第3話 届き始める影
森の中は、夕方になると音が変わる。
鳥の声が減り、代わりに風と葉擦れが目立ち始める。
私はその変化を、肌で感じながら歩いていた。
「……この辺りからですね」
倒した魔物の現場から、南西へ。
地面に残った爪痕の向き、倒れた草の角度、血の飛び散り方。
どれもが「逃げた方向」を語っている。
村長と監視役の騎士、それに若い村人が二人。
簡単な捜索隊だが、十分だった。
「本当に、こんなの見てわかるんですか……?」
若い村人の一人が、半信半疑の声を出す。
私は頷いた。
「魔物は賢くありませんが、習性は正直です。
負傷した個体は、必ず“安心できる場所”へ戻ります。巣か、餌場か、その両方」
私は足を止め、地面にしゃがみ込んだ。
湿った土の上に、わずかに黒い痕がある。
「……糞です。新しい」
「それが……?」
「はい。あの魔物は、消化に時間がかかります。
つまり、この場所は“最近まで長く滞在していた”」
騎士が、低く息を吐いた。
「……つまり、巣が近い」
「ええ」
森の奥。
木々の間が、不自然に開けている場所が見える。
獣道が何本も集まり、地面が踏み固められている。
私は、その光景を見た瞬間、確信した。
「……間違いありません。ここです」
巣は、洞穴ではなかった。
倒木と岩の隙間を広げ、簡易的に作られた“溜まり場”。
中には骨が散らばり、古い血の匂いが残っている。
数は――。
「一体、ではありませんね」
私の言葉に、空気が張った。
「……どれくらいだ」
村長の声が、少し掠れている。
「少なくとも、三。多ければ五。
今日倒したのは、斥候か、若い個体でしょう」
騎士が歯を食いしばる。
「……次に来るなら、集団か」
「ええ。だから“次”が来る前に、ここを使えなくします」
私は、手帳を開いた。
新しい頁に、簡単な図を書き始める。
巣の位置、村の位置、森の境界線。
「巣を完全に潰すには、戦力が足りません。
ですが、ここを“居心地の悪い場所”にすることはできます」
「……どうやって」
「魔物は、魔力の流れに敏感です。
この周囲に、嫌う周波数の簡易札を設置します。
傷つけません。ただ、長居できなくなる」
騎士が、眉を寄せた。
「そんな札、王都の魔術師団でも――」
「作りません。効率が悪いから」
私は淡々と言った。
「でも、辺境では効率より“効果”が必要です」
その言葉に、村人たちが静かに頷く。
彼らは、効率という言葉で切り捨てられてきた側だ。
「……材料は?」
「木片と、鉄くずと、塩。あとは私の魔力」
騎士が、小さく笑った。
「本当に、何でも使うんですね」
「贅沢な素材は、ここにはありませんから」
巣の周囲に、目印を付ける。
私は村人に指示を出し、最低限の作業だけをして引き返した。
夜の森での作業は危険だ。今日は“準備”でいい。
◆
村へ戻ると、すぐに作業に取り掛かった。
木片を削り、簡単な杭を作る。
鉄くずを巻き、塩を塗し、魔術式を刻む。
作業は地味で、派手さはない。
「これで、本当に魔物が来なくなるのか?」
若い村人が、不安そうに聞いてくる。
「来なくなります。
正確には“この村を選ばなくなります”」
「……それって、他の村に行くんじゃ……」
その問いに、私は一瞬だけ手を止めた。
「……はい。可能性はあります」
沈黙が落ちる。
私は続けた。
「だから、近隣の村とも連携します。
同じ札を、同じ間隔で配置すれば、魔物は“縄張りを失う”」
村長が、ゆっくり頷いた。
「……他の村にも、話を通そう。
今まで、助け合う余裕がなかったが……」
「今はあります」
私は言った。
「生き残ったから」
その言葉に、誰も反論しなかった。
杭は、日が落ちるまでに二十本。
完璧ではないが、第一段階としては十分だ。
私は最後の杭に魔力を込め、深く息を吐いた。
魔力の消耗は、はっきりと感じられる。
けれど、倒れそうになるほどではない。
(……やれる)
この感覚が、少し怖かった。
王都では、決して許されなかった“自信”。
◆
夜。
村は、久しぶりに静かだった。
魔物の気配はなく、見張りの緊張も和らいでいる。
私は村長の家で、簡単な夕食を取りながら、手帳を整理していた。
そこへ、騎士が入ってくる。
「……王都から、使者が来るそうです」
その一言で、空気が変わった。
「いつ?」
「明後日には。
内容は……“追放者の監視状況確認”」
私は、手帳を閉じた。
(来た)
予想より早い。
王都は、私が“何もせずに朽ちる”ことを期待していた。
だが、私は動いた。
辺境で、目立ってしまった。
「……命令内容は、まだ不明です」
「いえ。想像はつきます」
騎士が、少しだけ居心地悪そうに視線を逸らす。
「……あなたの魔術使用を、問題視する可能性が高い」
「でしょうね」
私は、驚かなかった。
むしろ、静かに納得していた。
王都は、“制御できない存在”を嫌う。
評価できないものを、排除する。
それは、私が追放された理由そのものだ。
村長が、低く言った。
「……追い出される、のか」
「いいえ」
私は、首を振った。
「追い出されません。
ただ……交渉になります」
「交渉?」
「はい。
王都にとって、私が“不要”であるか、“使える”か。
その判断を、ここでさせます」
騎士が、目を見開く。
「……まさか」
「魔物対策の成果を、数字で示します。
被害減少、再発防止、周辺村との連携。
それが“王都の利益”になると示せば、簡単には切れません」
沈黙。
そして、村長がゆっくりと立ち上がった。
「……王都の論理は、我々にはわからん。
だが、あんたの言うことは、筋が通っている」
私は、窓の外を見た。
夜の村。灯り。人の気配。
「……私は、ここを失うつもりはありません」
それは、宣言だった。
王都に対してではなく、自分自身に対しての。
森の奥で、何かが動く気配がした。
だがそれは、昨日までの“脅威”とは違う。
私には、もう“守る理由”がある。




