決戦へ
タカラ・オームはその強かな眼光を娘に向けた。
「えーリよ、お前はどう見る」
エーリはこの機会を置いてないと思った。
なかなか切り出せずにいたのだ。
「わたくしは、ハミ家に命運を託すべきと思います」
「何故そう思う」
「ダガールに与しても、使われるだけにございます。それならば新興のハミのほうが芽もありましょう。それにハミ家はいまや日の出の勢い、しかしダガールは嫡男が横死するなど陰りがございます。ダガールは所詮成り上がりものです。勢いを失えば信望をすぐに失いまする。その点ハミにはその心配はありませんわ。
ハミには血という何にも得がたい権威という武器を最初から持っているのです」
「しかしハミの家臣共はどこか排他的だ。わしならともかく、その他の豪族連中も信用していないしいずれ倒そうと思っている。
あの式目がそうだ。
クルエ姫はよしとして、家臣連中は式目を利用して難癖をつけようと企んでおるだろう」
エーリはすぐに切り返した。
「それはダガールとて、同じでしょう。ダガールはマサエドの豪族をただでは許すとは思えませんわ。嫡男を亡くして心に余裕のないダガーレン・トクワが、少なくとも武力においては余裕のあるダガール軍を用いてどんなことをしてくるか」
「ハミよりダガールの方が強かろう。次は勝ち目がないのではないか?」
「父上、利に聡い父上ならお分かりのはずです。利を求めすぎる者は利から見放されることもあると」
「左様、目先の餌に飛びつく獣のような真似はせん。わしはハミ家臣団は信用してはいないが、ハミ・クルエはちょっとは信用してもよいと思っている」
エーリはここで嬉しさを顔に出してしまったのだろうか。
「ふふ、わしとお前はおそらく考えは同じじゃ。だがお前のそのクルエ寄りの考えはどうかした方が良かろうな。姫様とはある程度の距離をとっておかねば。近すぎれば見えなくなるものもあろう」
オポ・マソのところにタカラ・エーリが訪れたのは2月3日のことであった。
「エーリ殿におかれてはお変わりなく……」
「ご健勝で何より」
二人は食事を前に語らった。
しばらくとりとめのない話をしていたが、話題を振ったのはマソの方であった。
「とりあえず姫様が式目を制定されめでたい限りでございます」
「そうね、これで名実ともにマサエド領主となられた」
マソは嬉しそうであった。
式目制定を喜ぶ豪族は多い。
喜んでないのは父のような野心家と警戒心の強い者ぐらいだろう。
特にオポ家にとってはこの度のことは非常に嬉しいはずだ。
ハミと懇意にして以来勢力を伸ばしたが、これで更に。
「いっそのこと領主といわず王となられれば良いのに」
「何を仰せですか」
マソは眉を顰める。
「先君夫妻は王などではなかった。あくまで豪族、領主という立場でした」
「それが問題になるかしら?」
「もともと王を名乗って良いのはオーエン王室の者だけでした。今やダガーレン・トクワが王を僭称しておりますが」
「形式が問題なら、オーエン王国の再興という大義を掲げればいいのよ。そして即位はオーエンの作法に則って行えばいい。姫様はかろうじてオーエン王室の末裔といってよいのだし」
「エーリ!……さん」
マソは恐らく、クルエやエーリよりも真っ当な考えの持ち主であろう。とエーリは思った。
「王国を再興するとして、姫様の婚約相手は誰ですか。一代のみで終わってしまっては再興した、とは言えません。
女王となられた姫様にふさわしい相手とは?
オーエン王国再興、ひいてはハミ家再興の為にはそれ相応の相手でなければなりません。でもさすれば外戚がのさばるのは目に見えていますでしょう」
「そうね。姫様は一人、結婚なさった場合、姫様お一人でどうにかしなければならない。姫様の死の後の覇権を手に入れまいと婚姻を申し込む豪族もいるでしょう」
マソは俯いた。
「死後ならまだしもご存命の内すら危ういかもしれないわね。姫様の人柄を慮るに、外戚に好き勝手させるかもしれない」
エーリは続ける。
「それと私が懸念しているのは、オーエン王室の血を持ち出した時、どんな輩が姫様に迫ることやら。ということ。
オーエン王室はほぼ根絶やしにされたと訊くけど、遡れば王室の血を引いている者など結構いそうなものだしね。系図をでっち上げる輩もいるかも」
「例えでっち上げられた系図でもかなりの権威となりましょうね。姫様が女王となられれば余計な災いを姫様に招くのでは?」
「ハミ・クルエという者にとっては、もしかしたら今が最後の平穏の時なのかもしれないわね」
「そんなはずはありません。しかし貴女はそんな危険を承知で姫様に女王になれと仰せなのですか」
とマソ。
クルエにはいくつか選択肢がある。
このまま領主のまま留まり、豪族連合を従えるか。
オーエン王国を再興し、その女王に収まるか。
もしくはまったく新しい王朝を築き、初代女王となるか。
ダガーレン・トクワが対外的にも王を名乗り、ダガール国を建国している事実がある以上、これはもはやオーエン王室の者のみが王になれるという不文律は崩壊しているといっていいのではないだろうか。
「姫様はハミ王朝を築くべきだわ。オーエン王国の再興となれば、ハミ家の家格はオーエンありきになってしまう。でもハミ家そのものに大きな価値を作り出すならば、ハミ家は、もとい姫様は特別な存在となれる」
「それを成そうとしているのがダガールなのではありませんか」
マソは即答した。
「しかし姫様のようにオーエンの血筋の者に盛り返されている」
「さっきも言ったようにオーエン王国再興の場合も同じ懸念はあるわ」
「それは分かります」
マソは言った。
「私には想像が出来ません。恐れ多くて……姫様が女王となられるなんて」
「恐らく姫様自身も望んでいないわ」
「でもそれが姫様の天命だというのなら、仕方のないことかもしれませんね」
二人は同時に麦酒をぐいっといった。
記暦3340年4月、20歳になったクルエは祝いの席を早々に退出し、一人部屋に戻った。
体調が優れないと言い訳してのことである。
節目の行事や、公的な祝賀の場ならともかく、自分の誕生日を祝うだけの行事はなんだか好きではなかった。
マサエド領主の誕生祝いは極めて公的で政治的な意味合いを持つとは分かっているのだが……。
自分におべっかをしてくる大勢の人々。
彼らの立場なら仕方なかろうが。
(……ハミ……クルエ……誕生日おめでとう……)
クルエはベッドに隠していた果酒をちびちびと飲む。
いわゆる公然の秘密である訳なのだが、これを指摘するのはワーズくらいのものである。
5月、ダガールがついに兵を結集し、マサエド侵攻の意を明らかにする。
クルエはシュトラと文書を交わし、挙兵を確約した。
互いに、文書を出す以前から挙兵の準備を始めている。
ダガールに従う豪族、マサエドでハミ家に従う豪族、おおよそ3対1とといっていい。
軍事力の差でいうとダガールはハミの4倍程である。
絶望的な状況ではあったが、視点を変えれば当初は吹けば飛ぶような勢力からダガールの4分の1にまでなったのだ。
絶望と、妙な希望と、高揚感が溢れる中、ハミ家臣団はクルエを戴きダガールを迎え撃とうとしている。




