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1989  作者: 桂真琴
19/32

18 花火


「最近、晶くんと一緒に帰ってるでしょう」

 ある日、品出しをしながら成子さんがニコニコと肘で美咲をつついた。

「付き合ってるの?」

「そんなんじゃありません!」

 驚いてつい大きな声になってしまったことが逆にカン違いを生んだらしい。

「いいわねえ、青春。はい、これ。あたしから二人へのプレゼント」


 それは少し前に廃棄処分のカゴに入れられた花火セットだった。


 コンビニエンスストアでは、商品を期間ごとに厳重に管理していて、期限切れのものは廃棄処分となる。物によってはアルバイトやパートが自由に持ち帰れた。弁当やパンなどはその最たるものだが、花火セットは持ち帰ってもいいのだろうか。


「心配しなくて大丈夫よ、店長にはちゃんと許可取ってるからね。夏といえば花火! 若いカップルといえば花火! 去年のだから湿気てるかもしれないけど、じゅうぶん使えるから」

 成子さんは美咲の手に花火セットを握らせた。

 なぜかうれしそうな成子さんを見れば突き返すのも憚られ、美咲は仕方なく花火セットを持ってコンビニエンスストアを出た。


「なにそれ?」

 さっそく晶に聞かれた。成子さんは晶と顔見知りだし、成子さんの厚意の半分は晶に向けられているのだから、黙っているわけにもいかない。


「花火だよ」

「マジ?!」

 意外にも晶の顔がパッと輝いた。家が裕福な晶にとっては花火なんて珍しいものではないと思ったが。

「いいなあ、日本の夏といえば花火だよなあ」

 まるで子どもみたいに目を輝かせて花火セットを凝視しているので、その視線の圧に負けて美咲はつい言ってしまった。

「やる? 花火」

 晶は目を丸くした。

「えっ……いいのかよ、だって美咲がもらったんだろ」

「いいんだよ。成子さんが半分は晶にくれた物だから」

「成子さんが? 半分は俺に?」


 首を傾げている晶より先に、美咲は河川敷へ下りた。二人で夏の思い出を作ってねと成子さんに言われたことまでは恥ずかしくてとても言えない。


 美咲は広場の隅のベンチに荷物を置いて、花火の袋を開いた。

 子どもの頃の記憶を頼りに花火を袋から出し、セロハンテープを取り除いて並べていく。この作業がけっこう重要なのだ。


「美咲、手際がいいな」

 心底感心している様子の晶に、美咲は苦笑する。

「昔、従姉妹たちとよくやったから」


 ガマの穂のような花火に火を点けようと、ライターを擦る。成子さんはご丁寧に百円ライターまで持たせてくれたのだった。けれど河川敷には弱くはない風が吹いていて、ライターの火はすぐ消えてしまう。


「貸してみ」

 晶は美咲の手からライターをもらうと、片手で囲って点火した。晶の大きな手の中で、ライターの火は赤々と灯る。

「うわ、晶の手すごい!」

「ほら早く早く、花火!」


 言われて、美咲は火に花火を近付ける。じじじ、という音がする。点火したなと思った瞬間、サッと晶から離れる。同時に花火は勢いよく火花を散らした。


「おおっ、綺麗だな! これがジャパニーズ花火か!」

 晶は手を叩いて喜んでいる。

「ほら、晶も早く花火を持って!」

「え? え?」

 戸惑っている晶の手に美咲は花火を握らせて近付く。晶がキョトンとしている間に晶の握った花火が火を噴いた。

「おおおおっ、Awesome!」

 興奮のあまり日本語と英語が混ざっている晶は、大きな体に似合わず火が怖いようで、わあわあ言いながら手に持った花火から離れるように動くので、奇妙な体勢になっている。その様子がおかしくて、何だか可愛らしくて、美咲は笑った。

