古典落語「万金丹」
原作:古典落語「万金丹」
台本化:霧夜シオン
所要時間:約40分
必要演者数:3名
(0:0:3)
※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。
よって性別は全て不問とさせていただきます。
(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)
●登場人物
初五郎:梅吉の兄弟分で、同じく江戸で食い詰めてしまい、二人で旅を
続けている。同じく二日も何も食べてない。
梅吉:初五郎と江戸で食い詰めたため、二人で上方の友人を頼って旅を
続けていたが、ここ二日は何も食べてない。
和尚:二人が空腹の末にたどり着いた山寺の住職。
二人に寺に残って坊主として暮らすよう勧める。
檀家:山寺の檀家さん。
父親の万屋金兵衛の訃報をもって寺へ訪ねてくる。
●配役
初五郎:
梅吉:
和尚・檀家・枕・語り:
※語りは作中1つのみです。
枕:行き大名の帰り乞食て言葉がございます。
旅の初めは懐が温かい、しかし途中で路銀を使い果たし、
乞食同然の状態で帰り着くという事を端的に表した言葉です。
昔は東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道を総称した、
五街道は幕府の力もあって整備されていましたが、その他の道は
山あり川あり谷あり崖あり、盗賊猛獣の出没など、常に死と隣り合わ
せで命がけでした。
そんな状態ですから、宿を取ったり食料を手に入れる事は困難を極め
たものです。
初五郎:おぅいどうした、早く来いってんだ、遅れるんじゃねえよ。
さっきから見てるってぇとだらしのねえ歩き方してやがらあ。
江戸っ子の名折れじゃねえか。
足引きずってよ…どうせ歩くならもっときりきり歩けってんだ。
梅吉:無理言うなよ…。
一昨日から何にも食ってねえんだ。
腹ぁ減るし目は回るし…川見りゃあ水がぶがぶがぶがぶ飲んでるけ
ど、水ってやつは腹にたまらねえなぁ…。
腹ん中がさ、がぼがぼがぼがぼ波立ってんだよう。
オマケに今日は北風で向かいっ風だ。
俺の腹の中で時化が起きてらぁ。
初五郎:何言ってやがんだ、腹の中に時化があるかよ。
しっかり歩けよ、武士は食わねど高楊枝って言うじゃねえか。
俺たちゃ江戸っ子だ。腹が減ってたって、減ってねえって顔して
歩くんだよ。
梅吉:無理だぁ。
腹が満たされてたって、腹が減ってるって顔して歩く性分だからな
。
初五郎:んな事言ってる場合かよ。
こんな山ん中でぐずぐずしてると、野宿しなくちゃならねえんだ
ぞ。
梅吉:…兄弟に聞くけどよ、野宿ってな、何だ?
初五郎:野に寝るから野宿ってんだよ。
梅吉:はぁ、野に寝るから野宿ね…すると何だな、カラスなんてのは木に
寝るから枝宿だな。
魚は川で寝るから水宿だ。
俺は枝宿だの水宿だのは嫌だな。
どうせ宿するんだったらよ、屋根宿で、畳宿で、布団宿で、
できりゃあ女宿してえ。
初五郎:何を言ってやがんでぇ、ったく。
うだうだ言わねえで早くこの山を下りちまおうじゃねえか。
こんなところでぐずぐずぐずぐずしてっとな、そのうちにお前ぇ
、うわばみでも出てきたらえれぇ事になるぞ。
梅吉:…兄弟に聞くけどよ、うわばみってなんだ?
初五郎:おめぇは何にも知らねえ男だな。
それに腹が減ってるわりにはいろんな事聞くな。
うわばみってのはな、蛇の大きい奴をうわばみってんだよ。
梅吉:蛇の大きいのかぁ…。
蛇の大きいのだったら大蛇とかなんとか言いそうなもんじゃねえか
?
何だってうわばみって言うんだい?
初五郎:くどい野郎だなおい。
じゃお前ぇに聞くけどよ、もしも俺たちの目の前に蛇の大きい奴
が出てきたら、どうする?
梅吉:…驚くな。
初五郎:驚く時ゃ、黙って驚くか?
