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愛されなかった令嬢の物語

作者: みなと
掲載日:2026/02/05

 ざぁざぁと雨の降る中、レイラはぼんやりと立ち尽くしていた。


「レイラ」

「……」

「レイラ、帰ろう?」


 す、と傘を差しだしてきたリッドは、ずぶ濡れになっているレイラに帰ろう、と促すもレイラは動こうとしない。


「……レイラ」

「……分かっていたの」


 雨の雫が伝ったのか、あるいは涙だったのか。

 つぅ、とレイラの頬を伝う透明な雫を、リッドは拭おうとするがふる、と力なく首を横に振ったレイラは、どこか虚ろな目のままで呟く。


「来てくれない、って分かっていた。どうせ、リベリアと出かけているか……ううん、約束していたことすら忘れているんだろうな、って思うの」

「……っ」

「そんな顔をしないで、リッド。もう、いいのよ」


 へら、と力なく微笑んだレイラがあまりにも痛々しくて、無理をして笑っているようにしか見えなくて、そっとリッドは彼女の頭を自分の肩にぐっと押し当てさせる。


「……リッド?」

「俺と行こう」

「……どうして?」

「俺は……レイラのことを悲しませたくないし、笑っていてほしいって思う。うちの家族だって、いつだって同じことを言っているよ」

「あはは、お上手なんだから。それに、あまりいい話ではないのだから、おじさまやおばさまに心配かけちゃいけないわ」

「……っ、けど!」


 リッドとレイラは、幼馴染だった。

 家同士が近いというのもあったのだが、母親同士が仲がいいというのが一番の理由だ。


 レイラの家、ヴェルティ伯爵家。

 リッドの家、アンダース侯爵家。


 貴族階級は違えど、母同士が仲がいいということもあり、家族ぐるみでもとても仲が良い。現在進行形で仲が良いのだが、少しだけ、ヴェルディ伯爵家には難がある。

 レイラの一卵性双生児の妹であるリベリアが、とても体が弱くて、いつも寝込んでいるから、何でも彼女が優先になってしまうということ。

 基本的には元気ではあるものの、生まれつき喘息をもっているから、少し走ったり気温が下がったりしてしまうと、酷い咳が出てしまう。

 気温が下がり、冬になると明け方、夜中に酷い咳が出て、咳のしすぎで肋骨をやられてしまうほどだった。咳に良いというものは、何だって試した。だが、そもそも気管が相当弱いから、こればかりはどうしようもない。せめて予防をしっかりして、咳が出てしまったら対処をしてほしい。もちろん咳止めは出すから……というのが医者の意見。

 だから、どうしても両親が気にかけるのはリベリアのことばかりだった。

 とはいえ、レイラのことだって大事にしてくれているのには違いないのだが、優先順位、というものをつけてしまうといつもリベリアが上なのは間違いない。


「……リベリアが羨ましい、なんて言ったら叱られてしまうわね。私はとても健康なんだから」

「……っ」


 ああ、そうか。

 もうレイラは、心が折れてしまったのだ。


 いつもいつも、家族だって婚約者だって、リベリアを優先する。

 リベリアの咳が酷いと『まぁ、お部屋を暖かくしなくては! ああそうだ、部屋の湿度管理ももっとしなくてはいけないわね』、歩いて移動している最中、ちょっとリベリアが息切れでもしようものなら『おい止まれ! ああリベリア大丈夫かな、少し呼吸を整えようか?』である。常に優先されて当たり前なのはリベリア。

 レイラが風邪を引いたら、それなりに大事にはしてくれるが、リベリアが発作を起こしてしまうとそちらに走っていく両親。

 そして決まって、こう言うのだ。『レイラは健康だからすぐに治るわよね、だって軽い風邪なんだもの』と、軽い扱いしかされない。大事にしてくれているのは理解できるけれど、さすがにいい加減にしてほしいという気持ちだってある。


「なぁ、レイラ。冗談ではなく、俺のところに来い。母さんも父さんも、……俺の妹も、兄さんだって、皆、君を本当に心配しているんだ。君が、蔑ろにされているところを見たくない、って言ってくれている、だから……!」