「火が怖いの? ヘンなかっこうになってるよ!」

「うるせー! 火だぞ?! 平気な顔で手に持ってる美咲の方がヤバいだろ! でもやっぱ綺麗だな!」


 混乱したことを言いながらも、晶は徐々に火に慣れた様子で、美咲の手から火をもらえるようになってきた。


「ずっと昔ね」

 噴水のように噴き出す花火に照らされた晶の顔がこちらを向いた。自分の顔も橙色の花火色になっているだろうなと思いながら、美咲は思い出した記憶を言葉にする。

「子どもの頃、夏休みはおじいちゃんおばあちゃんの家に毎年行ったんだけど、いつも決まっていく丘があったんだ」

「丘か。いいな。ピクニックか?」


 アメリカに住んでいた晶は、バスケットを広げてサンドイッチを食べるような爽やかな草原の丘を思い浮かべているかもしれない。しかし、美咲の思い出の中のその丘は、ピクニックに適した丘ではなかった。


「ううん、そこは墓地なの」

「墓地?」晶は眉を上げた。「丘の上に墓地があるのか?」

「うん。でも田舎の墓地だからただの山っていうか、ぜんぜん整備されてなくて」


 美咲は記憶の中の風景を一つ一つ思い出していく。


「道は申し訳程度に砂利が敷いてあるだけだし、丘の上もきちんと区画されているわけじゃなくて、野原の中に墓石が点在してるって感じ。古くからその近辺に住み続けている家だけのお墓ばかりが並んでいる場所なんだ」

「へえ……」


 晶は見知らぬ日本の田舎の風景に思いを巡らせているようだ。


「でもすごく見晴らしが良くて、冷たい水が出る井戸があったりしてね。いい所なんだ」


 そう。そこは墓地だったが、美咲にとっては数少ない、良い記憶の場所だった。


「お盆の夕方、提灯を持ってお墓参りに行くの。井戸で水を汲んでお墓をきれいに掃除して、線香を炊いて。そういうのが全部終わると、わたしたち子どもは花火をすることを許された。お墓参りに来ている他の家の子どもも一緒にやったりして、大人たちはそこで立ち話して。日が長い土地だから夜までけっこう明るくて、楽しかった」