梅吉:…声を出すな。
初五郎:さらに聞くけどよ、なんて声出す?
梅吉:…うわッ! って言うな。
初五郎:そうだろ。
うわっ、て言ってる間に、ばみられるんだよ。
梅吉:いや、何だいその、ばみられる、って言うのは。
初五郎:これはな、蛇の方の合言葉でもってよ、人間を食う事をばみる、
って言うんだ。
梅吉:ほんとかよ…それ…。
初五郎:いいから、んな事はどうでもいいんだよ。
早ぇとここの山を下りちまおうじゃねえか。
梅吉:ま、待ってくれよ兄弟…!
【二拍】
初五郎:ふぅ、ありがてぇありがてぇ。
山さえ下りてここまで来りゃあひと安心だ……ん?
…おい、ちょいと向こうを見ろよ。
梅吉:……え?
初五郎:俺の指の先を見なよ。
梅吉:…爪が生えてんな。
初五郎:いや、爪の先だよ!
梅吉:…垢がたまってんな。
初五郎:そうじゃねえよ! 向こうの方を見ろってんだよ!
森がぼーっと見えて、白い塀がちらちら見えるだろ。
梅吉:…どこだい。
初五郎:…お前ぇなにか、腹が減りすぎて目まで霞んできたのか?
向こうの方に見えるじゃねえか、
森がぼーっと見えて白い塀がちらちらってよ。
梅吉:…森も白い塀も見えるんだよ。
ぼーってのと、ちらちらってのが見えねえんだよ。
初五郎:しまいにゃ張り倒すぞこの野郎。
言葉の華じゃねえか。
この辺であれだけの大きな家ってのは、きっと庄屋か名主の家に
ちげえねえ。
田舎の人ってのは親切だ。
頼み込みゃ、握り飯の一つや二つは恵んでくれるかもしれねえ。
行ってみようじゃねえか。
梅吉:あぁ早く行こうや。
俺ぁもう腹が減りすぎちまって、そろそろへそが背中突き破って
出てくるんじゃねえかと思うくらいだよ。
初五郎:わかったわかった、急いで行こう。
【二拍】
近くまで来て見てみりゃあ、こらぁ大きな寺だな。
梅吉:…兄弟の前だけど、寺には坊さんがいるだろうな。
初五郎:あたりめぇだよ。
寺には坊主だろ。
神主がいたって役に立たねえんだよ。
梅吉:腹ぁ減ってるから、坊さん食っちまおうか。
初五郎:よせよおい、坊さんが食えるわけねえじゃねえか。
それに聞いた事があるんだ。
出家ってのはな、人を助けるというのもその道だという教えを
受けてるって言うんだ。
行き暮れて難儀をしております。一夜の宿をお貸し願いたい、
って頼んでどうぞお上がりくださいって言われりゃおめぇ、
飯の一杯や二杯は恵んでくれるだろうよ。
だからよ、ちょっと頼み込んでみようじゃねえか。
梅吉:じゃあすまねえけど兄弟、任していいかい?
俺ぁもう腹が減りすぎて大声が出ねえ。
初五郎:わかったわかった、俺がやるからお前ぇ、ちょいとそこどいてろ
。
えぇごめんくだい!
お頼みもうしやす!!
えぇごめんくだせぇやし!!
和尚:あ~これはこれは。
いずれから参られたかな?
初五郎:こらぁどうも。
実はあっしたち二人は旅の者でございますが、行き暮れて難儀を
いたしておりやす。
一夜の宿をお願ぇしてぇと思ったんでございますが。
和尚:おぉそれはお困りじゃろう。
しかしな、見られる通りの貧乏寺。
夜具とてろくにないが、それで良かったらこちらへお上がりなさい
。
初五郎:あぁさようでごぜぇますか!
こらどうも、ありがとうごぜぇやす!
おい、和尚さんが遠慮なく上がれって言ってくれたぞ。
ご厄介になろうじゃねえか。
じゃ、ちょいとごめんくださいやし!