「駄目よ、婚約者がいるんだもの、私」

「……っ、それは……そう、だが……」


 そんな婚約なんか、無視してしまえば良い。


 そう叫んでしまえば良いはずだが、リッドも真面目な貴族として何をすべきなのかを理解しているから、そこまでは言うことはできない。

 だが、このまま幼馴染が壊れていく様子を、ただ見ているだけなんて、絶対に嫌だ。そう常に思っていた。


「何だ、本当にまだ待っていたのか!? 普通は空気を読んで帰ってくるだろうに! それに、待ち合わせ場所だからといって、一時的に離れて連絡をすることくらいできるだろう! 傘も持ってこないだなんて……危機管理能力が低すぎるのではないか?」


 怒涛の勢いで、レイラは責め立てられる。それでも、何か話さなければ、礼儀はきちんとしておかないと、と判断した。

 あ……、と聞こえるか聞こえないか、くらいの声量で力なく呟いたレイラは、すっとカーテシーをする。

 だが、着用していた水に濡れてドレスが重たくなってしまったためか、うまくできない。その様子を見て何てみっともないんだ、とまたもや一刀両断したのは、レイラの婚約者であるジェレミー・グロネフェルト公爵令息だった。


「まったく……何をしているんだ。レイラ、帰るぞ。すまなかったな、迷惑をかけた。彼に謝れ、レイラ。いくら幼馴染といえど、常識を考えろ」

「……はい。リッド……ありがとう、それから……ごめんね」


 ジェレミーには見えないように、レイラはほんの少しだけ微笑んだ。

 ああ、こんな風にいつも……いいや、もっともっと、笑っていてほしい。それは大きすぎる願いだとでもいうのか、とリッドは去っていく二人を見送った。


 ざぁざぁ、と雨は止まらず振り続けている。

 一応ジェレミーも傘を持ってきて、レイラのことを傘に入れてくれてはいるのだが、中途半端だった。

 彼は、レイラの肩が濡れていることには気付かないままで、そのまま乗ってきたらしい馬車に乗って、去っていった。

 あんな風にされては、体がもっと冷えてしまうだろうに……と、リッドは悔しそうに表情を歪めたまま、彼らの乗った馬車を見送った。


 リッド自身、たまたま出かけたところでレイラが立ち尽くしているところを見てしまったのだ。誰かと待ち合わせをするにしては、どうにも様子がおかしいから、と様子を見ていたが、結果として雨が降ってきてしまった。

 慌てて少し離れた雑貨屋に傘を買いに走り、店を出る頃には容赦ない本降りになってしまっていた。駆けつけた矢先の、この一連の出来事に、悔しそうにぐっと唇を噛みしめることしかできなかったのであった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 案の定、レイラはその日の夜中から酷い熱を出してしまった。

 高熱のために意識がぼんやりする中、食欲もないからとその日の夕飯も食べないまま、ベッドにもぐりこんでしまった。通りかかったメイドには父や母にこのことを伝えてほしい、も伝言をお願いしておいた。

 だが、ちょうどリベリアに喘息の発作か出てしまった。そのせいもあってか、いつも通りあまり気にされることもなかったので、部屋で一人で過ごすことが出来ている。

 放置されることに慣れすぎたせいもあって、大体のことは自分で出来るようになってしまったから、熱が出た時の対処もさほど問題ない。

 頭もがんがんと痛んでいるし、今は会話をする余裕がないから、一人で静かな部屋の中にいることができるのだから良いけれど、さすがに喉は乾いてしまった。


「……おみず……ほしい」


 ぼうっとしたまま呟いて、レイラは熱くて意識がぼんやりとしている中、ベッドから起き上がってふらふらと厨房の方に向かう。

 せめて水が欲しい、そうすれば薬も飲めるし喉も潤せるから一石二鳥だ、と思ったレイラは、どうにか歩いていた。そして、ふとダイニング前にたどり着いた時に、聞こえてきてしまった声。

