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ただ幸せになりたかった

江戸中期くらいと思ってください。

「美都!悪いが総太郎とは別れてもらうよ!理由?お前はこの家に嫁いできて何年たった?嫁としてのつとめも果たさず、タダ飯喰いの女は家には必要無いんだ!」

 さっさと荷物をまとめて出て行っておくれ!


 そう言われて婚家から出された私と元夫とはお見合いで結婚。

 当時私はあるお武家様の家で奉公をしており、その縁で加賀見屋の総太郎さまと結婚した。

 当時私は18歳。総太郎さまは25歳。

 私の家は父が一応城勤めを果たしてはいるが、雑用ばかりの(私が奉公に上がらないと生活が苦しい)下級武士。

 まだ弟と幼い妹が2人いるため、住み込みで仕事を探さないといけない・・


(せめてもの救いはお金を持たせてくれたことね!当分は私が帰っても生活していけるわ。)


 実家へ帰ると加賀見屋から連絡がいってた様で、帰りが遅い私を両親と弟が心配して待っていた。

 頂いたお金を渡すと、


「しばらくの間ゆっくり体を休めなさい。」

と母が言ってくれた。


 何年かぶりの温かい食事とお風呂に、涙が出ていた。

 我慢していた涙は一度出ると、なかなか止まらなく次から次へと溢れてくる。

 妹たちと布団を並べ横になる。始め騒いでいた妹たちもすぐに両隣から寝息が聞こえてきた。


(こんな時間に布団へ入ったのは結婚した日以来かしら?)

そう思える程に働き詰めだったと思い出す。


 結婚した次の日の朝から嫁の仕事だと言われ、使用人と一緒に朝餉の準備。

 家人とは一緒に食べる事を許されず、使用人たちと冷えたご飯を食べる。

 加賀見屋は代々続く米問屋だが、女は表に出るな!と言われ一度も顔を出した事は無かった。

 嫁と言ってもやる事は使用人と同じ、洗濯やら掃除やら。そして夕餉の支度が終わると今度はお風呂の準備。夫は食事が終わると直ぐお風呂に入るためだ。

 なぜか嫁である私では無く、女中が夫の背中を流している。

 外で薪を焚いているため、中の様子が聞こえてくる。

 今思えばあの女中、わざと私に聞こえるようにしていたわね・・

 加賀見屋は使用人たちにも一緒のお風呂を使わせる。

 住み込みの人たちは少ないが、それでも全員入るとなると遅くなる。

 しかも最後は嫁が風呂桶を洗わなければならない。

 その時は一生懸命だったけど、思えば最初から私は使用人たちからも若奥様として見られてはいなかったのだ。

 屋敷から出る事も許されず、使用人と変わらない扱いを受けていた。

 ただ一つ使用人と違う仕事と言えば、子作りである。

 深夜にやっと横になれても、夫からの声が掛かれば無視する事も出来ず応じる。

 夫の気分で呼ばれるため、私はいつも寝不足の状態だった。


(そう言えば最中に寝てしまって、次の日お姑さまから叱られた事もあったわね!)


 なぜお姑さまが知っていたのか?

 その時は深く考える余裕も無かったわね。


(私は頑張ったわ・・3年半、長かった・・)


私はまた、声を殺して泣いた。



 離縁されて2ヶ月後、加賀見屋に跡取り息子が産まれたと母が聞いてきた。

 お米を買いに行った母にお姑さまは大喜びで話して来たと。それはまるで、


[お宅の娘は石女だった!離縁して正解だった!]


 と言っている様だったと。さすがに言い過ぎたと思ったのか米を少し、おまけしてくれたそうだ。

 その後声を掛けて来た呉服屋の女中が、

何でもその女性は私と結婚する前からの仲で、身分的に許して貰えなかったが子供が出来た事で許されたそうだ。


(あっ、だから私は邪魔になったのね!)


