問われるもの
ダガールは大軍を率いてマサエドに入った。
その数、およそ8万を越えていたのは確実といわれる。
ダガーレン・トクワの戦意は非常に高く、ハミ家を完膚なきまでに叩き潰すつもりであった。むろんハミ側についた豪族達もただでは済まさぬと断言した。
兵力も、求心力も、ダガールの方がマサエド軍より上であった。
これで負ける道理はない。
その進軍の堂々たる事、まさに王者の風格であり、マサエド領主を僭称するハミ・クルエなる女狐を誅罰するという大義に諸将は高揚感を高ぶらせていた。
ダガール王女ダガーレン・アンミも同じ気持ちであるとはいえた。
だが、彼女とその家臣達には不安がないわけではない。
敵は前方のみにあらず。
首都ダガーロワにはヴァイレンがおり、国王の不在に好き勝手する恐れがあるのだ。いちおう宰相のネジン・ライリーがいるが―この男はトクワの信任厚き男で、トクワが若い日から頼りにしている人物であるのだが、最近臥せり気味だ。
武勇に優れた偉大な将である父親ダガーレン・トクワ、彼に足りないところといえば細かな調整能力である。カリスマではあっても、人を引き寄せはしても、家臣、豪族、民といった者達が何を望んでいるか、何を与えるべきか、そして何をさせるべきかはそう簡単に分かるものではない。
ネジンが臥せりだしてから、ダガールにも風雲が巻き起こったと見るべきだろうか。彼の政治でダガールは非常に安定して勢力を伸ばしていたし、堅固でありながら柔軟であった。ここ最近のダガールの強硬振りと勢力減退は彼の不在によるものであったか。
ネジンは調子が良かった。
だが、公の場から遠のいてしばらく立つ身だ。
これから自分はどうすべきか悩んでいる。
病に倒れたとき、トクワ陛下には宰相を辞する意思を表明した。だが、トクワは横へ首を振った。「戻ってまたわしを支えよ」手を握って彼は言うのだった。
思わず目頭が熱くなったのを覚えている。
必ずや病を治そうと心に決めたのだ。
だが、もうすっかり元気がなくなってしまった。今、トクワ陛下の独裁状態にあるといっていいが、この首都には三男のヴァイレン王子が留守を守っている。
彼は父親の策謀的部分をとくに受け継いだと見え、これを機に宮廷を牛耳ろうとするであろう。
その何か企んでいる事が丸分かりなところも父親譲りだ。ネジンは思った。
ネジンがダガーレン・ヴァイレンの訪問を受けたのは記暦3340年8月16日と記録にある。
ヴァイレンは恭しく父親の功臣を労った。
「お身体の方は……」
「おかげで気分もようございます」
ネジンは微笑んだ。
「それは良かった」
ヴァイレンも微笑んだ。
「貴方にはまだ居てもらわなければ困る」
「貴方様がですか?」
「父上です」
ヴァイレンは声を上げて笑った。
結構な美男子で、人をひきつけるものがあった。だが、どこか陰鬱な雰囲気を人に与える。
「この度の出兵如何お考えですか?」
ネジンは身構えた。
「あのまま放っておけばダガールの脅威になることは必定、陛下の判断は間違っていないと思います」
「私もそう思う」
ヴァイレンは出された高級麦酒を見つめる。
「だが陛下は、此度の戦いをヤイル兄上の弔い合戦だと言うておる。それは良い。だが少し頑なに過ぎるとは思わんか」
「…………」
「お主が元気だった頃のダガールはもっと、したたかだった。剛柔併せ持つ強さがあった」
「今のダガールにはその強さがないと?」
「まあ、弔い合戦なのだから致し方あるまい」
ヴァイレンは結局麦酒に手をつけず帰っていった。
(毒でも盛ると思うたか)
見くびられたものだ。
自分の分と彼の分の麦酒を一気に飲み干し、使用人を呼んだ。
その数日後くらいからである。
妙な風聞が流れ出したのは。
ネジンが、此度のマサエド出兵に反対で、あわよくば実権を得ようと画策中であるというのだ。
馬鹿らしいとは思いつつも、ヴァイレンの厚顔な策にあきれ果てた。
思えばアンミの時も同じだったのだ。
ネジンの部下や親交のあった者達は次々と軟禁に追いこまれ、ネジン当人も館の周りを兵がうろつき始めた。実質彼も軟禁されていた。
彼は憮然として決断した。
下手なことはすまい。このまま何もしないで館に篭っていよう。
八月中旬。
この頃になって、ダガールは先遣隊からの情報が正しいと実感した。
マサエドには人っ子一人いない。
ハミ・クルエとエキル・シュトラが民や兵を皆、北へ連れて行こうとしてるとは聞いていたが、なかなか上手くいくものでもあるまいし、まさかここまで速く完了させているとは思いも寄らなかった。
想像以上の統率力だ。
民だけでなく食糧等も一緒に連れて行き、田畑は焼き払ってしまっていた。なのでダガールは兵糧に不安要素を抱えることになった。
特にダガールに付き従う豪族達は苦悩した。
ダガールはこの際本国から送ってもらえばいいのだが、ダガールのように兵站がしっかりしていなかったり、兵糧を送ろうにも他豪族の領地を通らなければならなかったり、かといってダガールが分けてくれる訳もなし、どうしたものか。
ダガーレン・トクワはこのまま一気に北へ向かうことを決断した。
「味方の兵糧が尽きる前に決着をつけられればそれでよし、それが敵わぬとしても敵には時間を与えるわけにはいかぬ」
トクワはそう言い、家臣や豪族達も頷いた。
これは敵の離反工作であることは明らかなのだ。特に豪族達は釘を刺されたような思いであった。
この戦いではダガーレン・トクワの統率力が改めて問われていた。




