お誘いを全力でお断り申し上げます
王立学院に入学したばかりの男爵令嬢フランチェスカの前に、煌びやかな一団が立ちふさがった。
「君、今年の新入生だね?」
「名前なんていうの?」
「クラブ活動に参加する気、ある?」
「よかったら、俺たちのサロンでお茶をしながら話をしない?」
フランチェスカは戸惑った。たぶん彼らは、男爵家の人間からしたら雲の上の存在だ。巷の絵姿で見たことがある。第二王子殿下とその麗しき取り巻きの令息たちだ。名前は定かでないが、皆伯爵家以上の家だったはずだ。失礼は許されない。
とりあえず、一つ一つ確認しながら慎重にいこうとフランチェスカは考えた。
「あの、お返事してもよろしいでしょうか」
「もちろん。私たちから質問したのだからね」
「では、私は今年入学したフランチェスカ・メローニと申します。クラブ活動に参加する予定はありません。お茶をする時間もございません。このあと職員室に呼ばれておりますので、御前失礼いたします」
教師に呼ばれているのでは仕方がないと思ったのか、王子の一群はフランチェスカを解放してくれた。
フランチェスカは深く頭を下げた後、脱兎のごとく駆け出した。淑女のマナーもかなぐり捨てて、とにかくこの場から離れたかった。
フランチェスカは、学院に入学する半年前まで、市井で暮らす平民だった。両親が亡くなり、叔父であるメローニ男爵に引き取られた。それから大急ぎで貴族のマナーを仕込まれ、読み書き計算という最低限の教育を受けて、14歳で王立学院に入学した。付け焼刃もいいところだ。フランチェスカも自覚があるので、今はとにかく知識を身に付けたい。亡くなった母を悪く言われないように、自分を律して誠実に生きようと、強い決意の元に入学してみればこれである。
儚げな銀色の髪に琥珀色の瞳、少し日に焼けているが、小づくりで溌溂とした表情は、取り澄ました生まれながらの貴族令嬢とは違う魅力を振りまいた。
それが令息たちの目に留まり、誰から行く?などと目でけん制し合ううちに、第二王子たちが近づいてきて話しかけた。これでほかの令息たちは指を咥えて見守ることしかできなくなった。横から攫えば確実に不興を買うからだ。
さて、全力で走り去ったフランチェスカだが、教師に呼ばれているなどというのは嘘である。あの場でいちばん穏便に断る理由がそれしか思いつかなかったのだ。そう度々使える理由ではない。困った。あれは近づいてはいけない人種だ。流されるな、絆されるな。母からの教えで、それは肝に銘じている。高位貴族、ましてや王族に関わるべからず。母の容貌を受け継いだフランチェスカに、母は死の間際まで、いつもの教えを繰り返した。
『取り返しのつかなくなる前に、とにかく不敬でもいいから逃げなさい、断りなさい、蹴散らしなさい、助けてと声をあげなさい、いいわね、フランチェスカ』
これが母の最期の言葉だ。
叔父のメローニ男爵は、母が貴族の身分を捨てた経緯を知っているので、母の遺言には深く同意してくれた。
「高位貴族に媚びなくていいからね。学院には、ただ自分を高めるために通いなさい。教養は身に付けて損はないから。将来の選択肢を増やすためだと思って学びなさい。結婚も無理やり決めたりしないから、フランチェスカは学院生活を楽しむんだよ」
そう言って、彼女の意思を尊重してくれた。
『取り返しのつかなくなる前に』
母の言葉がよみがえる。
フランチェスカは逃げることを止めて、次は正面から対峙しようと覚悟を決めた。
翌日。
凝りもせず第二王子軍団が教室にやってきた。午後の授業が終わってすぐのことである。
「やあ、フランチェスカ嬢、今日は教師からの呼び出しはないよね?王都で人気のレストランを予約したんだ。一緒に食事をしながら話をしないかい。色々と聞いてみたいことがあるんだ」
第二王子は長めの金髪をさらりと払って、爽やかな笑みを浮かべた。この笑顔で女性に断られた経験がないのだろう。自信満々で滑稽である。取り巻きの令息たちもうんうんと頷いている。
フランチェスカは正面から相手をすることにした。
「大変ありがたいお誘いではございますが、ひとつ確認してよろしいでしょうか」
「うん、いいよ。何かな」
「この学院で爵位による不平等はないというのはどの範囲まで及ぶものでしょうか。学問上の議論においてとか試験の点数を忖度しなくて良いとかいう範囲ですか。それとも、日常生活においても適用されますか」
「何が言いたい?」
背の高い取り巻き1号が聞いた。
「つまり、このお誘いをお断りする権利が私にあるのかどうかということです。学院も貴族社会の縮図、高位貴族家の方には無条件で従え、口答えはするな、というのが暗黙の了解になっていますか」
「いや、そんなことはないぞ」
穏やかそうな取り巻き2号が答えた。
「では、せっかくですがお断りいたします」
