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第一話 王国魔導書管理官 リリアーナ

「もう終わりだ。リリアーナ、君にとっても悪い話ではないと思うよ」

 カルロスの声が冷たく響いた瞬間、何かが胸の奥で砕けたような気がした。彼の言葉が私の心に鋭く突き刺さる。婚約破棄。それが何を意味するのか、頭では理解していたが、心が受け入れられなかった。


「どうして……」

 声が震えていた。私の口から絞り出されたその言葉に、カルロスは一瞬だけ目を細めた。けれど、その目に宿る感情は冷たかった。もう私への愛情など残っていないのだと、すぐに分かった。カルロスの口元がかすかに歪む。「君が思っているほど、僕たちの関係は深いものではなかったんだ」


 その一言で、私の中にあった最後の希望が消えた。未来を共に歩むと誓ったはずの人が、いま目の前で私の存在を否定している。冷たい灰のような感情が心に広がり、燃え尽きた残骸だけが残されていく感覚だった。


「そう……だったんだ」

 私は無理やり唇を動かし、その言葉を吐き出す。自分の声が驚くほど弱々しく、頼りないものに聞こえた。足元がぐらついているような感覚で、床に吸い込まれてしまいそうだった。


「これで終わりだよ。君にとっても悪い話じゃない。君にはもっとふさわしい道があるはずだよ」


 彼の言葉はまるで決定を覆すことは不可能だと告げる、冷たい判決のようだった。周囲の音が消え、空気が重く私の肩にのしかかってくる。何も感じられない虚無が私の中に広がり、世界が遠ざかるような錯覚に襲われる。


 だが、同時にわずかに残された理性が、感情の渦の中で私を引き止めていた。このままでは終われない。このままでは自分が壊れてしまう。自分を守らなければ、そうしなければ私は立ち直れない。


「分かった……もう、いい」

 最後の言葉は、まるで誰か他人の声のように私の口からこぼれた。カルロスの表情は変わらず、私は彼に背を向け、その場を立ち去った。感情が麻痺したように感じる。歩いているのか、ただ漂っているのかも分からなかった。


 城の廊下を抜け、冷たい風が吹き込む広場に出た。夜空が広がり、無数の星が瞬いている。心が冷たく凍りつく。彼との未来を夢見た日々が、まるで蜃気楼のように消え去ってしまった。私に残されたのは、何もかもが崩れ去った後の虚しさだけだった。


 それでも、止まるわけにはいかない。この王国で、私はどうにかして立ち直らなければならない。社交界での地位も、信用も、すべて失ったけれど、再び自分を取り戻すために立ち上がるしかない。カルロスが奪い去ったものを、自分の力で取り戻す。それが、私の新しい道だ。


 日々の雑務に追われながらも、心の中では常に何かが欠けている感覚がつきまとっていた。それは、失った婚約だけではなく、私がかつての自分を見失っているからだった。未来を信じ、愛を信じていた自分が、いまでは何を信じていいのか分からなくなってしまった。だが、王国の魔導書管理官としての職務に就くことで、私は再び自分を見つけようとしていた。


「リリアーナ様、次の文書は確認が必要です」

 部下の声に、私は意識を現実に戻す。部屋の片隅に置かれた魔導書の束が、冷たく光を反射している。


「ありがとう。すぐに確認するわ」

 私は無理やり微笑み、彼に返事をする。自分の中で何かが変わり始めているのを感じた。これまでの自分ではなく、新しい自分を見つけるための旅が始まっているのだ。


 仕事に没頭する日々が続いた。魔導書の管理は難解であり、古代の知識を守りつつ、王国に巣食う陰謀と戦わなければならなかった。だが、それが私にとっての救いだった。困難な職務に没頭することで、心の傷が少しずつ癒えていくように感じられた。


 そして、私は彼に出会った。王国の公爵、アーロン。冷酷でありながら、どこか優しさを秘めた瞳を持つ男。彼との出会いが、私の人生に新たな風を吹き込むことになるとは、その時はまだ気づいていなかった。


「リリアーナ、君がここにいる理由はわかっているか?」

 アーロン公爵の声が、静かに私の耳に届いた。彼は淡々とした表情で私を見つめている。その瞳には、何か見透かされているような感覚があった。彼の視線を受けながら、私は口を開くことができなかった。彼の言葉の意味を、すぐに理解することはできなかったからだ。


 公爵として、彼には冷静であることが必要なのだろう。だが、その冷静さの裏には何かしらの感情が隠されているようにも思えた。もしかしたら、私と同じように、彼もまた何かを失っているのかもしれない。


