トンカラ平野の戦い
ロダ城内の民も兵も疲弊しきっていた。
これ以上の篭城は無理であろうと思われた。
ハミ軍もいつまでクルエの言いつけを守り続けるか定かではない。
もしそんなことになれば厳罰を以て処することになってはいたが、本当に乱れきった軍には効果の程は低いし、兵の不満は高まるばかりであろう。
クルエ自身も頬が痩せ、やつれていた。
「兵や民の様子はどう?」
クルエはぽつりと訊いた。
「は、いまだ士気は高うございます。ハミ家の為、姫様の為、一心に戦うておりまする」
サカヒが恭しく答えた。
「しかしあまり長くは耐えられそうにないわね」
「何を仰せです」
「この私も、耐え難いと思っている」
クルエはため息混じりに言った。
「姫様」とサカヒ。
「耐えていただかなければなりませぬ。姫様が根を上げれば下の者も耐える気力を失いまする」
ハミ軍は篭城戦を耐え切った。
ロダ城外のトンカラ平野。
マサエド連合軍とも呼ぶべきそれは、ダガール軍と対峙している。
クルエは総大将として鎮座していた。
「如何致しますか。マサエド領主」
シュトラが微笑みながら言った。
ワーズやサカヒはじっと見つめている。
「我等は姫様に命運を託したからこそ、はせ参じたのでございます」
クルエは困惑した様子だった。
「この私の指揮でまともにトクワ相手にぶつかり合えば絶対に勝てない。そのところは分かっているでしょ?」
「ダガーレン・トクワは稀代の名将でありますれば」
「ならば、各々思うように戦せよ」
「なりませぬ!」
サカヒが語気強く言った。
「ただでさえ、烏合の衆なるを各々勝手にさせるなど!」
「姫様、はせ参じた軍は姫様に全てを託しているのです。それなのに自分で勝手に動けなどあまりの仰せです」
とシュトラ。
クルエは困った顔をした。
「こんな小娘に何万もの人間が命を託すなど、正気の沙汰とは思えないわね。こちらが出来るのは大まかな指示だけで、全体の方針を決めるのみ、戦場での細かな判断は委ねる」
皆も困ったようにうなった。
皆、ダガーレン・トクワを恐れているのだろう。ここぞという時に攻めなければというのは分かっているのだが、いざその段になるとこれでよいのか不安になる。
クルエは皆を見回し、考えに耽っている。
「姫様」
ワーズが言った。
「その大まかな決断だけで結構なのです。それをお示しください」
クルエはふっと笑った。
「烏合の衆とはいえ、ダガール軍よりこちらが兵の数では勝っている」
「左様、故に好き勝手にさせれば戦の名手トクワに各個打ち破られ、数の優勢を失うことにもなりまする」
とサカヒ。
「統一した意思を持ち全軍が動くことにはわたくしも同じ意見です」
シュトラが穏やかに言った。
「ダガールの求心力を奪うには、それ以上の求心力が必要です。それは確固たる采配によるものでございましょう」
クルエは考え込んだ。
「おそらくダガールは勢いづいたこちらが攻めてくるのを待ち構えていよう。つまり、策もなく突っ込むのは罠にかかりにいくようなものではないか?」
「中央突破をされたと見せかけて左右から包囲にかかる、または別働隊でこちらを翻弄する。色々考えられますな」
「何か良い策はないか」
シュトラが考え込む。
「こちらが敵を包囲殲滅すればよいのです。敵をおびき寄せ、一気に包囲にかかるのです」
ワーズが言った。
「どうやっておびき寄せる?」
とサカヒ。
「根競べでござりまする」
「根競べか。こちらからはまったく動かず、敵が動くのを待つ。だがそんなに猶予があろうか、こちらは烏合の衆。いずれ好き勝手に動く連中が現れよう」
「私にお任せくだされば、役を演じてごらんにいれますが」
シュトラが口を挟んだ。
サカヒとワーズは彼をじっと睨む。
「このシュトラが好き勝手に動き、敵を油断させ、おびき寄せて見ましょう。離反すると見せかけるのもありでしょうな」
クルエは三人の会話を聞いていたが口を開いた。
「シュトラ殿がやるのはまずかろう。率先して兵をハミに貸したにも関わらず即座に裏切っては敵の警戒を招くだけ。ここは別のものにさせるがよろしかろう」
サカヒとワーズはクルエを怪訝そうに眺めた。
シュトラは黙って訊いている。
「適任はいるか」
「我らマサエドの豪族は悉くダガールの調略を受けております。適任は大勢おりましょう」「待て、本当に裏切るやもしれんぞ!」
サカヒが語気強く言う。
「左様じゃ!」
とワーズ。
「おや、信用がありませぬな。せっかくの援軍を信じなさらぬとは、ハミ家の臣も狭量者ばかりと見える」
シュトラが言った。
そうこうしている内にダガール軍の内部に動きがあった。
ダガールに与していたマサエドの豪族達が寝返りを始めたのである。
