火種
ヴァイレンはかすり傷で済み、徒も大きな怪我を負ったものはいない。
「このヴァイレンの命を狙った者がおる!」
彼は怒りも心頭といった感じで言った。
夜道を従者と共に馬に乗り帰宅の徒についていると、数人の謎の刺客が襲い掛かってきたという。
「刺客の所属は不明である。だが、我を殺そうとする者に心当たりが無い訳ではない」
ため息をついた。
「しかし、証拠もあげずには、まずは調べてからでも」
アンミは言う。
「わたくしは姉上を信じたいのでござりまする」
ヴァイレンは呟く。
トクワもついに動いた。
ダガールが犯人を追い始めたということである。
数日後、数人の男が捕縛されたが、拷問の末何も吐かず死んだ。
「見上げた忠誠心だ」
兼備の将サライが感心したように言う。
「感心してもいられまい。奴らは薬を使っていた」
アレスが軽蔑を浮かべて吐き捨てた。
「やはり裏で動いているのは只者ではない」
「では一体誰だと言うんだ?」
ソレイが口を挟む。
彼はこの二人とは違って少々粗野な面があった。
「誰であろうと、姫様の名の下に姫様に手向かう者は血祭りにあげてやる」
ここにいた彼らはアンミの身を心配した。
刺客の危険性は当然である。だがそれと同じくらい、これを機にアンミ・ダガーレンを失脚させようとする動きが現れるのではないか。
「もしヴァイレンの策謀ならば、姫様が危ない」
アレスは言った。
アンミはやはり危ぶんでいた。
自分の身の危険である。
これ見よがしに自分を犯人と見なす素振りを見せたヴァイレンである。
一番良いのは、これはダガールを憎む者の手で本当にヴァイレンはただ単純に襲われただけに過ぎないということであった。
一番悪いのは、ヴァイレンが政敵を追い落とす為に仕組んだ茶番であるということだ。もしその目論見が上手くいけばまずいし、例え上手くいかなくても、これはダガールを揺るがすものである。
(父上、いや陛下は誤るまい。私は陛下を信じるだけだ)
「わしはこれは放っておこうと思う」
ダガーレン・トクワは言った。
「誰の差し金などというのはどうでもよい。刺客は吐かなかった。故にその辺の何者かを仕立て上げれば良いではないか」
「陛下、確かにそうするしかないのでございましょう」
アンミは頷いた。
「私は何も出来ない。父上とヴァイレン次第だよ」
オンダは庭で佇みながら言った。
彼はどこか達観したところがある。
そして権勢欲も、戦争欲もない。あるのは芸術への興味だけか。女関係も淡白であり、側室はいない。
彼がしっかりしていれば何の問題もないはずだったのだ。アンミはそう思った。
ダガールでの一大事件はマサエドにもいち早く伝えられた。
「第一王子ヤイルの死が後継者争いを引き起こしたのでしょう。いずれにしてもダガールが乱れるのは間違いありませぬ」
「ハミ家としてはどうすべきか?静観すべきか、それともこれを機に兵を挙げるべきか」
クルエは家臣達を見回した。
「静観すべきでしょう」
とサカヒ。
「いや、ここは……兵を挙げるという手もある」
とフクサマ。
クルエは考え込んだ。
ハミ家のみで事を運んでいたのはもはや過去のこと。
ここで兵を挙げるのはマサエドにとって良いことなのか。
ハミ家が動けばマサエド中の豪族も動く。
クルエは口を開いた。
「ここは静観といこう。引き続きダガールの動向は注視すべきである」
「はっ」
ダガールではとある風聞が流れ始めた。
今回のダガーレン・ヴァイレン襲撃事件はその姉のアンミの差し金というのである。
アンミがマサエド討伐の失敗により自分の身を案じた結果、ヴァイレンを始末しようとした、そういう風聞がまことしやかに語られた。
