王宮舞踏会での大ピンチ
直近三ヶ月、ライラックが駆け込んで来ないのをユリウスは不可解に思っていた。
あと、不満にも。
(昨日も来なかったな。夜会があったらしいのに、どうして来ないんだ? 大丈夫なのか?)
そこで彼はハッとした。
(まさか、何かアクシデントがあって既に誰か善からぬ男の餌食に……!?)
万一そうなら悲観して投げやりに考えてもう浄化は必要ないと思ったかもしれない。
(なら、もう俺に会いに来る事もない……? ――それは駄目だ!)
血相を変えガタンッと椅子を蹴立てて立ち上がったユリウスを、周囲の同僚達が驚いた顔で注視する。
「ど、どうした、エバーグリーン?」
「あ……、何でもありません。申し訳ありません」
自身所属の隊の隊長へと真摯に頭を下げるユリウスは、今は聖騎士会議の最中だったのを思い出し恥じた。魔物討伐について真剣に意見が交わされている場で一体何を考えていたのかと。
しかし会議が終わるまで、いや終わってからでさえ、憶測とは言え見知らぬその男性像へと抱いた、胸の奥から焦げ付くような攻撃的感情を消し切れなかった。
それどころか、熾火のようにずっと胸奥でその炎は燻っていた。
そんな彼だったが、憂鬱とさえ感じる程に日々を悶々として過ごし思い悩んだ末、待つのではなく自分からライラックの姿を一目見れば、そもそも彼女から直接状況の説明を受ければ何か解決案が見つかるかもしれないと思い至った。
その日から彼はライラックの参加しそうな夜会へと出向くようになった。
ただ思いの外彼女は姿を見せず、後で彼女が出席していたと聞いた集まりには討伐任務のために彼は出席すらしておらず、何か得体の知れない縁切りの魔法にでも操作されているかのようにとことんすれ違う日々を送ったのだった。
抑えた鬱憤がそろそろ限界を迎えそうで、いっそ不躾を承知でレイリー伯爵家を訪ねてみようかとさえ思っていた頃、王宮舞踏会の招待状が彼の手元に届けられた。
「なあ、ライラック・レイリー嬢を知ってるか?」
「ああ、最近奇行の目立つって噂の娘だろ。お、噂をすればあそこに。噂が本当なら行き遅れ確定だよな」
「ははっ確かに。美人でも願い下げだ」
小馬鹿にする貴族達が軒並み視線を向ける先には勿論名前の通り、私ライラック・レイリーがいるわよ~。
近頃私は確かに数々のやらかしをしていた。
件の危険物三人も来ているのに容易には断れない招待状があったし、世界の強制力でライラックは絶対参加な集まりだってあったけど、魅了されても聖騎士に浄化を頼めないんだから仕方がない。
魅了による欲情が行く所まで行く前に自分でどうにか制さないといけなかったんだから。
結果的に操を守れるなら奇行だってやむ無しよ。
具体的にどんな奇行かって言うと、晩餐会の席で突然フィンガーボウルの水を自ら頭に被ったり、立食形式の会食会でボーイが運んでいた皿の全てのグラスの中身を自らの顔にぶっかけたり、夜会で急に庭に走って行って庭園の噴水に頭を突っ込んだり、ね。
少しでも冷静になろうと頭を物理的に冷やしたってわけよ。
危険物三人の誰か一人でもいる集まりでは何度もその手を使った。幸い誰にも言い寄らずにその集まりからは帰れたから効果的な手ではあったみたい。
その時その時で居合わせた彼らは実に怪訝そうにしていたっけ。今まで顔を見れば散々猫撫で声で言い寄って来ていた女が寄って来なくなったかと思いきや、とうとう気が触れたとでも思っていたに違いない。
そうやって、出なきゃならなかった集まりでは聖騎士に頼らなくても無難に過ごせるように最大限の努力と犠牲を払っていた。
だけど、今夜の集まりは王宮舞踏会。
国王夫妻も挨拶に姿を見せるし、王国中から貴族が集ういつもよりも大規模で警備も厳重でそこかしこに人がいて、最も警戒すべき環境下にある。私は最初から最後まで気を抜けないとそう心して過ごしていた。
両親も来ているけど、いつも私は二人とは別行動を習慣としていた。だってねえ……。当然馬車も帰りだけは別々よ。
国王陛下のおなーりーと係の人間の宣言で国王夫妻が堂々たる威容で会場の大階段上に姿を現した。
会場の人間は皆一斉にその場に畏まり頭を下げる。私もね。
多分国王夫妻の後ろには王太子アントンが控えているだろうから、極力顔を上げないようにして彼を視界に入れないよう努めた。国王陛下が皆楽にせよ今夜のパーティーを楽しめぞなもしーって挨拶の言葉を最後に下がったから、私ももうそっちは見ずに回れ右。
「いたいたほらあそこ、ロイ様よ」
と、近くにいた友人同士だろう令嬢達が黄色い声を上げたので、私は回れ右から更に右に九十度へと爪先を回転させる。
「あっ向こうからパーシー様よ!」
