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ハミ太平記  作者: おしどりカラス
第一章
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宿命の子

 アンミは3人の腕に覚えのある兵を連れてコハンの原の中心に向かって行った。

 彼女は楽しみだった。

 クルエとかいう自分に年の近い娘。それもちょっと毛並みの良い娘だ。

(その毛並みの良さだけが取り柄であってくれるな)

 アンミは思わず笑みがこぼれた。

 自分が所詮成り上がりの血であることは自覚していた。

 だからこそ人一倍高貴に振舞おうと努めていた。

 相手はマサエドを占領しておきながら、やむを得ず占領したと言い、病だからと陛下からの詰問を無視した者だ。

 なかなか狡猾な相手だと見て間違いない。

 生い立ちからして過去の亡霊のような女だ。

 日の出のように昇るダガール家とは正反対な存在である。

 視線を前に向けると敵陣からクルエと3人の兵が近づいてきている。

 アンミは身構えた。

 馬が鳴き声をあげながら足を止めた。

 アンミは一人の少女を見る。

 黒髪を束ねた少女はまだどこかにわずかながらあどけなさを残していたが、なんともいえない達観したような、底が見えないような雰囲気を漂わせていた。

 だがまず美貌であった。

「お主が、ハミ・クルエか」

「左様である。貴女はダガーレン・アンミとお見受けする」

 朗々とした声であった。

 

 アンミはすぐに切り出した。

「さて、我が父上ダガーレン・トクワからの書状の返答を聞こう」

 クルエはきょとんとしたが、すぐに顔をきりっとさせた。

「はて」

 そして首を傾げた。

「クルエ殿、病は治ったと見うるな。ならばマサエドを献上されよ」

「何のことか見当がつかないわ」

 クルエは淡々と言った。

 アンミはその物言いに思わず顔を強張らせた。

「書状のことをお忘れか?届いたであろうトクワ陛下からの書状が。『病が癒えたらマサエドを引き渡せ』と」

「ダガールに敵対するつもりはなかったとは書いた。病だとは書いた。しかしトクワ殿から『病が癒えたら引き渡せ』などという書状が届いていたなど初耳よ」

「何を言うか」

「こちらが病といったら音沙汰もなかったではないか。ダガールは存在もしない書状を書いたと偽り、こちらがあたかも不義の者であるかのように言うのか」

 アンミは思わず笑ってしまった。

「何故そんなすぐに分かる嘘を申す。ダガールがそういう書状を送った記録はちゃんと残っておる。届いていないはずがない」

 クルエはああ、と頷いた。

「なるほど、何か手違いがあったのやもしれないわね。とにかく届いてはおらぬ」

 アンミは怒りを覚えた。

「とぼけても無駄である。ダガールは届いていないなどという言い分は聞かん。無視したとみなす」

「なんと横暴なやり口よ」

 クルエは呆れたように言ってきた。

「ダガールがそのようにするのなら、こちらは大義を以てハミとマサエドを守ろう」

「大義だと?」

「ダガールとは信頼の置ける関係として、礼儀に乗っ取ったやり取りをこちらは望んでいた。しかしそちらは黒を白、白を黒と言い、欺瞞を以て我らを賊と決め付けておる」

「賊とはまさにその通りではないか」

「賊にあらざる者を賊と呼ぶなど天下の政ではなく、まさに賊の政である」

「そちが賊ではないとする根拠などない。天下を乱すその行いは賊そのものである。ダガールの名において討伐しよう」

「我らに天下を乱すつもりなどない。もはやダガールの難癖に抗するのが大義といえよう」

 二人は睨み合った。

「軍門には降らないのか」

「敵対せず恭順を示した我が父上、母上、一族郎党を処刑したダガールなど信用出来ぬ」

 クルエが冷たい目をした。

「それは父上の失策であった」

 アンミは物憂げに言った。

 クルエは目を泳がせる。

 そして口を開きかけた。

「お主を殺し損ねたのは失策であった」

 アンミはクルエを睨み付けた。 

「戦場でまみえよう」

アンミはそのまま蹄を返し自らの陣に戻った。

 クルエもすぐに自陣に戻る。

 

