第56話 賭ける男とかける女達・前編
「9組Hチームがすごいんだってことを、ねえ?」
目を吊り上げ怒りの表情をこれでもかと表現する一刀に対し、近藤は下唇に指を当ておかしそうに笑う。そして、怒る一刀を、可愛らしいペットを愛でるかのようにじっくりと見回し、頷く。
「そう。それは楽しみだわあ。生徒が本当に成長してくれるなら、先生にとってそれは喜びでしかないものぉ」
相変わらずの鼻につく言葉選びに一刀は歯噛みをする。
細かい所をつっこめば近藤は謝って訂正してくれるかもしれない。だが、その謝罪は軽く、ただただ一刀は苛立ち、Hチームの面々は悲しむだけの無駄なもの。わざわざ、それを引き出す必要はない。
一刀は、手応えのない幽霊のような敵が現れたと思っていた。
一刀にとって中馬は敵として非常に分かりやすく戦いやすかった。分かりやすく攻撃をしてきて、こちらが抵抗すれば、怒り、対抗し、攻撃をしてきた。
しかし、近藤はこちらに明確な攻撃をしてくるわけではない。ただ、正論染みたものに悪意を織り交ぜて言い訳を繰り返すだけ。的確につける弱点ではなく、とかげのしっぽを斬り続けているような感覚。何度も何度も不快な色や柄のしっぽがこちらを馬鹿にするようににょきにょきと生え、本体はただただそのしっぽを斬り続けるバカを嘲笑っている。
実体のとらえられない敵だった。
だけど、一刀は引くわけにはいかない。
Hチームのみんなを守るためにも、ここは譲れない、譲りたくない。
一刀は近藤を再び強く睨む。
「どうなんですか? 中間テストでHチームが活躍したら謝ってくれますよね? だって、先生がそう言ったんですもんね」
「ええ、ええ、そうね。言ったわあ。バット、中間テストでHチームが活躍したら先生は謝る。これって一方的な約束すぎないかしら? Hチームが全然ダメダメだったら、何かしてもらうっていうプレッシャーがあってもいいと思うの。だって、Hチーム、さっきのままじゃ絶対中間テスト無理よ」
そう言って近藤は両手を小さく挙げて首を振る。紫色の髪が揺れ、一刀の鼻を再びあまったるい香りがくすぐる。ふぅっと鋭く息を吐いて、その匂いを吐き出すと顔を上げる一刀。
「いいですよ。何かすればいいんですね」
「「「一刀(さま)!?」」」
Aチームのメンバーが驚きの声を上げ、Hチームは声も出ないのか皆一様に固まっている。
そんなクラスメイト達を制すように一刀は手を出すと、近藤に向き直る。
「オ~ケ~ィ。じゃあ、ダメだった時は先生のお願いを聞いてもらおうかしら。ああ、大丈夫よ。厳島クンにとってとおっても難しいお願いだったら、できませんって言ってもらっていいからね」
狡い言い方だと一刀に止められた玖須美は思った。
一刀は恐らく誰かを傷つけるようなお願いであれば断るだろう。だが、自分自身が傷ついたり、汚れたりするようなことであれば、受け入れる。それだけ一刀はフェアな男だと玖須美は分かっていた。しかし、と玖須美は思う。
(一刀さま、大丈夫かしら)
先ほどから何度か一刀に対し、特にAチームのメンバーは視線で注意を促していた。だが、一刀はほとんどこちらを見ることはなく、ずっと近藤を睨み続けている。怖い表情で。
周りに気遣いが出来るという珍しい男である一刀が我を忘れて怒っている様子に玖須美は何か不穏なものを感じていた。
だが、その不安も一瞬で霧散する。
「おい、むっつりスケベ。いっちゃんに『お願い』するとしたら何をしようとか考えてんじゃねえだろうな?」
「か、考えてません!」
「は~い、ギャルおちつけ~」
「ふぅううううううううう! ふぅううううううう! アイツ……ケス……!」
魔凛にウザ絡みされている環奈や、一刀以上に鼻息荒く近藤に飛び掛かろうとしている杏理を押さえる魔愛を見て、苦笑いを浮かべる。
(そうですわね、一刀さまなら大丈夫。信じましょう。それにHチームだって……)
玖須美が視線を向けると、彼女達は駆け出していた。それはそうだと玖須美は笑う。
玖須美が大好きな、いや、クラスで自慢の世にも珍しいやさしくて強い男の子が信じてくれているのだ。
(そこで立ち上がらなければ、女じゃありませんものね)
彼女達は一刀を信じ、一刀の思いに応え、一刀と自分たちの勝利に賭けることにした。
自分達の折れかけていたプライドを賭けて。
もう一度戦う事を決めた。
一刀に嫌われないためにではなく、一刀の期待に応えたいから。
一刀に並ぶように立ち、そして、同じように近藤を睨み返す。
その変わり始めている彼女達の存在を周りに感じ、一刀は確信し振り返り笑い、そして、彼女達を一緒に向かい合う。
「近藤先生、俺……達は、俺達は絶対にあなたとの賭けに勝ってみせます。絶対に!」
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