死にたがり
ダガール国王ダガーレン・トクワはハミ・クルエとクルエハミ軍の残党狩りを命じた。
ハミ軍は散り散りになって谷に逃げ込み、森の中に姿を消したのだ。
「相も変わらず逃げ足が速い」
トクワは言った。
「左様で、抜け目のない女狐でございますな」
「必ず見つけ出し、捕らえなければの」
アンミは頷いた。
「しかし、森の中は厄介でござります」
「そうじゃがの」
トクワは老年だが、意気軒昂さと溌剌さに溢れていた。
簡易な椅子からゆっくり立ち上がり、家臣達を見回す。
彼の下で戦えば絶対に負けないとすら思わされる。彼が兵を率いているというだけで、神がついているかのような絶対感がある。
いやむしろトクワ陛下は軍神そのものなのだ。
アンミは父を眺めた。
(出来れば、この私の手であ奴を討ちたかった)
クルエ達は森の中を逃げ、谷を抜けた。
ハミ軍はそこで態勢をある程度建て直し、退却戦に臨んだ。
トクワの仕掛けたのが包囲殲滅戦ではなく、敵軍を中央突破し短期決戦を意図したものであったためこういう形になった。
しかし包囲殲滅戦もハミの豪族がどう出るか分からない以上、武威を示すべきと採らなかったのであろう。
谷の中はダガールの軍がひしめいている。
時々で奇襲を仕掛け敵をかく乱しながらもハミ軍は退却した。
ハミの豪族もまだまだある程度はついてきている。
クルエは疲労の色を隠せずにいながらも、悠々とした様子で、家臣や豪族相手に振舞った。
「皆、よくやってくれている」
「姫様、これはもはや望み無き戦」
マサエドの豪族アイキ・ロダが憔悴しきった様子で言う。
この者はマサエドの豪族の中でも大きな勢力を誇っている。
「ロダ殿もよくぞここまで」
クルエが労う様に言った。
ロダは頭を下げる。
「故に姫様、とりあえずは我が城にご入城頂きとうござりまする」
ハミ家家臣団は身を乗り出した。
「ロダ殿!」
サカヒが声を張り上げる。
「有難きお言葉!」
「いったんはゆっくりと軍議の出来る場が欲しい」
ワーズは頷く。
クルエは周りを見回した。
「ならば、世話になろう」
記歴1月30日、ハミ軍はロダの城に入り一時休息をとってからすぐに軍議を開いた。
「それにしても、ダガーレン・トクワの戦上手ぶりにはほとほと困ったものよ」
タカラ・オムが笑いながら言った。
「タカラ貴様!」
フクサマが怒鳴った。
「裏切った身で!」
「まあよしなさい」
クルエは言った。
「ロダ殿もこの戦当初はダガールについておった。それが今は城まで貸してくれておる」
ロダは恭しく頭を下げた。
クルエは普段ならロダが座っているのであろう椅子に腰掛けていた。
「さて、私もほとほと困った。直にトクワとやり合う機会を得たいとは思っていたが、こんな形になるとは」
彼女は苦笑いした。
「アンミ相手ですら、本来なら負けていた。運よく優勢となったものの、トクワまで相手にせねばならぬなら、ハミ家が勝てる未来が見えぬ」
「姫様何を仰せです!」
サカヒが声を張り上げた。
「まだ味方する者はおりましょう。共に戦う者を集るのです!」
「少なくとも、私にはあてなどない。もうあなた達に頼るしかないのよ」
家臣達はうなだれた。
「姫様!」
静寂を破った声があった。
それはカワデであった。
「このカワデ、ワミの部族共と親交がありまする」
「そうじゃったの」
とサカヒ。
「わたくしは、ハミ家があのような悲劇を迎えた後、行く当てをなくし各地を転々としていた際、ワミで世話になったことがあるのです。そのよしみで兵を挙げるよう説得出来ぬものか」
カワデは自信なさげであった。
「しかし、ワミはついこの前ダガールに屈したと聞く」
ワーズは言う。
「オイ族も滅んだ」
サカヒは苦々しい顔をした。
「だがオイロンミは行方知れずだ」
カワデが自身を奮い立たせるように言った。
「行方知れず?もはや望みはないであろう」
サカヒは項垂れる。
「何を言うの」
クルエが口を挟んだ。
「目の前に、行方知れずとなったものの今やマサエドの領主と返り咲いたハミ家の当主がいるでしょう」
「姫様は当初存在を知られていなかった為です。オイロンミとは事情が違いまする」
「それに姫様にはハミ家だけでなく、オーエンの血を引くものとしての威光がありまする」
サカヒとワーズが口々に応えた。
クルエはうなった。
しかし、事は思わぬ方向へ動いた。
ダガールに知らせがもたらされた。
ワミの部族が蜂起し、ダガール軍に不意打ちに近い形で攻撃を仕掛けた。
それにより、ダガール軍は崩れ、撤退を余儀なくされたのである。
伝令がほうほうの体で伝える。
「何っ!?」
アンミは思わず詰め寄った。
「ワミで我が軍が退却したとのこと……!」
伝令は顔を強張らせて繰り返す。