和尚:山道はまだだいぶ冷えるでの、囲炉裏に火が燃えておるから、
そばに来て体を温めると良いぞ。
初五郎:こらぁありがてぇ、そらもう体の芯から冷えてたもんで…。
それじゃ失礼しやして…。
はぁぁいやぁありがてぇ、助かった助かった。
梅吉:【声を落として】
おぃ、兄弟…兄弟…。
初五郎:なんだよ。
梅吉:腹減ってるから、何か食わしてくれって催促してみろよ。
初五郎:あのな…いま上がったばかりじゃねえか。
催促しにくいだろうが。
梅吉:じゃあ催促の独り言ここで言うから、兄弟は相槌うってくれ。
初五郎:よしわかった。
じゃ相槌うってやるから、その催促の独り言ってのを言ってみろ
。
梅吉:おう。
【以下、二人ともわざと聞こえよがしに】
おい、兄弟。
初五郎:どうしたぁ?
梅吉:今日はなんだな、昼メシをちょいと早く食いすぎたな。
初五郎:そんなに早かったかぁ?
梅吉:あぁ、早かった。
今日の昼メシは一昨日の朝食ったんだからよ。
初五郎:【声を抑えて】
ば、馬鹿ッ、そう言っちゃまずいだろ!
和尚:ははは…両人ともだいぶ空腹のようじゃの。
初五郎:あ、あはは…こらどうも、恐れ入ります。
いえね、もう空腹なんてもんじゃねぇんです。
くうーってっと、ふくーってどっか行っちゃうくらいでして。
この野郎なんざ、さっきからへそが背中に出て来ちまうんじゃな
いかと心配するくらい、腹の中がすっからかんなもんで。
和尚:何もないがな、最前よりその囲炉裏の上で雑炊がぐつぐつ煮えてお
る。それで良かったら、遠慮せずにたんとおあがり。
初五郎:! さようでございやすか!
いや、こらどうもありがとうごぜえます!
おい兄弟、和尚さんがな、雑炊を食えって言ってくれたぞ。
遠慮なしにゴチになろうじゃねえか。
それじゃ和尚さん、いただきやす!
梅吉:はぁぁ、二日ぶりのメシ…メシだぁ…!
初五郎:おいッ、ガツガツすんなってんだよ!
いま俺がよそってやるから。
ふたを取って……、
!どうだい、ふわーーって湯気が上がってよ、
うまそうじゃねえか!
いい色してるぜ!
梅吉:あああ、早く、早く…!
初五郎:だぁからガツガツすんなって!
じゃ、このお椀をお借りして…、いやぁありがてぇありがてぇ。
たんとよそって…、
ほれ、熱いからな、気を付けろよ。
いやぁよだれがとまらねえ。
じゃ、ゴチになりますんで。
ふーっ、ふーっ、
ふーっ、ふーっ、
ずずずーーっ。
…っ!?
うっ、ぶーーーッ!! うぇっ!
ちょ、ちょいと和尚さんにうかがいやすが。
和尚:なんじゃな?
初五郎:この雑炊を口の中にいれると妙にじゃりつくんですが、
いったい何の雑炊で?
和尚:ああ、それはな、人間の体に精をつける赤土の雑炊だ。
初五郎:あ、赤土!?
どうも味噌にしちゃ妙な色をしてると思ったよ。
体に精をつける為ったって、こっちは万年青じゃねえんだから、
赤土で精をつけられたんじゃたまらねえや。
梅吉:っ…な、なんだこりゃ…。
和尚さん、藁のようなものが出てきましたが。
和尚:ようなもの、ではない。
藁だ。
初五郎:藁ァ!?
おいおい、藁と赤土食ったら肚ん中で荒壁ができるよ!
梅吉:ひでぇなぁ……ん?
なんか、黒くて丸いもんが入ってますが?
和尚:出汁を取るために、おたまじゃくしを入れてある。
初五郎:ぶーーーーッッ!!
すいやせんけどね、あっし達にはこれぁ食えやせん。
和尚:お前さんがたには食せないか。
梅吉:食えやせん!
和尚:無理もない。
愚僧も食せん。
初五郎:じょ、冗談じゃありやせんよ!
和尚さんがご自分で食えねえものを、どうしてあっし達に食わせ
ようってんです!?