子供が産まれてこなくて良かったと、本気で思った。


 それから半月後、私が街へ買い物へ来ていると、


「あれ?美都じゃ無いか?」


と声を掛けられた。

 振り返るとそこには元夫の総太郎さまがいた。後ろに丁稚がいた為どこかへ行った帰りだろう。


「総太郎さま、お久しぶりでございます。」

「ああ、元気だったかい?話しは聞いていると思うが、息子が産まれてね。今はお祝いのお返しに廻っていたんだよ。美都は今何をしているんだい?」

「私は今も・・実家におります。」


 何とも白々しい・・

 何とか離れようとするも話しを振ってくるから離れる事ができない。


「美都は昔の姿に戻った様だね。その位が丁度良いと思うぞ。」


 そう言いながら嫌な目で見てくるのがわかる。

 食べる物も寝る時間も満足に与えられ無ければ、嫌でも痩せる。

 この人は本当に私を見ていなかったんだな!


「母に頼まれた物を取りに行きますので、これで・・」

「それならそこの辰三に頼めばよ・」

「もしかして美都かい?」


 声の方へ振り向くと、そこには結婚前に奉公していたお屋敷の若様が立っていた。

 名を榊原 周吾様と言う。

 一昨年、旦那様がお亡くなりになったと聞いた。

 当時私は商家に嫁いでいた為、代わりに父母に顔を出してもらった。


(旦那様にもとても良くして頂いて、嫁いでからはお屋敷での事ばかり思い出していたな・・)