そこで別の令嬢が頬を染めたから、更に踵を返して反対方向へ。つまりトータルすれば初期位置からただ単に右に九十度向きを変えただけ。その方向へと足早に歩き出す。
三人がこっちに気付いたかは知らない。まあ気付いたとしても最近の私の奇行を目の当たりにしていた彼らは頭のおかしい女だと敬遠して関わっては来ないだろう。
急ぎ歩きながらどこでしばらく過ごそうかとバルコニーやら壁の陰なんかを探した。でもどこも人がいたから無難とは言えず段々と会場の端へと向かったわ。開始後すぐに帰ったら印象としては良くないもの。目立たず無難に伯爵令嬢をしたい私はだからちらほら帰る人が出てくる頃合いまではこの王宮に滞在しなくちゃならない。
――レイリー嬢。
途中誰かに遠くから呼ばれた気がしたけど、着飾った人々でごった返す広い舞踏会会場は端に近くても喧騒が煩いし、二度は聞こえなかったから気のせいか。
そういえば、いつの間にか聖騎士からもご令嬢呼びからレイリー嬢呼びに変わっていたわね。彼も貴族だろうしもしかしたら今夜来ているかもしれない。
「聖騎士の任務で来ていない可能性も大だけど」
少し前に聖騎士団が遠方へ討伐に出発って記事を読んだから、まだ王都には帰ってきていないかもしれない。
仮にそうならどうあっても浄化は見込めない。
もたもたして魅了されたら大変だとさっさとメイン会場を後にした。
「そうよね、こうなるか。まあいいか、やっぱり庭園のどこかでやり過ごして戻るのが一番無難そうだもの。ふふっ」
過去に似たような状況でやり過ごした経験があるからこそ染々としてくすりと笑ってしまった。
さてどこでまったりしていようかと庭園に下りて場所を探していると、喋りながら会場建物から出てきた者達の声が私の背筋を凍り付かせた。
「確かに出て行ったのか?」
「そうだと言ったでしょう」
「ならさ、まだそこら辺にいるんじゃないか?」
アントン殿下とロイ様とパーシー様!? どうして三人纏めて現れるわけ!?
あ、もしやこの舞踏会で運命的に出会うはずのヒロインともう会っていて、姿の見えなくなった彼女を捜しているのかもしれない。
でも生憎と私以外は誰もまだ庭園には下りて来ていない。他を捜した方がいいですよ、なーんて教えたりはしないけど。
だって離れた声だけでも魅了されるんだものっ。ああんもうぞくぞく来てるうぅ~勘弁してよお~っ。抗えなくなる前にと私は慌てて生垣の陰に回ると彼らからは死角になる小道を逃げるようにひた走った。
ただね、どこまでも遠ざかりたいのは山々だったけど、王宮庭園にだって敷地の限界がある。
「はっ、はあっはあっ、はあっ、池……はあっ」
王宮庭園の果てには池があるのは知っていた。でも正直ここまで来ていたなんて思わなかった。どこかに逃げないとって夢中で駆けたからね。火事場の何とやらだと思う。結構会場建物からは離れちゃったけど、むしろこの距離があれば安心できる。
ヒロインを置いて彼らがこんな所まで来るわけがないもの。
安全のために足元を照らす明かりが水面に映り込んでキラキラゆらゆら。
「きれい……。ずっと見ていられるわ。案外ここって穴場かも」
これからの王宮での集まりの際にはこの手を常套手段としようなんて考えた。
しばし池の淵に佇んで一人黙って揺らぎを見つめる。人には退屈そうに見えるだろうけど、私はこう言う無心になれる時間って好きなのよね。
微風に下ろした髪を遊ばせる私は、背後に厄介者達が近付いていたなんて微塵も思わずにすっかり気を抜いていた。この王宮じゃ油断大敵だったのに。
「聖騎士様は今頃何しているんだろう。きっと討伐だって夜は中断するだろうし、礼拝とか?」
過去に見た熱心に祈っていた彼の真面目な顔を思い浮かべる。自然と心拍数が上がって幸せな気分になった。急激な興奮とは違うけど、根底では同じ要素を孕んだものなのは私自身わかっている。
「はあぁもう~~」
距離を保ってみても気持ちが薄まる気配は一切なかった。それどころか会わない弊害が出ている。よくこうやって彼の事を考えてしまうようになっていた。
「こんなの駄目なのに~~」
誰もいないけど赤面した顔を両手で覆った。
刹那、草を踏む足音がすぐ近くから聞こえて私はあら他にも人がいたのねって暢気にも振り向いた。
――全身が凍り付く。
だけど一瞬の後には望まずも目はハート。強制魅了発動よ。
「レイリー嬢、ようやく見つけたぞ」
「一体どこに行ったのかと。捜しましたよ」
「ところでさ、どうして一人でこんな場所に?」
三者三様にするのは、私が最も会いたくなかったゲームの攻略対象キャラたる三人。
そっちこそどうしてこんな所にまで? 私を捜していた理由は?
