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1989  作者: 桂真琴
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プロローグ



 向かいあった男はひどく痩せていて、想像していたテレビ人間とはまるで違っていた。

 げっそりと肉の落ちた顔には深い年輪が無数に刻まれ、どろんと濁った目が警戒も顕わに俺を見据えている。

 男の外見はまるで病んだ野良猫のようで身体を壊していることがうかがえた。


 でも、だからなんだ。


 その事実は俺の計画には何ら関係ない。


 テレビ人間が病んでいようが身体を壊していようが、俺は為すべきことを為すだけだ。



 手土産に持ってきた日本酒と煎餅の箱を差し出すと、テレビ人間は急に媚びるような表情に変わった。

「こらまたそがらしもんじゃ」

 すごくなまった言葉で早口に何か言い続けたが、ほとんど聞き取れなかった。腹が減っているらしいということはわかった。



 日本酒の栓を開けてやると、テレビ人間は台所から曇った硝子コップを二つ持ってきた。俺は酒が飲めないと断ると、テレビ人間は一つのコップに水道水を注いで俺の前に置き、自分のコップには日本酒を注いだ。目を細めて、それはうれしそうだった。枯れ枝のような手が終始震えているからか、日本酒の瓶を両手で持って、ゆっくりと慎重にコップへなみなみと日本酒を満たした。


そしてテレビ人間は、実に美味そうに酒を飲んだ。


水のように酒が消えていく様をじっと観察しつつ、俺はテーブルの下でポケットの中を探っていた。



あった。大丈夫。



 手の中で小さな容器の感触を確かめる。親指ほどの大きさで、容器に半分ほど白い粉が入っている。これが計画の要だ。


 それはリシンという猛毒。


 時間の経過と共に効く毒で、摂取してから36時間から72時間で死に至る。無味無臭で、この容器一つ分で大人を三十人殺せる量だという。



 テレビ人間がガラスコップに三杯目の日本酒を注いだところで、俺は切り出した。


「俺はあなたが嫌いです」


 くつくつとした嗤いが澱んだ空気の室内に広がる。それは床に積まれた古い新聞や広告、食べかけの菓子の袋や鉛筆やその他雑多な物が載ったこたつ机、たっぷりと埃を溜めこんだカーテンに染みこんでいく。



「まこち失礼なお人じゃ。おいはあんたと初対面じゃち思うが」

「あなたが美咲にしてきたことを思えば失礼でもなんでもありませんよ」

 美咲、という名前にテレビ人間はぴくりと肩を震わせた。

「あんた、あん娘に惚れちょるんか」

「あなたに話す義理はないし、あなたに美咲のことを聞く資格はないです」



 怒るかと思ったが、どろんと濁った目にはどんな感情も浮かばない。ただ生命活動として目が開いていますという風情だ。しかし大袈裟にはあ、と酒臭い息を俺に向かって吐き出すくらいには気分を害したらしい。



「まこちのさんこっちゃ」


 テレビ人間はただ虚空の一点を見つめ、胡坐をかいたまま左右に揺れた。まるで柱時計の振り子のように。

 だけどその緩慢な動きには、鋭い刃物のような危うさが漂っていた。突然ナイフを出してぶすりとやりそうな、そんな危うさが。

 だから俺は襲われても対処できるよう、つま先を立てて正座をした。大丈夫、俺の方が身体も大きいし力も強いだろうと自分に言い聞かせるが、テーブルの下でカプセルを握りこんだ手はじっとりと汗ばんでくる。


 ふいに、テレビ人間が立ち上がった。


 思わず腰を浮かせると、テレビ人間は億劫そうに笑った。



「なに、心配せんでも逃げんち。小便じゃ」


 心臓が冷えた。


 思考を見透かされたのか? 


 まさか。気付かれるはずはない。


 いや気付いたのか? 



 俺はトイレに向かってよたよた歩くテレビ人間を凝視してしまう。しかしテレビ人間は気にするふうでもなく俺の横を通り過ぎ、背後にある白茶けた扉へ消えた。


 背後で薄い扉を通して排泄の音がする。



 とにかく今だ。今しかない。



 落ち着けば大丈夫。この日のために、この計画のために、ずっと準備してきたんじゃないか。



 素早くカプセルを取り出し、慎重にキャップを外し、中身の半分をテレビ人間のコップに入れた。

 そして、残りをすべて自分のコップに入れ、持参した使い捨てのマドラーでよく混ぜた。



「あんたの言う通りじゃ」


 低い呟きにぎくり、とした。いつの間にか後ろにテレビ人間が立っていた。それに気付かないくらい俺は緊張しているらしい。手だけではなく、額にも、脇にも、嫌な汗がじっとりと滲んでいる。だからなのか、テレビ人間の言葉がうまく頭に入ってこなかった。


「すみません、何とおっしゃいましたか」

「あんたの言う通りじゃち。おいには、美咲のことを聞く資格はなか」


 テレビ人間はやはり億劫そうに自分の場所に戻り、誰に言うともなく言った。


「じゃっどん、資格ちなんね。生きるんに、資格がいるとね」

 濁った目が虚空を彷徨っている。



 俺はテレビ人間の動きを食い入るように見つめる。

 そして念じた。

 早く。早くコップを取れ。中を飲み干せ。



「もし生きるんに資格がいるなら、おいは生きてられんねえ」



 そう言って、テレビ人間は震える手でコップを持ったんだ――



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