 楽し気な家族の声と、もう一人。レイラの婚約者であるはずのジェレミーの声も混ざっていたのだ。


「……え」


「やだもう、ジェレミー様ってば!」

「はは、リベリアは些細な話でこうして喜んでくれるから、色々な話のし甲斐があるよ」

「そ、そうですか?」

「ああ、レイラではこうはいかない。良くも悪くも、彼女はつまらないからね」


 そう言ったジェレミーに対し、レイラの父ははっはっは、と豪快に笑ってとんでもない提案をした。


「そうかそうか! では婚約者を交代するか?」

「ちょっと、あなた!」

「一卵性の双子なんだ。顔は同じだし、それならばジェレミー卿が好ましいと感じる方が良いだろう。違うか?」

「あなた、やめてください!」


 母親はさすがに止めてくれているようだが、父親は婚約者の交換に対しては、とても乗り気らしい。

 それは、リベリアも同じのようだった。


「……でも、ジェレミー様が良いなら……ううんだめ、いくら憧れの人だからって……レイラに悪いです!」

「謙虚なレディだね、リベリア嬢は」

「……そ、そんな……照れちゃいます……」


「(ああ、そういうこと。()()欲しがってしまったのね……リベリア)」


 申し訳なさそうな声で、リベリアがあれこれと言っているが、レイラだけは知っているし、気付いてしまっている。

 リベリアがこうやって甘ったるい声であれこれ殊勝なことを言っているということは、『きっと自分の思い通りになる』と確信して、何でも言うことを聞いてくれる父に対しておねだりをするときのパターン。

 声音がこれでもか、というほどすっかり甘えたになっているから、これは……とレイラが思っていると、結果は案の定。

 甘ったるい声に、ジェレミーはとても弱いようで、彼の理性はあっという間にぐらついてしまっているようだった。


「……うーん、そうだなぁ……」


 お願い、せめて貴方は分別のある人であって。

 レイラは一応そう願ってみたが、無駄だった。


「じゃあ、父に話してみよう。でも、父もすぐにOKをくれると思うよ。だから、先に手続きを進めてしまおうか」

「本当ですか!?」

「ああ、勿論」

「ジェレミー様……私、嬉しい……!」


「(……やっぱり)」


 こうなることは、予測できていた。


 甘えたで、少しだけ声がレイラよりも高く、愛らしい仕草も知っていて、男性が喜ぶような仕草を恥ずかしがることもなく、難なくリベリアはしてみせる。

 彼女は、そうやって病弱ながら欲しいものは何でも手に入れてきたのだ。だから、今回も上手くいく、そう確信してやったのだろう。

 何だかここまでくると、心の底からどうなってもいいや、と思えてしまったレイラは、止まっていた足をまた進めた。

 あの婚約に……どういう意味が込められているかなんて、リベリアは知らないまま、人のものを欲しがって……結果としてレイラから奪っていくのだ。知ってはいたけれど、まさかここまで奪ってしまうだなんて、とレイラは困ったように微笑んだ。

 だが、今はそれより優先することがある。


「(……そうだわ、お水を貰わないといけないのよ)」


 どうせ、この先の話だって分かっている。

 婚約者がリベリアに代えられてしまって、リベリアはこの家を出てから嫁ぐための準備にかかるのだ。

 そして、レイラはこの家を継ぐための当主教育を本格的に行っていくのだろう。だが、父のことだ。女に継がせることは……とか何とか言って、分家筋から養子を取るかもしれない。

 そうなれば、レイラの貴族令嬢としての価値は、一体どうなってしまうのだろうか。


「(あぁ、嫌だ)」


 体調が悪いと、嫌な事ばかりが頭の中をぐるぐると巡ってしまう。

 考えながら歩いて、ダイニング前を通り過ぎ、ふらふらと厨房に向かい、料理長に水が欲しいことを伝えると、ぎょっとした顔ですぐさま対応してくれた。

 さすがにここまでレイラの具合が悪いとは、誰も思っていなかったらしく、メイドも慌ててレイラが部屋に戻る時に付き添ってくれたし、水も他のメイドが部屋まで運んでくれた。

 自室にたどり着くと、ふらふらしながらもベッドにもぐりこんだレイラは、ぼんやりと天井を眺める。

 熱が高くなってきているのだろうか、耳の奥できーん、と嫌な音が聞こえ、はふ、と息を吐いたレイラは何もかもがどうでも良くなりすぎて、いつもなら考えないことを、ふと考えた。


「(リッドの申し出……受けても良いのかな。もし、ここから逃げたい、って言ったら……彼は味方になってくれるのかしら……)」


 心が弱っているから、こんなことを考えるのかもしれない。

 だが、もう限界はとっくに訪れていたのだろう。メイドがあれこれ介抱をしてくれて、額に冷たいタオルを載せてくれた。

 ひんやりとした感触に、レイラは目を細めて嬉しそうに微笑む。


「……きもち、い」

「お嬢様……申し訳ございません……。まさかここまで体調が悪いだなんて、その……気付くことができず……」

「……いいの、いつものことじゃない。ジェレミー様は……形式上、待ち合わせ場所に私を探しに来てくれただけ。私は……自分でできるから、……自分でやらなきゃいけないんだから、もういいのよ……謝らないで。だーれも……悪くないわ」

