第五話 年の差結婚
「アーロン、どうしてこんなに迷ってしまうのか、自分でもわからないの」
わたしの心が揺れる。復讐という炎は、最初は勢いよく燃え盛っていたのに、今はその勢いを失ってしまったように感じる。カルロスへの怒りも、エミリアの裏切りも確かにわたしの中に存在している。けれど、その怒りを突き詰めるたびに、自分が何のために生きているのかが見えなくなってしまう。
「お前は、強い。だけど、その強さに惑わされるな」
アーロンの言葉はいつも冷静で、わたしの迷いを優しく包み込む。彼のそばにいると、少しだけでも心が安らぐのが不思議だ。まるで、彼の声がわたしの心の中の迷いを取り除いてくれるように。
「強さに惑わされる…?」
わたしの心が彼の言葉に引っかかる。強くあろうとすればするほど、その強さがわたし自身を蝕んでいるように感じる。強くなければならない、負けてはいけないと自分に言い聞かせていた。それなのに、その強さに何かを犠牲にしている気がしてならない。
「そうだ。お前は十分強いが、その強さをどこに向けるか、そこが大切だ」
アーロンの静かな声が、わたしの心の迷いを照らす。彼はわたしの支えであり、何も言わなくても内心を見透かすように理解してくれている。それが彼の優しさであり、同時に厳しさでもある。
カルロスの顔を目の前にして、一瞬息を呑んだ。彼は目の前に拘束されたまま座っているが、その目には以前の冷たい光が失われていた。だが、それでもわたしは私に敵意を向けている。それを感じ取るのは簡単なことだった。
「リリアーナ……君がここまで来るとは思ってもみなかったよ」
カルロスの声は、かつての自信に満ちていたものとはまるで違っていた。皮肉な笑みを浮かべているが、その裏には恐怖が見え隠れしている。
「あなたがわたしにしたことは忘れないわ。今日、あなたの罪が明らかにされるの」
私の声は静かだったが、震えはなかった。カルロスとの過去、そして彼が私に与えた裏切りは、今でも胸の奥で疼く傷となって残っている。だけど、今日はその傷に決着をつける日だ。
「罪? リリアーナ、僕は君を守ろうとしたんだ。君のために、すべてを犠牲にして」
カルロスの嘘が、わたしの心をさらに冷たくさせる。守ろうとした? それは彼の口先だけの言い訳に過ぎない。彼が私を裏切った瞬間、彼は私の人生をも支配しようとした。
「守る? いいえ、カルロス。あなたはわたしを利用しただけよ。そして、その結果が今ここにあるの」
わたしの言葉にカルロスは反応し、一瞬だけ彼の目に動揺が走った。その瞬間を見逃さなかったわたしは、自分が今優位に立っていることを確信する。それでも、心の中では何かが重くのしかかっていた。これで本当に終わるのだろうか?
