第41話:星々の輝きの下で
蜃気楼のレストランの料理を堪能したエーギルとクロは、満ち足りた笑みを浮かべてテントを出た。
ヨナは「少しキャラバンのリーダーと話がある」と言い、レストランのテントに残った。
おそらく商売絡みの話だろう、とエーギルは思う。
ヨナはこういう機会を決して逃さない。
「あ〜本当に美味かった!エーギル、今日はすごい勢いでデザートを平らげてたな。いつもより多かったんじゃないか?流石の俺もびっくりしたぞ」
「ははは……あれを他で食べられないと思ったら、ついね」
光の勇者が大の甘党であることは、周知の事実だ。
そのためか、これが主役だと言わんばかりにデザートの種類は充実していた。
手の込んだ逸品から、家庭的な素朴さを残すものまで。
エーギルは目を輝かせて、ひとつ一ひとつ丁寧に味わっていた。
「それにしても、まさかあのグルメマンがシェフだったとはな」
「……ルカイールさんのことかい?」
「そうそう!そんな名前だったな」
昼間、クロがワームを食べられるか尋ねていた、いかにもグルメそうな男。
彼は「ラーミル商団」の一員であり、蜃気楼のレストランの料理長だった。
彼の名前は確か、ルカイール・アル=ファル……ファルージ?……アズハル?
とにかく長く、聞き慣れない名だった。
ヨナは一度で覚えていたようだが、エーギルも正確には覚えきれていない。
カタカナに弱いクロは覚えることを諦めて、「グルメマン」とあだ名で呼ぶことにしたらしい。
前世からカタカナ三文字以上の名前を言い間違える癖がある。
エーギルは少し心配しつつも、今世はドラゴンだから大目に見てもらえるだろう、と楽観している。
何より、そんなところも含めて可愛くて仕方がない。
「俺も全部は覚えられなかったよ。それにしても、クロの美食センサーは本当にすごいね」
「ラッキーすぎてちょっと怖いくらいだ」
得意げに胸を張るクロの頬を、冷たい風が撫でる。
「それにしても寒いな……早くテントに戻ってぐうたらするぞ!」
砂漠の夜はとても冷える。昼間の熱気が嘘のようだ。
砂漠には岩や木がないため遮るものが全くなく、冷たい風が絶えず吹きつける。
強風に混じって砂も飛んでくるのだからかなわない。砂が頬に当たって痛い。
二人の足は自然と早足になった。
テントの前には、ラーミル商団が設置した焚き火があった。
台の足元には大きな絨毯が敷かれ、暖房魔法が仕込まれていた。
それに気づいたエーギルは微笑む。
「クロ、テントに入る前にここで暖まろう。絨毯の中に入ってごらん」
半信半疑で足を踏み入れたクロは、すぐにその効果を悟ったらしい。
「こいつはいいな!俺もこの絨毯が欲しいぞ!」
「うーん、それは流石に難しいかなあ」
暖房魔法は繊細な調整を要する高度な魔法だ。
魔法陣を仕込んだ絨毯となれば、相当な職人の手による高級品だろう。
ヨナなら持っているかもしれないが、簡単に手に入る代物ではない。
エーギルはラーミル商団の底力を垣間見た気がした。
すっかり温まると、絨毯から出るのが億劫になってきた。
まるでこたつの魔力だ。
二人は焚き火を挟んで、取りとめのない話を続ける。
クロが旅で見たことや感じたことを思うままに語るが、気を抜くといつの間にか食べ物の話になる。
れに気づいたクロが慌てて軌道修正するものの、結局また食べ物へ戻る。
「ふふ、クロは本当に可愛いねぇ」
「エーギル、また可愛いしか言ってないぞ!ちゃんと聞いているのか?本当に可愛いと思っているのか?」
「ちゃんと聞いているとも。肉の部位と焼き加減、それからスパイスの配合だろう?また食べ物の話に戻ってるところも可愛い」
「あ!本当だ!くそぉ……」
「クロの存在そのものが可愛いから、可愛いとしか言えないんだ。怒るところもまた可愛いね」
エーギルは至って真面目だが、クロは納得しない。
怒る姿もまた可愛い、とエーギルは思っている。
「むう……目の病院に行ったほうがいいんじゃないか?」