「リリアーナ、君は王国にとって必要な存在だ。しかし、君がその重さをどう受け止めるかが、今後のすべてを左右する」

 彼の言葉は、まるで自分自身に言い聞かせるかのようだった。私は彼の目の奥に、ほんの一瞬だけ揺れる感情を見つけた。だが、それもすぐに消えてしまう。


「私は……ただ、この職務を全うしたいだけです」

 絞り出すように、私は答えた。けれど、自分の中に芽生えつつある感情が、徐々に彼の言葉に反応しているのを感じていた。アーロンが私に対して求めるものは、単なる王国の魔導書管理官としての役割だけではないように思えた。彼の言葉には、私自身に対する期待や、何か特別な思いが込められているように感じる。


「それが君の本心なら、それでいい」

 アーロンは静かに答え、そして視線を逸らした。その瞬間、私の中で何かが引き裂かれるような感覚がした。彼が何かを抑え込んでいるのを感じたからだ。冷静な表情の裏に、彼もまた感情を隠しているのかもしれない。


 仕事に没頭する日々が続く中、アーロンとの会話が頭を離れなかった。彼の冷静な言葉、そしてその裏に隠された感情が私の心に何度も響いてきた。彼との関係が単なる職務上のものであるはずがない、という確信が次第に強まっていく。


 ある夜、私は再び公爵と話す機会を得た。夜の静寂が城内を包み、周囲には誰もいなかった。月明かりだけが、私たち二人を淡く照らしていた。


「アーロン……公爵、私はあなたが本当に望んでいることが分からないのです」

 私は彼に向かって問いかけた。彼の瞳は静かに私を見つめている。何かを言おうとしているのか、それとも言うべきではないと感じているのか、彼の表情からは読み取れなかった。


「望んでいること……それは、君が自分で見つけるべきことだ」

 彼は答えた。その言葉には優しさと、少しの戸惑いが混ざっているようだった。私が彼の本心を探ろうとしていることに、彼自身も戸惑っているのかもしれない。


「私は、あなたが私に何を期待しているのか知りたいのです」

 私は彼にもう一度問いかけた。彼の瞳は一瞬だけ揺れたが、すぐに冷静な表情に戻った。


「リリアーナ、君がどんな未来を選ぶかは君の自由だ。だが、俺は君がその道を歩む覚悟を持つべきだと思っている。それが、君のためにも王国のためにもなる」


 彼の言葉は静かだったが、その中に強い意志を感じた。彼は私を試しているのかもしれない。自分自身の力で未来を切り開くための覚悟を持つことを求めているのだろう。


「覚悟……私はそれを持てるでしょうか」

 私は静かに呟いた。自分の心の中で、何かが揺れ動いているのを感じる。失ったものへの未練と、新しい未来への期待が入り混じっていた。


「君にはできる。俺が保証する」

 アーロンはその言葉を言い切った。彼の瞳には、私に対する信頼が見えた。その言葉に、私は何か温かいものを感じた。彼が私を信じている。それが、私にとって何よりも大きな支えだった。


 アーロンとの会話が終わり、私は静かに自室に戻った。夜の静けさが、私の心に安らぎをもたらしていた。アーロンの言葉が、私の中に深く響いている。彼が私を信じていること、その信頼が私に新たな力を与えている。


 これまでの私は、失ったものに縛られていた。婚約破棄の痛手、社交界での信用を失ったこと、それらが私の心を覆っていた。だが、アーロンとの出会いを通じて、私は新しい未来を見つけつつあるのかもしれない。


 彼の言葉が私を支え、私自身が変わり始めているのを感じる。私にはまだ迷いがあるが、それでも前に進む覚悟を持つことができるかもしれない。彼が言ったように、私は自分の力で未来を切り開くことができる。アーロンの信頼に応えたい、そして自分自身のためにも強くなりたい。


 アーロンとの関係が、ただの職務上のものではなく、何かもっと深い絆を育んでいることを感じる。そして、その絆が私に新たな力を与えているのだ。



「……リリアーナ、君が本当に望んでいることは何だ?」


 アーロンの低い声が、静かな部屋の中で響いた。彼の問いかけは鋭く、まるで私の心を試すようだった。彼がこうして真剣に話を切り出してくることは少ない。それだけに、彼の言葉の一つ一つが私の胸を打つ。


「わたし……」


 自分が何を望んでいるのか、はっきりと言えない自分がいた。確かに、魔導書管理官としての地位を得たことで、私の生活は安定し、社会的な立場も戻りつつある。しかし、心のどこかでそれが本当に自分の望むことなのかという疑問が渦巻いていた。