「まさか、我がダガールが敗れたと聞き、勢いづいたのか?」
アンミは呟いた。
「しかし、陛下自ら調子付いた敵を蹴散らしたはずです」
とアレスが言う。
ワミでダガールがクルエに敗れたと聞き、雌伏していた部族が立ち上がったのであった。
やむなくダガールは撤退したが損害は甚大ということであった。
「なんということだ……。このアンミのしくじりがダガールを危うくするなどあってはならぬ。あってはならぬ……」
「姫様!」
アレスは語気強く言う。
「陛下がおられます……ご安心を……」
「このトクワの失策である」
トクワはしみじみと言った。
「何を仰せです父上!」
アンミは思わず語気を強めた。
トクワは陣中で椅子にゆったりと座っている。
「敵を見くびっておったのはこのわしじゃ」
「父上……いえ……陛下……」
「クルエが勢いづいても困る。早めに叩こう」
ダガール軍は動き出した。
ハミ軍の立て篭もるロダの城に向け進軍した。
「マサエドの時は城を出でて迎え討とうとした。
さて、今度もそうしたっていい」
クルエは言った。
「確かに、逃げてばかりは性に合わん」
フクサマが頷いた。
「お待ちください、ここは城に篭り時間を稼ぐべきかと」
とワーズ。
「マサエドでは打って出て、結果、打ち破れました。故にワミの部族の動向を見」
「ワーズ、それもいい。しかし、私は打って出てみたいのよ」
「なりませぬ。歴史上時を稼ぎ有利になった例は多々ありまする」
「ワーズ!」
フクサマとカワデが声を荒げた。
「貴様、何故そこまで食い下がるのだ!」
ワーズはちらと二人を見た。
そして意を決した様に一瞬黙った。
「では申し上げまする」
クルエは居住まいを正した。
「姫様は死に場所を求めておいでです」
場の空気が一変した。
「ワーズ。何を言うのだ。姫様にはハミ家復興という悲願があるのじゃ。お主の言いようはまるで、『姫様は死にたがり』とでも言わんばかり」
とサカヒ。
「ワーズ」
クルエは言った。
「何事も死する覚悟を以て行わんとす。それが私の道ではないの?」
「左様でござりまする」
「死なんとすれば死なず、生きんとすれば生きれぬ」
「左様で」
クルエは破顔した。
「ならば何が」
「いえ……」
ワーズはうつむいた。
結局はサカヒも篭城策を主張したため、いっときは篭城することとなった。
クルエはロダの城の主賓室にいた。
マサエドの自分の部屋と比べて、簡素さを感じた。
ベッドに仰向けになり天井を見上げる。
「私が死にたがり……。間違ってないわよワーズ。でも私にはその勇気がない。そういう意味では私は本当は生きたい……」
ぼそぼそと呟いた。
「英傑ならば、もっと果断にはっきりとしていたでしょうね。命より名を惜しんだり、泥まみれになりながら生に執着したり。信念と目的。私のそれは弱弱しい。遥かに弱弱しい」
横になりうずくまる。
「サカヒやワーズに発破をかけられ、フクサマやカワデには羨望され、……タダキには命を以て……」
ベッドの布をぎゅっと掴む。
「いやいや実は分かるのだ」
カワデが麦酒を手に言った。
「ワーズの言ったことか」
フクサマは神妙に言った。
「姫様はどこか生きる道を避けようとしておいでだ。つまり、なんと言えばいいか」
とカワデは考え込んだ。
「その……自ら積極的に死を選ぶような感じではない」
「だが積極的に生きようとしているわけでもないな」
フクサマも考え込む。
「サカヒも何か察していたからこその篭城策なのだろうな」
カワデが麦酒を飲み干し言った。
「だが、姫様が兵を率い、ハミ家の姫ここにありと示せば、士気も武運を大いに上がり敵を打ち破るやもしれんのに……」
「フクサマらしい考えだ。姫様自身そうお考えであったろう」
「城内の民には温情を以てするべし」
クルエは言った。
「はっ」
家臣とロダは恭しく応えた。
クルエのこの号令は城内の兵の方針となった。
「いかに戦況危うからんといえども、民にその鬱積を晴らす事は許されぬ。我等はハミ家再興の軍であり、そしてオーエン王室の軍でもあるのだ」
「クルエ姫万歳!」
兵は尚士気盛んであった。いや、この状況だからこその士気であろう。
追い詰められた状況下での連帯感と熱狂である。
ダガール軍は既に城下の周りを囲みつつあり、篭城戦は始まろうとしていた。
「サカヒ殿、篭城策の展望は」
ワーズが眼下の敵を見、言った。
「展望はあまりないのう」
サカヒは笑う。
「だが、姫様がまた一人兵を率い飛び出して行かれればかなわん。前は上手くいったかもしれんが……」
「分かりまする」
「ここは、大人しく篭って頂き、時を稼ぐ。時間がかかれば掛かるほど、ハミ家の威光も高まる。味方も増える。
ここで突っ込み壊滅すれば元も子もない」
ワーズは頷いた。