ドラゴンの感覚で、嘘ではないとわかる分だけ返しづらい。
焚き火に照らされながら、エーギルは右手の聖痕を見つめた。
「聖痕がどうかしたのか?痛むのか?」
エーギルはゆっくりと首を振る。
「クロと出会ってから、色が濃くなった気がするんだ」
「そうなのか?」
差し出された手を、クロはまじまじと眺め、指先でつつく。
それがくすぐったくて、エーギルは小さく笑った。
「出会った時にも、少し光っていたのが気になっていてね」
「その聖痕が俺の場所を教えてくれたんだろ?」
「今思うと、教えてくれたというより……クロに反応していたのかもしれない」
「反応?どういうことだ?」
「クロと出会う前は、聖痕で精霊や魔物の浄化なんてできなかったんだ。簡単なコンパス程度の機能しかなかった」
「ふうん……俺と出会って聖痕がちょっと進化したってことか?」
「そうかも。どうしてだろうね」
「俺はすごいドラゴンだからな。当然じゃないか?」
胸を張って答えるクロ。ドヤゴン。
「ふふ、そうかもね。さすがクロだ」
エーギルは目を細めた。そんなクロが可愛くて眩しくて、仕方がなかった。
──もし運命というものがあるならば。
この先には何が待っているのだろう。
クロと出会ったことで、何かが変わろうとしている。
そんな予感が胸にあった。
回帰前の光景がエーギルの脳裏をよぎる。
見渡す限りの焦土。
絶えず頬を掠め続ける熱気と、乾いた焦げ臭い匂い。
あちこちに転がる、誰のものかわからぬ焼死体。
悪夢そのものを現実にしたような村の惨状。
臓腑を焼くような不安と恐怖と……怒り。
そして、黒煙で赤黒く濁った空を埋め尽くすほどの巨大なドラゴン──災厄の黒竜。
目の前にいるクロと、あの黒竜は、印象も大きさもあまりに違う。
それでも胸の奥がざわつく。
竜殺しとしての直感が告げている。
同じ竜だ、と。
あの黒竜は、目の前にいるクロなのだと。
あの黒竜にも、クロと同じように目が四つあった。
それだけで、十分だった。
複眼のドラゴンなど聞いたことがない。
それは生物学的な特徴というより、象徴のように思えた。
何か、別の意味を持つ存在の証。
まだ確信には至らないが。
それでも、もしクロが災厄の黒竜だったのだとしたら。
あんなにも無邪気で、食べることが大好きなクロが、どうしてあのような姿になったのか。
「世界を滅ぼすなら、世界中の美味いもんを食い尽くしてからだな!」
時々冗談めかしてそう言うクロだ。
もし俺と出会わなかったとしても、自ら進んで暴れるとは思えない。
本当に食い尽くしてしまったとしても、安易に滅ぼさず守るだろう。
彼の性格なら間違いなくそうする。
操られていたか、あるいは彼をそうさせるほどの何かがあったに違いない。
──「彼は文字通り、神の子です」
静かな水面に一滴を落とすように、ユース・ユーキスの言葉がふいに耳によみがえった。
クロが何者なのか。
正体が何であれ、エーギルにとって一番気がかりなのは「彼に、何が起きたのか」ということだった。
回帰して再び出会った今。
この聖痕の変化は、光神からの神託のようにも思える。
あの災厄の真相に、わずかながらも近づいている気がする。
俺の本当の使命は、災厄の黒竜を討つことではなく──
目の前にいるクロを、守ることなのではないか?
クロを道具にしようとする者たちから。
もしそうだとしたら。……面白いじゃないか。
今度は、守る側に立てる。
エーギルはゆっくりと夜空を見上げた。
足元の焚き火から舞い上がった火の粉が、星のように瞬きながら風に流れて消えていった。
「クロのことは俺が守るからね」
「なんだぁ急に?俺のほうが守る側だろ?」
エーギルは曖昧に微笑んだ。
従魔契約という嘘。クロを守るための方便。
口裏合わせの嘘でも、クロは従魔になることに前向きだ。
それでも俺は、契約するつもりはない。
なによりクロの自由を守りたい。
そして、彼とは対等な友人でいたい──竜殺しが、そう願うのは罪だろうか。