「……ぁ……」


 レイラの口から、本音がぽろぽろと出てきてしまう。

 ああ困った、こんなことを言いたいわけではないのに。メイドがとても困惑しているではないか、とレイラは思うが、次に出てきたのはメイドに対しての感謝と謝罪言葉。


「遅くなったけど……冷たいタオル、ありがとう……。着替えてそのまま眠ってしまったから、ここまでは自分でできなくて……ごめんね」

「そ、んな、……そんな、こと!」

「でもね、もう良いわ。……もう良いの」


 ふ、とレイラはとても綺麗に微笑んだ。


「お嬢様……?」

「ねぇ、お水を……飲みやすいように、サイドテーブルに置いててくれない、かな。あと、タオルを冷やすための氷水も……たまに取り換えに来てくれると、嬉しいわ」

「は、はい! いくらでも、喜んで!」


 慌てて支度をすると、のそ、とレイラが体を起こす。助けようとしたが、レイラはそれを拒否する。どうしてこんな時にまで、一人で……と考えたメイドだが、ハッと気づいた。


 自分たちが、ここまで彼女を追いこんでしまった一因でもあるのだ、と。


 せめて他も使用人にはこれを共有して、執事長やメイド長に知らせなければ、とメイドはレイラの世話をしながら考える。

 だが、レイラはメイドの手を何度でも振り払ったのだ。


「……おじょう、さま?」

「……あら……いやだわ……ごめんなさい。悪気はないのよ……悪気、は……うん……」


 どこか虚ろな目で言うレイラを見ていたメイドだったが、早く熱が下がるようにと額に載せているタオルを替えてやる。半ば無理やりやらせてもらったが、そうするとレイラは『ごめんなさい』と謝罪の言葉を繰り返すのみ。

 そして、レイラはぼんやりとした目で天井を眺める。


「……面倒かもしれないけれど、一応……何か食べれそうなものを食事の時間に運んでくれる……?」

「は、はい!」

「薬も……あると助かるわ」

「お嬢様、そ、そんな……当たり前ですよ、きちんと……」

「お父さまたちには……言わないでね。……どうせ、言ったところで何もないのだから」


 これが、レイラの本音だった。

 どうせ自分はもう、ここでは色々なことに対して心がこれ以上耐えられない。だから、熱がある程度下がったら逃げ出してしまおう。動けるくらいに熱が下がれば良い。

 そうだ、リッドの所がいいのかもしれない。彼の心につけ込んでしまうような形になるけれど、それでも、誰かに助けてほしかったのだ。


「(ねぇリッド……ごめんね。私、あなたを利用してしまうわ。……それでも……)」


 それでも、ここから逃げられる。今より、マシになるはずだ……と思ったレイラはそのまますっと眠りに落ちた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 三日もすれば、高熱も次第に治まってきて、微熱になってくれた。

 食欲はあまり無いが、少しだけでも何か食べなければ。メイドが世話をしにきた時も言われたから、ちびちびと運ばれた食事を食べ進める。

 美味しいけれど、何だかあまり食べられない。薬を飲むためだから、と自分に言い聞かせたレイラは、どうにか半分程度を食べて、薬を飲んだ。


「お嬢様……」

「ねぇ、レターセットを持ってきてくれない?」

「え?」

「ちょっと……お友達に手紙を書きたいの」

「わ、分かりました」


 寝込んでいる間、家族や婚約者はお見舞いに来なかった。

 どうせ季節柄、冷えてきていたからリベリアがまた発作を起こしてしまったのだろう。彼女にかかり切りになっているのだから、仕方ないんだ。そうやって自分に言い聞かせてから、レイラは持ってきてもらったレターセットを使ってリッド宛の手紙を書く。