 そう。わたしは従姉妹や近所の子どもたちと一緒に花火や鬼ごっこをして遊び、誰かが持ってきたアイスを食べてはしゃいだ。すごく楽しい時間だった。それなのに。


――いつから、あの場所へ行かなくなったのだろう。


「俺、花火ってやったことないんだ」

 晶の言葉に顔を上げる。橙色の花火の光と薄い煙の中、晶は弾ける火花を見つめたまま淡々と呟いた。

「俺の両親、昔から仲悪くてさ。子どもの頃、家族で楽しく何かしたって記憶があまりない。まあ、もう離婚したから関係ないけどな」


 花火の火が消えた。


 返す言葉が見つからないかわりに、美咲は花火を探る。花火はほとんど終わってしまって、あとは線香花火だけが残っていた。

 その束を解いて晶に渡すと、晶は眉を上げる。


「え? これ飾りだと思ってたんだけど。花火なの?」

「線香花火だよ」

 美咲がしゃがむと、晶も倣ってしゃがんだ。

「こうやって風から守ってあげないと、ダメな花火なの」


 美咲は自分の身体と手のひらで空間を囲み、線香花火に火を点ける。

 ちちち、という微かな音と共に、小さな鬼灯の実のようなものがじりじりと大きくなっていく。


 晶は固唾を飲んで赤い小さな珠を見守っていた。やがてぽたり、とその実が落ちると、緊張が解けたように大きく息を吐いた。


「確かに、これは守ってやらないとダメだな」

「でしょう?」

「日本の花火は繊細だと思ったけど、これはその極致だな」

「その繊細の極致で最後にゲームをするの。線香花火の珠を誰が最後まで落とさないか、競争するんだよ」

「ぜったい負けない」

「そう? わたし強いよ」


 二人で次々に線香花火に火を点けた。小さい珠が落ちるたびに、自分の珠がより大きくなるたびに、美咲も晶も全身で喜んだり落胆したりした。そして、大きな声で笑った。

 こんなに楽しかったのはいつぶりだろう。

 暑さも湿気も気にならない。日が長いことを単純に喜んで何かに熱中した夏は、あの丘で過ごした夏の長い夜を思い出した。


 美咲が持っていた最後の線香花火が、落ちた。


「ありがとうね」

 美咲が言うと、晶が顔を上げた。

「花火やったの、久しぶりだったから」

「楽しかった?」

「とても」

 晶はうれしそうに笑んだ。

「俺も楽しかった。日本の花火の素晴らしさを実感した」

「それはよかった」


 美咲は立ち上がり、ベンチに置いていた花火の袋を取った。


「何するんだ?」

「仕上げだよ。ちょっと待ってて」


 美咲は川に向かって走った。燃え尽きた花火に水をかけて袋に詰めるため、川の水を汲みに行くのだ。


 刹那、よろめいた。川辺の石につまずいたのかと思ったがそうじゃなかった。追いついてきた晶が腕を引いたのだ。晶は真剣な顔で、まるで小さい子に言い聞かせるように美咲の肩を持って顔をのぞきこんだ。


「こんな暗闇で川に近付くなんて危ないだろ!」

 真剣な声音から、晶が本気で心配しているのだと伝わってくる。肩を持つ晶の手が熱い。美咲は泣きたいような笑いたいような気持になって、晶を安心させたくて、晶の腕をそっと解いた。


「水を汲んでくるだけだよ。花火を片付けるから」

「じゃあ俺がやる」


 晶は美咲の手から袋を取ると川へ近付いた。じっと川をのぞく背中に追いつく。晶は夜色の川を見たまま動かない。


「夜の川って暗くて、飲み込まれそうだな」

 しばらくして、晶が言った。美咲はそっと晶の手から袋を取った。

「大丈夫だよ、いつもと同じ川だよ」 


 川の水を汲んで戻ろうとして、袋を――いや、手をつかまれた。


「もうどこにも行かないでくれ」


 晶の声は擦れていた。川が流れる音のせいで、聞き間違えたと美咲は思う。あるいは晶は美咲ではなく、別の誰かに向けて言ったのかもしれない。

 美咲の手をつかむ晶の手は大きくて熱い。


「水、こぼれちゃうから」

 美咲が歩き出すと、晶も一緒に歩き出す。水を持っているので振り切ることもできず、二人で手をつなぐようにして袋を運んだ。自分の心臓の音が大きすぎて晶に気付かれるんじゃないかと気になって仕方なくて、美咲は早く手を離したかったけれど、晶はしっかり美咲の手をつかんだまま隣を歩いている。


 今が夜でよかったと思う。

 きっと、美咲の顔は恥ずかしいくらい赤くなっているに違いない。


「花火の燃えさしは俺が持って帰るから。初・日本花火をやってくれたお礼」

 そう言って悪戯っぽく笑った晶は、いつもの晶だった。一緒に花火に水をかけて袋に詰めた。

「じゃあ、また明日」


 堤防の道を曲がっていく晶の背中を引き留めようとして、美咲は口に手を当てる。『BAD』の歌詞カードを今日こそは返そうと思っていたのだ。



 でも、晶を呼び止める声が出なかった。



 返してしまったら、この楽しい時間が終わるかもしれない。

 美咲はそれを怖れた。怖れている自分に、今、気が付いた。



――なに考えてるんだろ、わたし。


 晶は上位グループで、自分とは住む世界が違って。決して、交わることのない時間軸を生きる人だ。それなのに。

 晶と一緒にいたい。明日も晶に会いたい。そう思っている自分がいる。

 テレビ人間が現れてから、美咲はすべてを諦めてきた。テレビ人間がいる限り、どんなにあがいても美咲の望みや願いが叶うことはないと思っていた。


 でも。


 正体不明の友人Mとの交流が、遠い異国で戦車の前に立った人の姿が、初めてのアルバイトが、美咲を少しずつ変えていて。


 大きな声で歌い、ときには踊り、本を読み、そして誰かと一緒に笑う。そんな他愛もない、けれど晶との特別な時間が大切に大切に想えて、ずっとこんな時間が続けばいいのにと願ってしまって。


――駄目だ。わたし、欲張りになってる。


 テレビ人間の支配下にいる自分には何かを願うことも許されない。願えば、自分が辛く苦しくなるだけだ。いずれ何もかも、テレビ人間に台無しにされる。CDラジカセを買うことだって、テレビ人間に白紙に戻されたのだから。

 それでも美咲は、明日の夕暮れ時に思いを馳せてしまっていた。



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