和尚:まぁまぁ、話を聞きなさい。
実は愚僧の亡くなった先代の師から、出家というものは樹下石上の
心得、つまり、山や野原、路傍に野宿する修行者や僧侶の境遇を
忘れてはいかぬという教えをいただいた。
それゆえ、師の命日にはそれをこしらえて師の仏前に供え、
亡き師を偲んでおる。
そこへそなた達が泊まり合わせたのも何かの因縁であろう。
な~むあみだぶな~むあみだぶ。
初五郎:ふーん…人間てな、どこに災難があるかわからねえもんですな。
和尚:良かったら、そっちにばくはんがあるからお上がり。
梅吉:いやいやいや、爆弾なんざ結構です!
和尚:爆弾ではない、ばくはん、麦飯だ。
初五郎:あ、麦飯…じゃあ、そっちのほうをゴチになりやす!
和尚:遠慮せずに、たんとおあがりなされ。
梅吉:へ、へいッ!
はぁぁ、うめぇ、うめぇ…!
【三拍】
初五郎:はぁぁ…うまかった…。
どうも和尚さん、ご馳走様でございやした!
和尚:もうよいかな?
梅吉:十分に頂戴しやして、やっとへそも元の位置に戻って参りやした。
ありがとうございやす!
和尚:先ほど、お前さん方は旅の者だと申したが、これから先どちらへ
行きなさる旅じゃな?
初五郎:…どちらへ行きなさる旅だと改めて聞かれると、ちょいときまり
が悪いんでございやすが、実はあっし達二人は江戸のもんでござ
いやして。
梅吉:わけあって江戸で食い詰めまして、上方にいる友達を頼って行く旅
なんでございやす。
初五郎:まぁ、向こうへ行ってもその友達に会えるかどうか、会えたとし
てもあっし達に働き口があるかどうかわからねえという、
実に心細い旅を続けなくちゃならねぇところなんでございやす。
和尚:ふーむ……どうじゃな。
あてのない旅をあちらこちらと続けるよりも、この寺に残って出家
するつもりはないかの?
初五郎:えっ…出家ってェとあれですか、二人して坊さんになるんでござ
いやすか?
…。
ちょいと待ってくださいよ。
これぁあっしの一存じゃ決めかねますから、友達がいますんで。
おい、聞いたかい。
和尚さんがよ、あてのねえ旅をするより寺に残って出家したらど
うだ、坊さんになったらどうだって言うんだが…どうだ?
梅吉:…実は兄弟の前だけどよ、おらぁ考えてたんだ。
あっちうろうろ、こっちうろうろするよりも、この寺で坊さんにな
った方が、生涯食いっぱぐれねえんじゃねえか、って
そう思ってたんだ。
初五郎:…お前ぇもか。
実は俺もだ。
二人してこの寺に腰ぃ落ち着けるか。頼んでみるか。
梅吉:ああ、そうしようじゃねえか、兄弟。
初五郎:よし、お前ぇがその気だったら、頼んでみるよ。
いや、和尚さん。
兄弟も承知のようでございますんで、どうかひとつ、お願いいた
しやす!
昔から三日坊主って言いやすから、三日ばかりご厄介になりてぇ
んでございやすがーー
和尚;【↑の語尾に被せるように】
いやそうはいかんぞ。
ゴホン。
まぁそれではな、頭を丸める、つまり得度を行うのは日を改めるこ
とにして、まずは名前を付けねばいかんな。
お前達の名はなんと言う?
初五郎:初五郎と申しやす。
梅吉:あっしは梅吉で。
和尚:ならばお前達は今日より、初坊、梅坊と、そう名乗るがよい。
初五郎:初坊に梅坊……。
おい、聞いたか兄弟。
今日から俺が初坊で、おめえが梅坊だとよ。
梅吉:へへへ…梅坊ね。
じゃあ初坊、二人で本堂でかくれんぼでもしようじゃねえか。
初五郎:ガキみてえなこと言うんじゃねえよ!
じゃあ和尚さん、いや和尚様、よろしくお願ぇいたしやす!
