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第36話 かえしたい男とかえしたい女・前編

「きょ、今日はよろしくね! わ、ワンソードマン!」


「あ、は、はい。よろしくお願いします……」



 ある日の週末。一刀扮するワンソードマンは、品川区の容器文化ミュージアムに生まれた【穴】から入れるダンジョン【魔物工房】にとある女性といた。


 その女性は、品川冒険者事務所の受付嬢、及川織姫。紫色の戦闘服に身を包み、それと合わせた紫と黄色の仮面をつけている。



 事の起こりは、一刀が初めて東京のダンジョンに挑んだ日のこと。

 一刀を男のフリをした女だと思い、ソロでダンジョンに潜らせ、物理的な死、及び、社会的な死を覚悟した織姫。

 だが、一刀は織姫の想像以上に強く、無事帰還。その際に、色んな汁・水まみれだった織姫は一刀の『ハンカチをやさしく差し出す男』という二次元でしか見たことのない伝説的行為を目の当たりにし、その上自分にそのハンカチが渡され興奮の絶頂で気絶してしまう。


 その後、竜胆冒険者協会本部長にしっかりと窘められた一刀を、気絶から復活した織姫は待ち続けていた。鼻と目はかなり腫れていたが、それでも会わねばと織姫は出来るだけ目の毒にならないようにと繊細にメイクを施し、


「あ、あのー……お話があるんでしたら、も、もう少し近寄って話しませんか?」



 はっきりは分からないように距離をとっていた。


 のだが、一刀からすれば不自然な上に、他の人に聞こえる程度には大きな声で話さねばならずなんとなく恥ずかしい。その為近寄って話したかったのだが、その言葉は織姫からすれば神の声。


「ええ!? わ、私ごときが近寄って良いの?!」


「え、ええ……勿論」



 竜胆と一刀が話している間に、気絶から復活し、一刀の活躍を聞き、ハンカチまで渡してくれる紳士的な男という理想的な男からの近寄りませんかとお誘いを受け、どきどきしながら一歩ずつ近づく織姫。


「あの、まだ、遠い気が……」


「ま、まだですかああ!?」



 距離にして5メートル以上離れており、一刀からすれば遠い。だが、織姫からすれば近い。ここ数年男性へのストーカー行為が問題視され、接近禁止命令などもテレビでよく聞く。その為、君子危うきに寄らずと織姫は気を付けていた。そんな織姫からすれば5メートルは聖域。二歩の助走、からの、大ジャンプで飛びつける距離は危険すぎると考えていた。


 だが、一刀が大丈夫大丈夫と言ってくるため、織姫はわけが分からず混乱を極める。


(ま、まだ? 一歩助走でとんだら襲い掛かれるんですけど!? え、ええええ!? まだ? もうジャンプしたら襲い掛かれるんですけど!? まままままままだ!? 匂いがして襲い掛かれるんですけど!?)



 冷静と情熱の狭間、理性と情欲のサンドイッチに苦しみながら耐え続ける織姫。

その苦しそうな表情を見て、一刀は心配そうな顔を向ける。


「だ、大丈夫ですか?」


「ぐぬぅううううううううううううううううううううううう!!!!!!」



 庇護欲を掻き立てるような眉を寄せて心配そうにのぞき込む男子高校生の顔は織姫にとっては心臓に直接右ストレートを撃ち込まれたような衝撃で胸を押さえ蹲る。


「だ、大丈夫ですか!? あの!」


「大丈夫……ていうか、これ以上近づかないで……お願いだから……!」



 更に近づこうとする一刀を手で制する織姫。もう片方の手は胸から頭へと移動。必死で織姫は理性で情欲を抑え込もうとする。


「ぐ、ぬううううううう!」


「な、なんか分からないですけどお姉さんがんばって!」


「ぐはああ! おねえさん、よ、び……? さいこ……かよ……!」



 一刀の応援ボイスに敗北する理性。だが、同時に情欲も限界を越え再び織姫が気絶する。

 一刀が抱き起そうとするのを遠巻きに見ていた同僚の受付嬢たちが止めに入る。


「こ、これ以上先輩の情緒を破壊しないでください! 先輩の人間としての尊厳が全て破壊され尽くされてしまいますから!」


「うぶ、うぶぶぶぶぶ……」



 白目を剥き愉悦の表情を浮かべてしまっている織姫のプライドを守る為、同僚たちは必死で隠す。流石に自分のやっていることが織姫にとってよくないことだと察した一刀は肩を落としながら、距離を取る。その小さな背中に胸を痛めつつも同僚たちは織姫の蘇生を試みる。


