第42話:光の勇者は眠らない
今夜の夜食は、蜃気楼のレストランのシェフ手製だ。
薄くて丸いパンに、数種類のペーストを添えていただく。それから山盛りのフルーツ。
小皿に盛られたペーストは、豆を潰したもの、挽肉をスパイスで練り込んだもの、刻んだ野菜を油で和えたもの。
具も香りもそれぞれ異なり、色鮮やかで選ぶ楽しさがある。
付け合わせの茹で野菜も、素朴な味わいで美味しい。
スパイスたっぷりのペーストのあとに食べるとほっとする、絶妙な組み合わせだ。
いい具合に口の中がリセットされて、次のパンに手を伸ばしたくなる。
冷めても美味しいよう工夫されたメニューなのが、さすがだとクロは思った。
料理長──グルメマンのこだわりを感じる。
大きなベッドに寝転がりながら、クロは豪華な夜食を幸せそうに頬張る。
ベッドの傍らには、夜食を載せたテーブルが置かれていた。テーブルの下にはおかわり用の鍋が並んでいる。
「ん〜!うまい!幸せだぁ……困ったな、こんなに幸せでいいのか?」
ベッドの柔らかさを堪能するように、クロの尻尾が幸せそうにゆっくりと上下する。
向かいのテーブルでは、ヨナが晩酌を楽しんでいた。
彼が空けたワイン瓶が数本、テーブルの上に整然と並んでいた。なかなかの酒豪だ。
クロも少しもらったが、数杯で顔が真っ赤になってしまった。
結構度数の高いものが並んでいるようだ。
ヨナはあれほど飲んでも、顔色ひとつ変えない。
酒好きなドワーフに育てられたという話にも妙に納得がいく。……いや元々そういう体質なのか?
エーギルは外で夜の見張りに立ち、テントの周囲を警備している。寝ずの番を務めるらしい。
「クロは安心してぐうたらしていいからね。もし何か食べたくなったら、ヨナかルーカスさんに言うんだよ」
思えば出会ってからしばらく経つが、彼の寝顔を見たことは数えるほどしかない。
いつも先に寝るのは自分で、朝目を覚ませばエーギルはすでに起きて動き回っている。
深く眠れないのか、わずかな気配にもすぐ目を覚ます。
軽い不眠症だということは知っているが、目の下にクマはなく、眠そうな様子も見せない。
むしろよく寝ているはずの自分のほうにクマがある。
人姿が前世の姿を引き継いでいるせいなので仕方がないのだが。
「なぁ、ヨナ。あいつどうやったら寝るんだ?驚くほど全然寝ないぞ」
クロがぼやく。
冗談半分に、薬か何かで眠らせることはできないのかと尋ねると、ヨナは厳しい顔で答えた。
「まず薬は効かねェな。体力が切れるのを待つしかない」
「麻酔はダメなのか?」
「麻酔はあるにはあるが……毒判定されてるのか、効かねェ」
そう言って懐から一本の針を取り出す。麻酔針らしい。
「へぇ毒耐性か……いや、ちょっと待て。何で麻酔を持ち歩いてるんだ?」
「やんちゃな奴を大人しくさせるのに便利でな」
「副ギルドマスターも色々大変なんだな……」
クロはそれ以上聞かなかった。
結局、先に寝ることにしたクロ。
──エーギルは、いつ寝ていつ起きているのだろう。
そう考えた次の瞬間には、クロは眠りに落ちていた。
毎度のことながら、驚異的な寝つきの良さである。
翌朝、目を覚ますと隣にエーギルがいなかった。
いつもと違うものを感じて、クロは飛び起きる。いつかの朝とは明らかに違う違和感だ。
「ギルがいない?朝のトレーニングにでも行ったんだろうさ」
ヨナはルーカスに髪を梳かれながら、気のない声で言った。
呑気なヨナに、クロは捲し立てる。
「違う!トレーニングなら俺の近くでするし、遠出したとしても置き手紙をする!俺が起きる頃には必ず戻ってくるし、何かお土産まで持ってな!それに俺の勘が変だって告げてる!あと昨日、俺を守るって約束してた!」
そう。いつもクロが目を覚ます頃には、エーギルは魔法のようにすぐ傍にいて、朝食を差し出してくれるのだ。
「……恋人か何かかァ?過保護すぎだ」
ヨナはため息をつき、ルーカスに短く指示を出す。
恭しく頭を下げるルーカスを背にして、ヨナは服を整えながらゆっくりと椅子から立ち上がる。
「んじゃ探しに行くぞ。大体の方向は分かるか?」