 まず、ダガールの兵が隊列を組んで前へ前へと進んだ。

「行くぞハミの誇りを!」

 とフクサマ、カワデが叫ぶ。

 ハミ軍はダガール軍と激突した。

 一点集中で数に勝る敵を撃破しようとしたが、抗せず、押されていく。

「姫様!」

 ワーズが叫ぶ。

 クルエは振り返り谷の方へと走った。

 ハミ軍は容易く退却し、谷へと逃げて行った。

 ダガール軍の先発隊がその勢いのまま向かった。が、待ち構えていたハミ軍の側面からの矢の射撃を受けた。

 ダガール軍は多数の死傷者を出し一時谷から退却した。

 

 クルエはほうほうの体で谷の奥を進んだ。

 思わず唇を噛み締めていた。

 こんなに悔しいことはない。

 仇にこうも無様な敗北を喫するとは。

 クルエたちは谷の内部で一時的に休息をとった。

 火に当たりながらクルエは黙りこくった。

「姫様」とワーズ。

「負けた。負けてしもうた」

 自嘲的な笑みを浮かべ彼女は言う。

「いえ、まだ負けたわけではございませぬ」

「いや、負けた。こんなに悔しいのだから」

「姫様、どんなに悔しかろうとも、惨めでも、傷だらけでも、最後に生き残った者が勝ちでござりまする」

 クルエはじっとワーズを眺める。

「私はこの戦いで死ぬ気であった」

「姫様・・」

「でも、本当は私は死にたいのか生きたいのか分からない」

 ワーズは神妙な顔をした。

「かつて……似たようなことがありましたなあ。姫様はマソ殿をお助けする際……」

 マソとはキロ村の悲劇の後始まった逃亡生活中クルエが世話になった豪商の主人の娘であった。

「助ける為なら死ぬ覚悟が出来ていたとおっしゃられましたが、いざその段になると死にたくないと思われたと」

「武人ならば潔く死ねるものを」

「姫様はそう安々と死んでよい天命ではないのです」

「ねえ……、ワーズ、私は何の天命があって生き残っているの?」

 そしてクルエは泣きそうな顔をする。

「ハミ家再興でござります」

「再興なんて無理よ」

クルエははき捨てるように言う。

「無駄に戦を招き、無駄に血が流れるだけ」

「姫様」

 ワーズは諭すように言った。

「死ねぬということはすべきことがあるということです。いや少なくとも本心ではそう思うておられるのです。天命うんぬん以前の話でございます。姫様自身が生き延びて何か為さねばならないと強く思うておられるからこそ、死ぬのが恐ろしいのです。

 姫様、よろしいですか。無駄かどうかは後世の歴史家が決めることです。英雄となるか時代の徒花と消えるかは誰にも分かりませぬ。しかしここで諦めれば本当に徒花のまま終わってしまいまする」

「ワーズ……」

「思えば赤子の姫様をお連れする際、その小さき身体に背負った宿運の重さを感じずにはいられませんでした。ダガールの処刑から逃れ、生き残った子。ダガールが存在すら失念していた子。まさにこれこそ最後の希望であったのです」

