23 事件
教室のゴミを焼却炉に持っていくのは掃除当番の仕事だ。
女子なら二人で運ぶ大きなゴミ箱を、美咲は一人で焼却炉まで運んで戻ってきたところだった。
もう誰もいないだろうと思ったのに、教室の前まで来ると騒がしい。
嫌な予感がして、そっと扉のガラス部分からのぞくと、福本京子が見えた。京子といつも一緒にいる女子たちや、同じく上位グループの男子たちが騒いでいる。
「やっちゃえやっちゃえ」
「やべえ、オタク菌がうつるからこっちにやるなって」
「全部ひっくり返せばいいじゃん。鞄の中に入ってるんでしょ」
「はいじゃあ注目ー」
京子が机の上に上った。歓声が上がる。
京子の手には美咲の鞄があった。
あ、と息を呑んだときには遅かった。
京子は手に持った鞄を逆さまにひっくり返した。京子が鞄を振ったので、筆箱や教科書や手鏡や、こまごまとした物があちこちに散乱した。
「うわっ、オタク菌うつる!」
「汚いからこっちやらないで」
「てか、そのキーホルダーを早く探そうよ」
キーホルダー。
――彼らはラムのキーホルダーを探しているんだ。
美咲は教室に飛びこんだ。
「やめて!」
京子たちは一瞬驚いたが、まったく悪びれる様子もない。
「御本人に聞いてもいいんじゃない?」
京子は机から降りた。それは美咲の机だった。京子は散らばった美咲の私物をわざと踏み付けながら美咲の前に立った。
「ねえ、あたしたち、あんたのオタクの印を探してるんだけど。鞄の中じゃなかったっけ」
「どうしてこんなことするの」
美咲はしゃがんで、私物を拾い集めた。「汚っ」「オタク菌が」「うざっ」というクスクス声の中を、膝で這って拾い続けた。
「オタクは社会悪だからじゃん。それより、キーホルダーをどこにやったか聞いてんだよ」
京子の冷えた声が降ってきた。私物を拾うために視線を彷徨わせていた美咲はハッと動きを止める。京子の足の下をまじまじと見る。そこには、ピンクの小さなファンシーショップの袋が見えた。
『BAD』の歌詞カードが入った袋だ。
美咲は反射的に京子の上履きを手で押しのけた。
「触んじゃねえよオタク!」
京子は美咲の肩を思いきり蹴った。かまわず、美咲は必死にピンクの小さい袋をつかんだ。
「へえ、そんなに大事な物なんだ。何が入ってんのー?」
別の誰かが美咲の手から袋を取った。
「返して!」
「オタクグッズだったら返せないなあ、社会悪だからねえ」
歌うように言った京子が袋を受け取る。どこから持ち出したのか、京子の手にはハサミが握られていた。
「やめて! 返して!」
数人の女子が美咲を通せんぼした。それを見て京子はニヤニヤしながらピンク色の袋を大げさに掲げる。
「社会悪は、こういうふうにしないとね?」
じょき、とハサミが袋ごと中身を切った。
美咲は我知らず絶叫し、京子に突進した。通せんぼしていた女子たちが怯んで美咲を避けたため、京子はもろに美咲の体当たりを受けてよろめいた。
「なにすんだよこの女っ」
京子は金切声を上げたが美咲の力は凄まじかった。京子の手をつかんで揺さぶると京子は顔を歪め、切れた袋は床に落ちた。
「歌詞カード、歌詞カードが」
夏の間、ずっと持ち歩いていた歌詞カード。晶に返さなくてはと思っていた歌詞カード。けれど、楽しい時間を終わらせたくなくて返せなかった歌詞カードが、美咲のお気に入りの袋ごと真っ二つに切られていた。
「おまえら何してんだよ!」
教室に突然入ってきた声に全員が反応した。
「や、やだー二階堂君じゃん、どうしたのぉ?」
上ずった声の女子を押しのけて晶は騒ぎの中心に駆け寄る。
「やっぱり美咲の声だったか……」
晶は美咲が握りしめた袋からわずかにのぞいた物をみて目を瞠る。そして隣に立つ京子が持つハサミを見る。何が起きたかは一目瞭然だった。
「ち、ちがうのよ二階堂君、これには理由があって」
「他人の持ち物をハサミで切っていい理由なんかないと思うけどな」
