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1989  作者: 桂真琴
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24 嘘と理由



「確かに晶くんには言われた通りに言っておいたけどさ。美咲ちゃんは文化祭の準備で忙しくて、しばらくバイトに来ないって」

 成子さんが心配そうに美咲の顔をのぞきこむ。


 文化祭の準備が忙しいのは本当だった。文化祭はもう間近に迫っているのに、押しつけられた短編集の編集作業が終わらない。


 しかし、アルバイトに来ないというのは嘘だ。

 あの教室での一件を考えると、晶はきっとアルバイト先にやってくると思った。


 そして美咲の予感通り、晶はやってきた。

 だから美咲は、成子さんに嘘を言ってもらったのだ。

 晶と顔を合わせないために。


 そのためにシフトを変えてもらった。文化祭までの期間限定で、部活のある日にだけアルバイトを入れることにした。

 どうせ部室に行っても無視され、一人で作業をするだけで、部の企画である読書カフェの準備には入れてもらえないのだ。

 部活には行かず作業は家でやることにして、部活のある日にだけアルバイトを入れれば晶と顔を合わせずに済むと考えた。


 日数が減り、アルバイト代が減ってしまうのは厳しいが、夏休みのアルバイト代はCDラジカセを買うお金を差し引いても、自分が日常で使うお金と母に渡せるくらいのお金は残る。

 美咲の考えと成子さんの嘘が功を奏したのか、晶はアルバイト先に姿を見せなくなった。


「あれから晶くん、本当にここに来なくなったからさ。あたしとしては寂しいっていうか、本当にこれでよかったのかなって」

――これでいい。

 美咲は胸の痛みをごまかすように明るく笑った。

「もちろんです。でも変なこと頼んですみませんでした」

「あたしはかまわないよ。でも、美咲ちゃんも晶くんも元気ないし……ケンカでもしたの?」

「いえ、そうじゃないですけど」


 美咲は頑張って笑顔を持続させ、用意していた言い訳を口にする。


「ちょっと学校でトラブルがあって。二階堂君モテるから、誤解されないために今は話さない方がいいかなって。このコンビニ、うちの学校の生徒も来ることがあるから」

 成子さんは目を丸くした。

「え?! 誤解って、二人は付き合ってるんじゃないの?」

「まさか。二階堂君みたいな美形とわたしが付き合えるわけないじゃないですか」


 本当にその通りだ、何を夢見ていたのだろう、と自分を内心嘲る。


「そうかなあ。すっごくお似合いなのに。でもそっか……花火、役に立たなかったみたいで悪かったねえ」

「そんな! 花火はとても楽しかったし、二階堂君も喜んでましたよ!」


 なぜかしょんぼりしてしまった成子さんを励まし、店内清掃を続ける。


 コンビニエンスストアというのは決まった時間に店内を見回って商品を整えたりゴミを拾ったりするのだが、今日は日曜日のせいか夕方のこの時間は人も少ない。


「ヒマだねえ。美咲ちゃん、もう帰って大丈夫じゃない?」

 成子さんがレジ周りを拭きあげながら言うと、店長も同意した。

「そうだ、明日学校だろ? タイムカードは後で押しておくから、もう帰りなさい」

 美咲を気遣う二人に「家に帰りたくないんです」とは言えず、お礼を言ってバックヤードのロッカーに向かう。成子さんや店長は、自分の子どもにもあんな風に優しい言葉や笑顔を向けるのだろうか。そうだとしたら、なんと羨ましいことだろう。