「なぜ断る?光栄にこそ思えど、断る理由などなかろう」
短気そうな取り巻き3号が息巻いた。
「なぜ断るかですか?お受けする理由がないからです。私を食事に誘ってどうなさるのですか。マナーがなっていないと笑うのか、天然自然で愛らしいと言いつつ珍妙であるとこっそり笑うのではありませんか」
「いや、そんな悪趣味な真似はしない。私はそなたから普段聞けないような市井の話を聞きたいのだ」
第二王子が笑顔マシマシで言う。
「知ってどうするのですか。14の小娘の知る市井の範囲などたかが知れていますよ。どこの店の果物が新鮮で安いとか、あの雑貨屋の髪飾りが最近可愛いとか、宿屋のリックがコーヒーショップのルルちゃんに思い切って告白しただとか、今度教会前の広場に移動サーカスが来るだとか、そんな話を聞いてどうなるのです?」
「そ、それは、将来国を統べる者の身内として、下々の暮らしを知っておきたいのだ」
「本気で言っています?下々の暮らしを知るのに、ほかの方法を思いつかないのですか、その優秀に鍛えられたであろう頭脳をもってしても?私個人の日常を知って、統治にどう生かせるというのです。民のささやかな暮らしを知って、自分との落差を楽しみたいですか」
「不敬だぞ、お前」
取り巻き3号は特に頭に血が上りやすいらしい。
「私たち市井の者たちも、実は王子様とか侯爵家のご子息様とか騎士様とかに、憧れはあるんですよ。街中には絵姿が売っていますもの。人気順も発表されます。みんな自分の推しの順位を上げたいから、新しい絵姿が出るといそいそと買いに行くんです。でも、その絵のような麗しさや凛々しさに憧れているんであって、ご本人様の性格や強さや頭脳なんかは知らないです。むしろ知りたくないです。憧れの方々が素敵なご令嬢と並んで絵のように輝いてくれていたらそれでいいんです。夢を壊さないでください」
「現実の私は、夢が壊れるのか?」
王子は若干傷ついたような顔をした。
「だいたいこんな風に衆目のある中で呼び出し、断りづらい誘いをするなど、私になんの恨みがあるんですか」
「恨みって、こちらは親切で誘っているつもりなのだが」
取り巻き2号はやはり穏やかさを崩さない。
「それはご親切にありがとうございます。でもそのお誘いに応じれば、男爵家の養子風情が何を驕っているのかと囁かれ、断れば、高位の方々に対して何たる傲慢、とか言われるのでしょう。私は去年貴族になったばかりです。一からマナーと教養を身につける必要があるのです。皆さまが幼少の頃から無理なく少しずつ身につけてきたものを、あと3年で自分のものとし、尚且つ、数学、歴史、科学、法律、家政、植物学、農学、外国語など、学びたいことは山ほどあります。せっかく得た学びの機会なのです。邪魔しないでいただけますか」
「熱心なのだな。だが、息抜きも必要だろう」
王子の言葉に、取り巻きたちがうんうん頷く。よく見れば周りの生徒たちも驚愕した顔で、休まないと体に悪いぞ、などと心配そうに言う。
「ですから、今この時間さえもったいないんですよ。私、ちゃんと文章を読めるようになって半年なんです。市井にいた頃は、名前と日常でよく使う単語しか書けませんでしたし、あとは数字と計算だけが教養でした。生活の知恵はもちろんあります。繕い物だとか料理や掃除のコツなども教えられるほど知っていますよ。けれど、ひとたび男爵家の娘になった以上、覚えなくてはならないことばかりで焦っています。どうか食事をご一緒するのはご遠慮させてください。そもそも、私に一体何の得がありますか。麗しの絵姿が動くのを見たって、絵だけで知っておきたかったと思うのがオチです。現に今、幻滅してますから」
うわ、はっきり言いやがった、という声が聞こえたが構うものか。
「なぜそう攻撃的なのだ。それに、被害妄想が過ぎないか?」
呆れたように取り巻き1号が言う。
「私の母がそうだったからです。母はメローニ男爵家の長女でした。隣国の血を引いているのでこの国には珍しい銀の髪と琥珀の目をしていました。私は母にそっくりだそうです。そして王立学院に入学した途端、色彩が珍しいのと多少可愛らしかったことが災いして、高位貴族のご子息様方からもてはやされました。母は断り方を知らず、誘われるがままにお茶をしたり食事をしたりしました。決して母が望んだことではありませんでした。中には婚約者がいる方もいました。傍から見れば、ちょっとばかり可愛い男爵家の娘が、高貴な方々を侍らせて悦に入ってるように見えたことでしょう。女生徒から総スカンを食いました。最悪なことに、誘ってくる男子生徒の方々も決して本気なわけではなく、誰がモノにできるか賭けをしていたそうです。それを知った母は抗議しました。するとそれまでチヤホヤしていた男子生徒たちは、そんなつもりはなかった、これだから下位貴族の教育しか受けていない者は勘違いも甚だしいと、母を笑いものにして離れていきました。女生徒たちからは、男に媚びた女の末路だなどと揶揄されました。母は貴族に嫌気がさして、王都の図書館で出会った平民の父と駆け落ちしました。もちろん学院は退学です。たった半年しか学べませんでした。孤立無援の男爵家息女に、何ができたでしょう。その母をかつて甚振った人たちの子息息女がここにいるのも知っています。昔の話だと笑いますか?」