「もちろんだ!あっちの方から気配がする……それより朝飯をく──」
言い終わるより早く、どこから出したのかルーカスが大袋いっぱいの果物を差し出す。
「これで十分でしょうか?」
「ちょっと足りないが、まあいいや。あとはエーギルにもらう!」
二人ははテントを出た。
朝とはいえ、まだ夜に近い暗さだった。
「砂漠って陽が昇るのが遅いんだな……まだ夜かと思ったぜ。さみぃ」
月は低く、かろうじて夜明けが近いことだけが分かる。
「なんでも闇神が祀られていた地域だそうだ。他より少し夜が長い」
「へぇ……たくさん寝られそうでいいな!」
「お前は本当に食うことと寝ることしか考えてねェな。なんだってこんな怠惰な奴がギルの従魔になったんだか、不思議で不思議で仕方がねェ」
「そりゃ、運命ってやつだろ」
エーギルの足跡は風にさらわれて消えていた。
クロの感覚だけを頼りに、微かに残るエーギルの気配を辿って進む。
30分ほど歩いたところで、クロが顔を上げた。
「エーギルの気配がここからするぞ!……ここから落ちたのか」
そこには、蟻地獄のようなすり鉢状の穴がぽっかりと開いていた。
人が2〜3人は入りそうな大きさだ。
まだ薄暗いとはいえ、注意深いエーギルがこの規模の穴に気づかないとは考えにくい。
おそらく突然できた穴なのだろう。
「まったく……不運体質も程々にしろよな」
ヨナは頭を抱え、乱暴に髪を掻き上げる。
荒っぽい仕草とは裏腹に、朝の砂漠の風を受けて金の髪がさらりと揺れた。
空の端にはじわりと朝日が滲み、砂の海が徐々にオレンジ色に変わろうとしていた。
気がつけば足元に長い影が伸びている。
少しずつ風が強くなってきた。しゃがみ込んだククロのコートの裾が荒々しくはためく。
「あの耳飾りがあるから大丈夫なんじゃなかったのか?お守りなんだろ」
「……ああ、あの耳飾りか。あれを渡したのは俺だ」
ヨナは短く息を吐く。
「あれはそろそろ寿命で、本当は修理が必要なんだが……その素材がなかなか手に入らねェ。明らかに効力が落ちてきてるな」
「じゃあ、ますます目を離しちゃダメだろ!急いで探すぞ」
「いや多分、大丈夫だ」
即答だった。
「あいつはほぼ不死身だ。探す時間はある」
砂混じりの風がヨナの長い髪をなぶる。彼は鬱陶しそうにそれを後ろへ払った。
「……ほぼ不死身?少し話は聞いていたが、そこまでなのか?」
クロは思わず聞き返す。
「致命傷でなければ、な。」
ヨナはクロの先を歩きながら、ぽつぽつと語り始める。
「あいつにかけられたドラゴンの呪いの話は知ってるか」
「詳しくは知らん」
「そうか。……あいつが昔、竜の島で修行していた頃、水も食料も尽きて……仕方なくドラゴンの血を飲んだらしい」
「ドラゴンの血……」
「普通なら一口でも死ぬ劇薬だ。だが、光神の加護で毒が効かなかった。それが変な方向に働いたみてェだ」
ヨナは一拍置いて、低く続ける。
歩くたびに足元で砂がさざめき、舞い上がったそばから風に溶けていく。
「特にエルフはな、環境の影響を受けやすい種族だ。良くも悪くもな」
クロは思わず息を呑んだ。
「あいつは大怪我しても死なねェ体になった。欠けても治癒魔法で治る。魔力も枯れねェ。……化け物だろ?」
その言葉と同時に、クロの脳裏に浮かんだのは夥しい傷跡に覆われたエーギルの背中だった。
「……それで、麻酔も効かないのか」
「ああ。酒にも酔えねェ。たぶん不眠もそのせいだろうな。ここまで来るともはや呪いだ。勇者なんてふざけた肩書きに、これだ。……俺は、あいつの師匠を誰よりも恨んでる」
とうとう足を止めたヨナの表情は見えない。彼の背中はいつもより重く見えた。
「王国はあいつを使い潰すことしか考えていねェ」
クロは言葉を失った。
エーギルが自分を大事にしない理由、その一端を垣間見た気がした。
ただ風が砂をさらっていく音だけが耳に残る。
砂の海に刻まれた無数の波模様。風は形を変えながら、何度も何度も砂を削る。
失われはしないが、傷は残る。
傷跡だらけのエーギルの背中が、妙に頭から離れなかった。