 荷物をまとめ、のろのろと駐輪場に向かう。


 テレビ人間は美咲の生活の大部分を蝕むようになっていた。

 夕方のNHKのニュースと共に消えるのがテレビ人間の習慣だったが、今ではNHKのニュースが始まってもテレビ人間は消えない。

 夜もテレビの前に座り、振り子のように背中を揺らし、陰鬱な時を刻む。

 時折テレビ人間が渇いた嗤い声を上げる。その重苦しい空気の中で夕飯を食べることを思うと深い息がこぼれた。


「帰りたくないなあ……」

 美咲はぼんやりと自転車をこいだ。しばらく行くとあの河川敷が見えてきた。


 気が付けば自転車を停めて、河川敷に下りていた。


 夏の間、晶と過ごした河川敷にはやっぱり風が吹いていた。風からは夏の熱気はとうに抜けて、所々に群生するススキを夕暮れの中で揺らしている。


 広場のベンチに座ると、ここで晶と花火をしたことが夢のように思えた。

 夢だったのかもしれない。夏の間、ずっと醒めない夢を見ていたのかもしれない。

 顔を上げれば、誰もいない河川敷に幻を見る。背の高いシルエット。ちょっとはにかむように笑う端整な顔。

「美咲」

 幻が言った。美咲は思わず立ち上がった。


 夏とちがって、グレーのパーカーを着て目の前に立ったのは幻ではなかった。


 どうして、と問う前に、晶が口を開いた。

「ごめん。本当にごめん。謝ることしかできなくてごめん。全部美咲を守るためなのに、逆に傷付けてごめん」

 いろんな感情が混ざって、いろんなことを聞きたくて。それなのに身動きができない。

「俺は、くだらない学校の序列から美咲を守りたかった。だから学校の外で美咲と一緒にいようと思った。学校の中でしか威勢を張れない奴らから美咲を守りたかったんだ。でも結局、俺と関わってることがバレればこの前みたいなことが起きる」


 晶の話は、半分は理解できて半分はわからなかった。


「晶は人気者だから、仕方ないよ」

 嫉妬。羨望。晶という学校上位グループの頂点にいる存在と一緒にいれば、それらが向けられるのはむしろ自然なことだ。

 でも、どうして。

「どうして晶は、そこまでして……わたしを守ろうとしてくれるの?」



 ただ好意を持っているだけなら、きっと付き合えばいいのだろう。彼氏彼女という関係になれば、逆風は予想されても状況はもっと違うものになったはずだ。

 晶には、美咲にこれ以上近付きたくても近付けない理由がある――そんな気がした。



「ごめん。やっぱり言えない」

 晶は苦しそうに美咲から目を逸らす。

 その姿があまりにも苦しそうで、美咲までたまらなく胸が苦しくなった。

「お願い。もう無理しないで」


 事情はわからない。けれど、晶が自分のせいで苦しい思いをしているなら。


「もういいから、わたしから離れて。この前のこと、あれは晶じゃなくてわたしのせいだから。わたしが下位グループだからだよ。晶は何も悪くない。わたしのせいで晶が辛い思いすることなんて――」


 ふいに、視界が真っ暗になった。

 抱きしめられたのだとわかった。

 体温の熱さだけではない何かを触れた肌から感じる。あの雷雨のときとは違って、もっと激しい何かだ。

 それは晶のダンスを初めて見た時に感じたPASSIONだと思った。

 晶という人間が持つ生命力。晶の根源にある情熱。


「美咲、好きだよ」

 晶の胸にくっついた耳から、声が直に響く。

「本当は美咲と離れたくない。離れたくないんだ……!」


 美咲は目を瞠る。ぎゅう、と抱きしめる力が強くなって息が苦しくなった瞬間、パッと解放された。


「文化祭のフリーステージ、絶対見に来てほしい」

 握られた手がはらり、と離れた瞬間、晶は走っていってしまった。


 追いかけることも声を上げることもできず、薄闇の中、美咲は遠ざかる背中を呆然と見ていることしかできなかった。





 晶は美咲に、何を伝えたかったのだろう。

 何を隠しているのだろう。


 学校で晶の姿を遠くから見かけるたびに、美咲の胸は痛んだ。


 本当は晶に聞きたかった。晶が抱えているものを。真実を。

 けれど、あのオタクバッシングとも言える事件以来、美咲は学校という場所において排除されるべき存在になってしまった。周囲は美咲に憎悪の目を向けている。


 だからもう晶とは関わってはいけない。

 それは胸が張り裂けそうになるほど痛くて苦しい。けれど、これでいいという思いもあった。


 この先、テレビ人間に喰い尽くされるかもしれない、という予感があるから。


 テレビ人間はリビングで澱んだ時を刻み続けている。奇妙に真っ直ぐ伸びた背中が左右に揺れるたびに、もう引き返せないところへ向かって進んでいるのかもしれないという感覚が美咲を襲った。春先に公園に埋めたガチャガチャのカプセルが、美咲を呼んでいる気がした。


 テレビ人間と共に消えるかもしれない自分は、晶が生きる世界とは無縁であるべきだ。



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