若様に頭を下げて挨拶すると


「話しは聞いたぞ。大変だったな?今は実家か?」

「はい、恥ずかしながら出戻りで迷惑をかけております。今も勤め先を探してはいるのですが・・」


 元夫が後ろにいるが立場では若様のが上だ。

 後ろで総太郎さまも頭を下げている。


「そちらは確か・・」


若様が総太郎さまへ声を掛ける。


「わたくしは美都の元夫で、加賀見屋の総太郎と申します。」

「別れた夫が何用か?こんな人通りの多い所で・・

すまぬが美都に用事がある故失礼する。」


良いか?と目で言われた気がした。


「若様の御用ならば、総太郎さま失礼致します。」

軽く頭を下げ、若様の後に続いて歩いた。


「若様、改めてお久しぶりでございます。それと・・助けて頂きありがとうございました。」

「ああ、店を出たら目の前で・・。いや、実は美都の話しを聞いて探していたんだ。」


 今はお茶屋で休んでいる。

 私は立場的にお断りしたが、良いから座って・・と言われ隣でお茶を頂いているのだが・・


「どこか働き口が見つかったのか?」

私は頭を横に振る。


「この歳になるとなかなか見つからなくて・・」


 恥ずかしいのを誤魔化すように笑って答える。

 若様は少し考えた様なしぐさをし、


「ならばまた家に来て貰えないか?美都の後に来ていた女中が腰を痛めてしまい先月辞めてしまって。母上もお年を召して何かと大変で・・」

 出来たら母上を助けてやって欲しい。


 私は家へ帰るとすぐに両親へ話し、次の日にお屋敷へと顔を出した。

 奥様は若様から話しを聞いていた様で、


「まぁまぁ美都!大人の女性になって!周吾から話しは聞いてますよ。またよろしくお願いしますね。」

と嬉しい声をかけて頂いた。


 私の後に来ていた女性は40過ぎの後家さんで、腰を痛めた後は息子夫婦の元へ行ったと話してくれた。

 その後は奥様1人で家事をこなしていたが、ある時段差で転んで膝を痛めてしまってからは思うように動けなくなってしまったそうだ。

 その日は何の準備もしていなかった為、夕餉とお風呂の準備だけして帰る。

 明日から住み込みで働かせて頂ける事となった為、

家に帰り荷物をまとめる。

 通いでも良いと奥様は言ったが、住み込みの方がより奥様の手助けが出来るのでお願いした。

 荷造りをしたが出戻りもあってか、持って行く物も少なかった。

 またあのお屋敷で働ける。

 そう思っただけで嬉しくて、自然と顔が緩んでしまった。


 周吾さまは私の初恋の相手だった。

 使用人の私に対しても優しく親切で、高圧的な態度も怒鳴られた事だって一度もない。

 近所の女中たちにも優しく、これで惚れない人がいたら会ってみたい!と思う。だから周吾さまのお屋敷で働いてるだけで、周りの女性から妬まれたものだ。


 その反面元夫はとにかく威張り散らし、使用人の前でも平気で手を上げ暴言を吐くため、いつも肩身の狭い思いをしていた。

 実は一度だけ妊娠した事があったが、その時も酔って帰ってきた夫に無理やり乱暴に抱かれ、流産してしまったのだが・・


「母親としての自覚が足りないから流れるんだ!」

と、寒い冬空の下で仕事をさせられ高熱を出して寝込んでしまった。


(ああ、1人だけ看病してくれた人いたわね。その後すぐに居なくなったから、きっと辞めさせられたのね。)


 その人のおかげで今生きている!

 いつか会えたらお礼が言いたいな!


「何やらご機嫌ね。そこの掃除が終わったら薪割りをお願いしても良いかしら?」

「はっはい!もちろんです、奥様!」


 つい昔の事を思い出してしまった!

ダメダメ、気をしっかり持たなきゃ!

 そう思いながら薪割りし、お風呂の準備を始めた。

 周吾様は羊の刻に帰ってきて、先にお風呂へと入られる。

 その次は足の悪い奥様の手伝いで、お風呂の介助。


「母上とはいえ女性のお風呂に一緒に入るのは・・

美都が来てくれて本当に助かった。」


 そう言ってもらえる事がとても嬉しい。

 前の結婚では得られなかった幸せが今得られている。


「わたくしこそ、また奥様や若様に奉公できた事が嬉しくて感謝しております。」


 このまま穏やかな日々が続けば良い。

 そう思っていたある日、お寺へ亡き旦那様のお墓参りに出掛けた奥様が倒れた。

 正確に言うと、旦那様のお墓の前でうずくまっていた所を住職さまが見つけたと・・

 小坊主が屋敷に来たとき、若様がちょうど城から戻られたところで私と一緒にお寺へと向かった。

 通された部屋で横たわった奥様はすでに息を引き取っており、住職さまが経をよんでいた。



 次の日、奥様の葬儀はそのままお寺で行われ、

若様は気丈にも喪主を務められた。

 私は実母と近所の方たちとで葬儀の準備をし、奥様を思って泣いたのは葬儀が全て終わった後だった。

 元夫と離縁して、こちらの屋敷へ奉公へきて3年。

だんだん足腰が悪くなる奥様を支え、床に伏せる事も多かった奥様。

 その日は珍しく気分が良いからお墓参りに行きたいと奥様から頼まれた。

 そして亡き旦那様と話す事があるからと、半刻後に迎えに来て欲しいと言われ私は奥様を残し屋敷へと戻った。


(なぜあの日わたしは奥様を1人おいて帰って来たのだろう。奥様についていれば、助けられたかも知れないのに・・)


 自分に対し怒りと、奥様への懺悔と後悔で食事の量が減っていった。


「美都、きちんと食事は摂っているのか?」


 最近の若様は仕事が忙しいのかお城で寝泊まりする事が多かった。

 この日も7日振りに屋敷へ帰って来て、若様に夕餉の膳を出した所だった。


「ある物を口にしておりました。」

そう答えながらご飯茶碗を渡す。

「あっ、今日は米も炊きましたので後でちゃんと頂きます。」

「・・ならばここで一緒に食べてくれないか?今までは母上と食べていたが何か1人で食べるのは味気なく・・」

「とんでもございません!若様と一緒に食べるなんて!」

「言っただろ?1人で食べるのは味気ないと・・

それに一緒にたべれば美都も嫌でも食べるだろ?」

 ほら、早く膳を持っておいで!


 そう言われ断る事も出来なかった私はその日から、若様と一緒にご飯を食べる事となった。

 奥様の四十九日も終わり落ち着いてきたある日、若様の叔母[亡き旦那様の妹]様が訪ねてきた。

 1人になった若様を心配してお見合いの話しを持ってきた様子。

 私はお茶をお出しし、直ぐに下がった。


庭を箒で掃いていると、


「良いお返事を待っていますよ。」


 と声が聞こえてきた。

 急いで玄関まで廻り頭を下げる。

 少し叔母様の視線を頭で感じたが、目下の者が声が掛かる前に頭を上げる事は御法度とされている為しばし待つ。

すると、


「お前が奉公人か?」

「はっはい!坂田幹二郎が娘、美都と申します。3年ほど前からこちらで奉公させて頂いております。」


 久しぶりの挨拶に舌を噛まずに言えた!