法廷は静寂に包まれていた。わたしがカルロスを告発し、その罪が王国中に知れ渡る時が来た。だが、その瞬間、何か達成感を得ることができなかった。これで本当に良かったのかと自問する。この日を待ち望んでいたはずだったのに。
「リリアーナ、大丈夫だ。これでお前は自由になれる」
アーロンが優しく肩に手を置いてくれる。その手の温もりが、わたしの心にわずかな安らぎをもたらす。それでも、どこか心が満たされないままだった。カルロスへの復讐が終わっても、その後の自分がどうなるのか、まだ見えないままでいる。
「これで良かったのかは分からない。でも、これしかなかったのよ」
自分に言い聞かせるように呟いた。カルロスとの因縁が終わったとはいえ、わたしの心にはまだ解決していない部分が残っている。それが何なのか、今のわたしは分からない。ただ、今後の自分がどこへ向かうのか、その道を模索していくしかないのだ。
「アーロン、わたし……本当にこれでいいのか、わからなくなってきた」
胸の中に広がる不安は、まるで止まることのない波のようだった。復讐心は確かにあった。カルロスに裏切られた過去、エミリアの存在、それらすべてがわたしを突き動かしてきた。しかし、ここにきて、何かが揺らぎ始めている。
「何が不安なんだ」
アーロンは冷静に問いかける。彼の言葉にはいつも無駄がなく、的確だ。それが時に重荷に感じることもあったが、今はその冷静さに救われる気がする。彼はわたしの迷いを見透かしているのだろうか。
「わたしが、これで本当に救われるのかどうか……。カルロスを断罪しても、それで何もかも終わるわけじゃない気がして」
自分の口から出た言葉に驚く。あんなに復讐を望んでいたのに、今、これを成し遂げた先に何が待っているのか、わからなくなっているのだ。カルロスに対する怒りや憎しみは今も確かにある。それでも、その感情に支配されている自分をどこか冷静に見つめている自分がいる。
「お前が本当に望んでいるのは、復讐じゃない。自分の過去と決別することだろう」
アーロンの言葉が、鋭く胸を刺した。彼はいつも核心をつく。それが辛くても、逃げられない。彼の言葉が正しいと、心のどこかで知っているから。
「わかってる……。でも、どうすればいいのか、わからないの」
わたしの声は震えていた。自分でも、こんな弱さを見せたくはなかった。アーロンの前でさえ、わたしは常に強くあろうとしていたのに、今はその強さが崩れそうになっている。
「答えを急ぐな。時間をかけて考えろ」
彼の声は冷静だったが、その中には優しさもあった。アーロンはいつもわたしのことを支えてくれる。彼の冷静さに、わたしは何度も救われてきた。しかし、それが彼の愛情なのかどうかは、まだわからない。
裁判の日が近づいている。カルロスとの対峙は避けられない。わたしの心の中では、まだ葛藤が渦巻いていた。
カルロス……彼はわたしを裏切った。その事実は変わらない。だが、彼を裁くことが本当にわたしの救いになるのだろうか。それとも、彼を許すことで自分自身が変わるのか。考えれば考えるほど、答えは遠のいていく。
「リリアーナ、もうすぐだな」
アーロンが静かに声をかけてくる。その言葉に、わたしは一瞬驚いた。彼がわたしの不安を感じ取ったのだろうか。
「ええ……もうすぐね」
短く返事をするが、心は依然として揺れている。アーロンがそばにいてくれることは、確かに安心感を与えてくれる。しかし、その安心感がわたしを本当に強くしているのか、それとも弱くしているのか、わからない。
裁判の日、法廷の空気は重く、緊張感が漂っていた。カルロスが向こう側に座っている。彼の顔には、かつての冷徹さが戻っている。しかし、その背後には不安と恐れが隠されているのを、わたしは見逃さなかった。
「リリアーナ……僕はお前を守ろうとしたんだ」
彼の言葉は、まるで嘘のように響いた。かつて、彼がわたしを裏切ったその瞬間、すべてが終わったのだ。守ろうとした? そんな言葉が今さら通用するはずもない。
「カルロス、あなたの言葉にもう騙されるつもりはないわ」
わたしの声は冷たく響いた。これ以上、彼の嘘に付き合うつもりはなかった。彼は、自分が今でも優位に立っていると思っているのだろう。しかし、その優位はもう失われている。
「リリアーナ、お前が本当に望んでいることを考えろ」
アーロンの声が頭の中で響く。わたしが本当に望んでいることは何だろう? 復讐? それとも、自由?