語り:というわけで二人は頭を丸めて出家の道を歩み始めました。
最初のうちはだいぶ真面目に勤めてましたが、そこは能天気な二人
でございます。
わずかばかり経ちますと途端に地金が現れて参りまして。
初五郎:…。
梅坊…おい梅坊。
梅吉:…なんだい初坊。
初五郎:どうでもいいけど、なんだな。
寺ってとこは退屈なとこだな。
梅吉:ああ…退屈だ。
なーんにもやることがねえ。
酒も呑めねえ。
酒の味なんざ、まるで忘れちまった。
初五郎:呑みてえなあ。
でも、銭がねえんだ。
どうだい、ここの和尚はだいぶ小銭を持ってそうだから、
今晩あたり和尚の銭を盗んで、二人で酒でも呑みに行くか?
梅吉:それもいいなあ。
和尚:【↑の語尾に喰い気味に】
こらこらこら、お前達はろくな相談をしておらんな!
わしの銭を盗んで酒を呑みに行くじゃと?
とんでもない話だ!
初五郎:!!和尚様、そこにいたんですか?
梅吉:き、気にしねえで下さい!
あっしら江戸っ子は口じゃ言いますけど、肚の中でも思ってるんで
。
和尚:なお悪いわい!
~~まぁよい、二人ともそこへ座りなさい。
実はな、京の総本山から手紙が参って、わしはこれからそこへ
出かけてこねばならぬ。
わしのいない留守は、お前達二人でこの寺を立派に守らねばならぬ
ぞ。
初五郎:えっ、京へお出かけになるんですか?
梅吉:本山へ行かれるんで?
それで…お帰りはいつごろになるんです?
和尚:そうさのう…わしのことだから、早くても行って戻ってくるまでに
は、ひと月はかかるじゃろうな。
もし、わしのいない間に弔いの事などがあったら、山を三つ越えた
先に木蓮寺という寺がある。
そこに頼めば葬式万端、みな整えてくれることになっておるでな。
良いかの?
初五郎:へい、わかりました!
和尚様の帰ってくるまで、あっし達二人が立派にこの寺を守って
ご覧にいれますんでね!
どうぞ、ご安心してお出かけくださいやし!
和尚:うむ、では頼んだでの。
初五郎:おう梅坊!
和尚様がお出かけになるぞ!
お見送りしな!
梅吉:どうぞ和尚様、お気をつけて行ってらっしゃいやし!
初五郎:いってらっしゃい!
梅吉:……行ってこい。
初五郎:……帰ってこなくていいよ。
【二拍】
へへへ、行っちゃった!
さあ鬼の居ぬ間に洗濯だ!
吞もう!
梅吉:いや、吞もうったって、無理な事言うなよ。
銭がねえよ。
初五郎:なに、賽銭箱をぶち壊してみろよ!
一升や二升買うぐれえの賽銭は入ってるだろ。
梅吉:酒の肴がねえよ。
初五郎:裏の沼ぁ行ってみろよ。
鯉やナマズが泳いでらぁ。
梅吉:すくう網がねえじゃねえか。
初五郎:和尚の麻の衣でもってすくえばいいじゃねえか。
なあに、洗っときゃ分かりゃしねえって。
梅吉:そんなもんかねえ。
初五郎:梅坊、お前ぇは賽銭箱の方に取り掛かれ。
俺ぁ裏の沼行って酒の肴ぁ獲ってくる。
…っと、このままじゃどうも威勢がねえな。
尻をはしょって、手拭いで向こうハチマキして…これでよし。
檀家:はぁちょっくらごめんくださいやし。
【一拍】
はぁちょっくらごめんくださいやし!
初五郎:おい梅坊、待ちな!
表に誰か来たぞ。
これからお楽しみだって時に、野暮な野郎が来やがった。
梅吉:え…どうする初坊。
初五郎:ちょいと待ってな、俺が行ってみる。
わけのわかんねえ野郎だったら、追っ払っちまうからよ。
ったく、冗談じゃねえ。
これからお楽しみだってのに訪ねて来やがってよう。
【威勢よく】
おうッッ!! 何だァ!!?
檀家:!!!
…えらい威勢のいい坊さまが出てきただな…。
えー、わしはこの寺の檀家、万屋金兵衛のところから使いに参ったもので
ごぜえますが、父の金兵衛が、死去つかまつりました。
初五郎:ふーん。
ご苦労様!