 書いてはやめ、便箋を破り捨て、また書いて。

 繰り返して、それが五回を超えたところでレイラはすっと立ち上がる。


「まどろっこしいわ……行こう」


 まるで、何かが吹っ切れました、とでもいわんばかりに、レイラは手早く自分の大切にしていたアクセサリーだけを小さなバッグに詰め込んだ。

 着ているのはお気に入りのワンピース。

 履いている靴も、歩きやすくて気に入っているもの。


「そうよ、躊躇なんかしなくていい。……こういう時くらい、自分に正直になってしまっても、良いじゃない」


 熱が下がって、まるで憑き物が落ちた、とでも言わんばかりにレイラはふわ、と微笑んだ。

 善は急げ。

 そうだ、手紙なんか書いている場合ではない。

 そんな暇があるならば、さっさと向かえば良い。ちょうど今日は学園も休みだし、課題なんかは友人が持ってきてくれた、とメイドから既に受け取っている。

 課題はどうにでもなる。どうにもならないものだけ、持って出てしまえば良いのだ。


「よし」


 冷えないように上着も着た。

 足取り軽く部屋を出て、気が付けばいつもの様に足音をほぼさせずに屋敷の中を移動して、そのまま家を出ていった。


 リッドの家と近かったのが幸いし、家を出てからそのままとことこと歩いていった。

 家では誰もレイラのことを気にかけないから、誰にも咎められずに出てくることができたのは幸いだった。そして、リッドの家の門番も、レイラのことを見知っているからすぐに入れてくれる。


「レイラ!? 君、……ああ、そうか。熱は下がったんだね! ……良かった……でも、ええと……」

「……ふふ、ごめんなさい。何だかね、もういいや、って思って」

「え?」

「婚約者、リベリアに変更になったの。だからね、私のあの家での価値が……きっと、もうなくなっちゃって。ふふ、おかしい」


 何だかスッキリしているような顔のレイラを見て、一先ず家の中に入れた。リッドが知っているような、だがしかし、どこか心ここに在らず、という目をしていたから、父や母には軽く事情を説明した上で、両親とリッド、そしてレイラの四人で応接室で話し始める。


「……レイラさん……」

「おばさま、気になさらないでください。でも、ごめんなさい。私、はしたなくリッドのところに来てしまったわ……」

「いいのよ、いいの」


 ふる、と首を横に振ったリッドの母親は、すっとソファーから立ち上がって、レイラのことを抱き締めてくれた。


「……っ」

「頑張ったのね、レイラさん」

「あ……」

「リッド、先にレイラさんの家に連絡を入れておきなさい。……大方、あそこの当主は婚約者のすげ替えをした後で、養子でも取るに違いない。女性でも爵位は継げるが、彼は男性優先なところがあるからね」

「分かったよ、父さん」

「まったく……こんなに勤勉な彼女に手をかけないなど……あそこの当主もどうかしているな」

「あなた、今はレイラさんのケアの方が大事よ。どうせ、後で気が付くわ」


 あれよあれよ、という間に話は進んでいく。

 ああ、本当に味方でいてくれるんだ。そう思うだけで、レイラの心はすっと軽くなった。


「もっと早く、うちを頼ってくれて良かったのに……」


 そんな温かい言葉、かけられるだなんて思っていなかった。


「まぁ、リベリア嬢はジェレミー卿に心底惚れ込んでいたからね」


 周りからもそんな風に見えていたのか、とレイラはキョトンとする。


「(いやだわ……これ……、もしかして、私にどこまでも都合のいい夢かしら……)」


 レイラはそう考えながら、出されたお茶を飲んだ。ふわ、と良い香りが鼻を抜けていく。


「(……夢なら、覚めないでどうか、このままでいてほしい)」


 リッドが連絡したことで、レイラの家は一時的に大慌てだったらしいが、ジェレミーから『リベリアと婚約し、養子を貰えば色々なことは解決してしまうじゃないか』と、あっけらかんと言われたそうで、その通りにしたそうだ。

 あぁ、婚約者のすげ替えって、こんなにも呆気ないものなのね……と、レイラは思っていたが、これはあくまで()()()()の話である。



 なお、公爵家にこのことを伝えたジェレミーは、酷く両親から叱られたそうだ。

 どうして婚約者を守らない、何故レイラがリベリアのような幼稚な思考ではないのか、考えもしないで欲望のままにことを勝手に進める馬鹿が何処にいる!と、怒鳴られたそうなのだが、これが理解できるまでに、数年かかったそうだ。