「君がここにいるのは、ただ職務を全うするためだけではないはずだ」


 アーロンの目は私を真っ直ぐに見つめている。彼の冷静な表情の奥には、確かに優しさが見え隠れしていた。いつもそうだ。彼はその無愛想な外見に隠しているけれど、本当は私を気遣ってくれているのだ。


「でも、私は……自分が何を本当に望んでいるのか、まだわからないのかもしれません」


 胸の奥が締め付けられるような感覚に襲われる。自分の進むべき道がはっきりしない。それが不安でならなかった。


「それでいい。君が自分を見つけるために時間をかけることに、俺は何も言わない」


 アーロンの言葉は、まるで柔らかな風のように心に染み渡る。彼がこうして私を待ってくれていることに、心から感謝しなければならないと感じた。彼との出会いがなければ、今の私は存在しないのだから。


「ありがとう……公爵」


 そう言った瞬間、自分の中で何かが変わった。彼に対する感情が、ただの感謝や信頼ではなく、もっと深いものへと変わりつつあるのを感じる。それが何なのか、言葉にするのはまだ難しいけれど、確かに私の中で彼の存在が大きくなっていっている。


 数日が過ぎ、私たちの関係は徐々に変わっていった。アーロンとの会話は以前よりも自然に、そして深いものになっていった。彼の冷静さに隠された温かさを知るたびに、私は彼に対する感情がますます強くなるのを感じた。


 だが、同時に不安も大きくなっていた。彼との年齢差、そして彼が私に対してどう感じているのかを知ることができないままでいることが、私の心に重くのしかかっていた。


「公爵、わたしは……」


 ある日、彼に向かってそう言いかけたが、言葉が出てこなかった。心の中にある不安を打ち明けることが怖かったのだ。彼が私にどう感じているのか、知ることが怖かったのだ。


「リリアーナ、何か言いたいことがあるなら、言ってくれ」


 彼の声は優しく、それでも強い意志が感じられた。その声に促されるように、私は口を開いた。


「あなたは、わたしをどう思っているのですか?」


 心臓が早鐘のように鳴っていた。自分からこんな質問をすることが、どれほど勇気のいることか、彼にはわからないだろう。


 アーロンはしばらく黙ったまま、私を見つめていた。彼の瞳には、何かを決意したような光が宿っていた。


「俺は……君を信じている。そして、君を大切に思っている」


 その言葉に、私の胸の中に溜まっていた不安が、少しずつ溶けていくのを感じた。彼の言葉は、確かに私を包み込んでくれた。


「でも、それは……」


「リリアーナ、君がどう感じているのかは、俺にはわからない。ただ、君が俺に何を期待しているのか、それを知ることができるのは君だけだ」


 アーロンの言葉は、私の心に深く刺さった。彼が私を信じてくれていることはわかる。けれど、それが彼にとってどれほどの意味を持つのか、まだはっきりとは掴めなかった。


 夜が更けていく中、私は静かに窓の外を見つめていた。月明かりが柔らかく部屋を照らし出している。その静けさの中で、私は自分の心と向き合っていた。


 彼への想いが、自分の中で次第に大きくなっているのを感じていた。だが、その一方で、彼との年齢差や立場の違いが、私を躊躇させていた。もし彼が私にとってただの上司でしかないのだとしたら、私はどうすればいいのだろう。


「リリアーナ、君が決断する時が来た」


 突然、背後から彼の声が響いた。振り返ると、彼が静かに部屋に入ってきていた。私に気を使っていたのだろうか、それとも、私が何かを考えていることに気づいていたのだろうか。


「わたしは、あなたがどう思っているのかを知りたいんです」


 私は彼に向かってそう問いかけた。心の中で渦巻いていた不安や疑念が、ようやく言葉になった瞬間だった。


「君のことを、俺はただの部下として見ているわけではない。君が特別な存在だということに気づいている。それを伝えたいと思っていた」


 彼の言葉に、私の胸が大きく揺れ動いた。彼もまた、私と同じような感情を抱いているのだろうか。


「わたしも、あなたが特別な存在だと感じています」


 私の言葉は静かだったが、心の中で大きな重みを持っていた。彼との関係が、単なる職務上のものを超えて、もっと深いものへと変わりつつあることを、私は感じていた。


 夜が明け、私は新しい決意を胸に抱いていた。アーロンとの絆は、確かに私を強くしてくれている。そして、それは私にとって新たな未来への一歩となるだろう。


 彼との関係がこれからどう進展していくのかはわからない。だが、彼と共に歩んでいく未来があることだけは確かだ。


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