20 欲望
一階の喫茶店で振る舞われた、マスター特製のケーキは確かに絶品だった。
ショートケーキ、モンブラン、チーズケーキ。甘味に舌鼓を打ち、新たな形で親交を深めた僕たちは――そのまま、流れで近場の複合運動施設へと足を運んでいた。
「ラックから適当なポンド数のボールを掴み上げた僕は、ピンだけを真っ直ぐに見据える。
「うおぉおぉおぉぉおぉ! 行くぞぉっ!」
「行きなさい初くん! 誰かのためじゃない! あなた自身の願いのために!」
「それ今の子元ネタ分かんのかなぁ⁉」
とかいいつつ、軽快に助走をつけ、右腕を豪快に振り抜いた。
「いっっけぇぇッ!」
手放されたボールは、凄まじい勢いでレーンの中央を一直線に駆け抜けて――いくはずもなく、無情にも斜め右へと逸れていく。
ガッゴォォン!!
とんでもない爆音を立てて、ボールは漆黒の溝へと吸い込まれた。
ピンは一本たりとも揺れることなく、モニターに非情な『G』の文字が点灯する。
「……」
美しいフォロースルーの姿勢のまま、僕は静かに石化した。
「……なぁ、結姫乃。モニターの『G』って何?」
美しいフォロースルーの姿勢のまま石化した僕が尋ねると、彼女は呆れ果てたように深くため息を吐いた。
「ガター(Gutter)よ。溝、ドブ、どん底って意味。あなたの今の状況にぴったり」
「いやでも『G』ってなんか強そうじゃないか? グレートとか、ゴッドとか、ジャイアントとか……ほらジャイアンでもあるし」
「現実逃避しないでちょうだい。あなたが豪快に放り投げたボールは、ピンを一本も倒さずに溝へ消えたの。0点よ、ゼロ。チームを組む私たちの身にもなってほしいわね」
――そう、今の僕たちは3対3のチーム戦の真っ最中だった。
参加メンバーは全部で六人。
こちらのチームは、僕と結姫乃、そして新人歓迎会ということで探偵事務所に後から合流した『雅安穏』の三人組だ。
対する敵チームは、渡辺所長、五十鈴先輩、そして銃を改造していたピンク髪の小学生・愛里の三人。
「てりゃぁっ!」
ちょうど、向こうのレーンでは、愛里がボールを投げている真っ最中だった。
ちょうど向こうのレーンでは、愛里がボールを投げている真っ最中だった。
彼女は自分の顔ほどもある軽いボールを、両手で股の下から抱え込むようにしてレーンへと放り投げる。小学生特有の、あの不格好な投げ方だ。
ゴロゴロゴロ……と、ひどくゆっくりとした軌道を描いてボールが進んでいく。銃の改造をするような手先の器用さや物騒さとは裏腹に、なんとも微笑ましい光景だった。
やがて、長い長い時間をかけてピンの群れに到達したボールは、一番端のピンに『コトン』と当たり、申し訳程度に一本だけを倒して横へと逸れていった。
「あちゃー……一本だけなのです。チームの恥さらしなのです……」
煽りかコラ。
ぷくっと頬を膨らませて悔しがる愛里。
その可愛らしい様子に、チーム内は一致団結。
「よくできたね~。偉いよ~、愛理ちゃん」
「あい、偉いのです?」
「あぁ、偉いぞ」
渡辺さんが小学生の背丈に合わせるように屈んで、愛里の頭を撫でた。
「あとはこのアタシに任せておけ」
――優しい世界。
「僕もあっちのチームがよかったなぁ……」
五十鈴先輩は言わずもがな優しいし、渡辺さんは大人の風格で僕をよしよししてくれることだろう。
「は? 私と一緒に組むのが嫌だって言うのかしら?」
「ゼロ点でも慰めてくれるようなチームが良かった……」
「安易な慰めって嫌いなのよ、私。ほら、ミヤビを見習いなさい」
結姫乃の視線の先には、僕たちと同じ高校の一年生である『雅安穏』が立っていた。
特徴的な灰色のツインテールを金色のリボンで結び、色素の薄い灰色の瞳でレーンを静かに見つめている。
先ほどの彼女の第一投は、お世辞にも(僕が言うのもなんだが)良いとは言えなかった。ボールの重さに振られたのか、ピンを半分も倒せずに終わっていたのだ。だが、彼女の表情に焦りや照れはない。
「……修正完了」
小さく呟いた彼女は、先ほどの失敗を完全に学習し、助走の歩幅、ボールを離すタイミング、そしてレーンのオイルの滑り具合。
まるですべてを計算し尽くしたかのように、無駄のない滑らかなフォームで右腕を振り抜く。
放たれたボールは、手品のように美しいカーブを描きながらレーンの右側を滑り、ピンの手前で鋭く中央へ食い込んだ。