「そしてダガールはその殺し損ねた子を再び追った」

 クルエは重々しく言った。

「そして再び殺し損ねた」

「まさに天命の為に生き延びているが如くでござります」

 二人がそうやって語り合っていると、

「敵襲だー!」

 突然兵士たちの叫び声が上がった。

 ダガールの兵が谷に突入してきたのだ。


 クルエは馬に乗り、剣を抜いた。

「逃げるのです!」

 ワーズが叫ぶ。

 敵の声と馬の足音がもう迫ってきていた。

 タダキが馬で走り出した。

「タダキ!」

 クルエが叫ぶ。

「何を突っ走ってる!」

 フクサマが怒鳴る。

「姫様、こちらへ!」

 ワーズと十数人の兵がクルエを手招きする。

 クルエは彼らに従った。


「ハミ家、家臣!ホンカ・タダキ!いざ参いぃる!」

 タダキはにやりと笑った。

「ハミの武人の太刀裁き御照覧あれ!」

 ダガール兵にわずかな兵と共に突っ込んだ。

「ホンカ様暴れまわりましょうや!」

 兵が笑いながら言った。

 タダキ達は多勢に無勢ながらも槍を振るい、敵を多く蹴散らした。

しかし敵の槍の一突きがタダキの胸に当たった。

 馬から落ちる。

 タダキは呻いた。

 ダガール軍は恐れおののきながらもタダキの周りを囲み、とどめを刺そうとしていた。

 タダキは決死の形相で敵を見回す。

 しかしふっと表情が柔らかくなった。

そしてにっこりと微笑んだのである。

「ひ……姫様……」

 タダキはそのまま息絶えた。


 タダキが死んだという知らせが届いたのは翌日のことであった。

 クルエは寂れた寺院に隠れていた。

「そう……」

 クルエは呆然としていた。

「タダキは立派な武人でした」

 とサカヒが言った。

「姫様、タダキの死を無駄にせぬ為にも、ダガールを打ち滅ぼしましょうや」

 クルエは反応しなかった。

「姫様」

 とワーズ。

「そうね」

 クルエはやっと様子で呟くように答えた。。


 サカヒ、フクサマ、カワデが谷を進むダガール軍を迎え撃とうと出陣した。

「姫様はここに」

「何故?」

 クルエは思わず身を乗り出した。

「姫様が死んでは元も子もありませぬ」

 サカヒが強い調子で答えた。

 クルエは思わずたじろいだ。

 彼らが出陣した以降、クルエはずっと悩んでいるかのようにふさぎ込んでいた。

 ワーズは心配でたまらなかった。

(姫様は芯が強いようでいて、脆い所がある。いや、というより、常に心に襲い来る痛みに耐えているのだ。耐えかねるということもあろう)

「姫様……」

 クルエは祈りの部屋に篭っていた。

 


 数日後、ハミ軍が大敗を喫したという知らせが入った。

 ハミの兵たちは大きく落胆し、絶望の空気が漂った。 

 ワーズは慌てて祈りの部屋へ向かった。

「姫様」

「何てこと……」

部屋で座り込みうつむいていたクルエは目を開く。

 しばらく沈黙が続いた。

「姫様、気を確かにお持ちください」

 ワーズは言った。

 クルエは答えない。

 ワーズははっとした。

 明らかにその目といい表情といい、雰囲気が変わっていたのだ。

「ワーズ残された兵はいくら?」

 ぽつりと言った。

 ワーズはクルエの物言いに驚いた。

「500ばかりでございまする」

 そして立ち上がった。

 歩き出す。

「ワーズ、お願いがあるの」

「は」

「連れて行ける兵をちょうだい」

「は?」

「私自ら兵を率いる」

「何をおっしゃいます。サカヒ殿が申されたとおり……」

「だから、サカヒがいない時に頼んでいるのよ」

「姫様」

「無謀なことだと思っているでしょう」

 クルエはにっこりと笑った。

「しかし父や母の様に戦わずして死ぬなんてことはしたくない。このままではここは囲まれ自害するしかない。私は死ぬならダガールに一矢報いて死にたい」

「姫様……死ぬなどと……」

「ワーズ、連れて行ける兵はいくら?」

「200程かと思われまする……」

「慎重ね」

 クルエは部屋を出た。

「誰かある!」

 

 家臣達が広間に集められた。

「さて、これからクルエは討って出ようと思う」

 クルエの言葉に家臣達はいきり立った。

「そうじゃそうじゃ!」

「姫様の言うとおりじゃ!」

「ハミの誇りを見せ付けるのじゃ!」

 クルエは彼らを見渡し、微笑んだ。 

 諜報担当というハンスが広間に入ってきた。

「ハンスに敵の陣の配置を調べさせた」

「はっ」

「大義であった」

「有難き幸せ!」

 それから軍議となった。

 もはや奇襲攻撃しかないことは皆分かっていた。

 しかしどういう攻め方をするのか、何時ごろ攻めるのか、兵の動かし方は、などなどあらゆる想定を行った。

 クルエ率いる200のハミ軍は未明に出発した。

 3338年12月10日のことである。


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