浄化と恋の天秤
彼は大慌てで私を立たせてくれた。こんな場面を仲間の誰かに見られたら誤解されかねないものね。
「わ、わかったからご令嬢! 浄化が必要になったなら急ぎここに来るといい。ただしくれぐれも注意して動いてくれ。うっかり同僚に抱き付きでもしたら大変だ。きっと童貞喪失だと大騒ぎする」
「……え? 抱き付くだけで、喪失?」
「うぶで思い込みの激しい者が多いんだよ。もう聖騎士できないと失意のうちに首を括りかねないから、本当にそこは頼むな」
「はあ……」
聖騎士の生態ってよくわからない。きちんと情操教育受けていないのかしら。それにしてはこの人はまともそう。聖騎士しているから多分経験自体はないんだろうけど。
とにかく、私の頼みの綱はこの駆け込み寺もとい聖騎士様。
「わかりました。重々注意するよう肝に銘じます! お願いします聖騎士様っ!」
麗し顔の聖騎士は、まだどことなく戸惑ったようにしながらもしかと頷いてくれた。
それからは……――
「は、アぁん、聖騎士っ様、お願いしま、っすぅん!」
「……わかったから、声を少し落としてくれ」
中庭での彼の読書タイムに駆け込んだり、
「せ、聖騎士さ、ま……っ、お願……っ」
「ご令嬢!?」
礼拝中だった彼の姿を見た途端限界で倒れ込んだり、
「聖騎士様っ、はあっ、こ、ここにいらしたのですねっ、お願いしまっ、ああっ、す……っ」
「……ここでは少し不適切だから場所を移そう」
俗に言うトイレでようやく彼を見つけた事もあった。あの時は彼が用を足した後で良かったと思う、あと他の男性が使ってもいなくて、ホント。
いつも私は切迫していて勢いで彼の手を掴んじゃう事が多いんだけど、それは浄化は手を握ってもらってするからなのよね。一秒でも早く楽になりたいって気持ちからよ。だから一応言っておくとあの時の彼は手を洗ってハンカチで拭いていた所だった。
何故か奇跡の確率でと言うか恐ろしい程の偶然で、大聖堂に駆け込むその都度私は他の誰かに会う前に彼を見つけられた。
運命って言えるのかもしれないけど、そこにはまだまだ私の中の恋愛への警戒感があったからか、自分でも恋愛方面だとは全く考えてはいなかった。
一つ言えるのは、毎度毎度と助けを求め、浄化が終わるとホッとして、気付けば彼の傍は心地いいと思うようになっていたって事かな。
時には気を張っていた疲労もあって浄化後にうっかり寄り掛かってしまうなんて失礼も何度とやらかした。全く、列車内だったら迷惑客なところだわ。
私がそんな風に小さな失態を繰り返したせいか、近頃じゃ笑いかけるだけで向こうの様子が挙動不審になるから、きっとこのアマ行儀作法を一から習い直してこいやとでも思われているんだろう。なるべく度を超さないように心掛けはしたんだけど、正直どう思われているのかはわからない。本当は嫌なのを聖騎士の務めと頑張ってくれているのかもしれない。
そんな日常が過ぎていたある夜の貴族主催の舞踏会。
そこには私の天敵、三大男性キャラが来ていた。
嘘でしょーって絶望の境地で強制力によって例の如く私は三人の元へとてんてけ~って感じで駆け寄ったわ。
「はぁふっ、アントン様もロイ様もパーシー様もお変わりなく素敵ですわ~っ」
私は強烈な魅了の衝動に抗えずとろんとした目で体を寄せて女の武器での誘惑をしようとした。私の他にも同じ役回りの二人の令嬢もいて、三人で三人を取り囲んだ。舞踏会の周囲の人達はいつもの光景かと然したる興味もなさそうに、或いは優良株三人へと節操なく群がる私達へと嫉妬も孕んだ蔑んだ目を向けていた。
男性キャラ三人の眼差しは言わずもがな、零下。下手をすると不敬罪だと王太子辺りから捕縛命令が出されかねない剣呑さが漂った。
こんな恥ずかしい行動を望んでなんていないのに、操りの魔法でも掛けられたように自由が利かない。表面的にはうっとりはあはあしているのに内心じゃこの上ない嫌悪感で泣きそうよ。
言い方は際どいけど好きでもない男に勝手に反応するなんて屈辱以外の何物でもない。
「毎度毎度何なんだこいつらは? もう限界だ!」
王太子アントンが低く吐き捨てた。彼は一般的な聖騎士顔負けの生真面目と言うか潔癖キャラだから、女性からの過度な接触を毛嫌いするのよね。あとヒロインに惚れたら一途に彼女だけに尽くすタイプ。
とうとう堪忍袋の緒が切れたようにしたけど、ほぼ同時に私は私でどうにかこの場を離れようとヤケクソみたいに力を入れて踵を返していた。
「警備兵! 無礼なこの娘共を捕らえ――」
ええっ嘘ーっっ!?
「――レイリー嬢、悪い待たせた」
へ……?
