側の仕掛けてきた焦土作戦のこともあり、苛立った。
アンミは兵からの知らせを受けた。
「何っ!?」
「まったく小賢しい!」
ソレイは吐き捨てた。
「だが、所詮は時間稼ぎよ」
「しかしマサエドの連中が田畑を焼き払い民や食糧を持ち去っていることを忘れるな」
アレスが冷静に言った。
「姫様」
「うむ」
アンミ軍からはその決壊したという川は見えない。
8月26日になってその川をダガール本隊は目の当たりにした。
川が増水し激しい流れとなって立ちはだかったのだ。
馬で渡るなどとても出来るものではない。
激流は轟音を立てて立ちふさがった。
対岸に敵軍は見当たらない。
トクワは即座に比較的浅そうな場所を探させた。
そして木材を集め橋を作るように命じる。
アンミはといえば、それを見守るばかりである。
「こんな手で足止めをしたつもりだろうが……。何故対岸に兵を置かぬ。渡ってきたところを叩けば向こうが有利のはず」
一抹の不安を覚えながらアンミは敵の狙いを探ろうとした。
8月27日には橋が出来始め、川のあちこちにかかった。アンミは多くの豪族とその橋を渡った。
ダガーレン・トクワは未だ渡っていない。総大将として急いた行動を取れないところもある。
アンミは隊列を整え、進軍の準備を完了させつつあった。
後はダガール王ダガーレン・トクワが渡れば終わりである
しかし予想外の知らせが入りアンミは驚愕した。
「何事だ!」
馬の上から跪く兵に向かって言う。
彼は伝令に馬で走ってきて、下馬した上で報告した。
「諜報部隊からの知らせによりますと、マサエド軍にダガーロワを攻めんとする動きありとのこと!」
(そうか!そういうことか!)
アンミはすぐに父のことを思い浮かべた。陛下もその知らせを受けたであろう。
(これは陽動だ!)
アレスとソレイを見やる。
二人は頷いた。
だがその時轟音が鳴り響いた。
さらに大きな激流が上流から流れてきたのだ。
橋もいくつか流されてしまい、兵士達も数多く飲み込まれてしまった。
アンミは呆然とした。
彼女だけではない。ダガール軍はその惨状に愕然とした。
このレイン川は二つの支流が合流して一つの川となっており、その二つの支流を決壊させたものと結論づけられた。
これで完全にアンミ軍とダガール本軍は分断されてしまった。
記暦3340年8月27日、ダガール軍は混乱のさなかにある。