 そう安心していると


「大通りまで着いておいで。」


 若様を見ると

(頼む)と目で言われた気がした。

 大通りの手前で叔母様は急に立ち止まり、後ろも向かずに


「離縁された後、周吾の身の回りの世話をしていると聞いた。間違い無いか?」

「はい、離縁され実家に戻った折り街で若様にお声を掛けて頂きました。奥様のお手伝いをして欲しいと。」

「そうか」


 叔母様は身体を半分だけ私へと向け、


「お前の再嫁先も考えないといけないね。周吾が嫁を娶ったらお前が居るのは良く無いからね。」


 そう言うと私の返事もまたず、

 そのまま待たせていた籠に乗り帰って行った。


 そんな話しだろうと思っていた。

 奥様が亡くなり家の存続を考えると嫁を娶り、子を作らなければならない。

 私では身分が釣り合わない。

 わかっていた。

 いつか若様が妻を娶り家督を継ぐ。

 いやもう継いでいる。

 本来なら若奥様がいても不思議では無い。


(なぜ若様はご結婚されて居ないのだろう・・)



 夕餉の後片付けをしていると、お風呂から上がった若様が台所へと顔を出した。


「お水でございますか?」

「いや、叔母上に何か言われたか?帰ってからの顔色が悪い。」

「・・再婚する気は・・無いのか?と・・」


 嘘では無い。

 私の再嫁先を見つけると言っていたから・・


「また勝手なことを・・」


 水瓶から柄杓で水を掬うと、そのまま口にする。

 その姿は何と絵になることか・・

 若様の姿に釘付けになる。


「美都?どうした?」

「いえ、すみません」


 直ぐに顔を逸らし洗い物の続きをする。

 今顔を見られてはダメだ。

 誤魔化すように洗い続ける。


「美都はいくつになる?歳の事だ。」

「?年が明けたら24になります。」

なぜ急に私の歳を聞くのだろう・・


「そうか・・」

若様は人差し指を顎に当て、少し考える。


「叔母上の言葉は忘れろ。そうだな、年が明けたら忙しくなる。美都もそのつもりでいて欲しい。」

「??何かございますか?」

「ああ、年が明けたら家督を継ぐ。その為に親戚一同を迎えねばならない。美都にも迷惑かけるがよろしく頼む。」

「家督を継がれるのですか!おめでとう御座います。何を準備したら良いのでしょうか?まだ少し時間がありますね!お任せ下さいませ!若様が恥をかかぬ様しっかり準備致します!」