文句なしのストライク。
モニターに『X』の文字が輝く中、ミヤビは静かに振り返り、満面の笑みでピースサインを作って見せた。
「いぇい。あたしの雄姿は見てくれた?」
「ええ。見事な修正力ね、ミヤビ」
「同じ初心者仲間じゃなかったのか、ミヤビ……」
「ままま、あたしは言うて二投目でしたし? 最初うまくいかないのは当たり前じゃん。次がんばろ、次っ!」
ポン、と気安く肩を叩いてくる彼女は、次は期待してるからね、とでも言わんばかりににやりと笑った。
あっ悪くないかも。
そんなことを思っているうちに、がら空きの右腕にひんやりとした感触が募る。
「浮気は許さないわよ」
「まず婚姻関係にないだろうが」
「そうね、私の片思いだものね。悲しいわ」
よよよ、と泣く演技をしてみせる結姫乃。
なんかこいつテンション高いな。
「――まぁ、見てるといいわ、私の雄姿を」
水色のロングヘア―をふぁさっと掻き上げて、自分専用の水色のマイボールを手に戦場に赴く様子はまさに『勇者』といった感じだ。一投目でストライクを決めた彼女は、またどうせストライクを決めるのだろう。
「ねね、どうやったら結姫乃先輩とあんなに仲良くなれるの?」
「話せば長いが……まず相手のプライドを打ち砕くところから始めないといけない」
「ふむ」
「自分の土俵で良いから徹底的にボコボコにしろ。僕はチェスで奴をボコボコにし続けた。勝てば勝つほど仲良くなれるぞ」
「ふむり。結姫乃先輩って負けず嫌いだもんね」
「そう、無駄にプライドが高いんだ。奴が自分の価値を高く見積もっている以上、勝者の顔は立てる……義理堅くもあるんだ」
「分からんでもない。にしても、チェスかぁ……」
「俺の場合はチェスだったってだけだぞ。ミヤビはミヤビのやり方で仲良くなればいい」
ふむふむ……と、顎に手を当てて思索にふけるミヤビ。
少しでも彼女の力になれたなら何よりだが――
「こら、二人とも。私の華麗なストライクは見ていたの?」
「見てたに決まってるだろ」「見てませんでした」
ミヤビと返答が被る。大戦果をあげた勇者殿は、僕の肩に手を置いた。薄く目を細めて、にっこりと笑っていた。
「私は正直者は好きよ。人を騙すことは別に賢いことではないと理解しているということでしょう? 初くんは知らないみたいね。人を騙すことは別に賢いことではないのよ、あなたは詐欺師が賢い生き方をしていると思う?」
「ごめんて」
いつものように早口でまくし立ててくる結姫乃――もう字面だけで分かる通り、かなり拗ねていた。
理論武装が得意な彼女だが――誰かに聞かせるような速度ではなく、早口になっている時は拗ねているのだ、と一か月間の付き合いで僕は理解していた。
「そうね。あなたの謝意は受け入れてあげないこともないわ。私は大人だからね。許した。許しました」
……めんどくせぇこいつ。淡々とした口調で冷静そのものな表情なのが逆に面白い。本当に僕のことが好きなのかこいつは。というか今ようやく気付いたがこいつが彼女になったらすげぇ彼女面をかましてくるのでは? ちょっと絵面を想像したら吹き出しそうになった。
「少し気分が良くなったから私のボールを使わせてあげるわ。これでガターなんてかましたら分かるわよね?」
有無を言わさず、僕の両手にずしりと重い球体が押し付けられた。
結姫乃の髪色と同じ、透き通るような水色のマイボール。
「最初のボールより重い」
「重い女だとでも?」
「文脈の飛躍だ!」
僕は会話を打ち切って、ボールを握る。
さて。
――集中。
深く息を吐き出し、周囲の喧騒を意識の外へと追いやる。
手の中にある水色のボールは、結姫乃の執念が詰まっているせいだろうか、先ほどの適当なハウスボールよりもずっと重く、そしてひんやりと冷たかった。温い人肌は感じない。冷たい人肌を感じる。
だが、その指先に吸い付くような冷たさが、逆に頭を冷静にしてくれる。
レーンの先、正三角形に並んだ十本のピン。
先ほどのガターの原因は、無駄な力みとコントロールの欠如だ。
初心者だもの。
記念すべき二投目。
感覚で、最適解を探り当てる。
大きく助走をつけ、今度こそブレのないフォームで右腕を振り抜いた。指先から滑り出た水色の球体は、今度は溝に吸い込まれることなく、レーンの中央を真っ直ぐに――いや、少しだけ右に逸れながらも、力強い軌道でピンの群れへと迫る。
ガアァァンッ!
