31 異常成長
――痛――――。
思考が覚醒するより先に、鈍痛。とんでもなく筋肉に負荷をかけた翌日の朝のように、全身が痛い。筋肉痛に近い――が、披露しているのは筋肉ではない。感覚的には、魂か。夢の中で、おそらく僕は、エルに『極点』の核を成す逸話を授与された。自分の中に根付いているのが感覚でわかる。だがこれは明らかに時期尚早・僕の『格』からすれば過剰な負荷だった。……どうにか、瞼を開ける。
朝の光が、部屋のカーテンの隙間から無慈悲に差し込んでいる。しかし、僕はその光を睨みつけることすらできなかった。そんな元気はない。と言うか、指先一つ動かすだけで、身体中の筋肉や骨がギリギリと音を立てて軋みを上げる。
動かすことを意識した途端に、体に痛みが走った。それから、痛みの原因を理解する。おそらくは『電流』だ。人間は電流を走らせて肉体を制御している……と、どこかで聞いたことがある。
きっと、【逸話】の力で、僕の意志の力――つまりは生体電流は増幅されている。
ビリっとしたダメージがあるのだ。
人間の肉体の仕組み。脳からの微弱な電気信号(生体電流)を伝達することで筋肉を制御しているのは有名だが――きっと、【逸話】の強大な干渉によって無秩序に増幅され、本来の許容量を遥かに超えた高圧電流となって全身の神経網を駆け巡っているのだ。
ただ指先を動かすという日常的な動作すら、今の僕にとっては、落雷が落とされるようなもの。脆弱な肉体が新しい出力――エルの重すぎる呪詛――に耐えきれず、内側から悲鳴を上げているのだった。
思考に痛みがないのは幸いだ。
これは筋肉痛などという生易しいものではない。
「やぁおはよう、月野クン。随分と酷い顔だねぇ。もしかして寝起きが弱いタイプ?」
ふと、飄々とした声が降ってきた。
痛む首をどうにか数センチ動かせば、そこには既に身支度を整えた虚木先輩が、壁に背を預けて立っていた。
ルームメイトであり、交流戦で二連勝を飾っているという《四ツ星》の契約者。
同じ部屋で寝ていたはずなのに、彼からは寝起きの気怠さや、疲労の欠片も感じられない。ずいぶん前から起きていただろうか。
整った顔には、底抜けに明るい笑みが張り付いている。
「……えぇ。おはよう、ございます……虚木、先輩」
掠れた声でどうにか返事を絞り出す。言葉を紡ぐだけで喉が裂けそうだった。
「………………ん?」
虚木先輩は、目を見開いて僕の姿をまじまじと観察する。目を皿のようにして、何かを注意深く見るように――そして――悟った。
「――朝桐クン」
先輩は即座にもう一人のルームメイト、朝桐に声をかけた。
「……どうしました、センパイ」
「月野クンに《星の装甲》」
「は? それって――」
「逸話の習得だ。生体電流が増幅してる」
「マジかよ。……月野、使うぞ」
”星の装甲”――僕に触れ、そう唱えた矢先・唐突に痛みはゼロに。神経が電流を駆け回るようなダメージがゼロになり、ようやく上体を起こせるようにな――!? 動いた瞬間に、『装甲』が削られたのが感覚でわかる。
「月野、動くな。今は動くだけでマズい。虚木センパイ」
「すぐ呼んでくる」
いつもの軽薄そうな調子は一切なく、虚木先輩は即座に部屋の外に駆け出して行った。一体、誰を呼んでくるというのか。……というか、今は、喋るだけでマズいのか? いやな予感がするな。たぶん喋っちゃだめだ。そうなると喋れない状態でちょっと自己紹介をした程度の中の奴と二人きりになるわけだが――。
「気まずいか?」
朝桐誠一――絵にかいたような青髪のイケメンは僕に尋ねてきた。
と、言っても、今はなんとなくしゃべったらいけない気がするんだけど。
「あぁ、そうか。今は喋ったらまずいよな。じゃあ、そうだな。俺が一方的に状況を説明する。
今、お前の体に起きてる現象は《オーバーロード》……【逸話】の強制受肉に伴う、生体電流の異常増幅現象だ。
メリットは単純明快。お前の神経伝達速度と筋出力は今、常人の限界を遥かに超え――『異星体』の領域に足を踏み入れている。脳の命令がラグなしで肉体に伝わるし、圧倒的な反射速度と筋力を得られる。電流が増幅するわけだからな、速度も出力も、どちらも上がる。
だが、デメリットが致命的すぎる。
人間の脆弱な肉体は、異常な高圧電流に耐えきれる構造になっていない。さっきみたいに無防備に動くだけで、自身の生体電流が自分の神経網を焼き切ろうとする。
そのまま暴れれば、最悪の場合はショックによる心停止か、神経断裂による全身不随だ。今は俺の星の装甲で、動くたびに発生するダメージを相殺しているが……お前が動いたり喋ったりすれば、その分だけ装甲は削れる。だから、動くな。俺の星魂にも限りがある。……というか、まぁ、今お前が明確に上になったわけだけども」
朝桐はおかしそうに笑った。
「お前、デビューして一ヶ月だろ? それでもう《オーバーロード》を経験するって、やばすぎるからな。凡人代表として言わせてもらうが、すごいんだからな、お前」
どうだろうか。僕は、僕自身のことを、何度もすごいと思ったことはある。だけど、振り返れば、その時の僕はまだまだ未熟で、実力を誇るのではなく、謙遜をしておけばよかったと思うことが、しばしば、頻繁にある。今の僕は謙遜をしたい気持ちだ。極点が習得できるからと調子に乗った。痛みを想定していなかったただの間抜けだ。おそらくは、電流の起点は脳だろう。脳から他の部位に電流が走るから余計に痛みを感じるのだ。ただ電流は脳でも発生しているわけで、こんな短い時の中で圧縮した思考ができるのは明らかに思考速度が速くなっているからで、それはつまり電流の恩恵を受けているってことで、思考そのものに痛みが伴っている可能性があるということだ、今はよくわからないが。
落ち着こう。
そう思った矢先だった。
虚木先輩が人を連れてきたのは。
あれは――五十鈴先輩と――宇都宮?
