来訪者
7月28日、書状への返事が届いた。
所領安堵の書状を多くの豪族に送っていたが、あれは手紙というより証文のようなものであって、返事を期待して書いたものではない。
クルエは手紙を開いた。
「姫様、何と?」
カワデが言った。
クルエはふふと笑い、彼に手渡した。
カワデはぎょっとした。
汚く稚拙ともいえる字で、礼儀のない文が書いてあった。
『むかしからこのもりはオイのもので、そちらにみとめてもらわなくてけっこう 』
書きなぐった様な字。
差出人はオイ族の族長オイロンミであった。
カワデは唸った。
この手紙は彼が持ってきたもので、姫様への言伝だろうと思い、便宜を図ったつもりだったのだが。
裏目に出てしまった。
「ご無礼の段、お許しの程を。何せ森の外を知らぬ者ゆえ・・」
「オイ族はもともとハミ家の家臣でもなく、今回のダガールとの戦でも共闘した訳でもない。ただ同時期にダガールと相対していただけであるのに、こちらが欲を出してまるで家臣のように扱ったのが悪い」
そもそもこの策はサカヒのものであった。
「形式にも則っておらず書き殴っているだけのものなど、落書きと一緒です。重要なのはこちらが支配権を認めた、ということでございます」
「確かに稚拙な字だが、意思はしっかりと伝わってくるわ。むしろ突っぱねられたことで、こちらが恥をかいた形になった」
「なりはしませぬ。礼を失した蛮族達の言葉に耳を傾ける者などおりませぬ。何の利にもなりませぬし、心情としても蛮族の味方などしませぬ」
サカヒは言い切った。
「礼を失していたのはこちらではないのか?」
クルエは淡々と言った。
「姫様、オイ族の領土は一度ダガールに奪われておりまする。それを改めてオイ族のものとして保証したのでございます。」
「彼らの力でダガールを追い出したのでは?」
「いいえ姫様、ダガールをマサエドとワミから追い出したのはハミでございまする」
サカヒは恭しく頭を下げた。
クルエにとって、ハミ家臣一同にとって久々に平穏な日々が続いた。
しかし平穏といいつつも、喪失の日々であった。此度の戦いで得たものは大きいが、失ったものも大きい。
ホンカ・タダキ、そして彼の部下達、その他にも大勢見知った者が死んだ。
敵味方関係なくその場に埋め、慰霊の為の碑を建てさせ、墓はマサエドに建立させた。
その作業が終わったのは8月中旬であった。
クルエが合同慰霊を執り行ったのは8月18日である。
彼女は自分が自由な行動を取れない立場にいることを思い知らされた。墓参りであっても極めて政治的な意味を帯びてきている。
「ワーズ、慰霊式の取り仕切り、ご苦労だったわね」
クルエが酒を器に注ぎぐいっと飲む。
場にはワーズの他にもサカヒ、フクサマ、カワデが酒を酌み交わしあっていた。
「姫様のご威光あればこそです」
ワーズは恭しく応えた。
皆、何かを忘れるように雑談をしながらも酒を飲んだ。
翌日、クルエは再び政務に励んだ。
陳情の数が少しづつ増えてきていた。
先の戦で大規模な徴収が行われたため、マサエド全体で民の生活が苦しくなっている。
「税をもう少し減らせないかしら」
ワーズ、サカヒ、フクサマ、カワデがあっけに取られたような顔をした。
「姫様、何を言うのです。我々家臣一同の暮らしも厳しいのですぞ」
カワデが言った。
「既に税は切り詰めておりまする。これ以上は姫様についてきた家臣団も不満が高まりましょう。命がけで付き従ったのは無論忠義によるものですが、物による恩賞がなくばそれが薄まるやもしれませぬ」
とワーズ。
「私は別に節制しても構わない。私のしている贅沢の分だけでも減らせば」
「姫様が節制していては家臣も節制せざるを得ませぬ。よもやそれがお分かりにならぬとは思いませぬが、分かっておいでの上でそう仰せならば……」
サカヒが重々しく言う。
「何を言うか、姫様の意思を尊重せんのか」
フクサマが言う。
「分かった。皆の言い分尤もである」
クルエは微笑んだ。
翌日、書状が届いた。
「お見せするのもどうかと思いますれば」
カワデは当初見せるのを渋った。
クルエは書状をぱらぱらと開いた。
いやこれは書状と呼べるものなのか。
書き殴ったような字で書かれている。
『ひめさまとかいだんのばをもうけたい。つごうをしらせてほしい』
「いいわ、相談しましょう」
「しかし姫様」
カワデが慌てて言う。
クルエはにっこり笑う。
相手は自分に会って確かめようとしているのだ。自分がどれほどの人物か。
自分も確かめてみたい。オイロンミという部族の長。
クルエが接してきた者は大抵クルエより位が下か、もしくはダガールに与した敵か、そのどちらかであった。
だが今回はもうちょっとは対等な関係の相手である。
