問答
9月6日、オイロンミがクルエに謁見する際の服装をどうするかという一悶着があった。
「このオイロンミ、これが礼装であり、着替える気など毛頭ない」
「そう仰せられましても」
クルエの侍女フレーが困惑した様子で言う。
フレーはこの年にクルエに仕え始めてこの大役であった。
フクサマの妹であり、兄と違いおしとやかな人柄であるとクルエは思った。
角が立たないようにとの人選である。
「姫様とお会いになる以上、それなりの……」
「これ以上に礼を尽くす格好などあるまい」
オイロンミが部屋を出て、どんどんと歩き出していく。
「お、お待ちください」
フレーは必死で追いかけるも、オイロンミは謁見の間にたどり着き、兵士に制止されていた。
「クルエ姫に取り次げ!」
「なりませぬ!」
兵士が言う。
「姫はこの私と会えぬと申したか!」
オイロンミは恐ろしい大声で言った。
(何と恐ろしい……)
フレーは恐れおののき遠巻きでしか見れない。
「姫がそう申したのか!」
兵士は俯く。
「姫がそう申したと、お主は言うのだな!」
オイロンミは兵士をぼんと押し扉を開けてしまった。
オイロンミは眼前を見やる。
前には空の椅子が上段に設置されている。
真ん中の通り道の左右にはクルエの家臣達が並んでおり、じっとオイロンミを見つめている。
何だこの野蛮な者は、とでも思っているのだろう、オイロンミは含み笑いをした。
「姫様ご入来!」
オイロンミは前を見る。
着飾った女がゆったりと入ってくる。
そして椅子に優雅に座った。
「オイロンミ、あえて嬉しい。祝着である」
朗々と言った。
「姫様に拝謁し、感嘆の至り」
オイロンミは軽く頭を下げる。
「先の戦いでは、ともにダガールと敵対した者同士、こうして顔を合わし語り合う場が欲しかった」
「このオイロンミもそう思いまする」
「この度は腹を割って話がしたい」
オイロンミは姫を眺めた。
クルエはどこか嬉しそうであった。
「私は礼を失した小娘と思われておりますれば、これ以上は……」
「何を言う。礼を失したなど思えない」
クルエは微笑む。
「この度の挙兵は何を思ってのこと?」
「この私は、ただオイ族の安寧を願うのみ、それ以外は望みませぬ」
「そうであったか。オイ族の安寧の為、私にも会いに来てくれたのは分かっている。しかし私はそうであったとしても嬉しい」
「姫様に拝謁出来て光栄です」
「オイロンミ」
「ワーズ」
ワーズと呼ばれる男が声を上げた。
「お主の才覚、聡明さ、かなりの者とお見受けする。そうでなくてはどうしようかと思っていた。これからも懇意にして頂きたい」
「オイ族の族長など野蛮人であろうと」
その言葉にワーズは苦笑する。
「姫様は何をお望みで兵を挙げられましたか」
オイロンミは言った。
「こら、無礼だぞ!」
一人のクルエ家臣が声を上げた。
「フクサマ」
クルエが静かに言った。
「私の望みはハミ家再興をおいて他にはない」
「ハミ家再興とは?何を指して仰せですか?」
オイロンミは試すように尋ねる。
クルエは予想外の質問に呆気にとられたようだった。
「再興は再興に他ならぬ。ハミ家は今や私一人。かつての栄光を取り戻すことである。その為にダガールと戦わねばならぬのなら戦おう。無論お主も例外ではない」
「かつての栄光とはマサエドの領主となることですか?」
「左様、そのうえでハミ家の血を絶やさぬようにする」
「姫様は初めからそれを目指しておいででしたか」
「何が言いたい」
クルエは眉を顰めた。
「この世に生を受けたならば自分の魂に問わなければなりますまい。何をすべきか。何をしたいのか。このオイロンミ、魂が叫ぶとおりに事を起こしました。姫様はそうでしたか」
「私の生きる目的である。そうでなければ死んでいた」
オイロンミは静かに言う。
「そうしなければ死ぬ、と誰かに言われたのではありませぬか?そうすることが唯一の生きる術だと」
「あなたは違うとでも言うの?」
「違いまする。父上が身罷られた時、自分で決断した道でございまする」