檀家:【唖然としている】
……。
…金兵衛が、おっ死んだでごぜえます。
初五郎:…おっ死んだァ…?
【手を一回叩いて】
くたばったか!
檀家:く、くたばった…言うことがずいぶん乱暴だぁね…。
通夜の真似事をいたしますで、和尚様にお出ましいただきてぇと、
お願ぇにあがった次第でごぜえますが。
初五郎:そぉかい…そりゃあ、惜しい事をしたなぁ。
実はうちの和尚は京の本山へお出かけになって留守……
【何かを思いつく】
ぁいや、京の本山へ用があってお出かけになられたんだが、
安心しな。
入れ違いに江戸からえらーい大僧正様が、うちの寺にお立ち寄り
になったんだ。
年は若ぇけど、位はうちの和尚よりもずっと上だ。
俺から大僧正様にお願ぇしてな、お前ぇんとこの通夜に
行ってもらえるようにしてやるからよ。
帰ってみんなによろしく言いな。
檀家:はあぁ左様でごぜえますか。
それではよろしくどうぞ、お願ぇをいたしますだ。
では…。
初五郎:大丈夫だよ、まかしときな!
へへへ、こうしちゃあいらんねぇ。
おい、梅坊!
梅吉:? なんだい?
初五郎:すぐに出かけるぜ!
梅吉:お? 喧嘩の助っ人かい?
初五郎:よせよおい、寺に喧嘩の助っ人を頼みに来るやつがいるかよ。
弔いだよ、葬式だ。
梅吉:弔い?
じゃあ和尚が言ってた、山を三つ越えた先の木蓮寺にーー
初五郎:なに言ってんだよ!
そんなところに頼みに行ってみろ、
儲けはそっくりむこうに持ってかれちまうじゃねえか!
今な、お前ぇが江戸の大僧正だって触れ込んだんだ。
お前ぇ江戸の大僧正になったつもりでな、
向こう行ってお経あげろ。
梅吉:えぇ…乱暴な事言うなよ。
兄弟の前だけどお経あげるったってよ、
俺ぁまだお経のおの字も覚えてねえよ。
初五郎:いいんだよ、お経なんざどうだって。
田舎もんばっかりなんだから、口ん中で端唄でも小唄でも、
何でも知ってる唄ァ並べりゃいいんだよ!
みじけぇなぁと思ったら、都都逸の五つ六つずーっと並べときゃ
大丈夫だって!
俺が後ろでみーんな指示してやるからよ!
お前ぇは江戸の大僧正だってツラぁしてな、肚ァ据えて堂々とや
れ!
ほら、支度しろ支度!
梅吉:わ、わかったよ…。
【三拍】
どうだい、兄弟。
こんなんでいいかい?
初五郎:おっ、できたか。
へェなるほどな、馬子にも衣裳、髪かたちてなァうまい事言った
もんだ。
どっから見たって大僧正に見えらぁ。
いいか、お前ぇはあまり口きくなよ。
俺が後ろで指示してやっからな。
梅吉:わかった。
じゃあ、出かけようじゃねえか。
【二拍】
初五郎:たしかここらだったな…お、あの家だな。
おうッ! ごめんよッ!!
江戸の大僧正をお連れした!
檀家:! はあぁこれはこれは大僧正様でごぜえますか。
ありがとうごぜえます。それではご案内をいたしますんで。
初五郎:んッ。
さ、大僧正、上がろうじゃねえか。
おうっ、案内してくれ。
どこだ、どこだどこだどこだどこだーーーいッ!!
檀家:【つぶやく】
…いやに賑やかな坊さまだな…。
あちらでごぜえますんで、どうぞよろしくお願ぇいたしますだ。
初五郎:わかったよ。
【声を落として】
…大僧正、大僧正!
お前ぇだよ大僧正ってのは!
ぼーっとしちゃいけねぇやな。
向こう行って、お経あげてきな。
梅吉:【声を落として】
えぇぇ…やっぱりお経あげなきゃダメかい?
初五郎:【声落として】
大丈夫だって!俺が指示するからよ!