カルロスを裁くことで、わたしの中の何かが変わるのかもしれない。けれど、それは本当の意味での解放ではない。心のどこかで、わたしはそれを感じていた。
「アーロン、わたし……もう迷わない」
その言葉は、わたし自身にも驚きだった。しかし、口に出した瞬間、すべてがはっきりと見えた。わたしはカルロスを許すわけではない。彼の罪を許すことはできない。しかし、その罪に囚われ続ける自分も、許せなかったのだ。
「お前がそう決めたなら、それが正しい」
アーロンの言葉は、わたしの決意を後押ししてくれた。彼の信頼が、わたしを強くする。それが今、わたしに必要なものだった。
「アーロン、わたし……まだカルロスを裁く覚悟ができていないのかもしれない。」
わたしの声は震えていた。今までこの日を待ち望んでいたはずだった。しかし、目の前にあるその瞬間に、胸の奥で何かが押し返してくるようだった。
「本当にそれでいいのか?」
アーロンの低く落ち着いた声がわたしを現実に引き戻す。彼の問いには、ただの確認ではなく、深い意味が込められているように感じた。彼はいつもわたしの心を見透かしているようで、そのことが時折わたしを不安にさせる。
「……わからない。あんなに憎んでいたはずなのに、いざ裁こうとすると、わたし自身が何を求めているのかが見えなくなるの。」
感情が波のように押し寄せてくる。カルロスに対する怒り、裏切られた悲しみ、そして何か別の感情……それらが混ざり合い、わたしの心をかき乱していた。
「リリアーナ、俺はお前を信じている。お前が決めたことは必ず正しいはずだ。」
アーロンの言葉はいつも冷静だが、そこには揺るぎない信頼が感じられた。わたしは彼の言葉に救われながらも、心のどこかで迷いを抱えていた。
法廷でカルロスと対峙する日が訪れた。わたしは堂々と立ち向かうつもりだった。けれども、法廷に足を踏み入れた瞬間、その自信は揺らいだ。彼の姿を見た瞬間、過去の記憶がよみがえり、わたしの中にまた迷いが広がる。
「リリアーナ、君は本当にこれで満足なのか?」
カルロスの声は低く、まるで憐れみのような響きを帯びていた。しかし、その言葉には何かを企んでいるような冷たさも感じ取れた。彼の目は昔と同じ、何かを隠し持つ輝きを失っていない。
「カルロス……わたしはもうあなたに騙されるつもりはないわ。」
わたしは強い口調で返すが、その言葉は自分に言い聞かせるためでもあった。裁判という場に立つことで、彼に対する感情が改めて浮き彫りになる。怒り、復讐心、そして未だに心の奥底に残る傷跡。それが消えない限り、わたしは前に進めない。
「僕は君を傷つけるつもりなんてなかった。ただ、君を守りたかったんだ。」
カルロスの言葉に、わたしは眉をひそめた。守りたかった? そんな言葉が今さらどんな意味を持つというのだろう。
「守る……あなたが言う『守る』という言葉がどれほどわたしを苦しめたか、わかっているの?」
胸の奥から言葉があふれ出る。カルロスの裏切りがどれほどわたしを壊したか、彼にはきっと理解できないだろう。彼がどれだけ言い訳をしても、それが真実を覆すことはない。
裁判が進む中、わたしは何度もアーロンの言葉を思い返していた。彼がわたしを支えてくれていることは、何よりもわたしを強くしてくれている。彼の信頼があるからこそ、わたしはここまで来ることができたのだ。
「リリアーナ、これで本当に満足か?」
法廷の冷たい空気の中、カルロスが再び問いかける。その目にはかつての冷徹さが宿っている。わたしは彼の問いに答えず、代わりに彼の目をじっと見つめ返す。
「満足かどうかなんて、もう関係ない。わたしは自分の未来を見据えている。それだけよ。」
その言葉を口にした瞬間、わたしの中で何かが切れたような気がした。カルロスを断罪すること、それがわたしの最終目標ではない。わたしが本当に求めているのは、自分の人生を取り戻すことだ。
カルロスの裁判が終わり、わたしは外の空気を吸い込んだ。冷たい風が頬を撫で、わたしの心の中を洗い流していくようだった。
「リリアーナ、お前が決めたことを尊重する。」
アーロンが静かに近づいてくる。その言葉には、わたしに対する深い理解が感じられた。
「ありがとう、アーロン。わたし、ようやく自分が何を望んでいるのかがわかった気がする。」
アーロンの横顔を見ながら、わたしは心の中で決意を固めた。カルロスとの因縁は断ち切れた。そして、わたしは新たな未来に向けて歩み始める。