トン、と私は後ろの正面にいた誰かにぶつかって鼻を押さえる。
「あ……聖騎士様……」
何と見上げた先には聖騎士ユリウスがいた。
いつも見る騎士の出で立ちじゃなくて夜会に貴族の男性が着るタキシードって盛装の。
幸い、彼が遮るように言葉を掛けてきたおかげで王太子は毒気を抜かれたようにして言葉を呑み込んだ。
ああ……助かった……。
思わずホッとしたら涙腺が緩んで涙ぐんだ。
「行こうかレイリー嬢。殿下方、俺のパートナーの相手をして頂き心より感謝致します。では我々はこれで」
腕を差し出され、私は夢心地で手を絡めた。
三人に魅了されていたはずなのに、どうしてなのかすんなりと場を後にできた。これも聖騎士の力なのかもしれない。
会場を出て乗り込んだのは彼の手配した馬車。御者に出発を命じる姿は聖騎士なのに慣れていて貴族の青年みたいだわ。
彼の手に浄化されながらまじまじと見つめていたら、私の視線を感じていたのかすっと視線を上げて目を合わせてきた。
「何か?」
「えっ、や、ええと今夜は助かりました本当にありがとうございました! あと素敵な衣装ですね。今夜の立ち居振舞いも騎士様と言うよりもどこかの貴族のようでした。とても魅力的です」
「魅力的……」
「ああっいえっ清らかなる聖騎士様に何を言っているんでしょうね私ったら! そ、そもそも招待状なしにどうやって会場に入ったのですか?」
彼は意外そうにした。次に少しがっかりしたようにも。
「てっきり知っているかと思っていたが……だよな、そこまで興味はないか。今のも社交辞令だろうし」
「はい?」
「いや、これでも実家は辺境貴族だから、一応招待状は持っているんだよ」
「まあ、ごめんなさい存じ上げませんでした」
浄化も終わりリラックスした私は向かいの席の聖騎士を見据えた。一方、車窓へと目を逸らした彼はどことなく自棄を滲ませたようにも見えたけど、気のせいか常の平静な顔付きだった。
「ところで聖騎士様、私と一緒に帰ってきてしまって宜しかったのですか? 窮地を救って下さり助かりましたけど、てっきりあなたは戻ると思っていました。夜会に出向いたのも、もしやどなたか会いたい方がいらっしゃったからでは?」
何故か彼はじっとこっちを見つめた。
「たまには参加しようかと言う気になって行ってみたものの、やっぱりああいう場所は好きじゃないみたいだ。全然気分が乗らなかった。偶然にも君が居てピンチを救えたから行った甲斐は十分あったが」
彼はどこか満足を浮かべて微笑んだ。
その綺麗でハンサム抜群な笑顔から私は暫し目を離せなかった。
「ご令嬢?」
「あっ、ええとそのっ、私も、そう言って頂けて光栄です」
はたと我に返り、誤魔化すように慌てて微笑んで向かいへと少し身を乗り出す。
「聖騎士様、これからもどうか宜しくお願いしますね!」
意気込む私の鼻息が荒かったからか、彼は今度は少し可笑しそうに口元を上げた。
馬車の中ではずっと頬が熱かった。これはきっと夜会での余韻だわ。
この時は、浄化後はすっかり平静さを取り戻すはずだってこれまでを忘れて私は本気でそんな風に思っていた。
いつになく落ち着かない気分がどうしようもなくなる前に馬車は伯爵家の門前に着いたから、私は改めてのお礼を口に馬車を降りた。彼は先に降りて手を差し出して、私が降りるのを補助してもくれた。うん、騎士と言うか紳士の鑑ね。
貴族令嬢達が彼を見てキャーキャー言うのがよくわかる。見た目だけじゃない内面も素敵な王国の聖騎士様よ。
時々こんな風にヒーローみたいに助けてくれたりもする彼と出会って大聖堂に駆け込み続けておよそ一年、私は十九歳になった。
結婚時期の早い貴族社会では誰かと結婚していても全然おかしくない年齢よ。
まだ誰とも婚約すらしていないのもあって、私は口さがない一部の人達からは行き遅れ令嬢って陰で言われている。でも主役の男性キャラ達だって私よりも上なのにまだ未婚だし、私は私で晩婚化の現代国家からの転生者だから余計に気にならないでいる。
まあこれじゃあ呪い云々抜きにしても望んだロマンスは訪れないかもしれないけど、それならそれで他の方法で人生楽しく生きなくちゃねって思うようになっていた。
ああ当然聖騎士ユリウスも未婚。顔見知りの聖騎士達だって未婚だわ。
王国騎士に転向するんじゃなく生涯を王国「聖」騎士として生きると決めた者は例外なく未婚らしいから不思議じゃない。純潔が守られるってわけね。身を汚すって言い方はあれだけど経験しちゃうと聖なる力が使えなくなるって言われているんだからさもあらんよね。
ぶっちゃけ、現代人だった私の感覚からするとそれがどこまで本当なのか聞いた当初は疑ったけど、いわゆる経験者の元聖騎士は悉く聖なる力が使えないって聞いたからそうなのかもって今は半分そう思ってもいた。だからと言って単なる抱擁がアウトだとは思わないけど。
話を戻すと、前も言ったように聖騎士ユリウスが傍にいる時間は私の安らぎになっていたし、たまーに不自然な動悸がしたりはあったけど概ね関係は良好だったの。
だけどとある先日、駆け込んだ夜の大聖堂で、私はしばらくは彼に頼れない、接近できないって思った。
この、知らないうちに芽吹いていた仄かな恋情が落ち着くまではって。
強制魅了のような嫌なのに上辺だけは浮かれて言い寄るなんておかしな衝動はなく、彼からの魅了は私の意思で立ち止まれたから別種のものなんだろう。だけどそれもいつあの三人へと同じく狂気にも似た性的衝動に変わるかわからない。
浄化って解決方法を失うのが怖い。
今以上の迷惑になりたくない。
そんな風にして――嫌われたくない。
自覚してからのこの三ヶ月、そんなわけで彼には一切会っていなかった。