さっきも言った通り、俺は江戸の偉ぇ大僧正だ、って心積もりで
もってやらなきゃいけねえよ。
梅吉:【声を落として】
わかったよ…。
初五郎:【声を落として】
じゃ、行ってきな!
おーい!
そこの、さっき迎えに来た奴!!
こっちこいこっちこい。
檀家:あ、あっしですかい?
初五郎:そうだ、そこに座れ。
…どうだ、大僧正のお経が始まった。
ありがてぇお経だろ?
檀家:けんど、あの和尚様のお経をここでじーっと聞いてると、
「沖の暗ぇのに白帆が見える」
「あれは紀伊国みかん舟」
なんだか、かっぽれみてぇなお経でごぜえますだな。
初五郎:だからよ、陰気なお経を陽気なかっぽれみたいに聞かせるとこが
大僧正の腕なんだ。
お前ぇに言っておくけどな、あのお経でもわかる通り、
大僧正はあんまり陰気な事が嫌ぇな人なんだ。
陽気な事が好きなんだ。
通夜だからって陰気なのはダメだよ、陽気にやろうじゃねえか。
どうだい、芸者でも呼んでうわーっとどんちゃん騒ぎするっての
は。いい考えだろ?
檀家:げ、芸者でごぜえますか…!?
通夜の席でそんなの、聞いた事もねえ…。
初五郎:【無視して】
それでな、大僧正は酒は呑まねえ、生臭ものは食わねえなんて、
そんな野暮なお人じゃねえからな。
終わったら何でもかんでもどんどん呑み食いさせてやってくれ。
いいかい?
檀家:は、はぁ…承知しやした。
初五郎:お、大僧正様のお経が終わったな。
おうッ、ご苦労さん!
梅吉:【肩で息をしている】
へェ…へェ…。
初五郎:なんだい大僧正、目の色が変わってやがんな。
大丈夫かい?
水でも一杯もらって飲んだらどうなんだ。
檀家:大僧正様、ありがとうごぜえました。
えー、それで大僧正様に、ひとつお願ぇがごぜぇますだ。
初五郎:あん?
なんだい!?
いま大僧正様に話しかけたってダメだよ!
心持ちはもう空中に舞い上がっちゃってんだ。
あのお経でもって精も根も尽き果ててんだからよ、
俺が代わりに聞こうじゃねえか。
あ、もしかするってぇと、祝儀の事かい!?
檀家:いえ…そうではねえんです…。
あの…戒名をいただきとうごぜえまして…。
初五郎:……え? 何だって?
檀家:戒名を、いただきとうごぜえまして…。
初五郎:かぁいみょう!?
【膝を叩いてつぶやく】
しまった…ッ! そこに気が付かなかった…!
あ~、戒名な…戒名は……いいだろ。
檀家:えぇぇ、よくねぇでごぜえますだ!
戒名の付いてねえ仏なんてねえでごぜえますから。
初五郎:いぃよぅ、今度まで貸しときな!
息子のお前ぇが死んだら一緒に付けようじゃねえか。
檀家:そうはいかねえんでごぜえまして…。
なにぶんよろしくお願ぇを致します。
初五郎:参ったな…、
あらかじめ本堂からなんか引っぺがして来るんだったかなぁ。
おい大僧正、何か書いたの持ってねえか?
梅吉:いや、急に何か書いたもの持ってねえかって言われたって…。
あ。
そうだ、今朝な、和尚の部屋を掃除したんだよ。
そしたら文机の横になんか落っこってたんでな、ひょいっと懐に入
れたんだ。
持ってきてたっけか……お、あったあった。
これ、なんか字が書いてあるだろ。こんなもんで構わねぇかい?
初五郎:構わねぇ、字が書いてありゃなんだっていい。こっち貸しな。
【檀家に向けて】
安心しな!江戸の大僧正は手回しがいいよ。
お前ぇんとこの戒名、寺でちゃんと用意してお持ちしてくれた。
渡すからありがたく受け取んな!
檀家:はあぁ左様でごぜえますか。
それでは頂戴をいたします、ありがとうごぜえます。
…。
……。
…なんだか、妙な形の戒名でごぜえますな。
戒名なんてものは大概、長っ細いもんでごぜえますが、
これは真四角でごぜえますな。
初五郎:ああ、そりゃ新型だよ!
