13 ぜったいに聞き間違いだ
『アルバイト代で素敵な買い物計画を立てられるなんてうらやましい。貴女を尊敬します。二階堂君が貴女にとって良い人なら私もうれしいです。M』
久しぶりのMからの手紙に顔をゆるませて美咲は「う」と顔をしかめる。左目尻にはまだ痛みが残っていた。
トイレの洗面台の前に立ち、鏡をのぞく。
痣はなかなか消えなかった。青黒いまだらな模様は、痣の中で黒い生き物が蠢いていることを暗示してかのように見える。
数日はガーゼを貼ったが、今はもう取ってしまっていた。ガーゼを貼っていると余計に目立つからだ。髪の毛でなんとか隠すように誤魔化していた。下を向いて本を読んでいれば、下位グループの美咲の顔など誰も気にはしない。
ゼロになってしまったアルバイト代を再び貯めるため、美咲はコンビニエンスストアの店長に相談して今週からアルバイトを増やしていた。学期末テストが始まるギリギリまで入れるだけアルバイトを入れたい。
CDラジカセがどうしても欲しかった。
『BAD』の歌詞カードはまだ鞄の奥底に入ったままだ。晶に歌詞カードを返すためにもCDをダビングできる環境を早く整えたい。
「よお、美咲」
明るい声に振り返ると、晶がクラスメイトたちと階段を下りてきたところだった。名前呼びに反応したのか、やや冷やかし気味のクラスメイトを蹴るポーズで追い払い、晶は美咲に近付いてきた。
「俺、今日はダンススクールの振り替えでさ。美咲は――」
晶の言葉が止まった。
「な、何?」
晶が長身をかがめてのぞきこんでくるので、美咲は左側を見られないように身体ごと横を向いた。
「どうしたんだよ、その痣」
問われて、思わず肩が縮んだが努めて平静を装う。
「なんでもない。大丈夫」
見られたくない醜いものを見られた気がして、美咲はそそくさと靴に履きかえて行こうとした――刹那。
強い力で引っ張られたと思ったら晶の顔が目の前にあった。
「ちょっ……」
抵抗しかけた言葉は途切れ、全身の毛が逆立った。
暗い双眸に憎悪と呼ぶべきものを宿した男が目の前に迫っていた。そこにいるのは上位グループの爽やかな美形男子とはまるで別人だ。
「テレビ人間にやられたんだな?」
ごく低い声に「え」と思う。聞き間違いだろうか?
「今なんて――」
「許さない」
晶は美咲を見ているけれど、見ていなかった。
どこか遠い場所を見ているようなその眼差しがさらに暗くて怖くて、美咲はそれ以上追求できなかった。
「痛い、離して」
そう言うのがやっとだった。晶はハッとしたように美咲の腕を放した。
「ごめん」
その表情を見てホッとした。視線が申し訳なさそうに彷徨っている様子は、いつもの晶だ。
「気にしないで。わたし、バイト行くから」
なぜだか気まずくて、美咲は踵を返して走り出す。背中にずっと、晶の視線を感じた。
『許せない』と晶は言った。『テレビ人間にやられたんだな』とも言った気がする。でもきっとに聞き間違いだ。そんなはずはない。
ぜったいに聞き間違いだ。
美咲はそう思うことに決める。
だってテレビ人間のことを誰かに話したことはない。
テレビ人間のことは誰も知らない、知られてはならないことだから。
美咲の家に化け物がいることは、誰にも知られてはならない。
今まで周囲にひたすら隠してきた。そのために誰も寄せ付けず『異端』となり、学校でも肩をすぼめて耐えているのだから。あと少し。学校という場所にいるあと二年半ほどの間は、テレビ人間のことはこのまま隠し通さなくてはならない。
どこからか蝉の鳴き声が聞こえた気がした。
もうすぐ、夏がくる。