大きな疑問をぶつけたいけど、駆け寄りたい衝動を奥歯を噛んで堪えるのに精一杯で何も話せない。
相手は私の様子から無言の問いかけを理解したのかもしれない。王太子アントンが代表して言葉を掛けてきた。
「誤解するなよ。お前を追ってきたのは、お前のこの所の奇行を我らのせいにされても困るからだ。袖にされて自棄になって無茶苦茶したんだろう? あんな暴挙、お前自身のためにもならないだろうし、もうやめるんだ」
残りの二人も王太子の台詞に頷くようにする。
「逆に憐れ過ぎて見ていられない気持ちになる。ああやって気を引くつもりなら無駄だしな。もう淑女らしからぬ行動はやめるんだ」
色んな意味で何も言えないでいる私へと三人はより近寄ってくる。
こんな風に言われるなんて不本意極まりないけど、強制力はいつでもどこでも元気に発揮されるのが常。
「――っ、は、はあっ」
彼らを前にする私の頬が紅潮し目が潤んで呼吸が荒くなる。今すぐにでも抱き付きたいって強烈な欲求が湧き上がってきたから押さえるしかない。
嫌よ嫌よ嫌っ。あんな男達を慕っているなんて脇役設定も、世間からそう見られているのも、あたかも触れるだけで至福の快楽を得られるみたいに熱く手を伸ばそうとする呪われたこの自分も。目の前の三人も。
――大嫌い!
ここで変な真似をすれば負けよ。何としても耐えなくちゃ。彼らが口ではどう言おうと据え膳を喜ぶ最低な本性を持つ輩なら尚更に貞操が危ぶまれる。もしそうなら人生詰むわ。
絶えず揺れる瞳で見つめながら距離を取ろうと後ろに下がる。彼らを求める呪いがその足を鈍らせようとしたけど、踏ん張った。向こうもまだ何か言いたいのか去る気配もなく、どころかこっちの様子から目を離さないで接近してくる。
まだ文句があるの? それとも揶揄うつもり? 息を上げながらも下がってまた下がってってしていたら踵が浮いた。池のまさに端に追い詰められたわけよ。
ああ、欲情に痺れそうになる肉体と、氷水に飛び込んだような精神と。
だけどもう逃げられない。彼らから指先一つでも触れられたらもうおしまい。
ここにはフィンガーボウルもグラスの水も噴水もない。
頭を冷やすものは何も――――チャプン、と微かに聞こえたのは足元の水音。
風で水面が波立って岸に当たったんだろう。
あ、水……。
そうよ退路は広々あったじゃない。
王宮池の水深は胸くらいまでだったはず。記憶違いで多少深くても彼らを回避できるなら構わない。また奇行をってドン引かせてその間に岸に上がって去ればいいんだわ。
こんな場合は思い立ったら即実行が最善と、私は抗えなくなる前に全力で躊躇いなく三人に背を向けるや地を蹴った。
「聖騎士様……っ」
声にならない声が紡ぐ。
浄化が目的じゃなく、どうしても彼に会いたくて堪らない気持ちになった。今日まで距離を置いていたのをとても後悔しているわ。
この場を乗り切ってきっと私から会いに行く。その時はただあなたに会うためだけに。
どうか音沙汰のなかったからと私に機嫌を損ねないでね。
目尻に滲んだ涙が夜風に弾けた。