ある者は離脱し、ある者は内応の密書を届けてきた。
「敵さんの方がワーズとシュトラの策を用いているのかもね」
ワーズがシュトラをちらと見た。
「いちおう、ここは受け入れましょう」
「そうね。例え罠だとしても、こちらは懐の深さを示さなければ」
記歴3339年4月12日、ダガール軍の一部が仕掛けてきた。
クルエは迎撃を命じる。
「容易く蹴散らしてございまする!」
フクサマは意気揚々と凱旋した。
敵は陣に戻っていった。
「しかし、ほとんど戦いもせず、というのは興が冷める」
「様子見かしら」とクルエ。
「そうかもしれませぬ」
ワーズは頷いた。
フクサマがばつの悪い顔をした。
翌日、またダガールは動いた。
今度はもう少し深く入り込んできて、少し交戦し退却した。
それが数日繰り返された。
4月19日、いつものように撃退すると、大軍を以て突撃してきた。
ハミ陣営は慌てた。
「そうか、隙を探っておったのだな!」
「こちらの油断と弛緩を誘って!」
サカヒとワーズが声を荒げる。
それでも、迅速に迅速に兵に下知を出している。
「マサエド領主様、いかが致します」
シュトラは冷静さを崩していない。
「迎撃!」
クルエは叫んだ。
両軍はぶつかった。
ダガール軍の知勇兼備の将と呼ばれたラーレン・サライはトクワの信任厚く数々の戦いで武勲を挙げている。
この度もトクワの指示のもと、兵を指揮しハミを翻弄した。
ハミ軍は切り崩されたのにもめげずサライの軍を包囲しようとするが、巧みにかわされてしまった。
「ほう、敵もなかなかやる!」
サライはにやりと笑う。
そしてクルエのいる本陣を見定めた。
「ハミ・クルエの首を討ち取れ!」
ダガール兵は咆哮をあげて。突進する。
ハミ兵の厚い壁を崩していく。
その時、シュトラの率いる兵が後ろに回りこみ攻め立てた。
ダガール軍はそれからハミ軍に四方から攻撃を食らい短時間で消耗していった。
ダガール陣から第二破の攻撃。
戦場は乱戦状態となった。
しかしダガールの本陣は無事であり、ハミの本陣は敵に肉薄され退却を余儀なくされた。
クルエは馬でちょっと走り、そこでまた陣を固めた。
「姫様、もっとお下がりください」
「いやワーズ、ここでいい」
「姫様!」
馬でフクサマが走りよってきた。
「ここはフクサマめにお任せくだされ!」
「何をするというの?」
「敵陣を突きまする」
フクサマが得意そうに言った。
「カワデの軍も一緒で」
クルエはにっこりと笑った。
「頼んでもいい?」
「はっ!」
フクサマは走り去る。
夕方ごろになると、ダガール軍は兵を退き始めた。
ハミ軍、ダガール軍双方ともに被害は大きく、クルエが経験したなかでも最大の死闘だったといえる。
平野に死体の絨毯が出来た。
クルエは呆然としながらそれを眺めた。
「姫様、まだ元気でいて頂きます」
ワーズは言った。
翌日、信じられないことが起きた。
ダガールが兵を退き始めたのである。
しばらく様子見をしていると、これは間違いなく撤退であった。
「勝ったぞ!」
ハミ家臣達は次々に喜びを示した。
クルエもほっとした様子で、力が抜けたように椅子にもたれこんだ。
「領主様、やりましたね」
シュトラが微笑みかけた。
「そうね……」
この撤退は、ダガール側で重大な凶報があったからである。
ダガーレン・トクワとアンミは驚愕した。驚愕のあまり戦意を失い、それどころか平静すら保てなかった。
トクワは崩れ落ちた。
アンミは顔を青ざめさせ、横のアレスに目もくれない。
「まこと……です……。間違いありませぬ……」
伝令は震えながら繰り返す。
「ヤイル殿下は身罷られたのです」
ダガーレン・ヤイルが死んだ。
トクワの嫡男であり、常勝の誉れ高く。そして若い。父の偉業を受け継ぐに最もふさわしい人物であった。
暗殺であった。
下手人は家臣の一人ロア・ギビーという者で、昔からトクワの家臣であったが、息子にくれたやったのだ。
しかし軋轢が生まれ、ヤイルの家臣とヤイル自身による疎みによって彼は爆発した。
あまり使えない男で、だがトクワが哀れみ武功を立てられればと情けをかけ戦場に送り込んだが仇となった。
ギビーは今捕らわれ、一族郎党も首都ダガーロワにてことごとく捕まっている。
この一連のハミ・クルエとの戦いは不本意な形で終わった。しかしその結果以上に強烈な打撃をダガールは受けてしまった。
この時クルエは弔問の使者を送ろうか迷っている。
「相手には何の慰めにもなりますまい」
ワーズが諭しそれは取り止めとなった。
記歴3339年4月20日、戦場においては引き分けであるが、戦略的には命運すら分けたといっていい、ダガール軍のマサエド東進からトンカラ平野での一連の戦いは終わった。