 私はパッと若様に顔を向け、両手で拳を作った。


 実家の母や近所の奥さん達の手を借りて親戚の方々の御膳の準備も整った頃、叔母様から私と母にも話しを聞いて欲しいと言われお座敷の隅へ腰掛けた。

 話しは無事、周吾さまが榊原家の家督を継いだ事。

それに伴い財産の目録も周吾様へ渡された。

 これで名実共に周吾様が榊原家の当主と認められた。

 奥様がいらしたら大喜びされた事でしょう。と叔母様もご親戚一同も皆、祝福した。


「周吾も無事家督を継ぎ、あとは奥方をお迎えせねばな!」

「そうだな!早く後継を作って貰わねばワシらも安心出来んでなぁ。」


 ハハハと、どこからとも無く声がした。

 もちろん親戚一同が集まる場だ。そんな話しも出る事はわかっていた。

 周吾様は少し驚いた顔をしたが、予想していたのか


「少しばかりの膳を用意しました。ここからは膳を囲んで話しましょう。美都頼む。」

「膳のご用意は出来ております。こちらへいらして下さいませ。」


 私は頭を下げたあと母に案内を頼んだ。

 若様改め旦那様の着替えを手伝う為、共に奥へ下がろうとした私たちの行動が気に障ったのか


「お前はただの女中であろう。奥方気取りは気に入らぬ、周吾の着替えは人を用意しています。お入りなさい。」


 そう言われ入って来たのは見るからに女中ではない。


「本当は先程皆に紹介しようと思っていました。こちらは夫の親戚すじの田辺 美子さんです。

周吾とも年廻りが近いしどうかと思って来て頂いたの。」


 紹介されたお嬢様のお父上、田辺善右衛門様は旦那様の上司に当たる方。

 親戚すじとは言ったが、そう言わないと旦那様が納得しないと知ってのこと。


「お前はあちらの手伝いを!」


 と言われてしまえばもう従うしかない。

 頭を下げてその場を離れた。


 その後半刻ほど過ぎた頃、旦那様と叔母様と美子様が現れた。

 叔母様は先ほど旦那様へ伝えたまま、親戚一同に美子様を紹介した。これはもう断る事が出来ない紹介だった。

 改めて田辺家との顔合わせの場を設ける事となり、その日は終わりを告げた。

 叔母様と美子様は旦那様と何やら話している。

 母を帰した後、私は1人後片付けをしていた。


「周吾も嫁を娶る事になる。お前もこの屋敷から出る準備をせねばな。一度は親御の元へ戻りなさい。」


 急に話しかけられて驚きながら振り向くと、いつの間にか叔母様が台所に立っていた。

 私は頭を下げる事も忘れ


「あの、私がこの屋敷を離れたらどなたが旦那様の世話を?」

「田辺家より数人の使用人が来る事になっている。

美子様が輿入れした際はさらに増えるだろう。

お前が心配する事ではない。」

「・・・・」

 拒否権のない、命令だった。



 10日後、田辺家から使用人が送られて来た。

 旦那様は私が出て行く事を反対していたが、榊原家よりも上の立場である田辺家からの話しを蹴ることも出来ず、最後は黙って快諾した。

 思っていた以上のお金と共に、奥様のかんざしや着物の帯も頂いた。


「美都が身に付けてくれたら、母上もお喜びになるだろう。」と。

「短い間でしたが奥様と旦那様にお使い出来た事、美都は嬉しく思います。どうかお身体を大切になさって下さいませ。」


 精一杯の言葉だった。

 涙を見られないよう、顔を下げたまま屋敷を出た。

 自宅へ戻っても何も手に付かない。

 弟も嫁を取り、腹に子もいる。

 私がいつまでも居たら迷惑になるだろう。

 それに・・


「美都、榊原家周吾様の叔母上よりお前の再嫁先のお話しがあったが・・」


 父の元に書状が届いたようだ。

聞くと隣り町の呉服屋の、最近息子に家督を譲ったばかりの私より30も歳が離れた方。

 顔合わせの日まで決まっていて、


[断れば周吾の顔に泥を振る事になる。]


 とまで書かれていれば、もはや断る事も出来ない。

 周吾様から離れたいま、誰の元へ再嫁してもおなじ。

 妾にならないだけ幸せなのだろう。

 実際にお会いした長兵衛さまはとても穏やかな方で、


「今までは親から譲り受けたお店を守る事に精一杯で、嫁にも辛い思いをさせたまま逝かせてしまった。あなたとの話しも亡き妻への罪滅ぼしなんですよ。」


 私の加賀見屋での仕打ちを耳にしていたそうで、亡き奥様も同じ思いをしていたのでは?と思ったそうだ。


「私は人生残り少ない。最後は穏やかに過ごしたい。若いあなたに面倒を見させるのは偲びないが、どうか一緒に過ごして貰えないかい?」


 一月後、私は長兵衛様の元へ嫁いだ。

 お互い再婚同士のため祝言は行わず、両家顔合わせだけで済ませた。

 さらに半年後、榊原家当主の元へ田辺家の息女が輿入れしたと風の便りで聞いた。


(周吾様、どうかお幸せに・・)


 今は夫となった長兵衛と、少ない使用人と共に穏やかで静かな生活を送っている。


(私はイビキが凄くてね、美都の眠りを妨げたくは無いから・・)


