第38話:赤鱗の砂竜
その赤鱗は、いままさに地に足を下ろそうとしていた。
砂漠を灼く太陽のように鋭い、宙から睥睨する金色の瞳。
まるで丘をひとつかみ、そのまま持ってきたかのような赤銅色の巨躯。
──ドラゴン姿のクロよりひとまわり小さいが。
薄く広がる翼がテントに巨影を落とす。
赤鱗の右肩には古い傷跡があった。
「あれが赤鱗……クロと比べると小さいけど、結構大きいねえ。おじいちゃんかな?」
吹き荒れる砂嵐の中で、竜殺しエーギルは穏やかに微笑む。
その目にドラゴンへの恐れはなく、ただ、狩る者の目をしていた。
「……あんなのと俺と比べるなよ。俺は可能性の塊だ」
隣に立つクロがふんと鼻を鳴らす。
「クロはまだ子供だから、これからあれよりずっと大きくなるんだよね。嬉しいなぁ、幸せが大きくなるっていいねぇ。いっぱいお食べよ」
エーギルは赤鱗の存在など忘れたかのように、幸せそうにクロを見て頬を緩める。
「その言い方、なんか嫌だからやめろ」
赤鱗が大きく息を吸い込み、咆哮を上げようとしたその瞬間。
「さて、まずは──」
エーギルは小さく呟く。
砂塵の中で銀光が閃いた。
銀光に翼を穿たれた赤鱗は墜落した。
砂上に赤黒い血がぼたぼたと落ちる。
墜落した赤鱗の目の前に、エーギルが立つ。
大岩ほどある巨大な瞳に、エーギルの姿が映る。
彼を敵と認識した赤鱗は、怒りの咆哮を上げながら体勢を立て直した。
羽ばたこうとするが、翼が動かない。
翼そのものはほとんど無傷だが、もう飛べない。
それを悟った赤鱗は、さらに大きな咆哮を上げた。
エーギルが穿ったのは、翼を動かす主動筋束。
ドラゴンの体を知り尽くした竜殺しならではの、初手だった。
「うわ。えげつねえな……」
「竜殺しの名は伊達じゃねェってこった。あいつが仕留めた奴は、みんな傷が少ねェ。素材に使える部位が多くて助かるぜ」
そう言いながらヨナがワイングラスを差し出す。隣のルーカスが静かに応え、おかわりを注いだ。
爪が振り下ろされる。
エーギルは片手で槍を掲げ、その重い一撃を受け止めた。
その威力をそのまま伝える硬質な音が響く。
キャラバン一行は思わず身をすくめた。
それを皮切りに、次々と繰り出される素早い攻撃。
エーギルはそれらを難なく受け止め、いなし続けていく。
クロは目が離せなかった。
槍の穂先が光を反射し、星のように煌めいていた。
その剣戟はあまりに速く、エーギルの周囲に流れ星が幾筋も走っているように見える。
キャラバンの面々から、ため息と驚嘆の声が漏れる。
「まるで光に守られているようだ……美しい」
「これが光の勇者……」
砂漠の砂はとても細かく、一歩ごとに深く沈む。
靴の中に砂が水のように入り込んで、すぐに重くなる。
斜面では滑りやすく、雪よりも歩きにくい。クロはそう感じていた。
そんな砂上を、子鹿のように軽やかに駆け抜けて、鮮やかに赤鱗の背後を取るエーギル。
赤鱗は怒りをそのまま表すかのように、動くたびに大量の砂を巻き上げる。
一方で、エーギルの動いた跡にはほとんど砂が残らず、舞うのは手のひら一握りほど。
まるでエーギルが赤鱗を弄んでいるように見える。
実際、赤鱗の怒りは目に見えて高まっていた。
攻撃が荒っぽく雑になってきている。
「……なんだか遊んでるみたいだな」
「あれは挑発してんだよ。キャラバンのテントに被害が出ねェように、さりげなく移動してる」
「あ、本当だ。全然わからなかったぞ」
砂を巻き上げながら、巨木のような尻尾が迫る。
エーギルはそれを見切って避けるどころか、尾の上に乗り、そのまま背を駆け上がった。
曲芸じみたわざに、観客たちは息を呑む。
クロもキャラバン一行も、汗を拭うことすら忘れていた。
砂中のワームたちも、息を潜めて観戦していた。
その足運びは、妖精のごとく軽やかで。
灼熱の砂漠にあっても、エーギルは息切れひとつせず、汗ひとつ流さない。
赤鱗の後頭部へと、迫っていく。
自らの体を駆け上がられていることに気づき、赤鱗は低く唸った。
振り落とそうと、山のような巨体を激しくよじる。
その瞬間、クロはエーギルが微笑むのを見た。
本能的な危機を感じた赤鱗は、牙をガチガチと鳴らす。火花が散る。
火を纏ったドラゴンブレスが炸裂した。
赤鱗の周囲は火に包まれ、砂漠の砂がじゅうじゅうと音を立てて溶けた。
しかしエーギルの姿は、そこにも、赤鱗の背にもなかった。
探し回る赤鱗の頭上、空高く。
そこに、エーギルはいた。
空高く跳躍したエーギルから、銀色の穂先が落ちる。
喉を貫かれた赤鱗は、轟音と砂の波を立てて崩れ落ちた。
大きな歓声が砂漠に響き渡った。
◇◇◇◇◇◇
「……要するにな。まず、遺跡の近くに住んでたワーム達が、汚染マナに当てられて暴走した。
で、近くで寝てた赤鱗は、そのせいで昼寝を邪魔されてキレた。
暴れ回る赤鱗に追い立てられて、今度はアカルナ達が慌てて逃げ出した。逃げた先は、本能的に安全そうな方向──つまりキャラバンの方角。
その結果、まとめて巻き込まれた……ってわけだ」
クロはワームたちから聞き取った内容を整理し、エーギルたちに伝えた。
「なるほどそういうことだったのか」
「そりゃ赤鱗が暴れてたら逃げるしかねェよな」
「一番の被害者はアカルナたちですねぇ……」
「ところでクロ。あの時ワームをなんで食べなかったの?あんなに食べる気満々だったのに…」
「なんとなく。あんまり美味くなさそうだった」
「確かにワームは、あまり美味しくはありませんね。どう加工してもパサパサしていて、口の中の水分を全部持っていかれますし……食べなくて正解ですよ」
そう言ったのは、キャラバンの一員だった。
昼間クロにアカルナの味を尋ねられていた、あのグルメそうな男だ。
「だろ?俺の美食センサーに狂いはなかったぞ」
「なるほど、さすがクロだね!」