◇
『■■■■■■■■■!?』
『■■、■■■■■■■■■■!』
『■■! ■■――! ■■■■■■■!』
無数の星々が、僕の変化に喝采を送っている。
またまた、精神世界という奴だろうか。
僕は白い部屋にいて、目の前には青髪のウルフカット、宇都宮がいた。
「月野。……びっくりするくらい成長が早くて、ボクはもはや心配なんだけど」
「それはすまん。というか、ここは……」
以前は聞けずじまいだった。
「ボクたち『ポチ』が持つ『種族特性』の一つだね。主人が危機に瀕した時、ボクたちは魂を『胎内』で保護することができるの」
「……じゃあここはお前の腹の中……?」
「そうとも言えるかも。――要は、肉体と魂の分離だね。今の肉体にいると魂に傷が付いちゃいそうだから。ボクの中で保護しているの」
宇都宮はいたずらっぽく舌を出してから、意味ありげにお腹を優しく撫でた。……なんか恥ずかしくなるからやめてほしい。
「というか、なんで五十鈴先輩と一緒に来たんだ? お前が」
「あぁ。ボク、君たちの星団に迎え入れられたんだ」
「は?」
「仮の《星座審査》期間としてね。一か月間、問題がないようであれば、本当の星座審査にかけられるらしいよ。その時は月野も一緒だね」
宇都宮は屈託のない笑みを浮かべた。
これからは一緒に働けるってことか。
それは嬉しいけれど、一か月後に控えているらしい《星座審査》のことを考えると胃が痛いというかなんというか……。
「大丈夫だよ、月野♡ 月野ならどうせ上層部の連中全員ねじ伏せちゃうんだから♡」
「それは言いすぎだろ。……というか、ナチュラルに心読んでないか?」
「ボクの腹の中だよ? 隠し事はできないと思ってほしいな♡」
「まぁ隠すことなんて何もないけどさ」
「だよねー♡」
そう言って、月野は僕の頬に唇を落としてくる。
まんざらでもない。可愛いやつめ。
「えへへへへー♡ じゃ、最終日までここでラブラブしようねー♡」
ん?
「最終日?」
「え? そうだよ? 交流会って三泊四日でしょ?」
「最終日まで僕はここに閉じ込められるのか?」
それって二日間だぞ?
おま、高校一年生の夏の一日の価値をなんだと思ってるんだ?
「肉体の方には電流に慣れてもらわないといけないし、動かしていい状態じゃないんだもん。むしろ、二日で普通に動けるレベルまでもっていく星団の技術力に感謝するべきだと思うけどな」
「まぁ確かにめちゃくちゃ痛かったけど」
「でしょー? 月野が痛いのは嫌だもん、ボク。肉体の傷は、少なからず魂にも影響を及ぼすからね。だから最終日まで保護されて♡」
「まぁ別にそれはいいんだけど――」
「やった♡」
白い部屋の中で、宇都宮は躊躇なく僕の胸へ飛び込んできた。予期せぬ衝撃に、僕はいつの間にか現れたソファへと押し倒される。視界は彼女の青髪で覆われ、鼻腔には日向のような、甘く温かい匂いが満ちた。
ウルフカットの毛先が首筋や頬をくすぐり、薄い衣服越しに、彼女の驚くほど柔らかく、けれど確かな質量を持った胸が僕の胸に押し付けられる。
「んー♡ 月野の匂いだ♡」
僕の首に両腕を回し、肩口に顔を埋めた彼女の吐息が、直接肌に触れて熱い。その瞬間、僕の心臓が大きく跳ねた。
ここは彼女の腹の中だ。彼女には、その動悸も、僕の戸惑いも、すべて伝わっている。彼女は僕の腰に足を絡め、全身で僕をホールドする。逃げ場のない、白く、温かく、甘い檻。
「――離さないからね……月野♡」
◇
そして二日が経った。
目が覚めると、明らかに体中に力が満ち満ちているのが分かった。
「おお……」
僕は察する。
《三ツ星》になっていた。
それから実感もないまま最終日――交流会の本番・サバイバル戦に突入する。




