心と血と
「人工臓器ですか? 教授」
「そう。人工の臓器です。細胞に特殊な処理をし、目的の臓器になるように万能化します。そして実際の臓器に成長させる。もちろん自然の臓器と何ら変わるところはありません。正に私が心血を注ぐ研究ですよ。記者さん」
教授と呼ばれた男は、研究室で振り返る。そのまま後ろにいた男に微笑んだ。己の成果を誇る研究者の――いや、探求者の笑みだ。
「ええ。すごいですね……」
記者と呼ばれた男は、目の前の人形を見て呟く。まるで人体標本だ。人の姿に似せたものが、内臓を曝して溶液に浮かんでいた。
「はは。そう怖がらずに」
「そうですか…… ですが教授。何故、このような形で培養を?」
記者はまじまじと溶液に浮かぶ人形を見る。内臓が全て透けて見えた。
「たとえどんな臓器にでも成長するとはいえ、ただ培養すればいいという訳ではないのです」
驚いている様子の記者を余所に、教授は何食わぬ顔で説明を続ける。
「と言いますと?」
「形が必要だということですよ。普通に培養しても、それだけでは肉の塊ができるだけですから。心臓の細胞をそのまま培養しても、収縮する肉の塊ができるだけなのです。心臓なら心房や心室を備えた、ポンプの形を作り出さなくてはなりません。そしてその収まるべき場所を考え、形や大きさも整えなくてはなりません」
「なるほど」
記者は頷く。標本の中の心臓は動いていた。脈をしっかりと打っている。
確かに血流を送ることができそうだった。
「まぁ、それと見て下さい。この内臓が整然と並ぶ、標本めいた培養器を。誰かの体格に似ていると思いませんか?」
「あっ! 教授に似ています。そっくりです」
「そう。大元の細胞の提供も私なのでね。私の臓器の大きさで培養しているんですよ」
「なるほど。このままでも取り替えられそうな、大きさをしていますね」
「はは。そうなんですよ。正に私の臓器なんでね。文字通り私の心血を注いでいますよ」
教授はそう言うと、壁際を這っていたチューブを一つ摘んだ。心血と呼ぶに相応しい、赤い液体が流れている。
「正に心血ですか? 確か心臓がお悪いと聞きましたが。もしや、スペアをお考えで?」
「はは。それは私が学長の椅子に座るのを、快く思わない連中の流言ですよ。今の副学長を差し置いて、私が次の学長になるんでね。ま、元々副学長は大学の頭というには、少々器の足りない人間でしてね」
「はぁ……」
「それでもずる賢い人間でね。うまく言いくるめて、今の学長をただの飾りのように扱っているんですよ。言わば我が大学は、頭だけが機能していない、脳死の状態なのです。そこに自己主張の激しい私が、学長に名乗り出たという訳ですよ」
「それで、心臓が悪いなどと、好き勝手に言いふらしているのですか?」
「ええ。ですが、私の心臓は丈夫ですよ。ほら標本の心臓も、毛が生えてますでしょ?」
「いや、はは。さすがにそれは。ご冗談を。ですが確かに、丈夫そうな心臓ですね」
「ま、たとえ心臓が悪くなっても、それはむしろこの標本の力を見せつける時。心臓が止まったらこの標本と取り替えて、何食わぬ顔で学長の席に収まってやります。悪くなった臓器を入れ替えて、ずっと居座ってやってね」
教授はそう言うと、朗らかに笑ってみせた。
「で、教授の死因は脳死だって?」
「ええ、デスク。動脈瘤破裂による、脳機能の停止だそうです。疑うことなき病死です」
記者はそう言うと、メモから顔を上げた。
「心臓に毛が生えていても、末端はそうじゃなかったてか? 臓器培養の権威でも、脳がやられちゃな。何もできないか。不憫なもんだ。学長にまで上り詰める寸前だったろうに」
デスクと呼ばれた男は、原稿に目を落とす。
「それがですね。学長にはなるそうです」
「はぁ? 何言ってんだ、お前」
「教授は臓器培養の世界的権威でした。教授に培養できない臓器はありません。もちろん、脳髄も培養済みでした。で、脳死した脳髄を入れ替え、教授を延命することにあの大学は成功したんです。何と言っても教授が学長に納まるのが、一番形に合いますから。でも当然培養した脳髄なんて、中身は空っぽです。正に飾りです。何食わぬどころか、何も食べられません。チューブで延命された教授は学長に任命され、副学長は相変わらず実権を握る。教授が心血を注いだ研究は、正に教授が学長の椅子に居座り続ける為に、今後も――」
心血を注がれるそうです。
そう言って記者は、パタンとメモを閉じた。