 と、輿入れした次の日から寝所は別。

 それでも何かあったら心配だと無理を言って、私の寝所は隣りの部屋にしてもらった。

 とても幸せな日々。

 夫となった長兵衛は、月に一度本家の店へと顔を出す。息子へ任せたと言ってもやはり御贔屓もおり、4日ほど家を空けている。

 息子と言っても美都よりも年上、その妻も当然美都より年上なのだが関係はとても良好だ。

 時々本家から送られるお菓子に、夫と使用人たちとお茶をしながら美味しく頂く。

 子供には恵まれないが、静かで楽しい生活を送っていたある冬の日。

その年はタチの悪い風邪が流行った。

 月に一度、本家へ顔を出した夫が孫にうつされてしまったと、赤い顔をして帰って来た。

 私は急いで寝床の準備をさせ、使用人に医師を呼ばせた。

 見立てはやはり町で流行っている風邪。

 ただ今年は特に悪く、すでに何人もの死者を出しておりまだ増えるだろう。と言われた。

 医師の言葉通りどんどん悪化していく夫。

そして、本家から帰って10日後・・


 夫は静かに息を引き取った。



 幸い我が屋敷は町から離れていたため夫以外は無事だったが、町に住む父親が病にかかり命は取り留めたが咳の後遺症なのか?いまだに咳で苦しんでいる。


 夫の葬儀は本家で取り行われた。

本来本妻である美都も親族として参列する立場ではあるが、親戚にも伝えていないため遠縁席に座った。

 葬儀に参列させて貰えるだけで嬉しかった。

四十九日まで居て欲しい。と言われたが、夫と暮らした屋敷で使用人たちと偲びたかった。


 四十九日も過ぎ初夏に差し掛かったある日、屋敷に珍しい人が訪れた。

 元夫の総太郎だった。

奇しくも亡き夫と同じ流行り病で長男と姑が亡くなったと・・

 娘がいる為、跡目は娘に継がせる予定だと・・

 ただ妻が手代と駆け落ちしてしまったそうだ。


「恥ずかしい話し、母はカネにも君と同じ事をしていたらしい。いや、君よりはまだ子供を産んだだけ良かったと思うが・・」


 姑は息子の子を産んだ事は認めたが、やはり身分が気に入らなかったそうだ。

 ことある事に私と比べ、他家の嫁と比べ、最後は私と同じ下級武士の使用人を総太郎に当てがったそうだ。


「その女は何となく君に雰囲気が似ていたし、カネも忙しいと言って私の相手をしなくなったんだ。」


 そんな時に言い寄られたら男は我慢なんて出来ないだろ?

 あくまで自分は悪く無い。

 手代と駆け落ちした妻が悪い。


 そう言い続ける彼にますます嫌気が込み上げる。

亡き夫とは夜を共にはしていないが、常に私や使用人の事を気にかけて優しい言葉を掛けてくれていた。

旦那(若)様もそう。決して使用人に対してそんな態度をとった事もとられた事も無い。


「それで、加賀見屋の旦那様は何をしにこちらへと足を運ばれたのでしょうか?」

「ああ、そうだったね。今娘は2歳になったばかりだけど母親が居ないのは可哀そうだろ?どうしたものかと思っていたら君も夫を亡くされたと聞き、それなら美都に母親代わりをお願いしたくて伺ったんだよ。」