「先輩! 先輩! しっかりして! 先輩は男の子にハンカチを借りることが出来た選ばれし者なんですよ! 後輩たちにいいとこ見せてくれるんでしょおおお!」


「…………っ!」



 その声は織姫の目を覚まさせるに十分だった。


 無関係の男の子からハンカチを貸してもらった女性。そんな人間は織姫の知る限り一人もいない。30年前であればあり得たかもしれないが今では奇跡と呼べる出来事。


 その奇跡を手に入れた存在であるというのは誇りに等しい。織姫は力の入らない身体に鞭をうちなんとか立ち上がる。

 その様子を一刀は……。


(ええー、ハンカチ一枚でそんなことになるー? ばあちゃん達になんぼでもハンカチ貸したし、タオルも貸したし、なんだったら俺が捨てようと思ってたTシャツとか普通に着てたし……なんで、ハンカチ一枚で強力な弱体化魔法みたいな効果があるんや……)


 とても冷静に、必死に立ち上がる織姫とそれを叱咤激励する後輩たちを見ていた。


「はあはあ……あ、あの!」


「あ。は、はい!!」



 生まれたての馬のようなプルプル足でヨロヨロと近づくのをぼーっと見ていた一刀は突然声をかけられ、裏返った声で返事をしてしまう。一刀は照れているが、織姫にはそれを察知する余裕はない。取り出したハンカチを差し出しながら口を開く。


「おおおおおおおおお」


「おおおおおおおお?」


「お礼っ、あのっ、はっ、ハンカチのお礼をしたいのですがっ!」



 一刀以上に裏返った声で織姫が叫ぶ。

 そして、


「ぷ。あはは……ああそういうことですか。ありがとうございます。じゃあ、もしよければ……東京あんま知らんのでどこか連れて行ってもらえますか?」


「へ? ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………あっ」


「あああああ! おねえさああああああん!?」



 織姫の考えていたお礼とは全く違うお礼。

 普通であれば、金や労働力。ひどい男であれば殴らせろ等。一刀に限って殴らせろという事はないとは思っていたが、お礼どころかご褒美になってしまうそのお誘いに……織姫は考えることをやめ、意識を手離した。


「せんぱあああああああああああああああい!」



 そして、白目を剥き身体をビクビクさせながら泡を吹いた姿を見た後輩は、普通に出かけたら絶対に情けない姿を見せるから普通の店に行くなと前置きし言った。


『ダンジョンに行った方が先輩ならマシです。ダンジョン配信すればへたことは出来ないし。そうだ! 魔物工房でレアアイテムをプレゼントすればいいじゃないですか! いいですか! 女としての尊厳さえ失った先輩にもう失うものはないように思いますが、最も大切なものがあります! それは男の子と思い出を作れるチャンスです! 尊厳を失った先輩もわたしたちと同じように灰色の学生時代を過ごしてきたと思います! そんな尊厳を失った先輩があの頃を取り戻すチャンスです! 尊厳なんてもうどうでもいい! 思い出を手に入れるのです、尊厳を失った先輩!!』



 尊厳を失った先輩言い過ぎだろうと思ったが、織姫は考えないようにした。

 それに、


「ふぅううううう……ふっ! うし……! じゃあ、行きましょうか?」



 後輩の言う通り、学生時代に男の子が隣にいるなんて事は絶対なかったし、見る機会すら僅か、しかも目が合えば露骨に嫌そうな顔か怯えた顔。


 だが、今隣にいる男の子は笑顔でこちらを見てくれている。青春リベンジのチャンスだ。織姫もそれは分かっていた。


 だから、精一杯の笑顔で返す。



「ふ、ふひ……よろしぐ」



 うまくいかなかった。

 だけど、一刀はとてもやさしい笑顔で頷き、一緒に【魔物工房】へと潜っていった。




およみくださりありがとうございます!


41話から二部開始予定です!

中間試験、体育祭、そして、隣のクラスのいざこざ!

魔の6月を乗り越える為、一刀は守護女子達やクラスメイト、そして、仁虎たちと共に立ち上がる! 予定! 乞うご期待!

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