クルエは我ながら何を渇望しているのだろうと考えた。
「姫様!何を仰せです!」
サカヒが声を荒げた。
「これに応じるのはオイロンミに姫様が呼びつけられたことになりまする。このようなことは姫様から為さるべきです。政治的に優劣も左右しかねぬ行いですぞ」
「為さるなら、はっきりと姫様が上位、オイロンミは下位と示さなければなりませぬ」
ワーズも言った。
「無礼な小娘など相手にせんでも!姫様を馬鹿にしている!」
フクサマが怒りの声を上げる。
カワデは居辛そうな様子である。
クルエはいつものように彼らの様子を観察しながら言った。
「相手は私を『姫様』と呼び、こちらの都合に合わせようとしている。いちおう礼を尽くそうとする心がけはあるであろう。ダガールとの戦いの後、のこのこやってきた豪族達よりよっぽど誠実ではない?」
「ならば姫様はお許しにならずとも良かったのです。オイゲントなどの者は誅すればようございました」
サカヒが苦々しい感じで言う。
「ワミの諸部族を味方につける好機ではございましょう」
とワーズ。
クルエはにこにこと微笑んだ。
ハミが指定したのはマサエド城であった。
クルエはサカヒの提案をあっさり飲み、向こうから出向くようにすることとなった。
例のように連絡役はカワデである。
返事は8月30日に届いた。
『このオイロンミのてぜいもいっしょつれていくがむかえにきてほしい』
この書状に皆驚いた。
オイロンミは他部族から一度追い出されたのを強引に復権している。それなのにワミを留守にしてはまた他部族に結束されてしまう危険がある。
だが、クルエはオイロンミの意図するところを察していた。。
「これは姫様……つまり……」
ワーズが言った。
「そうね、帰るときはこちらも協力するわ」
「敵対勢力を炙り出すことが目的でしょうなあ」
サカヒが頷く。
「なかなかの知恵者かもしれませぬ」
「そんなこと企むのは腐れ腹のお主くらいよサカヒ」
フクサマが口を開いた。
「単に姫様に会い、姫様の器量を見抜きたいのだ」
「オイロンミは姫様とは教養も遥かに違いますが、才覚においては姫様に近いものがあったと思われまする。このカワデ、オイロンミの人となりは幼き頃に会ったのみですが」
とカワデ。
オイロンミは9月5日にたどり着く。
マサエドの人々はオイロンミの異様な姿に驚いた。
彼女にしてみれば伝統の民族衣装に過ぎないのだが、人々は肌が見えすぎで顔に鮮やかな模様の化粧を施した姿を気味悪がった。
ダガールでは嫡男ヤイルを失ったダガーレン・トクワが大きな喪失感により覇気を失っていた。
ヤイルが制圧しかけていたキュエト国からは兵が引いていっている。
講和は成立し、とりあえずは痛み分けとなった。
ダガールとしてもキュエトを攻めるどころではないし、キュエトにしてみてもダガールとこれ以上戦端を開くことは望めない。
兵士を乗せた多くの船が帰還しようとしていた。
「父上……いえ陛下……」
アンミは跪きながら進言する。
「何じゃ」
「キュエトは恐るるに足りませぬ。今はハミ家こそ、滅ぼすべき相手です。決して弔い合戦などといって敵を見誤ることのなきよう……」
「分かっておる。いずれ弔い合戦としてマサエドを今度こそ完膚なきまでに征した後に、キュエトを滅亡させよう」
トクワは頷いた。
ヤイル以外にも男子はいる。
後継者がいないという訳ではない。
だが、あれほどの後継ぎはもういない。
アンミは第二王子のオンダと廊下で出くわした。
「これはアンミではないか」
オンダは温和な笑顔を見せた。
小太りで武芸は不得意、芸術に目がない。彼は人柄こそ善良であったがダガールの国政を担える人物とは思われなかった。
「兄上もご健勝で」
「ヤイル兄上の死は大きな損失であった。私も悲しい。私は後を継ぎとうない。弟に譲りたい」
オンダの弟ヴァイレンはアンミより年下であり、賢しいところがある。
早速自分の権勢をどう高めるかに腐心しているようであった。
家臣達を取り込み始め、父上やアンミの失策をことさらに非難しているようだ。
ヴァイレンが継ぎたいのなら好きにすればいい。
アンミは思った。
ダガールは長期に渡った政権を倒して樹立した政権が陥る、歴史の大河が仕掛ける罠に片足を突っ込んでいた。
それは政権そのものが歴史の泡沫と消える罠である。
旧秩序を滅ぼしたうえ新たな秩序を作り上げるなどというこの二つはどれほどの才覚、天運、人望によって成し遂げられるというのだろう。
長期王朝と長期王朝の中継ぎ王朝となるかもしれない。それとも長期王朝を倒し長き戦乱を招いたに過ぎない結果となるかもしれない。
とにかくも分かる事はダガールはこれ以上求心力を失うのは危険ということであった。