フランチェスカは、ぐるりと周りを見渡した。
「高位貴族の方々が、意図して私を貶めるつもりなら、そうとう根性が悪いです。悪意もなくただ物珍しいからと男爵家の娘一人を構うのなら、想像力が欠如しています」
「失礼過ぎるだろ、お前」
取り巻き3号はまだ闘うつもりのようだ。
「失礼?どの口がそれを言いますか。あなた方は皆、婚約者がいらっしゃるではありませんか。家柄も教養もお似合いのその方々をほったらかして、男爵家の娘一人を囲んで食事とか、婚約者様にこそ失礼ではないのですか」
王子をはじめ取り巻きたちは気まずそうに眼を逸らした。
「というわけで、私は母の二の舞は御免です。お分かりいただけたでしょうか」
「そ、そうか。そなたにも事情があるのだな」
王子は寛大さを示したつもりらしい。
「事情?誰しも事情があることを、よもやこれまでご存知なかったのですか」
フランチェスカの中に、これ以上はまずいぞという警鐘が鳴る。やり過ぎて敵に回せば、男爵家の存続が危ういかもと、今さらながらに思い至る。冷静に見えて直情型なのは母譲りだ。
「事情も都合も予定もこれから3年間みっちりありますので、どうか私のことなど捨て置いてくださいますようお願い申し上げます」
90度の礼をしたまま、フランチェスカは王子の言葉を待った。
急に矛を収めた男爵令嬢に、いちばん熱くなっていた取り巻き3号が白けた顔をした。穏やかな2号は、得体の知れない笑みを浮かべたまま王子を見やった。
「殿下、俺たちだけで行きましょう」
と、1号が促した。
「いや、ロザリアを誘う。お前たちも婚約者を呼んでやれ。ただし、予定があるなら無理強いはするな」
王子はフランチェスカの怒涛の語りに思うところがあったのか、そんなことを言った。
「フランチェスカ嬢、頭を上げてくれ。そなたの母君の話は聞いたことがあった。ただ、聞いていた話と違った。その誤解も含めて、済まなかった」
「いえ、今回のことで、母の名誉が少しでも回復できたのなら、臆さず喋り倒して良かったです。それではこれで、失礼いたします」
フランチェスカは、教室を出て、一目散に自宅に向かった。寄ろうと思っていた図書館も今日はなしだ。写真の母に報告したかった。
母が学院を去った後、つきまとっていた令息たちや、侮蔑もあらわに冷笑していた令嬢たちは、何事もなかったかのように平穏な学院生活を謳歌したという。婚約が破棄されたりもせず、あれは一時の余興であったと笑い話にさえなっていたという。母より2年遅れて学院に入学した叔父から聞いた話だ。
そこでの母は、美貌を武器に高位貴族に取り入り、婚約者の座を奪おうとする身の程を知らぬ女として語られていた。高位のものがそう話を広めれば、下は従うほかなかったのだろう。いつの間にかそれが真実となった。だから学院にいられなくなって逃げ出したのだろうと。いくら母の耳には届かないとしても、その弟が在学しているのだ。わざと聞かせていたのかもしれない。真に品性下劣な人たちだ。そしてその中に、王族もいたという。
第二王子がそれを知っていたとすると、おそらくその娘を見に来たのだろう。見た目にそぐわず尻軽な美少女だろうと予想して、本性を暴こうとしたのかもしれない。
王子だけではなく、フランチェスカの話に気まずそうな顔をしている人たちがいた。噂話を鵜吞みにした親世代から、そういう性悪女に気をつけろとでも言われてきたのかもしれない。
しかし、仮にも王子が男爵家の娘に謝った。『誤解も含めて、済まなかった』とは、過去の噂話を否定してくれたのだと思う。フランチェスカは、何よりそれが嬉しかった。
自分によく似た写真の母に報告する。
「取り返しのつかなくなる前に、とにかく不敬とか気にしないでぶちまけてきたよ。誘いも断ってきた。積年の恨みも、八つ当たり気味に吐きだしてすっきりした。これで叱責を受けるなら、学院に見切りをつけるだけね。お母さんの名誉も、少しは回復したと思うから、それだけでも学院に入った甲斐はあったよね」
フランチェスカは、そうは言っても貴族の考え方がそうそう変わるものではないと知っている。また別の変な奴に目を付けられるかもしれない。それでも、常に先手必勝で、取り返しのつくうちに何とかしようと決意も新たにしたフランチェスカであった。
読んでいただき、ありがとうございました。
誤字脱字報告ありがとうございます。助かっています。