アンミは風聞の出所を探らせた。
しかしなかなか尻尾をつかませない。
「アンミよ、巷ではそんな話が出回っているそうではないか」
国王は何ともいえない目で彼女を玉座から見下ろした。
「滅相もございません。これは根も葉もない噂。必ずや出所を掴み、ダガールの名誉を傷つけようとする輩を誅してご覧に入れます」
「わしはそなたを信じたいのだ」
国王は重々しく言った。
アンミはその言葉に身の凍る思いがした。
(父上は私を真にはお信じにはなっていないというのか……)
「失礼致します」
アンミは恭しく立ち去った。
12月に入ったばかりの3日の夜。
事態は激化した。
その夜、ちょっとした騒動が起きた。
その騒動というのは、アンミ配下の兵とヴァイレンの兵が小競り合いを起こしたのである。
夜道でばったりあった二集団は、互いに対する疑心と敵対心のままに罵り始め、とうとう斬り合いへと発展、数人が死亡し、それぞれが自らの陣営に逃げ帰ったのである。
「おのれヴァイレンめ!」
兵達がいきり立ち、武具を身につけ、松明に火をともす。
「何をしておる!」
アンミは寝所から武具を身に纏い慌てて駆けつける。
アンミの館の中は兵でごった返し、くすぶっていた。
「姫様!」
「姫様!」
兵達が喝采を上げる。
アンミは戸惑う。
「軍備を解け!」
アレスが駆けつける。
「姫様」
「アレスこれはどういうことだ」
「もはや暴発寸前でございましょう」
「だが、このアンミの命なら聞くであろう」
アンミは兵達の前に出る。
「軍備を解け!いたずらに乱を起こしてはならん!」
「何を仰せです姫様、ヴァイレンは姫様を!」
兵が叫ぶ。
「今挙兵すればこのアンミは逆賊である!それを分かっておるのか!」
兵達は『逆賊』という言葉におののいた。
「矛を収めよ!」
とりあえずはその晩の騒動は収束に向かった。
が、代償としてアンミは蟄居を命じられ、ヴァイレンは王から厳しい叱責を受けたのみであった。
この不公平な裁断にアンミ陣営は大いに不満を抱いた。
しかしそれはまったくの不公平という訳ではなく、一定の理由があったといえる。
それはまず、この度の風聞を重く見たこと。
次にこの騒動においてはヴァイレン陣営は帰ってきた兵達がすぐにヴァイレンへと報告、そのヴァイレンもまた即座に王に使者を送り、兵の手当ても迅速で、早々と沈静化させている。むしろ暴発寸前までいったアンミ陣営の非が問われるのは自然とすらいえた。
「これもヴァイレンの仕組んだことよ」
ソレイが吐き捨てた。
「姫様、もはや弟君は敵です」
アレスも決意したように言う。
アンミは俯きながら、考え込んでいる様子であった。
「サライ殿はいかが思し召しか」とアレス。
目を閉じ沈黙していたサライがアレスを見やる。
「ヴァイレン様を疑いすぎるのもよくない」
「何を仰せか!」
とソレイが驚く。
「疑いすぎるはおそらくは思う壺よ。その心がけはいずれ自らの意思による挙兵を招く。つまり勝手な挙兵だ。勝手はまずい」
「つまり、奴はこちらが兵を起こすのを待っていると」
「分からぬが、さすれば討つ大義ができる」
アンミは大人しかった。
が、口を開いた。
「兄上が生きていればこんなことには……」
アンミ自身はこの一連の騒動でむしろ落ち込んだといっていい、ヴァイレンに恨みを抱き復讐をしようなどとは考えてもいなかった。
だがそれはあくまで彼女の心情であって、家臣達にしてみれば自分達が信望する主君がこのように貶められ深く傷ついている様子など怒りと悲しみを禁じえないものであった。
くすぶる火種は、やがて爆発する時を虎視眈々と狙っているように思えた。
記暦3339年はこうして終わった。