檀家:はぁ…新型の戒名でごぜえますか。
ありがとうごぜえます。
なになに…、
官許、伊勢朝熊、霊方万金丹。
!?
……万金丹。
なんだか、薬の袋みたいな戒名でごぜえますなこれは。
和尚様、戒名というものは仏の人にあったように付けるのが戒名だと
そう聞いておりやすがーー
初五郎:【↑の語尾に被せて】
なぁに小生意気な事言ってやんでぇ!
仏の人にぴったり合ってるじゃねえか!
檀家:これがでごぜえますか!?
ならば和尚様にお尋ねしますけんど、頭のこの、官許てのはなんで
ごぜえます?
初五郎:官許ってのはな、いま大僧正様が「棺」の前で「経」を読んだじ
ゃねえか。
棺の前で経を読むから棺経「かんきょ」、
それで合ってるだろ。
檀家:はあ、「棺」の前で「経」を読むから「かんきょ」。
それじゃ、「いせあさま」ってぇのは何でごぜえます?
初五郎:人間、生きてるうちは威勢がいいけど、死んじまったら浅ましく
なっちまうじゃねえか。
生きてて「威勢」が良くて、死んだら「浅ましく」なるから
「いせあさま」、とくらァ。
檀家:…判じ物みてえな戒名でごぜえますな。
なら、霊方てのはなんでごぜえます?
初五郎:れいほう?
…。
……霊方ぐらいまけとけよ。
檀家:いやそうはいかねえでごぜえます。
霊方てのはなんでごぜえますか?
初五郎:れいほうってなお前ぇ……、ぁー……、
【何かを思いついて膝を叩く】
! 人間てのはな、死ぬとみんな幽霊になって出てくるんだよ。
檀家:いぃえいえいえ、幽霊になって化けて出るなんてなぁ、
えれぇ事でごぜえます!
初五郎:だからよ、出ねえようにってんで、いま大僧正が棺の前でお経を
読んだ。
お経ってのはなんだ、方じゃねえか。
出てくる幽霊をお経という方でもって、ピタッと防いだ。
「霊」を「方」で防いだから、「霊方」じゃねえか。
幽霊が出ないようにありがたいお経をあげたから、
お布施はどんどんはずみなさいよ、ってぇ意味もある。
梅吉:【つぶやく】
よくもまぁ口が回るもんだよ兄弟…。
檀家:…お布施の催促まで入ってる戒名でごぜえますか。
万金……万金てのはなんでごぜえます?
初五郎:おいおいしっかりしろぃ!
死んだ仏が万屋金兵衛じゃねえか。
「よろきん」は「まんきん」だろがよ!
檀家:はあ「よろきん」は「まんきん」かい。
万金丹、この丹てなぁなんでごぜえます?
初五郎:人間死ぬときゃ、みぃんな喉へ痰が絡むんだよ!
檀家:いやぁ、おとっつぁんは痰が絡んだんではねぇでごぜえます。
川へ落っこったんで。
初五郎:…なんだって?
檀家:川へ落っこったんで。
初五郎:川に? 落っこった?
それでいいじゃねえか。
川へ落っこっ丹、万金丹だ。
梅吉:【つぶやく】
なんちゅうこじつけだよ兄弟…。
檀家:落っこったん万金丹って…まるで語呂合わせでねぇか。
…ただし白湯にて用ゆべし…。
なんだねこの白湯にて用ゆべしてな?
初五郎:だからよ、仏は川で死んだんだろ?
水にはこりごりしてんだよ。
終劇
参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)
桂歌丸
立川談志(七代目)
●用語解説
万年青:おもと。
中国から日本の暖かい山地に自生するスズラン亜科の常緑多年草
。日本では関東から沖縄にかけての山地、特に西日本に多く
自生状態で生育し、観葉植物としても鉢植えで栽培される。
古典園芸植物の一つ。
檀家:だんか。
一定の寺院に属し、これに布施をする俗家。
その寺のスポンサー。
かっぽれ:俗謡、俗曲にあわせておどる滑稽な踊り。