11 宝物のような
昼休みの一件のことが頭から離れず、放課後、手紙を上履きに入れようか迷った。
決められずに下駄箱の前でのろのろと上履きを脱ごうとしていたとき、肩を叩かれて飛び上がりそうになった。
「今日もバイト?」
二階堂晶だった。
非の打ちどころのない端整な容姿は、通り過ぎていく女子たちの視線を奪っていく。けれど、美咲は先日の晶を思い出していた。無心に踊っていた姿。同時に、歌詞カードのことを思い出した。
「あの、この前はありがとう。歌詞カードのことなんだけど、いつ返したらいいかな」
美咲のような『異端』女子が不用意にA組に訪ねて行ったらきっと迷惑だろう。こっそり返せたほうが晶に迷惑をかけない。
「いつでもいいよ」
「でもそれじゃあ悪いよ。すでにお礼が必要なレベルの日数、借りてると思うし」
「お礼なんていらないけど……うーん、じゃあ、俺のワガママを一つ聞いてもらってもいい?」
「ワガママ?」
「美咲って呼んでもいい?」
「えっ……」
不意打ちだった。そんなことを言われるなんて想像もつかなかった。顔が熱くなって、ぜったい顔が真っ赤だろうと思うとさらに恥ずかしくて何も言えなくなってしまった。
「だからワガママだって言っただろ」
晶は困ったように笑う。
「俺、けっこうアメリカ暮らしが長くて、友人間では名前で呼び合うことに慣れてるから、そっちの方がしっくりくるんだ。でも日本だと相手の許可がいるかと思って」
「ああ……」
なるほど、そういうことか。文化の違い。深い意味はないのだ。
「で、俺のことは晶でいい。向こうでもそう呼ばれてたから」
美咲はわかった、と頷いた。
そう、深い意味はないのだ。
当たり前じゃないか、と苦笑がこぼれる。二階堂晶のような学校の最上位グループにいる男子が美咲のような『異端』女子を名前で呼ぶことに深い意味などあろうはずがない。
じゃあ、と行こうとした晶がふと振り返った。
「それからさ。アメリカでは、日本のアニメってすごく人気があるんだ」
アニメ、という単語に美咲は身構えた。昼休みの出来事がフラッシュバックして、とっさに鞄に目を走らせる。ラムのキーホルダーは鞄の奥底に隠したはずだ。
「日本のアニメは世界に誇る日本の文化だと俺は思うんだよね。だからアニメが好きってこと、全然変じゃない。胸張っていい趣味だと思う」
心臓が耳の奥でどくん、と音をたてた。
――見ていたんだ。
直感だった。二階堂晶は、昼休みの出来事を見ていた。
どうしてと問う前に、じゃあ、と言って晶は級友の群れに帰っていった。その大きな背中から目が離せなかった。
アニメが好きなことを好意的に認められたのは初めてだった。
しかも晶は、アニメを誇れる日本の文化だと言った。帰国子女の晶にそう言われると説得力がある。
昼安みの一件で、美咲の中で凍えた何かが温かく溶かされていくのを感じた。
「……ありがとう」
たくさんの友人に囲まれて楽しそうに去っていく後ろ姿にこっそり呟いた。美咲は今度はためらわず、上履きにMへの手紙を入れた。
♢
夜、勉強机の電気だけを点けて抽斗からクッキーの大きな缶を出した。
昔から美咲が宝物を入れている缶で、雑多な物が入っている。
かわいいレターセットやシールなどと一緒に、ピンク色の水玉模様の袋があった。それは美咲が好きなファンシーショップの袋で、何に使うわけでもないけれど捨てられなくて大切にとっておいてあるものだった。
思った通り、その袋には『BAD』の歌詞カードがぴったりと収まった。
美咲はそれをラムのキーホルダーと同じく絶対に誰にも見られないように、鞄の奥底にしまいこむ。
『全然変じゃない』と晶は言った。
かけがえのない、宝物のような言葉。
ずっと大切にしてきたクッキーの缶にその言葉を閉じこめるように、手でなぞった。