「・・・・」

「引き受けてくれないかい?」

「下級武士の使用人の方はどうされたのですか?」

「まだ屋敷にいるよ。娘を我が子のように可愛がってはくれているが・・私は美都と寄りを戻したいと思っているんだよ。」


 私は軽く溜め息を吐いた。

 使用人では世間体が悪いが、元女房ならまだ対面が保たれる。

 それに、私が相手ならまた他に女が出来ても許されると思っているのだろう。


「申し訳ありませんが夫が亡くなりまだ日が浅いため、この話しは聞かなかった事と致しますのでどうかお帰り下さいませ。」


 深く頭を下げて拒絶の姿勢を取った。

 普通ならこれで引き下がるが、


「私は好きで美都と別れた訳ではないんだよ。あの時はとにかく跡取りを作れと周りから言われ、仕方なくカネと・・」

「奥様申し訳ありません。」

総太郎の言葉を遮るように使用人から声るを掛けられた。

普段はこんな事無いのだがきっと本家から使いか手紙が届いたのだろう。


「どうしました?」


と聞き返す。

「本家の旦那様よりお使いの方がお見えになり、半刻後に旦那様と奥様がお見えになられるそうです。」


いつもは呼ばれる事がほとんどだが、こちらに直接来る。

しかもご夫婦揃ってとは・・


「わかりました。すぐにお出迎えの支度をお願いします。加賀見屋の旦那様、申し訳ありませんが本家のご当主夫妻がお見えになりますので失礼致します。」


 使用人にお見送りを頼み総太郎には帰って頂いた。

 私は急いで着替えお迎えの準備を始めた。





「今何と仰られましたか?」


 半刻後ぴったりにお2人が見え、お座敷へお通しした。

 挨拶もそこそこにご当主に言われたのが


「驚くのも無理はない。私も驚いている。だか聞き違いでも、間違いでもない。」


そう言って一通の書状を出した。


「榊原家当主  榊原周吾様よりあなたへ

最嫁の申し込みです。」


震える手で受け取り、裏を見る。

確かに  美都へ とある。


「父が亡くなり半年。私達はこのままこの屋敷で過ごして貰っても構わないと思っていました。それが父の願いでもありましたし・・」


 手の震えが止まらない。

 なぜ今になって?

 周吾様も奥様を娶られて、確かお子様にも恵まれたと聞く。


「私達はあなたの決断を尊重します。このままここで住むのも良し。榊原家へ行くのも良し。その際は我が家から輿入れして頂くしその際の準備も致します。」

良く考えて決めてください。


 2人が帰られた後、亡き夫の文机で周吾様からの手紙を読んだ。

 奥様はもともとお身体が弱く、なかなかお子にも恵まれなかった。

 結婚3年後にやっと恵まれたが、身体の弱い所に暑さが重なりお産はかなり大変だったと・・

無事に跡取りとなる男児を産んだが産後の肥立が悪く、ずっと床に伏せていたが長兵衛と同じ流行りの病に罹り呆気なく亡くなったと。

跡取りの息子はまだ乳飲み子で、出来たら母親の愛情を注いで欲しい。との内容だった。

(そんな小さな子を、周吾様と乳母で・・他の使用人の方はいらっしゃらないのかしら?)