激しい衝突音と共に、白いピンが次々と宙を舞った。
ストライク、とはいかなかった。少しだけ当たりが薄かったせいで、左端と右奥の二本がしぶとくレーンに残っている。
結果は『8』。
「……まぁ及第点じゃね?」
「私の加護があるのだから当然よ」
「お前は『星』かなんかなの?」
「私の小粋なジョークはいついかなる時も見破るようにしなさい。今のはもちろん冗談よ。完全にあなた自身の実力。よくやったわね」
そして、結姫乃はお姫様の様に儚い笑みを浮かべた。
……まぁ、あれだな。
めんどくさい=かわいくないって訳じゃないってことだな。
第一、宇都宮も有も互いにめんどくさい性格をしているし……。
めんどくさい女に好かれる星の元に生まれたのかもしれない。
ちなみにチーム戦の結果だが、普通に負けた。
結姫乃はずっとストライクを決めてくれたが……まぁ、個人力がすべてじゃないという、チーム戦のお手本みたいなボウリングだった。
○
ボウリングを終えてからは、各々自由行動ということになっていた。ミヤビは結姫乃を連れてバッティングセンターに向かい、五十鈴先輩はひたすらに愛里を可愛がって、お姫様抱っこをしながら踊るようにはしゃぎまわっている。
そして――僕はと言えば、くたびれた大人とともにソファーに座り、天井を見上げていた。
「肩が痛い」
「僕は手が痛いです」
仮にチーム名を付けるなら『くたびれチーム』である。メンバーをシャッフルしながら合計五回のボウリングを経て、僕たちは完全に精根を使い果たしていた。
「月野、お前はアタシと違って若いんじゃないのか……」
「元々午前中に仕事をしてたんですよ。知ってるでしょう……」
「あぁ――」
渡辺さんは、横に座る僕を見た。
「累計討伐数、7だったか」
「えぇ、まぁ、そうですね……」
《星狩り》となってから殺した《異星体》の数。まぁ、その全てが一ツ星なのだけれど――
「異例だ」
と、渡辺さんは至って真剣な態度で言った。
「入団して三週間……三日に一回の頻度でお前は《異星体》と遭遇し、駆除に成功している。普通、こんなに頻出するものじゃねぇんだよ」
「五十鈴先輩も言ってましたよ、おかしいって」
「お前は格別に星に愛されてるのかもな」
渡辺さんは苦笑した。
「来る奴のところには来るし、来ない奴の元にはとことん来ない。星っつーのはそういうもんだ。有望な新人が手に入ったみたいで、アタシは嬉しいよ」
「それはどうも……」
僕はそこで、手元のスマホで現在時刻を確認する。
午後6時21分。
十八時を余裕で回っていた。
「大丈夫ですか、愛里ちゃん帰さなくて。小学生でしょう? 親御さんが心配するんじゃあ」
実際、僕は身内から今日は帰ってくるのかと質問されていた。
いや、今日は宇都宮の家に泊まる予定だ、と返すと、青ざめた猫のスタンプが送られた。
「大丈夫だよ。愛里の保護者はアタシだ」
「えっ……。……産んだんですか?」
「どういう確認の仕方だよ」
渡辺さんは小さく笑った。
それから、至って真剣な声色で。
「……愛里は《東京大停電》で両親を亡くしてる」
《被災者》――僕の頭を単語が駆け回る。
4年周期で、侵略派の《異星体》が起こす大震災。
震災の被害者は、総称して《被災者》と呼ばれている。
2010年に起きた:『東日本大震災』【★★★★★案件】
2014年に起きた:『横浜重力消失事案』【★★★★案件】
2018年の『九州全域昏睡病』【★★★★★案件】
そして、2022年の『東京大停電』……。
後から、『震災』や『任務』には、遅れて星が付けられる。その事態を沈静化するのに必要なコストなどを計算して――。
2022年に起きた『東京大停電』は、
【★★★★★★案件】――と記録がある。
「……そうですか、……両親を……」
「ああ。東日本大震災をも凌ぐ、未曽有の大震災のせいでな」
喧騒に包まれたボウリング場のポップなBGMや、遠くでピンが弾け飛ぶ甲高い音が、急に水の底から聞いているように遠のいた。
薄暗い休憩スペースのオレンジ色の間接照明が、静かに伏せられた渡辺さんの横顔に深い影を落としている。
さっきまで豪快に笑っていた彼女の瞳には今、消えることのない喪失の記憶が静かに燻っていた。
無機質な冷房の風が、やけに鮮明に聞こえる。
「お前がこの《星団》に来てくれたのを、星の導きのように感じてるよ。強い奴は、多ければ多い方がいい」
「真理ですね」
僕は肩をすくめた。
「僕も、早く、誰かを守れるくらい強くなりたいですよ。僕は、守られてばかりだから」
僕の脳裏に、あの最強で最愛の《異星体》の顔が浮かぶ。
僕がまだ生きているのは、彼女の力に『寄生』しているからに過ぎない。僕はまだまだ青くて未熟だ。もう、ただ、勝ちたいのではない。……守りたいんだ。万が一にも宇都宮も有を失ったら、僕はもう生きていけない。
「これからご指導ご鞭撻のほどをよろしくお願いします」
僕が頭を下げると、渡辺さんは白い歯を見せて笑った。
「任せとけ、しごき倒してやるよ」
震災は今年中に起きる。
それに備えて、平穏な日々や愛しい人々を守るためにも――僕は、もっと強くならないといけない。
終始テンションが高いゆきのっち。可愛いね。
正妻どもがスタンバイを始めたようです。
ちなみに、この世界では東日本大震災が2010年に起きてます。




