第9話 見えない手
翌朝、村はいつも通りに目を覚ました。
畑に出る者。
家畜の世話をする者。
昨夜の出来事が、まるで夢だったかのように、日常は静かに続いている。
それが、かえって不気味だった。
「……慣れてはいけない」
私は、村外れの高台から、森と街道を同時に見渡していた。
騎士が、少し離れた場所で見張りをしている。
「魔物は?」
「気配なし。
昨夜の二体以降、動きはない」
「……魔物は、もう“用済み”です」
私の言葉に、騎士が眉を寄せた。
「どういう意味だ」
「試験は、終わったということです」
昨夜の出来事は、戦闘ではない。
観測だ。
この村が、どこまで耐え、どう動くか。
「結果は、向こうに届いています」
私は、そう断言した。
◆
昼前、見慣れない来客が現れた。
街道を歩いてくる、二人連れ。
武装は軽く、旅装だが、足取りに迷いがない。
「……商人?」
騎士が、警戒しながら呟く。
「違います」
私は、視線を細めた。
「情報屋です」
二人は、村の入口で立ち止まり、周囲を見回した。
村人と目が合うと、軽く頭を下げる。
敵意はない。
だが、馴染もうとしていない。
私が前に出ると、二人のうち一人が口を開いた。
「失礼。
この村に、“腕のいい魔術師”がいると聞いて」
その言い方が、すでに答えだった。
「……誰から?」
「王都で」
即答。
隠す気がない。
「誰に?」
男は、一瞬だけ言葉を選んだ。
「……正確には、“王都の外にいるはずの人物”から」
私は、理解した。
「裏の伝言役、というわけですね」
「ええ。
ただ、我々は敵ではありません」
「敵でない、という言葉ほど信用できないものはありません」
私は、淡々と言った。
男は、苦笑する。
「手厳しい。
ですが、事実です」
「用件は?」
男は、声を落とした。
「……王都が、一枚岩ではないことを伝えに来ました」
その一言で、すべてが繋がった。
「政務局、魔術師団、王太子派。
それぞれが、あなたを“どう扱うべきか”で割れています」
私は、何も驚かなかった。
「でしょうね」
「特に……」
男は、言葉を切った。
「“聖女候補”の周辺が、きな臭い」
騎士の肩が、ぴくりと動く。
「……セシリア、か」
私は、ゆっくり息を吐いた。
(やはり)
あの視線。
断罪の場で、涙の奥にあった冷たい光。
「具体的には?」
「魔物誘導、非公式な観測。
責任を取らない形で、あなたを“危険”に見せようとしている」
私は、静かに笑った。
「……随分、回りくどい」
「直接排除できないからです」
男は、真顔で言った。
「あなたを消せば、辺境が荒れる。
荒れれば、民の不満が王都に向く」
理屈は、王都らしい。
だからこそ、遠回しな手段を取る。
「つまり……」
私は、結論を口にした。
「私を“失敗例”にしたい」
「はい」
男は、頷いた。
「英雄が辺境で暴走し、
結果として被害を出した――
そういう物語を、欲しがっている」
私は、村を見る。
子どもたちが走り、
大人たちが働き、
昨日の恐怖が、もう“過去”になりつつある。
「……残念ですね」
男が、首を傾げる。
「何が?」
「この村は、もう“英雄一人”で回っていません」
私は、はっきり言った。
「失敗させたいなら、
もっと早く来るべきでした」
男は、目を見開いた。
そして、ゆっくり笑った。
「……なるほど。
これは、予想以上だ」
◆
情報屋たちは、報酬も求めずに去っていった。
伝えるべきことは、伝えた。
それだけでいいらしい。
騎士が、私を見て言う。
「……セシリアが、裏で?」
「“彼女自身”かは、まだわかりません」
私は、慎重に言葉を選んだ。
「ですが、彼女の“立場”が、そうさせている」
聖女候補。
清廉で、純粋で、民に愛される存在。
その物語に、
“追放された有能な女”は、不要だ。
「……王太子は?」
「彼は、秩序側です」
私は、即答した。
「切り捨てるか、利用するか。
そのどちらかしか、選ばない」
騎士が、低く唸る。
「敵ばかりだな」
「いいえ」
私は、首を振った。
「敵が“見える”ようになっただけです」
それは、大きな進歩だった。
◆
夕方、私は村の集会所に立っていた。
全員を集めたわけではない。
だが、主要な顔ぶれは揃っている。
「……これから、厄介なことが起きます」
ざわめき。
私は、続けた。
「魔物ではありません。
人です」
誰も笑わなかった。
「私がいることで、
この村が試される」
沈黙。
「だから、選んでください」
私は、一人一人を見る。
「私を守るか。
私を切り離すか」
村長が、立ち上がった。
「……答えは、もう出ている」
他の者たちが、頷く。
「命を救ったのは、事実だ」
「守り方を教えたのも、あんただ」
「今さら、いなくなれと言われても困る」
私は、胸の奥が静かに熱くなるのを感じた。
「……ありがとうございます」
「だがな」
村長は、続けた。
「守るなら、覚悟がいる。
王都と、真正面から向き合う覚悟だ」
「ええ」
私は、頷いた。
「私も、同じ覚悟です」
その瞬間、私は理解した。
――ここは、もう“逃げ場所”ではない。
――“拠点”だ。
王都の内側で、何かが軋み始めている。
聖女の光の裏で、影が伸びる。
そして私は、その影に気づいてしまった。
(……なら)
(壊される前に、
こちらから“物語”を作りましょう)
英雄でも、追放者でもない。
辺境から王都を揺らす、
最も厄介な存在として。