直接お話しを伺いたい事。

御子息にもお会いしたい事。を手紙にしたため送る。

それから3日後、榊原家の籠がお迎えが来た。

お屋敷に着き使用人の案内で周吾様のいる座敷へと通された。

久しぶりに会う初恋の方。

下げた頭を上げる事が出来ない。

すると


「ご夫君も亡くなられたと聞く。美都は眠れているかい?」


 奥様が亡くなられた際、御子息を引き取りたいと田辺家の当主に言われたが断ると、使用人全員を連れて行かれてしまったと。

 急いで乳母を探して来て貰ったが、ぼちぼち断乳の時期らしく困っていたところ私の実母に会って私の事を聞いたらしい。

 初めて会った若様も、直ぐに私になれてくれて私の腕の中で寝てしまった。

 こんなに可愛らしい子を抱いてしまうと、離れることなんて出来なくなってしまった。


「旦那様の奥方は、私には務まりません。ですが若様の側には居たいと思います。我儘を言いますが、またこちらで働かせて下さい。」


若様を腕に抱いたまま頭を下げる。

「私としては・・まぁ、よろしく頼む。」


 若様を乳母に預けて、その足で街の本家へ顔を出す。

 旦那様は寄り合いで出ていたが、奥様が対応してくれた。


「美都さんが決めた事なら、こちらは何も言いません。ですがこの先、何か困った事があれば遠慮なく来てくださいね。」


 そこからの動きは早く、私は3日後には榊原家へと入った。


 初めての子育ては楽しい事ばかりでは無く、大変な事のが多かった。

 それでも旦那様と若様の側でお仕え出来た事は、一番の幸せだった。

 旦那様は再婚せず、ずっと若様と私の事を温かく見守ってくれた。

 若様も少し反抗する時期もありましたが、父上である旦那様の姿を見て素直で優しい人に育ってくれた。


 若様が20歳の時、旦那様の親友である平原家のお嬢様と良い御縁を頂き、祝言を挙げた。

 今は3人のお子に恵まれ一番下は女の子。目に入れても痛くない程の可愛さがあります。


「お義母さま、沙江は寝てしまいましたね。」


 そう言って子供を引き取ったのは嫁の香代。

 実は2人の結納の十日前に旦那様と若様に呼ばれた私は、内心昔の事を思い出していた。


(新しい若奥様を迎えるのに、私が居ては面倒よね?)


 この生活も残り少ないのかしら・・

 そう思いながら旦那様の部屋へ着く。

 部屋へ入り暫くすると、


「美都、私の母になってはくれませんか?」

切り出したのは若様だった。


「あなたがずっと母代わりに私を育ててくれた。あなたのおかげで私は今があると思っています。

私には妻が出来る。これからは父の事を頼みたいのです。」

「もちろんです。若様がご結婚されても旦那様の事は最後まで見させて頂きますよ?」

「私が言いたいのは!」


若様が言おうとしたところ、旦那様が止めた。


「美都、私たちが言いたいのは・・美都も家族になって欲しいという事なんだよ。正式に私の妻となり、この子の母として式に出てほしいんだ。」

「・・・・」

「美都は私たちに沢山のものを与えてくれた。だからね・・」


 旦那様は私の前まで移動し、私の手を両手で握る。

「私たちが美都の家族になりたいんだ。」

 両の目から涙が溢れる。


 私の手を握る旦那様の手の上から、若様も握る。

「私にあなたの事を母と呼ばせては貰えませんか?」


 そんな事を言われて、拒否など出来ない。

 溢れ出る涙は止めることも出来ず、言葉も奪う。

 私は首を縦に振る事しか出来なかった。


 望んではいけないと、ずっと思っていた。

 旦那様と私では身分が違いすぎる。

 だから、2人の側に居られるだけで幸せだった。


 若様の結納の後、旦那様と私は祝言をあげた。

 花嫁道具は亡き夫の遺言だからと、本家が用意してくれた。

 白無垢は実母が用意してくれた。


「あなたが加賀見屋から戻った時に渡されたお金よ。いつかこんな日の為に取っておいたの!」

 と、着付けてくれた。



 今は家督を息子に譲り、旦那様と私は譲り受けた亡き夫と暮らした屋敷に住んでいる。

 言い出したのは旦那様で


「実は何度か来た事があるんだ。門をくぐる勇気が無くて、いつも外から見ていた。一度だけ、前の旦那さんに声を掛けられたよ。きっと私の事を知っていたんだね。」


 夕餉を食べたあと、2人で囲炉裏を囲んでお茶を飲んでいた。

 明日、家督を継いだ息子が嫁と孫を迎えに来るため、

 嫁は孫達と一緒に先に横になりに行った。


 旦那様は私の湯呑みにお茶を注ぎながら、

「もし自分に何かあったら、君を頼む。と・・」

「・・そうでしたか・・私は幸せ者ですね。」


 私は涙を誤魔化すために、注いでもらったお茶を飲む。

(長兵衛さま、私まだそちらには行けません。もう少し待っててくださいね。)


 片想いだった若様と、優しい息子と嫁。

 やんちゃな孫息子に愛らしい孫娘に囲まれて、もう少しだけこの幸せな時間を過ごしたい。


 今夜もまた2人静かな時間が過ぎていく。















その後の総太郎

出て行った妻が戻ってきましたが、手を付けた使用人が娘を手懐けており家内は騒然。

今までは母親が奥の事を取り仕切っていた為、2人の間に入る事が出来ず結局他の女の元へ逃げてしまう。

もともと学があり、他の使用人達からも一目置かれていた使用人に言い含められ、お金と共に屋敷を去って行きました。

戻った総太郎は使用人の女を妻にする事もせず、また新しい妻を娶る事も出来ず複数の妾の元を転々としながら仕事をしに屋敷へ戻る生活を送りました。


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