「止めよ!こんなことを話しに来たのではあるまい!?」
ワーズが叫ぶ。
「ワーズ黙りなさい!」
クルエが睨みつけた。
余計なことをするなと言わんばかりに。
「姫様はハミ家など知ることもなしに15年以上生きてきたと聞きまする。それなのにハミ家再興が生きがいになりましょうや?」
「なるわ」
「少なくとも、このオイロンミにはとんと分かりませぬ。覚えてもいない父母や一族の栄光を取り戻す。そもそも再興と仰せですが、ハミ家がどう栄えていたか覚えておいでですか?」
「又聞きでも構わぬでしょう」
「又聞きということは結局姫様のそれは人の夢でございましょう?ハミ家再興という家臣達の夢を必死に我慢して背負っているに過ぎませぬ」
オイロンミは笑い出した。
謁見の間の中は殺気立った空気で満ちた。
この小娘を黙らせたい、という家臣達の声が聞こえるようであった。
クルエはふっと穏やかな顔になった。
オイロンミは笑うのを止める。
「オイロンミ、ここまで私に強く言ってくれる者などいなかったわ。私はこれを求めていたのかもしれない」
オイロンミは怪訝な顔をする。
「姫様は度量の大きなお方ですな」
殺されてもおかしくない。と思いながら言い続けた。
ただ、気に食わなかった。
自身を騙そうとし、騙し損ねている姫。
真に魂の叫びや、大地や神に耳を傾けた訳ではない姫。
そしてそれを仰ぐ家臣達。
我らオイ族は心の底から一つの目的の為に邁進する。ここにいる彼らは欺瞞に満ちている。
しかしそういう思いすら、欺瞞に過ぎないかもしれないことを、オイロンミは考えもしなかった。
クルエとオイロンミの会見はその後はとりあえず順調に進み、帰還の際兵を貸すことと、これから懇意にすることを約束した。
クルエは会見が終わると誰の目にも明らかに肩を落とした様子で自身の部屋に戻って行った。
「許せぬ!」
フクサマは激高した。
「あの野蛮人めが、姫様を侮辱したいだけ侮辱し、勝ち誇ったうえでさらにハミ家にすがろうというその根性が許せぬ!」
「左様、姫様のご慈悲で斬り伏せられずに済んだと見るべきじゃ」
サカヒは頷きながら言った。
「それにしても姫様も姫様よ、普段ならばあのような者言い負かしていたであろうに、どうして今日に限って・・」
「すまぬ。オイロンミがあのような無礼を働くとは……」
カワデが弱弱しく言う。
「いや、よい。オイ族とはいずれ交流を持たなければならなかったのだ。こういう形になることを誰が予想したであろう」
とサカヒ。
フクサマとカワデは顔を見合わせる。
よもやサカヒが彼らを慰めようとするとは。
これは非常に珍しいことであろうと思われた。
ワーズはというと、一人自身の部屋で佇んでいた。
(姫様が応えに窮したのはあれが姫様の中で一つの正論であったからに他ならない。姫様には覚えがあったのだ。図星であったのだ)
彼は彼自身恐れ、しかし心の底に潜ませていた感情がわきあがって来ていた。
これはサカヒなどは一笑に付すであろう。
だが、何も知らない可憐な少女であった時のクルエを知っているワーズからしては、旨を締め付けられる思いにさせられるものであった。
君主たるもの君主としての義務を果たすべきである。それはそう生まれそう育った者にとっては当然培っているであろう価値観といえる。しかし彼女は一介の村娘として育ったのだ。
(姫様はどうお思いであろう……これで潰れる姫様ではあるまい……しかし……)
クルエは酒を注いだ。
(酒に逃げてる訳じゃない)
ぐいっと飲んだ。
君主として果たすべき役割は果たさなければならないのだ。それを自分の意思で嫌だ何だという話は当人の問題であって。君主としてはまた別の問題のはずだ。
また、例えば衰退した王朝を再興しようとする者が、過去の王朝の栄光を知らずとも良いはずだ。それに人の夢を背負うことを自分で決した者に自分の意思が無いというのはおかしいはずだ。
クルエは椅子に寄りかかり天井を見上げた。
(こういうのが無理に自分を納得させようとしていることなのかしら)