 見た目と声がほぼ同じで、ちょっとだけ体が弱いくらいなのだから問題ないだろう、と過信して婚約者をほいほい交換してしまう。これが、どんな悲劇を引き起こすのだろうか。


 だって、リベリアは『体が弱い』のだから、世継ぎが望めるわけもない。世継ぎを望むなら、彼女の体調に考慮して自然に任せなければならない。

 あまり外にも出ず、喘息があるから運動もあまりしていない、体力がそもそも根本的に低すぎる人が、どうしてほいほい子供を産めると思ったのだろうか。

 どうせ嫁に出すのだから、嫁に出すなら後継者問題の無い家だから別に多くを望まぬ、と。甘やかされ放題だったせいで、根本的に『令嬢としての価値』が低い娘だったのだ。

 しかも、学校にもほとんど行かないから学力も低い。

 いくらジェレミーが公爵家三男とはいえ、公爵家の人間としてやらなければいけないことはある。そして、妻としてでも役割はきちんと理解しておかなければいけない。公爵家に嫁に入ったのであれば、相応のマナーも、しっかりと求められる。


 これに数年かけて気付いたところで、取り返しはつくはずもない。

 幸いだったのは、ジェレミーが長男ではなく三男だったから、家を継ぐとかどうとかを心配しなくて良かったこと()()だろう。


 また、跡取りとして分家から養子をもらおうと画策していたヴェルティ伯爵家にも、災難が訪れていた。


「え、レイラ嬢が後継ぎではなかったの!?」

「うそ、あの子が居るから跡継ぎ教育に関しては心配ない、婿入りさせるだけで良いと思っていたのに!」

「養子……って、ええ!? レイラはどうしたんだ!?」


 まさかそんな声があちこちから聞こえるとも思っていなかったレイラの両親は、ここでようやく気付いた。


 蔑ろにしていたはずのレイラは、こつこつと勉強して、家庭教師からの評判もとても良かった。学校の成績だって、とても良かった。

 いつしかヴェルティ伯爵家を継ぐという明確な目的をもって、勉強を、準備をしてくれていたというのに、リベリア可愛さでしれっとレイラのことを手放してしまったのだ。


 あの日、リッドの元にどうして送り出してしまったのか。そもそも、出て行ったことに気が付いたのがリッドの両親からの手紙だったのか。もっと使用人たちの言うことも聞いておけば良かった、ということ。

 婚約者のすげ替えなんて、あんなに簡単にしてしまって良いものではなかった。一卵性だから、同じ顔、ほぼ同じ体つきだからといって、結婚するはずの人が替われば誰だって『何かあったんだろうな』と呆気なく気付いてしまうだろう。

 後悔をいくらしたところで、過去は戻ってこないというのに。似ているからといって、同じ人間ではない。




 ――そして、あの後レイラはどうなったのか、というと。


「夢なら覚めないでほしいの」

「レイラ、現実だから安心して」


 ぽやぽやしたままの状態で、あっという間に婚約者はリッドに変更された。

 ヴェルティ伯爵家では誰も、レイラのことを惜しまなかった。使用人たちは遅ればせながら意見をしたらしいが、当時のレイラの両親はそんなものを聞くはずもない。


 だから、光の速さともいうべき速度で、レイラとリッドは婚約、そして結婚、と進んでいくことになったのだ。

 結婚式もあまり華美ではなく、最低限のもので済ませ、仲のいい人だけを招いたささやかなものだったから、ヴェルティ伯爵家が知っているかどうか……というところではあるものの、結婚式をもって、レイラは実家に一切関わることをやめてしまった。

 だって、嫁いだのだから実家のことなんて気にする暇がなくなってしまったのだ。


「……逃げた者勝ち、ね」

「だから言っただろう?」

「うん、そうね……。リッドに言ってもらえて、何だか決意出来てしまったの。本当におかしい、うふふ」


 レイラは、ようやく心から安心して、微笑み、リッドの腕の中で安心しきって呟いた。


「――もう、何も奪われないんだわ。笑って……過ごせる」

「そうだよ。それに、今は俺の大事な奥様なんだ。……さぁレイラ、散歩に行こう」

「ええ、リッド」


 微笑んで、レイラはリッドの手を取る。今度こそ、この幸せを離したりなんかしない、自分で掴み取った幸せを……離したりなんかしない、そう強く決めた。

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