冷えた低音に、京子の顔が青くなった。
「だって! この人オタクなのよ? オタクって社会悪じゃん! だから一掃しようと、あたしたちは――」
「おまえら何様なんだよ」
晶の言葉に教室はしん、とする。
「この学校の中だけでしか通用しない序列を押し付けて、他人を貶めて、暴力までふるって。何の権利があってそんなことをする? おかしいと思わないのかよ」
京子は今にも泣きそうで、周囲は気まずそうに顔を見合わせた。その気まずさを消すように男子の一人が肩をすくめる。
「わかったわかった、マジで怒んなよ二階堂。もういいから行こうぜ。たかがオタク女子のオタクグッズくらい、弁償してやるよ。なんだっけ? キーホルダー? いくらだよ。金払えばいいんだろ」
財布を出しかけた男子が動きを止める。晶が射貫くように睨んでいたからだ。
「な、なんだよ」
「その『BAD』の歌詞カードを、おまえに弁償できるとは思えないが」
「は? 『BAD』て、マイケル・ジャクソン? 今スーパースターは関係ねえだろ」
言われた男子は意味がわからず困惑している。晶が冷ややかな声で言った。
「おまえらがハサミで切ったのは、ウエストレイク・レコーディング・スタジオで録音された『BAD』のCDアルバム初回盤の歌詞カードで、俺がアメリカで買ったものだ」
財布を持った男子の顔が引きつった。京子は唇をわななかせた。
「だ、だって……なんでそんな。あたし知らなかったし! 大体なんで日高が二階堂君の物を持ってるわけ?! 付き合ってるって本当なの?! 二階堂君が日高と付き合うとか、そんなの有り得ないじゃん!」
叫ぶ京子を晶は一瞥した。
「美咲は、俺から借りたものをおまえらの嫌がらせから守ろうとして――」
「やめて!」
美咲は立ち上がった。
――ちがう。わたしは。
晶とのつながりを断たれたくなかったから。
もっと早く晶に返すべきだったのに、自分の勝手な願いのために歌詞カードを持ち続けた。
「わたしが悪いんだよ」
拾い集めた私物を美咲は拾った鞄に投げ入れ抱える。行く手をふさぐように立った晶の顔を、美咲は見ることができなかった。ただ一言、
「歌詞カード、ごめん。ほんとうに」
言った声は擦れて、自分でも聞き取りにくいくらい小さくて。せめてちゃんと晶に届いていればいいのにと願いながら教室を走り出る。
――わたしが下位グループのせいで。
晶の大切なものまで傷付けられ汚されてしまった。
背中から晶の声が追ってきたが、何をいわれているか聞こえなかったし聞きたくもなかった。晶の優しさが切なくて、いたたまれなくて、早くこの場を去りたくて、ただただ走った。
もう、すべて終わりだ。
♢
美咲は深夜、こっそりと起きだし、擦り切れたタオルケットでテレビと自分を包み、部屋の扉をそっと開けた。
土曜日の夜にこうしてテレビに近付くのは、久しぶりだった。
家の中は寝静まっている。閉じた襖の向こうから、テレビ人間が寝ている時にたてる砂嵐の音が聞こえた。
真っ暗なリビングで、そっとテレビの電源を入れる。
夢のように楽しかった夏の間は忘れていた、そして今となっては美咲にとって唯一の救いが、このブラウン管の向こうにある。
あの輝かしい、すべてを浄化してくれる華麗な歌とミュージックビデオ。あのネオンサインの番組タイトルがブラウン管に映し出されるのを待った。
けれど、ブラウン管に映ったのは間の抜けた芸能人の顔で、始まったのはぜんぜん知らない番組だった。芸能人の軽いトークが始まった瞬間テレビを消していた。
――どうして。どうして。
混乱する頭でめったに見ない新聞を引っぱり出し、テレビの番組欄を確認する。先週の新聞の番組欄を見てしばらく動けなかった。
『ベストヒットUSA』に「終」のマークがついている。
『ベストヒットUSA』が突然終わってしまったように、すべてのものが美咲の前から消え去った。
学校での居場所も、Mも。
そして晶との時間も。




